第9話「決戦前夜。誓いの言葉は『ただいま』と『おかえり』。」
魔王軍の先遣隊が、アグリトピアの目前まで迫っている――
その報せが国中を駆け巡ったのは、臨戦態勢に入ってから、わずか一週間後のことだった。
ミミの偵察部隊によれば、その数はおよそ五千。オークやゴブリンといった魔物を主力に、不気味な黒い鎧をまとった魔導士たちが率いているという。
アグリトピアの全兵力は、騎士団と義勇兵を合わせても千に満たない。戦力差は、圧倒的だった。
国中に、緊張と不安が広がっていく。誰もが、これから始まる戦いの過酷さを予感していた。
***
決戦前夜。
俺は、城壁の上から、眼下に広がる自らの国を眺めていた。
家々の窓からは、温かい光が漏れている。それは、この国に住む人々の、ささやかな暮らしの灯りだ。この光を、俺は絶対に消させはしない。
「ダイチ様」
静かな声に振り返ると、そこにシルフィが立っていた。手には、温かいハーブティーの入ったカップが二つ。
「眠れないのですか?」
「……ああ。少しな」
俺は彼女からカップを受け取り、一口飲んだ。優しい香りが、ささくれた心を解きほぐしていく。
「怖いか、シルフィ?」
俺が尋ねると、彼女は静かに首を横に振った。
「いいえ。怖くはありません。ダイチ様と、皆と一緒ですから」
その翠色の瞳には、かつての怯えの色はなかった。そこにあるのは、守るべき場所を見つけた者の、強い意志の光だった。
「私、ダイチ様に救われたあの日から、ずっと考えていました。なぜ、私の故郷は滅びなければならなかったのか、と。……でも、今は分かります。私たちは、ただ奪われるだけではいけない。大切な場所は、自分たちの手で守らなければならないのですね」
「……そうだな」
「だから、戦います。このアグリトピアが、私の、私たちの故郷だから。もう、失いたくないから」
シルフィの言葉が、俺の胸に強く響いた。
そうだ。この国は、ここにいる皆の故郷なんだ。
そこに、ガンツとミミもやって来た。
「ダイチ、こんなところで感傷に浸ってる場合じゃねえぞ。明日の準備は万端だ」
ガンツが、ニヤリと笑う。
「あたしの騎士団も、準備オッケーだよ! みんな、ダイチのために戦うって、やる気満々だからね!」
ミミが、自分の胸をぽんと叩いた。
頼もしい仲間たち。こいつらがいるなら、俺はどんな敵だって恐れない。
「ありがとう、みんな。……なあ、一つ、約束してくれないか」
俺は、三人の顔を順番に見ながら言った。
「絶対に、死ぬな。何があっても、生きて帰ってこい。そして、戦いが終わったら、またみんなで、この国の飯を食おう。俺が、とびきり美味いのを、腹いっぱい作ってやるから」
俺の言葉に、三人は顔を見合わせ、そして、力強く頷いた。
「当たり前だ!」
「約束するにゃ!」
「はい、必ず!」
夜空には、満月が輝いていた。
俺たちは、ただ静かに、夜が明けるのを待っていた。
***
そして、運命の朝が訪れる。
地平線の向こうから、黒い津波が押し寄せてきた。魔王軍だ。
そのおびただしい数の軍勢を前に、城壁の上の兵士たちが息をのむ。
俺は、国の中心にある広場に立ち、神農具を手に、全軍に向かって叫んだ。
「アグリトピアの同胞たちよ! 俺たちの畑を荒らしに来た、害虫どものお出ましだ!」
俺の言葉に、兵士たちから笑いが起こる。緊張が、少しだけほぐれた。
「俺は、難しいことは言えん! ただ、一つだけ言わせてくれ! 皆の帰る場所は、この国だ! 俺たちが、必死で作ってきた、このアグリトピアだ!」
俺は、天に向かってクワを突き上げる。
「だから、戦いが終わったら、胸を張って、この国に帰ってこい! そしたら、俺たちが『おかえり』って言ってやる! いいな!」
兵士たちの雄叫びが、ひとつの巨大な塊となって大地を揺るがした。
「うおおおおおおおおっ!!!」
もう、誰も怖れてはいなかった。皆の心は、一つになっていた。
俺は城壁の最上段に立ち、眼前に迫る魔王軍を睨みつけた。
「さあ、始めようか。俺たちの、国の防衛戦を」
誓いの言葉は、ただいま、とおかえり。
そのシンプルな約束を果たすため、俺たちは、世界の運命を賭けた戦いに、今、身を投じる。




