第五章③ マクシム
陽が傾きかけた頃、中庭には時折金属の軋む音と誰かのうめき声が響いていた。
マクシムが妙な武器を両手で構えていた。
それは束に仕込まれた鎖で敵の剣を絡め取り、引き寄せたり追ったりできる。
まるで鞭か鎌のような形状をした、異様な代物だった。
第六艦艇部隊が東洋の知見をもとに開発したという、その新兵装「連結剣」。
振り回せばしなる。斬るというより、絡め取る。構造も使用感も、従来の剣とはまるで別物だった。
「っ……ぅおおおおおお……っ!? やっぱりまた手が滑った……っ!」
鎖の遠心力に引っ張られ、マクシムの身体が軽く一回転する。思わずシャルルが駆け寄ろうとしたが、隣のグウェナエルがそれを手で制した。
「……これ、実用性なくね?」
そう呟いたグウェナエルの口調は冷静だったが、表情には若干の困惑が滲んでいた。
「初見殺しって感じはあるが、戦場で振り回すには不安定すぎる。バランス悪いし、反撃の隙が多い。そもそも、近接武器と鎖を組み合わせる意味あるのか……?」
「いや、ここから化けるさ」
軽い調子で言ったのはシャルルだった。日差しを反射する片眼鏡を指先で押し上げながら、どこか楽しげにマクシムを見つめている。
「こういう武器は、使う人間次第で驚くほどの殺傷力になる。制御できるなら、牽制にも奇襲にも応用が利く。要は慣れだ。隊長は……やればできる人だよ」
その間にも中庭の中央ではマクシムが苦闘していた。肩で息をしながら、すでに三度目の転倒を経験し、それでもなお意地になって立ち上がる。
「もう一度……っ、もう一度だけ……ッ!」
連結剣を掲げるその姿は、もはや修行僧のようだった。風に揺れる鎖の音が不穏に、そしてどこか哀愁を帯びて鳴る。
「…………でも絶対、腕の筋肉おかしくなるぞ」
グウェナエルは一応心配そうに呟いた。
「はあっ……、はあっ……ッ、くそ……!」
連結剣の鎖がまたもや風を裂き、マクシムの腕を引きずるように横へ流れた。危うく足元を絡めとられるところをなんとか踏みとどまり、剣を両手で地面に突き刺して呼吸を整える。額には汗が滲み、襟元のリボンは既に解けかかっている。そこへ能天気な声が中庭に響いた。
「いやあ、捗ってますね!」
陽気な口調と共に緑の衣を着た男が姿を現した。
東洋の情報屋リー・ウェンだった。
「……っ、ああ!?」
マクシムが目を吊り上げた。訓練の最中に誰かに話しかけられること自体は慣れているが、今は別だ。苦労して苦労して、ようやく鎖の軌道が読めるか読めないかというその矢先だった。
「リーさん……ッ、これ、扱いにくいんですけど!!」
ついに口を突いて出た文句は、マクシムには珍しく語気が荒かった。しかし、リー・ウェンはまったく動じない。おっとりと笑ったまま小脇に抱えたケースを地面に置くと、カチャリと金具を外して蓋を開けた。
「ですよね。やっぱりそうなると思って、ちゃんと別のもの用意してきました」
「……は?」
「マクシムさんの身長と、関節の可動域、それに筋肉のバランスから見て、あの連結剣は全長がちょっと大きすぎたんですよ。で、たぶん巻き込み事故で手首をやるなと思って。ね?」
そう言いながら、彼はケースの中から新しい武器を二本——左右対称の銀の片手剣を取り出した。
西洋剣に似ているが、重心がやや前寄りに設計されており、刃の幅も中央部で一段細くなっている。
異国的な意匠と無駄のない造形。
「これ、知り合いが設計した『対人用・間合い短モデル』。名前はまだないけど。振り回すんじゃなくて、捌いて斬る感じ。連携技にも向いてます。……ほら、今にも投げそうな顔してたから」
「……」
言い返せなかった。実際、さっきの一撃で鎖の剣をぶん投げたくなったのは事実だった。
「隊長。それ、正直なところめちゃくちゃ似合わなかったですよ」
マクシムの後ろからグウェナエルがぼそっと囁く。
「武器が化けるより、隊長の顔が死んでましたね」
シャルルも悪びれずに言った。
「………………くっ」
マクシムは口を引き結びながら、そっと連結剣を地面に置いた。そして、リーが差し出した片手剣を手に取る。重さ、握りの角度、刃のバランス。すべてがしっくりきた。
「……これは……」
「でしょ?」
リーは満足そうに頷いた。左手の細剣を軽く振ると、音もなく空を裂いた。
ラピエールに近いその刃は突きを前提に設計されており、軽快な反面、鍛えられた手首でないと制御しきれない。
右手の剣は対照的に、重量があり、幅広で重心も前寄り。完全に打撃用の造りだった。片手で扱うには骨が折れるが、一発でも当たれば並の剣士は膝をつく。
「けど、二刀流って扱いにくいですよ。武道家や剣豪だって、最終的には一本の方が強いって結論づけてるじゃないですか」
グウェナエルは眉をひそめたまま、片手の訓練用剣を構え直した。
「知っていますよ。……でも僕は、僕のための結論を出したいのです」
マクシムは静かに、だが確かな熱を帯びた声でそう答えた。そして構えを取る。左足を前に、右足をやや引き、身体を斜めに傾ける。防御を捨てた攻撃主体の構え。目に映るマクシムのシルエットは、これまでのどの立ち回りよりも鋭く刺すような緊張感を孕んでいた。
「……しばらく、手合わせ願えますか?」
「え? あ、はい。いいですけど」
グウェナエルが間の抜けた返事をする間もなく、鋭い風切り音が走った。細剣の突きだ。予想より速い。グウェナエルが慌ててそれを捌くと、今度はマクシムが逆方向から重い打撃で襲う。剣と剣がぶつかる鈍い音。マクシムの体重を乗せた打撃を軽い剣で受けた衝撃にグウェナエルは少し後退した。
「……ちょ、ちょっと待て、それ、交互に来るの反則じゃないか!? どっちの間合いも違うし!」
「そのための二刀流ですよ」
「くそ、理屈が合ってる……!」
二人の鍔迫り合いが始まった。剣と剣が打ち合う音が乾いた中庭に弾けるように響く。呼吸と足運び、刃の流れ、間合いの駆け引き。グウェナエルが少しずつ押されていく。少し離れた木陰でシャルルとリー・ウェンがその光景を眺めていた。
「……いや、なんか……マクシム隊長、あの二刀で覚醒してません?」
シャルルが目を細め、何とも言えない表情でつぶやいた。
「ですねえ。予想より適応早いです。ていうか、振ってみるまでわかんないですからねえ、こういうのは」
リーは手元のノートをペラペラと捲りながら唇の端を上げる。
「筋力は申し分なし、反応速度も上位一割。でもあれは技術じゃないです。たぶん、噛み合ったんですよ。心と武器が」
「噛み合ったって……どっかの詩人みたいなこと言いますね」
「技術者ですから。噛み合ってるかどうかは、理屈じゃなくて手の中でわかるんです」
「へぇ……」
シャルルは頷きながらも視線は試合の二人から離さない。
「それにしても、グウェンが地味に押されてるのは珍しいな……」
「マクシムさんの戦闘スタイル、本来は柔と剛の両立型だと思ってたんです。でも、今までは規律と型に縛られて片方しか出せてなかったんじゃないかな」
「ふーん……。それがこのタイミングで出てきたと」
「ですねえ。まあ、理由は分かりませんけど。……でも」
リーは口元に指を当てて、ふと笑みを薄くした。
「人って強くなるときは大抵、何かを壊した直後ですから」
鍔鳴りの音がひとつ大きく響いた後、グウェナエルの声が上がる。
「ちょ、ちょっと休憩しましょう! 腕がもげますって!」
その叫びに応じてマクシムが一歩退いたのを見計らい、木陰ではシャルルが肩をすくめて呟いた。
「……やっぱり、グウェンじゃ相手にならないか」
「はは、まあ彼は真面目ですから。基礎と型が整ってるぶん、型破りな相手に弱いんですよ」
リーが笑いながらそう言い腰のポーチをごそごそと探っていたが、ふと顔を上げ、さらりと口にした。
「ところで参謀殿。……奇抜な作戦は、考えられましたか?」
「奇抜?」
シャルルは涼しい顔で問い返す。
「誰に対して?」
「もちろん。……対ルキフェル戦の話です。あれにまともに対抗できるなら、こちらにも切り札が欲しいところでしてね。あなたの面白い頭脳も必要かと思いまして」
しばらく沈黙があった。シャルルは風の音に耳を傾けるように目を伏せてから、そっと呟いた。
「……そうですね。武術で対抗できないなら、人道から外れた作戦にするしかないですね」
「と、言いますと?」
「ルキフェルが突発的な事情に弱いのだとしたら、その隙を突くしかない。……身体ではなく、頭を揺らす。幻覚剤、あるいは毒。強い奴ほど油断したときの落差が大きいですから」
リーが一瞬、目を見開いた。だがすぐに笑みを浮かべ、肩を震わせた。
「……ははっ。あなたも、なかなか人が悪い」
「そう言うあなたこそ。どうせ、もう持ってるんでしょう?」
シャルルの問いに、リーはポーチの中から小さな青い小瓶を取り出してみせた。中にはわずかに揺れる、濁った液体。ガラス越しでもただならぬ気配を放っていた。
「いつもお世話になってるお礼に、こちらを差し上げましょう」
「これは?」
「まあまあ、今から説明しますよ」
リーの目がどこか愉しげに細められる。その仕草と声色は、つい数分前まで武器を届けていた技術者のものだったが、今この瞬間だけは薬屋とも毒屋ともつかない別の顔を覗かせていた。
リーはにやりと笑いながら、今度は荷袋の中から小ぶりな木箱を取り出して蓋の表面を指先で撫でた。
「これはですね、東の密林地帯──現地じゃ『神の蛇の毒』なんて呼ばれてる代物です」
シャルルが眉をひそめる。
「毒、とは物騒ですね」
「ええ、毒にも薬にもなります。これを煮出して飲むか、煙で吸う。すると、目の奥に『何か』が宿るんですよ」
「……何か、とは?」
リーは楽しそうに目を細める。
「過去か、罪か、恐怖か、神か。それとも、ただの自分自身か。人によって見えるものが違うんです。面白いでしょう?」
「……幻覚剤ですね」
「正確には、夢蛇という蔓草と、暗紫の天眼樹の皮を合わせて煮詰めたもの。現地では神官しか触れちゃいけないんですが、まあ私は特別にね」
「特別に、密売人として?」
「はは、それはご想像にお任せします。ただ……これは真実を暴く毒でもある。精神が脆い人間には、ちょっと刺激が強すぎるかもしれませんね。過去の罪が喰らいついてきたり、自分が誰だかわからなくなったり——」
シャルルはしばらく黙って木箱を見下ろしていた。やがて指先で軽く蓋を持ち上げる。中にはごく少量の乾燥した蔓草と、粉状の皮片が入っていた。どれも不気味な色をしている。
「……これで、ルキフェルを壊せると思いますか?」
リーは軽く肩を竦めてみせた。
「保証はできませんが、彼のような精神構造なら打ち所さえ正しければ――沈みます。たった一瞬で、あの輝く理性が自分の地獄に飲まれるかもしれませんよ?」
「…………」
「まあまあ、興味を持ってくれて光栄です。使うかどうかは、あなたのご判断で」
そして、リーは口元を皮肉に歪めながら言った。
「……策士は、時に毒を握るものですからね?」
シャルルは一拍の沈黙ののち、静かに木箱を受け取った。リーはにこにこしたまま深く頭を下げる。
「お礼はいいですからね? いつもよしなにしていただいてるお返しです」
そのとき、背後で鋭い金属音が響いた。
マクシムとグウェナエルの模擬戦が再び始まっていた。
再び向き合ったマクシムとグウェナエルの間に静かな気配が満ちる。先ほどまでの打ち合いで互いの感触は十分に掴んだはずだが、それでもこの瞬間、空気は一段と張りつめる。
マクシムの手には新たに授けられた二本の剣。左には細く軽い突き剣、右には重厚な打撃剣。未だ手に馴染みきらぬ武器ではあったが、彼の眼差しはすでに戦士のそれだった。額にはうっすらと汗。だがその口元には、確かな手応えを感じた者だけが浮かべられる、意志のある笑みがあった。
「さあ、グウェナエル。今度はこっちから行きますよ」
「どうぞ、お手柔らかに」
冗談めかしたグウェナエルの応じ方にも既に余裕はない。
すでに彼は先ほどまでの訓練が軽い模擬戦ではなく、本気の「剣術試合」に変わっていることを肌で感じ取っていた。
そして次の瞬間、マクシムが地を蹴った。風を裂いて走る。軽い突剣が素早く先手を打ち、まるで蝶のように舞う。グウェナエルが受け止めた瞬間、視界が揺れる。右手の重剣が間髪入れず振るわれ、彼の防御を打ち砕こうとする。
「なるほど、こう来るか!」
グウェナエルも咄嗟に跳び退いた。だが、マクシムの動きは止まらない。左手で小さく突いて牽制し、右手の剣を振るう。この流れるような連撃は、まだ拙いながらも彼独自の「剣舞」の片鱗を見せ始めていた。彼は苦しみながらも笑っていた。目の奥が燃えている。自分の身体が、剣が、風とともに舞い、うねり、まるで魂が躍っているかのようだった。
「ああ、これだ。僕が、欲しかった感覚は。これなら、あいつと渡り合える!」
速さと重さ。軽快さと破壊力。その相反する二極を両腕に抱えて、マクシムは敵の隙を探る。いや、探っているようでいて、戦いそのものに陶酔していた。真剣勝負の中でしか見えない景色。極限の一瞬の中でしか掴めない呼吸。それを感じていた。
一方、少し離れた中庭の片隅。
「…これは、すごいですね」
「……まさか、ここまで適応するとは」
思わず目を見張るリーとシャルル。リーは手に扇子を掲げながら、どこか満足そうに頷いた。その顔にはいつもの飄々さに加え、商人としての確かな「眼」が光っていた。
打ち合いが続く中、ついにそのときが来た。
一歩、マクシムが踏み込む。左手の突剣でグウェナエルの視線を誘い、瞬時に体を捻ると右手の重剣が低い軌道で弧を描く。グウェナエルがそれを受け止めたとき、バランスが崩れた。その隙を逃さず、マクシムの突剣が弾けるように喉元へと迫り——。
「……っ!」
喉元でぴたりと止まる、細く鋭い刃先。それを見つめながら、グウェナエルは苦笑を浮かべて手を挙げた。
「……参りました、隊長」
中庭に沈黙が訪れ、そしてすぐに破られた。
「やった!! 勝ったぞ、僕は!!」
跳ねるようにその場を離れたマクシムが、両手を突き上げる。全身から汗を滲ませ、髪が乱れ、服が泥に汚れていても、その笑顔は少年のように無邪気だった。見ていたリーが口を開いた。
「いやはや……これは予想以上です。ね、参謀殿?」
「……驚いたよ。あれだけの速さと判断力が、初実戦で見られるとはね」
シャルルもまた満更でもなさそうな表情で微笑む。マクシムは嬉しそうにリーへと駆け寄ると両手で彼の肩を掴んだ。
「リーさん、この剣、完璧ですよ!」
リーはそんな様子を見ながら微笑を浮かべた。
「お代は要りませんよ、マクシムさん。あなたの笑顔で元が取れました」
「リーさん、ありがとうございます! またいつでも来てください!絶対ですよ!」
「ええ、また何か面白いものが手に入ったら、真っ先にお持ちしますとも」
そう言ってひらりと扇子を振り。リー・ウェンは音もなくその場を後にした。
その背に向かってマクシムは大きく手を振った。
「またお待ちしてます!」
やがて場に再び静けさが戻る。
シャルルは残された小さな箱を見下ろした。あの、幻覚剤の入った箱だ。
「……やっぱり、必要なかったかな」
ぽつりと呟いたその声は誰にも届かず、風にさらわれていった。




