表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/5

3.黒いモヤ

 暗闇に二箇所、明かりが差し込んでいく。それが自分の瞼が開いた事によるものであり、今まで自分は瞼を閉じていたのだと練之介は気付いた。

 意識が朦朧とし、全身を言いようのない微かな痛みが覆っている。

「……ここは?」

 無機質な灰色の空間で、蛍光灯が頭上を煌々と照らす。パイプ椅子に座らされ、両手を椅子の背もたれに縄で固く縛られて立ち上がれない。

「よお、起きたかガキ」

 声の方を向くと、部屋の入口を塞ぐように数人の黒服が立っていた。

「……アンタは!」

 黒服の中で浮いた迷彩ダウンの男は、練之介に手を振る。

 そうだ、確かモールに花を供えに行って、それから黒服の連中がいきなり襲いかかってきて、終いには迷彩ダウンに殺されかけて──。

 意識が回復するにつれて一連の記憶が呼び起こされ、二つ疑問が浮かぶ。

 一つは自分の体だ。迷彩に蹴り飛ばされて、車にめり込んだのを覚えている。体だって、今まで経験した事がない痛みだらけで死にそうだった。なのに今は、少し痛みが感じられるくらいで、後ろの縄がなければ立ち上がって歩き出す事も容易に感じられる。

 そして、もう一つは。

「おい汐恩は……汐恩はどこだ!」

 練之介は声を荒げる。激しく動いた事で椅子ごと横に倒れた。

「おいおい危ねえな」

 迷彩は練之介に近付くと、椅子の背を掴み、片手で軽々と立て直した。さっきとは正反対の方向になり、目を向けた先の光景に練之介は言葉を失った。

 自分と同じように、パイプ椅子に縛られた汐恩。死にそうな表情で練之介の方を見ている、というよりも焦点の合わない目が勝手に練之介に向いているようだった。

「…汐恩……?」

 呼吸する度に体を大きく震わせ、見ていてとても痛々しい。そうだ、汐恩もあの時、この男に攻撃を受けていた。何か、大鎌のような物で体を斬られていた。しかし、なぜか練之介と同様に目立った外傷が見当たらない。

「致命傷にならないよう加減した、死んでねえから安心しとけ」

「ふざけんな……!」

 迷彩の言葉に練之介は怒りを露わにする。あれだけ傷つけておいて安心だと?あの憔悴ぶりに誰が安心できると思ってやがる。

 睨みつける練之介を気にせず、迷彩は部屋の入口に歩いていく。見ると、ネイビースーツを着た、やつれた顔の初老の男が立っていた。スーツがキッチリとした清潔感のある風体なだけに、首から上に漂う悲壮感が際立って感じられる。他の黒服達が皆頭を下げている事から、上の立場の人間なのだろうと理解できた。

「よお、原田はらだ

「こんばんは。あれが、例の?」原田と呼ばれた初老の男は汐恩の方を指差す。

「跡見汐恩、エビスモールシティの生き残りだ」

「ああ、こんな子供だったのか」

「おい……何の話してんだよ?」

「ん?」

 原田は練之介にゆっくり歩み寄り、「こいつは何だ?連れか何かか?」と迷彩に問い掛ける。

「友人か、恋人の線もある。跡見汐恩を拐いに行った時に、お前の組員ボッコボコにしたのもコイツだ」

「ああそう。まあ今はいい」

 そう言うとスタスタと汐恩の方へと歩いていき、髪を乱暴に掴んだ。

「おーい、起きてんのか?死んでんのか?」

 汐恩の顔を近づけさせ、耳元に発声する。

「テメェ……汐恩に触ってんじゃねえ!」

 練之介がそう叫んでも、原田は振り向きもしない。

 写真のような物を二枚取り出し、「コイツ、分かるか?」と話し始めた。

「分かんねえよな。俺の息子だ、名前は道幸みちゆき。幸のある道を進んで欲しくて付けたんだ。良い名だろ?こっちは俺の嫁、香里かおりってんだ」

 汐恩の返答も待たず、原田はベラベラと話を続ける。「あの日、香里と道幸は二人でエビスに買い物行ったんだ。その日は肉類がセールだったらしくてな。香里が買い物に行くって言ったら、道幸も行きたいって言い始めた。一緒についてって、あわよくば変身ベルトでも買ってもらおうって魂胆だろう、アイツは香里に似て賢かったからな」

 ハアと原田は溜息をつく。

「……なんで引き留めなかったんだろうな」

 その言葉の真意は、すぐに理解できた。

「……アンタの家族も、あの事故の被害者……?」

「ああ、そうだよ」原田は練之介に背中で返事をする。

「亡骸を見た時は崩れ落ちたさ。あんなに愛してた家族が、焼け焦げたまま動かねえ。五歳の息子と、二十年間愛し合った女が、温もりのある人間から下手くそな蝋人形みたいになっちまった」

 原田は目元に手を当てた。そしてすぐに見上げ、「お前、運良く生き残ったんだってな?」と汐恩の頬を掴む。

「綺麗な顔だ。表情筋がぶっ壊れた俺の家族とはまるで違う」

 俺はな、と原田は続ける。

「お前に、償ってほしいんだよ」

「…アンタ、何言ってんだ……?」

「俺の大切な家族が死んで、お前みたいなのが生き残った。この不条理を、お前の口から謝罪してほしい。それでその後、俺に殺されてくれ」

 ジャケットの裾の間から、拳銃のような物が一瞬見えた。原田の口から出てきた言葉。知らない国の言語でもないのに、何を言っているのか理解できなかった。

「アンタ、マジで何言ってんだよ……?」

 原田は振り返り、練之介と目を合わせた。互いが互いの言葉を理解できず、両者の瞳には複雑な思いが浮かんでいる。

「汐恩だってあの火災の被害者だぞ……?大切な母親を失って、今日までどんな思いで生きてきたと思ってんだよ?アンタが奥さんと息子失ったってんなら、大切な人失う辛さは一番わかってんだろうが…!なのに殺すってなんだよ……!ただの八つ当たりじゃねえかよ!」

「八つ当たりで何が悪い?」その言葉はとても淡々としていた。

「は……?」

「俺の家族が生き残るべきだったあの火災で生き残ったのがこんなガキ。無垢な小学生だろうが腰の曲がった老人だろうが傾国の美女だろうが俺は絶対に殺す、そう決めたんだ。跡見汐恩だから恨んでるんじゃない、生き残った奴だから恨んでんだよ。腹いせだろうが何だろうが殺さなきゃ我慢ならない。なあ、跡見汐恩」汐恩の方に振り返り、俯いた顔を覗き込む。

「あの火災で何千人も死んで、お前は唯一生き残った。だからお前自身に聞きたい。その何千人の死体の上で生きる価値が、自分にあると思うか?」

 汐恩は静かに顔を下げ、原田から目を逸らす。

「何訳のわかんねえ事聞いて──」

 ガタン。左頬に衝撃が走り、体ごと椅子が横に倒れた。

「今俺はコイツに聞いてんだよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、黙ってろよ」

 なあどう思う。汐恩に振り返り、再度同じ問いをする。

 ふと、痛みに耐えながら汐恩の顔を地べたから見上げると、痙攣するように少しずつ歪んでいくのがわかった。鼻がひくひくと動き、瞼がピクピクと震える。ワイシャツに数滴の粒がポタポタと垂れた。

 泣いている。

「……ごめん、なさい…」

 嗚咽混じりの声で、汐恩はそう呟いた。

「汐恩…?」

「……生きてて、ごめんなさい……ごめんなさい…ごめんなさい……!」

「汐恩、何言い出してんだよ……!」

「おお、謝ってくれんのか。良心はまだ残ってるみたいだな。良い子だ良い子だ」

 原田は上機嫌に汐恩の頭を撫でた。血管が千切れそうなほど、練之介の頭には血が昇っていた。ブチっと何かが千切れるような音が、実際に聞こえたような気がした。

「その一言がずっと聞きたかったんだよ。ああ、少しは清々しい気分になれたかもな。あとは」

 腰の後ろに手を回し、差さっていた拳銃を汐恩の頭の上に突き出す。引き金に指を掛け、黒く光るスライドを引く。

「こうすりゃ全部終わりだな」

 

 やめろ。

 そう叫ぶよりも早く動き出した自分の体に、練之介は何の疑問も持たなかった。正確には、持つ余裕がなかった。

 千切れた音は幻聴ではなく、現実で聞こえた物だった。糸こんにゃくのように容易く縄が千切れ、寝そべった状態から地面を蹴ると、簡単に体が宙に浮いた。脳内を占める黒々とした殺意。それは凶弾が汐恩に到達するよりも早く、原田の顔面に鋭い蹴りを入れる、原動力となった。

 ゴムボールのように原田の体は吹き飛び、無機質な部屋の壁にめり込む。衝撃で拳銃が分解されて地面に落ちる。

「汐恩を……傷付けるな…!!」

 壁と同化して死にかけの原田を睨み付け、次についさっきまでの応対を黙って見ていた黒服達に視線を移す。

「なっ、嘘だろ…!?」

 何が起きたか飲み込めず、皆たじろいでいた。その中で、一際冷静に堂々と構える迷彩。

「やっぱり思った通りだぜ、ったく」

 迷彩が地面に手を向けると、男の手から黒々としたモヤが噴き出し、少しずつ形を定めるように変化していった。

 大鎌。汐恩を傷付けた凶器。

「お前もMURDIM(マーディム)使いだな?」

 MURDIM。玲丸が言っていた言葉と同じだ。だが、練之介には、そんな事はもはやどうでもよかった。目の前のゴミ野郎共を殺す。それ以外に興味関心がいく物はこの空間にはなかった。

 ギリギリと擦れ合う歯、毛の一本一本が逆立つような怒気。目の前の人間達を眼光鋭く睨み付ける姿は、さながら獲物を見据える猟犬のようだった。

「来いよ!」

 大鎌を肩に乗せ、迷彩が挑発したのを契機に、練之介は地面を蹴った。

 迷彩の振り下ろした鎌に固く握った拳を当てる。振り下ろした鎌に手を翳せば切断される。そんな常識さえ忘れて。

 だが、手は切断されなかった。迷彩と同じような黒いモヤを纏う自分の右手は、鎌と相殺し合っている。

 これが、MURDIMか。

「中々じゃねえか」

 迷彩は大鎌のMURDIMで練之介を振り払う。数メートル飛ばされ、壁に着地する。

「クソがっ!」

 地面に落ちるより早く足に力を入れ、今度は黒服達の方に飛んだ。

 銃口を構える黒服達が自分の足元にいる。飛び上がった勢いを殺さず、空中で一人の襟元を掴む。軽々と持ち上がり、そのまま地面に脳天から投げ落とす。骨の折れる音と何かが潰れる音。激突した地面からは赤い血が噴き出て、練之介の頬に飛び散った。地面に着地し、振り向く間を与えず別の黒服の後ろから飛びつき、頭部を掴んで顔面から地面に一緒に落下する。やはりこっちも血が噴き出た。

「チキショウ!」

 銃声が鳴る。発砲した黒服の射線上には、汐恩が座っていた。あと数センチずれていれば──。

「……テメェッ!!」

 怒り狂い、黒服に走り寄り、腹部に拳をぶち込む。右手は体を貫通し、空洞を形成する。

 残るは黒服一人と迷彩。

「チッ、このイカれ野郎がっ……!」

 座り込み、震える手で引き金を引く黒服。幸いにも汐恩とは離れた位置に練之介が立っている為、被弾させて火に油を注ぐ事はなかった。だが、死という事実に静かに向かいつつある事には変わりなく、歩み寄る練之介に、残弾が無くなった黒服は絶望する。

「これ以上掻き乱すな、このカスが」

 迷彩は突然、大鎌で首を切り落とした。自分の死に気付かないような、直前の恐怖の表情を貼り付けたまま、黒服は事切れる。

「仲間じゃ、ないのか……?」

 突拍子のない出来事に、練之介は急に冷静を取り戻す。

「俺は雇われただけだ、あそこの死にかけ組長から」迷彩は壁に埋まる原田を指差す。「それよりもだ。お前、さっきから見てりゃMURDIMが形になってねえじゃねえか」

「は?」

「は?じゃねえよ。殴る蹴るばっかで、全然形状が定まってねえ。そもそも形が無えのか?」

「さっきから何言ってやがる。そもそもこれ何だよ?」

「MURDIMは、殺意の具現化だ」

 殺意の具現化?何を言っているのかさっぱりわからない。

「どんな形状してんのか楽しみにしてたのに、白けちまった。もう用はねえ」

 大鎌が小さくなり、モヤとなって迷彩の体に吸い込まれていく。

「じゃあな」手を振り、背中を向ける。

「ふざけんな、逃さねえ!」

 練之介は入口に歩いていく迷彩に走り寄り──ピタッと目の前で止まった。

「こういう時は黙って帰らせるもんだぞ?クソガキ」

 迷彩の手から再度大鎌が伸び、俯く汐恩のうなじの直前で止まっている。練之介はなす術もなく、そのまま部屋をあとにするのを黙って見ていた。

「汐恩、大丈夫か!?」

 返答がない。まさか、さっき体のどこかに被弾して──。最悪の想像を頭に浮かべ、胸に耳を当てる。

 心臓が脈を打ち、正常に動いている。練之介は胸を撫で下ろし、汐恩の後ろ手の縄を外す。モヤは既に消えたようで、さっきまで異様に柔らかく感じられた縄も固く感じられ、外すのに少し苦労した。

 部屋を見回すと、隅にリュックサックが置かれている。付けられているキーホルダーから自分の物だと気付き、「悪い」と言って汐恩の肩に担がせ、自分がその汐恩の体を担ぎ、死体の間を通って部屋をあとにした。


 明かりの無い薄暗い廊下が続き、その先に階段があった。上ると、オフィスのようなデスクのある部屋に出た。廊下と同じ暗さで、ここは、どこか会社のような場所なのか。自分が上ってきた入口は、部屋のフローリングと同じ素材の隠し扉だったようだ。

 扉を閉め、少し進むと外に出る自動ドアがあった。電力は落ちていないようで、練之介を認識して静かに開いた。

 少し遠くに大きな廃墟が見える。エビスモールシティの跡地だ。

「……ん」

 確か俺は自転車であそこに行った、回収して帰るかと思いしばらく歩いていると、背中が動いた。

「起きたか」

「あれ、私……」

 立ち止まった場所の真横にあるベーカリー。既に店内は暗く、ショーケースは空だ。そんな店内を覗き込む事ができる店前の窓ガラス。そこに反射する、目を擦るショートヘアの女子と──それを担ぐもう一人のショートヘア。お淑やかな雰囲気の、花のような可憐さを纏う背中の女子と違って、どこか言い表せない荒々しさを想起させる。よく見ると、顔に赤黒い液体がこびり付いている。

「ごめん、背負わせて」汐恩は背中から降り、そっぽを向いてそう言った。

「こっちこそ、悪かった」

「練之介が謝る事なんて、一つもないよ」抑揚のない声で、汐恩はそう言う。冷静さの中に、少しだけ寂しさを内包している。いつもの汐恩に戻ってしまったのだと練之介は理解した。

「やっぱり、私……」

「言うな、それ以上」

 汐恩の口から出ようとした言葉の続きは、きっと今は何よりも聞きたくないものだろう。汐恩はごめんと地面に呟いた。お互いそれ以上何も言わず、示しあせたかのようにほぼ同時に歩き出した。

 空はすっかり黒く染まり、星空がまばらに輝いている。遠くには三角形も確認できた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ