第三章② 会合の続き
「たしかによくできた筋書きだ」
ダヴィットが静かに口を開いた。腕を組み、目を細めたままニールを見つめている。
「けどな……ひとつ、どうしても引っかかることがある」
ニールが目で続きを促すと、ダヴィットは眉をひそめたまま問いかけた。
「俺がバカじゃなければの話だが……コルヴァンって人物、年齢が合わなくないか? たしかフランソワ海賊団が旗揚げしたのは十年くらい前だったはず。まあ、当時は私掠船の看板だったな。だが今となっては、そんな年季の入ったおっさんが船を降りてのうのうと海軍に勤めてるとは、ちょっと考えづらい」
「いい線突いてるね」
ニールは素直に頷いた。
「僕に手紙を返してきた御方も、そのことについてちゃんと書いていた。コルヴァンという名前はね、一族が情報屋として活動してきた時に代々名乗ってきた通名——世襲名だって」
場の空気がわずかに動いた。
「彼自身は、その十四代目なんだってさ」
ニールは言葉を選びながら、慎重に語る。
「もう貴族として正式な地位を得たから、情報屋としてのコルヴァンは引退したって書いてた。名前も、役目も、封じたはずだったとね」
「……そうか」
マクシムが唸るように呟いた。
「じゃあ、息子か。あるいは娘か」
「その通り」
ニールは頷く。
「僕は、そのご子息が『十五代目』として、今もコルヴァンの名を使って情報を操り、しかもそれが海軍総司令部の中に潜んでいると睨んでる。エドガーへの情報漏洩、その発信源だよ」
その名を継いだ者が今もどこかで息を潜めている。しかも、それが味方の最深部に潜り込んでいるという現実に。
「……なんてことだ」
ダヴィットが肩を落とした。
「今すぐにでもこの事実を本部に伝えたい……だが、俺たちじゃ詰んでるんだったな……」
言いながら、彼は視線を落とした。足元にはまるで、彼らの自由を塞ぐ見えない鎖が絡まっているかのようだった。
「……知るのと、知らないのとでは大きな差があるよ」
ニールは穏やかな笑みを浮かべたまま、静かに言った。
「それに、風は気ままに流れるからね」
何の慰めにもならないような言葉だったが、不思議と否定する気にはなれなかった。ほんの少しだけ、心に風穴が開くような感覚をソフィーは覚えた。
「ところで」
ニールがふと声のトーンを変えた。
「謹慎中の君たちがどうして急に任務に呼び出されたか、気にならない?」
マクシムが眉を上げた。
「確かに、気になってはいましたが。どうしてあなたがそれを?」
そのときだった。マクシムの瞳がわずかに見開かれ、椅子が音を立てて動いた。
「まさか、それもコルヴァンが?」
ニールはゆっくりと頷いた。
「そう。情報はエドガーとフェルナンドの元に流れ込んできた。君たちがブレストで謹慎中だってことも、全て把握されてた。それも、マテオが常に耳をすませてくれたおかげだけどね」
「マテオ?」
ソフィーが声を上げると、ニールはいたずらっぽく笑ってみせた。
「彼、相変わらず影の使い方が上手くてね。エドガーとフェルナンドの密会を盗み聞きして、君たちが海軍内で動けない状態だと知ったんだ。それで、僕のところに相談しに来たんだよ。『どうすればソフィーたちに伝えられるか』って」
「それで、あの手紙を……」
マクシムが思わずつぶやく。
「うん。僕は炙り出しの書簡を用意して、マテオに託した。そして彼はフェルナンドの部屋からコルヴァンの手紙を盗み出して、そのあと君たちの部屋に潜り込んで置いていったんだ。……血塗れの理由は僕にも分からないけどね」
そう言って、ニールは円卓の上に置かれたあの手紙を指差した。マクシムは、書簡を一瞥し、ため息混じりに言った。
「僕の書斎に忍び込むまでに、ずいぶん派手に暴れたようですね。道中、どんな殺生を働いたのか。それにあれほど整頓されていた机の上が、見事にぐちゃぐちゃになっていました」
「帰ったら問い詰めることにするよ」
どこか苦笑混じりのその言葉に、場の緊張が少しだけ和らいだ。しかし同時に、敵の網がここまで細かく自分たちの行動を読んでいたという事実に、改めて背筋の冷えるような感覚を覚える。
「なあ……」
ダヴィットがうなだれるように顔を上げ、言葉を探しながら口を開いた。
「それで言うと……俺たちが緊急出動したのも、あれも全部……仕組まれてたってわけか?」
問いかけは半ば冗談めかしていたが、その瞳には笑いの色はなかった。ニールはその空気を察しつつ、だがいつもの調子で軽く言ってのけた。
「信じられないと思うけど——その通り」
彼はゆっくりと背もたれに体を預け、視線だけを窓の外にやった。
「エドガーは君たちをブレストから引っ張り出すために、他の海賊団を地中海やガスコーニュ湾で暴れさせたんだ。マテオがそう聞いたらしい。警備と戦闘部隊を分散させて、君たちだけを浮かび上がらせた。……最も扱いやすく、最も動ける駒として」
「…………」
ダヴィットの口がわずかに開いたまま音が出なかった。
「もちろん、パリの方でもこっちから働きかける手は使ってたらしいよ」
ニールは穏やかに続ける。
「例えば『君たちの謹慎処分の緩和』を申し出た人物がいたとか、君たちの実績を偶然評価した報告書が上がったとか……」
「………………」
ダヴィットは肩を落とした。
「なんかもう、情報の波が凄すぎて溺れそうだ……」
彼はとうとう頭を抱え、天井を仰いだ。
「いや……」
ぽつりと呟いたのはマクシムだった。彼は小さく首を振り、思案に沈むような目で窓の外を見ていた。
「今の話で、僕にも思い当たることがあります」
マクシムの視線はどこか過去を探るようだった。
「僕は、たびたび脱走をしては上官たちから咎められていました。でも……最近は誰も咎めに来ないなとは思っていたんです。静かすぎるなとも」
彼はそっと息をつき、椅子の背に身を預けた。
「宿舎、司令部、港。どこへ行っても、シーンとしていた。誰かの気配が薄い。……そうか。みんな、駆り出されていたんですね」
独りごとのように言ったマクシムの声には、不可解だった点が静かに繋がった確信が滲んでいた。その傍らでソフィーは小さく眉を寄せた。
「でも……」
彼女の声は少し震えていた。
「一海賊団と、一人の情報屋だけで……ここまでの計画を動かせるものなんですか? 地中海やガスコーニュ湾の動きまでって、正直スケールが違いすぎて……」
誰にともなく問うた言葉は、どこかで「そんなはずはない」と否定したい気持ちの表れにも見えた。
「……エドガー海賊団、情報屋、そしてその他の海賊団」
マクシムが低く呟いた。まるで何かを整理するように、言葉を並べていく。
「この陰謀は、彼らの背後にいる……もっと大きな存在が蠢いている気がします」
確証のない直感だったが、その声には単なる妄想ではない重みが宿っていた。すると、ニールが静かに笑った。
「うん。……そうかもしれないね」
穏やかな声に、わずかな苦味が混じっていた。
「でも、残念ながら——僕がわかるのは、ここまで」
そう言って、彼はわずかに肩をすくめた。
今、誰かが全体を掌握している。だがニールでさえ、その輪郭しか掴めていない。
その事実が、沈黙となって部屋を満たした。やがてマクシムが静かに言った。
「……謹慎中の僕たちは、部隊としての機能が働けません。できることといえば、せいぜい大人しくしていることです。ですが……部隊内で、できることはある」
テーブルの上の血塗れの書簡を見つめながら、ゆっくりと。
「この状況で、お互いを疑い合っている場合ではありません。誰を信じるかではなく、何を為すか。そのほうが重要でしょう」
その言葉に、円卓を囲む面々がそれぞれ小さく頷いた。すでに互いの心に刺さった棘は、彼ら自身の意思で抜かねばならないと理解していた。
「そのために、僕は今夜のことを……自分の部隊にだけは、正直に話します」
マクシムは続けた。声の調子は変わらず穏やかだが、底に芯のような熱があった。
「命がかかっているんです。僕たちはこのままでは終われません」
場が一瞬だけ沈黙し、だがすぐにソフィーとダヴィットがそれぞれの仕草で同意を示した。その空気の中で、ニールが立ち上がった。椅子の背から手を離し、無造作にシャツの襟を整える。
「……じゃあ、そろそろ帰るよ」
軽い口調だった。まるで商談の後のようなさっぱりした態度で。
「僕らには僕らの計画があるから。そっちは君たちで片付けなよ」
「……お待ちください」
マクシムが言った。
「今夜、あなたがなぜここまで協力的なのか……お聞きしても?」
ニールは一度だけ立ち止まり、扉に向けていた背をわずかに振り返らせた。その横顔には、冗談とも真面目ともつかぬ曖昧な笑みが浮かんでいる。
「決まってるでしょ?」
彼は言う。
「これは情報戦だよ。僕が君たちに情報を流すことで、君たちの動向や立場を利用してるにすぎない。僕らは、エドガー・ロジャースが復讐に取り憑かれているのを知ってる。だから、手遅れになる前に、手を打ちたいだけさ」
その瞬間、ダヴィットが鋭く言葉を挟んだ。
「……それは誰のためだ? フランソワの意志か?」
問いの鋭さに、ニールの笑みが少しだけ薄れた。
「船長の意思は、もう聞くことはできない」
静かに言い切ったその声に、悲哀や未練の色はなかった。ただ、明確な事実として口にしただけだった。
「誰のためって? 他ならぬ、僕らのためだよ。もっと言えば——僕らの計画のため」
場がわずかに緊張する。
「滅びたきゃ滅べばいい。でも、僕らがエドガーを殺すんだから……感謝してね?」
「……なんですって?」
思わずソフィーが声を上げた。
「本気か……?」
ダヴィットも低く問い返す。ニールは悪戯を仕掛けた子供のように肩をすくめた。
「もちろん。僕らはいつだって本気さ」
そう言って、彼は扉に手をかける。
「……ニール、と仰いましたね」
マクシムが椅子を引いて立ち上がる。端正な仕草で一礼すると、いつもの穏やかな声音で言葉を継いだ。
「ありがとうございます。僕たちに話してくれて。あなたも非常に厳しい状況にも関わらず、命を懸けてここまで来てくださった。あなたのその勇気と行動力に、心から感謝いたします」
ニールは背を向けたままだった。部屋の扉に手をかけたその手は、微かに止まっている。だが、返事はなかった。沈黙の中で、マクシムがそっと言葉を継いだ。
「だから、僕もあなたに情報を流します」
それは、どこまでも落ち着いた、あの誠実なマクシミリアン・ブーケらしい声音だった。
「エドガーの右腕、フェルナンド。彼が大怪我をして、今は療養のために僕たちの元で保護されていることは……ご存知でしたか?」
その一言に、ニールの背が僅かに揺れる。沈黙を破るように振り返る。
「……それは、僕も知らなかったなあ」
その瞳には、ほんの一瞬、驚きと焦燥が浮かんでいた。
「マテオが」
ソフィーが言った。彼女もまた立ち上がり、前へと出る。
「あの戦闘の中で、マテオが、私と仲間を助けるために彼を撃ったの。私はすぐに治療して……でも、フェルナンドは今も意識が戻らないまま」
「彼が目覚めて、海軍司令部の目の前で計画を明かしてくれれば、状況は大きく一変します。それに、エドガー海賊団としても彼の存在を失ったことで計画に狂いは生じていると思います」
マクシムが言う。
「僕たちの、もう一つの責務は……フェルナンドを逃さず、必ず情報を吐かせることです」
その言葉に、ニールは急に吹き出した。肩を震わせ、やがて高らかに笑い出す。
「……あははっ、ありがとう。実に有益な情報だよ!」
くるりと振り向き、いつもの爽やかな調子を取り戻してウィンクすら浮かべる。
「では、これにて失礼するよ。僕はこれからマテオを……そうだな、しばきに……いや、色々と問い詰めなくてはね」
歩きかけて、ふと思い出したように振り返る。
「そうだソフィー。実家には、戻ってるかい?」
その唐突な問いに、ソフィーが目を瞬かせた。
「どんな過去があろうと、時々は家族に会ってやればいいのにって——あいつが以前、言ってたよ」
「あいつ……あいつね」
ソフィーがぽつりと呟いた。顔面に傷を負った、あの男の顔が即座に脳裏をよぎる。
「そういや、貴様らのリーダーは監禁されてるんだったか?」
ダヴィットが腕を組みながら口を開く。
「本当に無事なのか。貴様も奴に会えなければ困るだろう」
「それなら心配は要らないよ」
ニールは微笑みながら応じた。
「ルキフェルは、たとえ死の淵にいたとしても、必ず這い上がってくるさ。一度手合わせした君らには、彼の凄さは嫌というほど分かってるだろう?」
マクシムが皮肉めいて肩をすくめる。
「ええ、できれば二度と会いたくないですね。……ですが、そういうわけにはいかなそうです」
それを聞いたニールは、どこまでも爽やかな笑みを浮かべると、手をひらひらと振って部屋を出て行った。扉の向こうへ、足音と気配が遠ざかっていく。
残された空気は重くもなく、かといって軽くもなく。けれど戦いの序章が終わり、新たな章の扉が静かに開いたことを誰もが感じ取っていた。




