戴冠の断頭台 無能王子と狂信の騎士
ルミナリス王国の第四王子、セシル・フォン・ルミナリスは「出来損ない」の代名詞だった。
眩いばかりの金髪に、吸い込まれるような碧眼。繊細で美しい容姿を持ちながら、中身は空っぽだと誰もが蔑んでいた。
酒に溺れては夜会で醜態を晒し、退屈な公務からは逃げ回る。
それが人々の知る無能なセシルの姿だった。
だが、それはすべて、生き残るための「演技」だ。
王位継承という名の血みどろの椅子取りゲームにおいて、光り輝く才知は死を招く。
セシルの母、第四妃アニエスがそうだった。
彼女が王の寵愛を受け、貴族たちの間で静かに影響力を持ち始めた直後の秋、彼女はあまりに不自然な「事故」で命を落とした。
セシルが十歳の時のことだった。
セシルは、賢い子供だった。
だから、愚か者を演じることにした。
酒と女と賭博に溺れ、誰かに利用される価値もなく、誰の脅威にもならない存在。
その仮面を被り続けて八年。
魔力も知略も持たない「無能」こそが、この血塗られた王宮で彼を守る唯一の盾だった。
「セシル様、お着替えを」
重厚な天蓋付きのベッドに横たわるセシルのもとへ、従者のジークが現れる。
漆黒の髪に、感情を一切映し出さない鉄色の瞳。幼い頃から影のように寄り添い、セシルの護衛兼従者として生きてきた男。
「ジーク、今日もまた兄上に嫌味を言われたよ。あぁ、早く隠居して田舎で本でも読んで暮らしたい」
セシルは寝返りを打つと、ジークを見上げて呟いた。本音だった。
この息苦しい仮面を脱ぎ捨て、彼だけが知る「本当の自分」として生きたい。
「....左様ですか。しかし今はまだその時ではないかと」
ジークは淡々と、しかし淀みのない所作でセシルの上着のボタンを留めていく。
その指先がわずかにセシルの肌に触れるたび、セシルは奇妙な安心感を覚える。
ジークだけが、セシルの孤独を知っている。
ジークだけが、世界で唯一の味方だった。
だが、運命は残酷だった。
王が病で亡くなると、王位継承の争いはさらに激化、そんな中第一王子が暗殺され、あろうことかその罪がセシルに着せられたのだ。
現場に落ちていたのは、セシルの紋章が入った短剣。
あまりに稚拙な罠だったが、王位を狙う者たちにとって「無能な王子が自棄を起こした凶行」という建前さえあれば真偽など関係なかった。
弁明の機会すら与えられず、セシルは冷たく湿った地下牢へとぶち込まれた。
処刑前夜。
「ジーク、逃げろ」
鉄格子の向こう側、音もなく現れたジークに、セシルは枯れた声で告げた。
「俺はもう終わりだ。明日、広場で処刑される。兄上たちにとって邪魔なのは俺だ。俺が死ねば、従者のお前を誰も追わない」
「.....お断りします」
ジークの声は、地を這うように低かった。
「命令だ! ジーク、お前には自由になってほしい......」
セシルは必死に訴えた。
自分という重荷から、この忠実な男を解き放ちたかった。
その瞬間、ジークが鉄格子を掴む。ミシミシと、常人ではあり得ない力で鉄が軋む音が静寂に響いた。
「私は自由意志の上で貴方の側にいるんです。貴方がいない世界に、守るべき価値などー欠片もない」
覗き込んだジークの瞳には、見たこともないような昏い情熱が宿っていた。
それは忠誠を超えた、もっと狂気じみた何か。
だが、その正体について深く考える間もなく、翌朝、セシルは引きずられるようにして処刑場へと連行された。
広場を埋め尽くす民衆の罵声が、鼓膜を突き刺す。
「無能な王子に死を!」
「人殺し!」
セシルは断頭台の前に乱暴に跪かされ、硬い台の上に首を乗せられた。
頭上では、冬の陽光を反射して、巨大な刃が鈍く光っている。
セシルは目を閉じた。
かつて母を亡くした時の孤独がまざまざと思いだされる。
その頃ジークが不器用に抱きしめてくれたことも、自分が主人としてジークを守るんだと誓ったことも。
……結局、俺は誰も守れず、誰にも選ばれずに死ぬんだな。
知らずに、自嘲の笑みが浮かんだ。
(ジーク、せめてお前だけでも自由に生きてほしい......)
最期の瞬間まで願うのは、ただ一人の理解者の幸せだった。
執行人が、死の刃を繋ぎ止める紐を外そうとした、その時。
世界が、闇に染まった。
空が割れるような轟音。
そして、処刑台を囲んでいた近衛騎士たちの首が、一斉に宙を舞った。
抵抗する間も、悲鳴を上げる間もなく。
「何事だ!?」
パニックに陥る広場。
噴き上がる鮮血の雨の中に、一人の男が立っていた。
漆黒の髪をなびかせ、つい先日までセシルの一番近くにいた男ーージークだった。
だが、その纏う空気は全く別物だった。
彼が解き放ったのは、一振りで百人を薙ぎ払うほどの、圧倒的で禍々しい漆黒の魔力。
その力は、伝説の英雄か、あるいは魔王か。
ジークはゆっくりと、まるで姫を迎えに行く騎士のような足取りで階段を上る。
そして、呆然とするセシルの身体を抱きしめるようにして、優しく立ち上がらせた。
数千人の民衆、そして震え上がる騎士と貴族たちの前で、ジークは主君の前に跪き、その細い手を恭しく取った。
「セシル様。この国全てを、貴方への贈り物として捧げます」
その声は、かつてないほど甘く、そして逃げ場を塞ぐような独占欲に満ちていた。
「今日から、貴方がこの国の唯一の王です。そして私は、貴方を二度と逃がさない鎖となりましょう」
血の海と化した処刑台の上で、逆転の戴冠式が始まった。




