4.New Rise
K県兼ヶ谷市のアーケード商店街、兼ヶ谷ステップロード。市内中央を通る長い通りには、活気溢れる多種多様な店舗が並び、地元民の馴染みの場所となっている。
南北の通りの北側、入口から徒歩三分程の場所に、「ヘアスタイル『New Rise』」は店を構えている。黒い外壁に幾つか嵌め込まれた長方形の窓ガラス、無駄に主張しない白い筆記体の「New Rise」という文字も相まって、モダンな外観をしている。
ボサノバの流れる店内はグレーを基調とするこぢんまりとした空間で、外壁と対比して明るく、落ち着きのある雰囲気だ。
スタッフは店長を含めて二人。繁盛していると言えば嘘になるが、閑古鳥が鳴いているかというとそれも嘘になる。
Googleマップでの評価は三・四、載せられた全四件のクチコミを閲覧すると、「星三:腕は良いけど女の店員の愛想が悪い」「星三:男の店長さんは気さくで良い人でした。女性の方はちょっと……地蔵みたいでした……」「星一:女の店員、可愛いのに鏡越しに目が合った時物凄い睨まれて怖かった。多分もう来ない」「星五:良かった」といったようになっている。
「なあ、分かるか?」
店の上、二階の事務所で薮野は頭を抱え、パソコンの画面を通して、真後ろで画面を覗き込む美原に言った。
事務所は概ね一階とインテリアの系統が似てモダン風で、薮野のデスク前方でローテーブルを挟み対面する二つのソファ、その向こうの窓際にデッキチェアと丸型のサイドテーブル、壁際にはキッチンスペースもあり、窮屈な割に機能性には優れているので、薮野は満足している。デッキチェアに関してはそこまで座る機会もないので、買う必要はなかったかとも少し思っている。
「何がです?」
「レビューが四件、うち一つが星一、うち三つが全部女の店員への指摘。改善点が明白過ぎんだよ」
「へえ、何でしょう」
「何でしょうじゃねえよわかんだろ?挙げ句の果てにはもう来ないって書かれてんじゃねえかよ」
「よく見て下さい、一行目で可愛いって書いてます。プラマイゼロです」
「二行目で来ないって書かれてんだからマイナスで終わってんだよ」
薮野は大きく伸びをした。「良い加減成長してくれや。このままじゃ地蔵のいる美容院って噂が流れちまう」
「カットはテキパキやってますから、仕事のできる地蔵です」
「地蔵じゃダメだ、人間になれ。あのな、別に感情込めて笑う必要はない。愛想笑いだよ、愛想笑い。ちょっと一回口角上げてみろ」
薮野が言うと、美原は文句を言いながら両指で自分の口の端と端を上げた。お世辞にも笑っているとは言えないが、薮野はオーケーオーケーと指で丸を作る。
「指下ろしてみろ」
美原が指を離すと、地球の中心に吸い寄せられるように口角が下がった。
「なんでだよ、その上がった状態をキープすんだよ」
「嫌ですよ、小っ恥ずかしいし。私、営業スマイル嫌いなんですよね。ナチュラル以外で笑いたくないです」
「ナチュラルが良いって、だったら化粧も──」
「何ですか?」
美原は薮野の目の奥を見据え、威圧感のある声を喉から発する。
「大体、成長ならしたじゃないですか。この格好で店に出てないんですよ?こんな可愛いのに」そう言って自分の着る半袖グレーのフリルブラウスを摘む。確かにそうか、と納得してしまいそうな程、薮野は美原のオンとオフの服装の差を改めて感じた。
店に出ている時、つまりオンの時の服装は薮野が買ってきている。美原が凝り固まった系統の服しか買ってこないからだ。
店の雰囲気に合うような落ち着いた色合わせの服装で、黒、白、ネイビーなど、美容院以外でも馴染むような色合わせを選んでいる。正直、自分のコーディネート能力が高いのか、美原の着こなし能力が高いのか、著名なファッション雑誌の表紙を飾ってもおかしくはない出で立ちをしている。
だが、美原はそういうシックな服装より、アニメキャラのように平面でしか見ないような、今にも爆破しそうなどストレート地雷ファッションを好んでいる。
オフよりオンの方が似合っていると言うと睨まれそうなので、薮野は心の中に留めている。というか、言ったとしても本人は完全に否定するだろう。
「……それに、化粧もしてませんから、ね?」
美原は腕を組んで薮野を睨みつけた。その顔には何も施されておらず、素材の良さが見て取れる。
「ああ…まあ化粧はなー……ああ、ハハッ……」
「否定するならもっと強く言って下さい?やんわり否定って、結構傷つくんですよ」
「悪い悪い」
「てか、そういう薮野さんは夏になったら柄シャツしか着ないじゃないですか。いや待って、なんならその格好で店出てますよね?私より良くない」
美原は薮野の、青緑の背景にサックスやトランペットなどの金管楽器の白いイラストがプリントされたシャツを指差す。
「これは俺の店長特権だ。店長なら、これくらい少し派手な方がキャラが立って集客できるだろ」
「ズル」美原は口を尖らせる。
「それに俺は柄を変えてる」
「それ、私の色変えれば系統は同じでもセーフって屁理屈と大差ないじゃないですか!」
「屁理屈って自覚あったんじゃねえか。大体、たまに半袖T着てるわ、プリントも無いシンプルなやつ。系統は微妙に違うぜ?」
自分の言っている事も屁理屈だと分かりながら、薮野は人差し指を横に振りながら適当に返す。美原は意外にも何も言い返せず、悔しそうにフンと鼻を鳴らしてソファへ飛び込んだ。屁理屈も言ってみるもんだなとホッとしてデスクの上のタバコを掴み、一本取り出して火を点ける。
「ちょっと、最初から私がいる時はタバコ吸わないで下さいよ、臭い付いちゃうじゃないですか」
「ファブれ」キッチン台に載ったファブリーズを顎でしゃくる。
「それじゃ表面しか臭い消えないし……」
美原の文句を尻目に、深く吸い込み、その後吐く。煙が天井に消える。
「昼飯食いてえな。美原、何かデリバリー頼もう」
「作りましょうか?」
「いや、今日はデリバリーの気分だ」
「じゃあ私、カントリーのフルーツサンド。あ、今日はパイナップルで」
「俺は寿司だな」
「なら俺はステーキ丼を頼む」
一人分しゃがれた声が増え、その声の方を見ると、腕を捲り、小脇に黒いカバンを抱えたワイシャツの白髪男が入口に立っていた。
「ステーキ丼食える歳じゃねえだろアンタは」
「人の金で食えんなら、無理してでも胃に流し込むさ」
永浦文樹はそう言うと、暑い暑いとため息を吐きながらキツく締められたネクタイを緩め、ポケットからタバコを取り出して火を点け、美原の向かいのソファに深く座り込んだ。
「また臭い増えた……」美原はため息を吐く。
「悪いな琳」
「ここは、ハイライト以外禁煙だ」
「なんだ、キャビンは許しちゃくれねえのか」
「タバコは全部禁煙にしてくださいよ」
美原は不服そうな顔で、壁にある換気扇のスイッチを押しに行く。「何の用事だ?」
「エビスモールシティの続きだよ。昨日は酔っててそれどころじゃなかったからよお」
永浦はカバンを机の上に置く。
「ヤクザ連中の方は、原田組の構成員達だった」
「原田組か。確か、組長の嫁と息子も、あの事故で亡くなってたな」
「その当の本人だが、自分の組員数人と一緒に行方不明になってるらしい」
「行方不明?」
永浦はカバンからクリアファイルを取り出し、数枚の用紙を取り出した。
「これは?」
興味を持った美原がそのうち一枚を掴む。
「事件の資料だ」
薮野も美原の横に座り、側から覗き込む。タバコの臭いが近付くと美原はゴミを見る目をし、わかりやすく顔を離して用紙を薮野に渡した。
用紙は、監視カメラの映像を一部拡大したもので、場所はどこかのカフェテラスだった。映されている席には二人の客が対面して座っていて、向こうにはネイビースーツの原田が座り、その前に、迷彩柄のダウンジャケットを着た人物の背中だけが見えている。顔が見えないので断定できないが、髪型と肩幅を見るに男だろうと薮野は考えた。
「こんなクソ暑いのに、二人してよくジャケット羽織れんな」
「冷え性ですかね?」と美原は首を傾げる。
「この迷彩の男と会った直後に、原田は姿を消した。だからコイツが何か知ってるんじゃねえかって思ってな」
「なるほどな。で、ウチにわざわざ来たって事は」
そこで切ると、薮野は美原の方を見る。
「どう思う?」
「え?」
「コイツが、持ってる奴かどうかって事だよ」
美原は腕を組んで写真を凝視し、少し天井を見上げた後、「わかんないです」と平然と言い放った。
「やっぱカメラ越しじゃわかんねえか」
「はい、リアルで会わないと」
「もしコイツが持ってたら何かしら面倒な事が起きると思ったんだが、そもそも見えねえか」
永浦は残念そうに、ため息混じりの煙を吐いた。
「MURDIMは、MURDIM使いにしか見えない。犯罪者からしたら、大分有り難え特性だよな。琳、お前は悪用するなよー?」
タバコの火を向けられた美原は、「わかってますよ」と手で仰いだ。
「他のも、MURDIMを持ってるんじゃないかって俺が個人的にピックアップした奴らなんだが」
美原は机に置かれた数枚の用紙を順に見る。だが、また天井を眺めると、わかんないですと答えた。
「だよな、了解」
「一応、写真は貰っとく」薮野は用紙を重ねて纏めた。
「ああ、なんかあったら頼むぜ?MURDIM類いの事件が起きたら、頼れるのここだけなんだからな」
じゃあ、と永浦は手を振り出口へ歩いていく。「あ、あとこれついでだけどな」と立ち止まって振り返った。
「何だ?」
「琳がシメた、チンピラ集団いたろ?そのうちの一人は怪我がなかったから連行されたんだけどよ、パトカーで護送中に逃げたらしい」
「ついででする話じゃねえな」
「まあ、こっちはMURDIMも関係ねえし、どうせすぐ捕まるだろうよ。んじゃ」
そう残すと、今度こそドアを開け、事務所を後にした。
あんなに脅したのに、と美原はため息を吐く。薮野が側で煙を吐くと、突き刺すようにガンを飛ばした。
──
警官に挟まれ、剃り込みの男、小宮山はパトカーの中で俯いていた。
自分はただ若い女が三人見つかって、上機嫌で仲間たちと回してやろうと思っていただけだ。その後は、あの原田組とかいうインテリヤクザ達に任せて、金を貰って立ち去る。その流れが崩れた事は今まで一度もない。あの組の情報規制力は凄まじく、逮捕されるかも、なんて心配は杞憂だった。
全部。あのブスメイクの女のせいだ。
なんなら三人の中で一番華奢な見た目だったのに、大の大人を一気にぶちのめして、さっさと消えやがった。まるで人間じゃないみたいだった。おまけに残した言葉は「自首しな?」だと?許せない、俺よりも歳下の女が生意気な口を聞きやがって。
小宮山の心は黒く染まっていた。自分の自尊心を傷つけた女への憎しみと、深くどす黒い殺意によって。
「……してやる」
「何?」
小宮山の口から漏れた言葉に、隣に座る警官が聞き耳を立てる。
「…殺してやる」
「おい、さっきから何ぶつぶつ言ってんだよ」
うるせえんだよ。今お前らは眼中にねえんだよ。殺すぞ。
憎しみと殺意が心の隅々まで広がっていく。
ふと、手錠のかけられた自分の手を見ると、黒い物体が握られていた。
なんだ、これは。
黒い渦が自分の手のひらから放出され、段々と形を形成していく。その完成形を一言で表すなら、斧、が相応しかった。
自分の体に急激に力が溢れ出ているのがわかる。この手錠も、千切れるんじゃないか。そう思い実行すると、予想通りの結果になった。
「なっ、お前何やってる!?」
両脇の警官が声を荒げ始めた。
「うるせえ、黙ってろよポリ公が」
斧で左脇の警官の首に勢いよく斬りかかった。綿飴でも斬っているかのように、いとも容易く肉を裂き、血が車内に噴き出した。
正反対の警官は自分を取り押さえようと窓に顔を押し付けたが、適当に振り回すと綿飴の感触が指に伝わり、見るとえぐれた腹から血が湧水のように噴き出し、後部座席は地獄絵図へと変化した。
最後に運転係の首を切ると、フロントガラスが赤く染まり、車が横転した。倒れた際の衝撃は思ったよりも小さく、ルーフを切り裂いて、すぐに外に出る事ができるぐらいには、体は無傷と言ってよかった。今なら、アメコミヒーローのように空でも飛べそうだ。
「あの女……ぶち殺してやる」
小宮山は女の顔を思い浮かべ、ついカッとなってボンネットを斧で切りつける。引っかかりもなく、刃先は金属を切断した。
ふと視線を感じ、見上げた場所は歩道橋の中央部。季節外れの黒いコートの人影が街灯の逆光を浴びて手すりの上に立ち、こちらを見下ろしていた。
「誰だテメェは?」
声が相手に届かず、二声目を発しようとすると、人影は歩道橋を飛び降りて地面に着地した。だんだんとこちらに歩いてくると、顔に牛の造形を施した面を付けている事が確認できた。
小宮山は警戒心を露わにし、斧を体の前で構えた。
「あー、タンマタンマ」
見た目の不気味さとは裏腹に、気の抜けた幼なげのある声で牛は両手を体の前で振る。
「別にアンタと戦いたくて来たわけじゃないんだ」
「あ?」
「アンタの、それ。右手に持ってるやつ。実は俺も持ってるんだよねー」牛は斧を指差し、「こんな感じで」と左手を開く。すると黒いモヤが生み出され、小宮山のように形成されていき、最終的に、ハンマーような形になった。
「ね?仲間だよ、俺たち。信用していい」
「牛の面被ってる知らねえ奴、誰が信用できんだ?」
「これはまあ、俺の趣味だからさ」
「だったら気色悪いから消えろ。今イラついてんだよ、邪魔するとテメェも殺すぞ?」
「まあ、そっか。イラついてなかったらそんな乱暴な事しないもんねー」
牛は横転したパトカーを見ながら、ハンマーをクルクルと掌の上で回す。「じゃあ、こうしよう。俺と戦って、先に地面に手付いた方の言う事を聞く。面白そうじゃない?俺が負けたら何でも言う事聞くよ?」
「消えろっつってんだろ……くだらねえ事ぬかしてんじゃねえ!」
小宮山は走り出し、牛に斬りかかった。が、刃は牛の着るコートにさえ掠らず空を切り、苛立つ小宮山は乱暴に腕を振り回す。
「そんなんじゃ、当たるモンも、当たらないよっ!」
腹部に鋭い痛みが走る。牛の左足が死角から入り、続けて右足が同じ場所に入る。的確に痛点を狙われ、小宮山は膝をつく。
「まだ手付いてないからセーフね。終わるの早いよ、せめてMURDIMくらい使わせてよ」牛はパトカーの上に飛び乗り、小宮山を見下ろす。
「マー…ディム…だあ…?」
聞き馴染みのない言葉だ。麻薬の一種か?
麻薬繋がりで、仲間が自分自身の腕に注射針を刺して悦に浸っていたのを思い出した。快楽を道具に頼るのを見て、くだらない事をしているなと、小宮山は心の中で蔑んでいた。だったらまだ女を攫って服従させた方が、背徳感もあって合理的だろう。
「ほら立って立って、まだ終わりじゃないから」
牛の言葉に苛立ちを募らせ、小宮山は痛覚を無視して立ち上がり、パトカーに刃を乱暴に振り下ろす。車両が切断され、車内の惨状が目に入る。気付いた時には牛は視界から消え、次の瞬間、とてつもない衝撃が頭部に走り、自分の体が宙に浮いたのを理解した。
体は地面を勢いよく転がり、表面の皮膚が削れて血があちこちから出ていく。
手足に信号がいかず、体が動かせない。世界が回っている。目の焦点がどこにも定まらない。初めての感覚だ。そして、これが最後に感じる感覚だ。
その事を理解し終えるより前には、既に小宮山の意識は消え、心臓の鼓動は鳴り終えていた。
「オッケー、俺の勝ち。どう、強いでしょ!」
興奮気味に牛はピースをする。倒れたままの小宮山を不審に思い、「ほら、倒れたならMURDIMで治して」と声を掛ける。
反応がない。
「……え!?まさか治せない!?」
牛は急に慌て出し、横たわる小宮山に駆け寄った。
「ちょ待って、話違う話違う!」
何度も心臓に耳を当て、ついには「嘘でしょ……」と小さく呟いた。
「こんなすぐ死んじゃうの……?スカウトしようと思ったのに……ムッズイなー、手加減って……」
小宮山の横で手をついて座り、ため息混じりに空を眺めた。幾つもの星が空のあちこちで主張し、穴の空いた黒い画用紙のようになっている。その中でも、頭上で一際輝く三つの星、夏の大三角は主張が強かった。他の星座は少し目を凝らさないとわからないが、大三角は適当に眺めていれば確認できる。
「はあ……別の人探すか……」
牛は重い腰を上げ、小宮山の体を片手で掴み、パトカーまで歩いて中に押し込んだ。
「オッケー、これでいっか」と両手を叩き、街灯のない暗がりに消えていった。




