2.柄シャツと地雷系
夜の湾岸倉庫。潮の香りが漂う暗がりに一台、ワゴン車が停まっている。後部座席が外された車内では、ガラの悪い男の集団が三人の若い女を囲むように立っていた。女達は顔をこわばらせ、ガクガクと体を震わせて、体育座りで身を寄せ合っている。両手には金属製の手錠をはめられ、逃げ出す事もできない。そもそも、自分より体格の大きい成人男性に囲まれては、手錠が無くとも立ちあがろうとは思えないだろう。
「繁華街ほっつき歩いてたら、こんなカワイコちゃん達が見つかるとはな。全員未成年か?」
「大当たりだなこりゃ。中でも俺は」
剃り込みの男は、真ん中の女の頬を掴み、自分に顔を向かせた。三人の中では一番若い印象を受け、すっきりとした頬、ぱっちりと開いた目と、全体的に整ったパーツを持っているのに、わざとらしいメイクでそれらの魅力が半減されている。頬を触る指にラメの感触を感じ、ばっちいと剃り込みは愚痴った。
「お前が好みだな。たく、こんな良い素材の癖して、下手な地雷メイクしちゃってよ。その下手なメイクが汗で溶けてくとこを想像すると、もうたまんねえよ、ハハッ」
「や、やめて、ください……」か細い声が、地雷系の女から漏れる。
「おお、良いね良いねその声。ベッドの上なら、もっと可愛い声出んのかな?」
「おい、俺もそいつ狙いだったんだけど。初発は絶対俺な?」
「は?ふざけんな俺だろ。何なら今ぶち込みてえぐらいだ」
男達の会話の中に直接的な表現が現れる度に、女の顔が歪む。
「なあ、誰とヤリたい?」別の男が、気持ちの悪いニヤケ顔で女達に聞いた。他の男達は、しどろもどろになる女達を見て、おい、あんま苛めんなよと下品な笑い声を上げる。
しばらくして走行音が近づき、少し先に黒いミニバンが停車する。
「チッ、時間か」
男達は残念そうにワゴンのドアを開く。
ミニバンの中から黒服達が現れ、「今日の女は?」と、いの一番に口を開く。
「ほら、どうぞ」
女達を前に突き出す。皆されるがままに、黒服の方に歩き出した。
「中々良い。特にこの女、メイクは下手だが素材が良い。きっと化けるな」黒服は地雷女の頬を掴み、顔を吟味する。喋る度に口から出る副流煙の臭いに、女は目を細めた。
「よし、合格だ。報酬はいつも通り、後で振り込む」黒服は他の黒服に顎で指示し、女達の腕を引かせた。後ろの若い男達に手を振り、ミニバンに戻ろうとする。
バキッ。
引いていた地雷女の腕が離れ、突然大きな物音が鳴った。何かと思って振り返ると、女が自分の手錠を引きちぎっていた。
「何!?」
予想外の出来事に声が大きくなり、咄嗟に腰の拳銃を取り出したが、銃口を向けるよりも速く女の拳が顔面に飛んでくる。よろめいているうちに、拳銃を持つ方の腕が背中に回り、足を掬われ、体が宙に浮くと、地面に顔面から急降下した。骨の折れる音が脳内に響き、男は意識を失い、鼻血をコンクリートにダラダラと垂れ流した。
「グロックか」地雷女は慣れた手つきで素早く拳銃を解体し、男の上にパーツを捨て、フレームだけを握り締めた。そこにさっきまでの、怯えて固まる姿は既に見受けられなく、淡々と作業をこなす仕事人のようだった。
「な、何が起きてんだよ……!?」
その場にいる全員が呆気に取られているうちに、地雷女は素早く隣に立つ黒服の大腿部にフレームを突き刺し、続いて股間を蹴り上げる。素っ頓狂な声を辺りに響かせ、黒服は地面にうずくまる。
皆が怒声を上げて臨戦体勢に入り、各々が掴む女の手を離したのを確認し、走り出す。
一人が拳銃を抜き終え、こちらに向かって一発発砲する。焦りながらで上手く当たらず、二発目を撃とうと構えている内に、地雷女は宙に飛び上がり、落下の勢いで脳天に膝蹴りを入れた。続けて顔面を踏み台に別の黒服に飛びつき、体が後方に傾くよう、思い切り体重をかける。耐えられず、黒服は後ろに倒れ込み、頭を打って気絶した。
一連の様子に男達は茫然と立ち尽くし、剃り込みの男が「おい、逃げるぞ!」と大声を出すまでしばらくはそのままだった。男の声に反応するように皆ワゴンへと乗り込む。
「おい、早く出せ!」剃り込みの男は運転席に叫んだが、反応がない。身を乗り出すと、運転役の男は、ハンドルに覆い被さるように気絶していた。
「クソッ、何がどうな……」
後ろに振り返り、剃り込みの言葉は途切れた。
薄暗い車内で、人型の黒い影が仁王立ちをしている。スマホのライトを点け、恐る恐る正面を照らす。円を作るようにグッタリと倒れる仲間と、中央に立つ地雷女。顔つきが別人で、明らかな殺意を剃り込みは感じ取っていた。幻覚かどうかわからないが、女の体を黒いモヤが覆っているようにも見える。
「た、頼む、殺さないでくれ……!」腰を抜かし、座席に背中をつけながら、剃り込みは情けなく命乞いをする。
地雷女の右手には、いつの間にか、アイスピックのような物が握られていた。
ヒールシューズをコツコツと鳴らしながら、ゆっくりと近づいてくる。
ザリッ。
アイスピックが、剃り込みの顔の数ミリ横を通り、座席を貫く。皮膚が裂け、少しだけ出血する。
「……警察呼んで、自首しな?」
失神しそうな剃り込みの耳元で囁く地雷女の声は、さっき聞いた愛らしいものではなく、むしろさっきの声が作り物だとすぐ分かるほどドスの効いた低音だった。地雷女はくるりと振り返ると、ドアの方に歩いていく。
「もし自首しなかったら」
アイスピックを逆手持ちに変えると、一瞬だけ剃り込みの方に振り向き、すぐに向き直ると、画用紙をハサミで切るように、左上から右下に向かって、ドアを勢いよく切り裂いた。
地雷女がその場を後にすると、残された剃り込みは深呼吸をし、震える指で電話アプリを開き、「110」と番号を入れる。
「あ、あの……人を、攫いました……」
剃り込みの脳には、さっき振り返った時の、女の笑顔がこびり付いていた。
電話対応をする相手の男は、困惑気味に、もう一度よろしいでしょうか、と聞き直した。
「ここで」
運転手に告げると、美原琳はタクシーを降りた。駅前の喧騒から離れた場所にある、複数の飲食店が入ったビルで、隣のコインパーキングに、カーキ色の軽自動車が停められているのを確認し、エレベーターで四階のファミレス「イエロー・ロータス」へ向かう。
一般席を抜けて喫煙席に行くと、柄シャツを着た男が優雅にコーヒーを啜っていた。白い背景に、輪切りのオレンジのイラストがプリントされた物で、男はそれを愛用している。灰皿には既に、何本か吸い殻が捨てられていた。
「おお、お疲れ」
美原に気付くと、きっちりとしたスーツを着せればマルチの幹部にも見えるだろうその男は、顎に手を当て、美原を吟味する。
肩開きのピンクのフリルブラウスに、黒いミニのサスペンダースカート。黒のヒールシューズを履き、ヘアアイロンでカールを巻かれたツインテールの姿は、世間的に地雷系と呼ばれる様式を百点満点で通過するような物だった。
「似合ってます?」
美原は微笑み、少し気取ってポーズを取る。
「ああ、似合ってる」
「まあ、私可愛いですからね」
「ああ、まあ」
男の言葉に若干顔を赤らめる。冗談で言ったのだけど、と美原は困惑する。なぜか、男が怪訝そうな表情をしているのが、少し気掛かりだった。
「……お前、顔大丈夫か?」
「…はい?」
「殴られたか?」
美原は男の言葉の意味がわからなかった。
顔?今日は無傷で皆倒せたはず。あの剃り込みに頬を掴まれた時か?でも、そんなに跡が付くほど強く掴まれただろうか?
「どうなってます?」
美原は自分の顔を適当に触った。
「ん?……あ、化粧か」
「え?」
「やっぱ何でもねえわ」
「え……?」
「仕事、お疲れ様」
急に安堵の表情を見せると、薮野虎也はコーヒーカップを美原に向けて、乾杯のジェスチャーをした。
「お前が一発もらうなんてよっぽどだろうから、驚いたわ。流石にそんな事起きねえわな、ハハッ」
薮野の安心しきった言葉を聞き、美原は正面にドスンと腰を下ろした。
「どうした?」
明らかに不機嫌そうな美原に薮野は少し驚く。
「…私のメイクが、下手だと言いたいんですか?」
「え?」
美原は薮野を睨みつけた。
「いや、そういうわけじゃねえけどよ」
「じゃあ、なんで私の顔見てあんな訝しげな顔したんですか?」
「顔が赤くなってたから、殴られたのかと思ったんだよ」
「チークですよ!」
美原は声を荒げた。
「チークです!ほら、触って下さい!殴られてたとしたら腫れてますよね!?腫れてないでしょ!」
薮野は勢いに押され、頬に触れる。「ああ、別に膨らんでねえ……」
「ですよね!もう、何なんですか!今日やってきた奴もメイク下手くそとか言うし!」
「プッ、ンな事言われたのかよ?」
「……笑いましたね?ついには今笑いましたね!?」
美原は身を乗り出し、薮野を威圧する。
「私だって年頃の女の子なんです、言葉には気を付けて下さい!最初は皆下手なんです!大体私、そんな簡単にやられませんし!」
「悪かったって、顔近えよ……」
美原に萎縮し、薮野は背中を丸める。美原は腕を組んで、口を尖らせた。
「ロータスパフェ、頼むか?」下手に出て、美原に問いかける。
「それで許しを請おうっていうんですか、その手には乗りませんからね」
「最近、ファッション好きな子と繋がったんですよ、年下の」
パフェを笑顔で食べ進める美原は、上機嫌に話し始めた。大体、美原の座高の半分くらいの高さで、店名に因み、マンゴーを主軸に黄色系統のフルーツやソースに溢れた人気メニューだ。
「いつの間に」
「その子、メイクから服装まで、何から何まで可愛くて。正直、フルセットだと私も敵わないかもしれないです」
「写真あるか?」
「ありますよ」
美原は嬉しそうにスマホを取り出し、写真アプリを開く。
「ほら」
画面に表示されたのは、白髪のポニーテールをした、全体的に水色系統の服を着た女子だった。
「へえ」
「可愛いでしょ?で、これがツーショット」
右にスクロールすると、水色系統の女子といつもの服装の美原が、二人でピースをしている写真が出てきた。
「ん?」
薮野はふと、疑問符を浮かべる。
「どうしました?」
「いや……流石に違えか」
一人で納得し、コーヒーカップを口に近付ける。
「薮野さん…多分薮野さんが言いたい事、合ってます」
「……マジか、凄えなこいつ」薮野はカップを口から離した。
「全然そうは見えねえな」
「世の中には、案外いるもんですよ」
自分の事のように美原は微笑んだ。
「所で、毎回思うんですけど」
「ん?」
「いつもそのブラックコーヒー頼んでますよね、わざわざファミレスに来てまで」
「そりゃ、ここにはコーヒー飲みに来てるからな」
「なんでですか?近くに、もっと豆にこだわった喫茶店とかありますよ?」
「この雑な味が、俺の好みなんだよ。近所の喫茶店は店主の熱意がたっぷり入ってる、それが好きじゃない。それに見てみろ、ここからの景色」
薮野は窓の外を指差す。階層の低い建物が通りに沿って続き、その向こうの遠くの街までもがよく見えていた。
「自分が主役ですと言わんばかりに聳え立ってる、オフィス街のバカ高いビルの集まりと違って、景色に嫌らしさがないだろ?四階ってのが絶妙なんだ。うちの店も四階にあれば良かったんだけどな」
「なんか、よく分かんないです」
「歳取ると、派手なのより地味なのが好きになるんだよ」
「私もそうなるんですかね」
なるだろうよと言おうとすると、着信音が鳴り、薮野はスマホをポケットから取り出した。画面には「永浦」と表示されている。
「週五テキーラの警部補から電話だ」
通話ボタンを押す。
「はい、薮野だ」
[よお、今回も助かったぜ。あのガキども、若え女攫っては性欲のビジネスに絡めやがって。ませたガキとヤクザが絡めば、相変わらずろくな事やんねえ。全員ぶちのめしてやりてえぐらいだ…ヒック]
「おい、また飲んでんのか」
[何言ってんだ、三日連続でテキーラ決めるバカどこにいんだよ…ああ、マスターありがとう]
「今、マスターって言ったな」
氷のカランという音が電話越しに聞こえる。さっきから吐息が荒く感じられていたのも、そういう事だろう。
[うるせえ、本題はそこじゃねえんだ]
「なんか別であんのか?」
[四日前の午後四時頃、エビスモールシティ前で交通事故が発生した]
「ああ、そういえば記事になってたな」
[交通事故って事で発表してるが、実際は違う]
「違う?」
[MURDIMだ…ヒック]
薮野は街並みに体を向ける。
「詳しく聞かせろ」
[軽傷者は三人、死人は一人。市内の暴力団の構成員だ。だが現場に行ってみたら不思議な事に、軽傷者の方は車にぶつかられたってより、誰かにぶん殴られたみてえな容態だったし、停車して放置されていた車両が、真っ二つにぶった斬られていた。こんな芸当、MURDIMでしかできねえだろ?]
「そうだな。新しい奴が出てきたか」
[もしかしたらな。それともう一つ。車両付近に血痕が垂れてたんだが、DNA鑑定したところ、死傷者四人の誰とも一致しなかった。それと、路肩に停められてた別の車両に、大きな衝突痕もあった。そっちの方にも血痕、これまたDNA不一致。少なくとも、追加で二人は重傷を負った状態で消えたわけだ、もしくは]
「…攫われた」
[そうだ。警察の方でも調べとくから、そっちも頼んだぜ……ヒック、オエッ!]
「おい?」
相手のえずく声で電話が切れた。「飲み過ぎだろ」
薮野は正面に向き直る。空になったパフェグラスを前に、美原は口を紙ナプキンで吹いていた。
「相っ変わらず早いな」
「MURDIM絡みなんですって?」
「聞こえてたか」
「私の耳、舐めないで下さい」美原は自分の耳を摘む。
「エビスモールシティって、あの超デカいショッピングモールですよね」
「ああ、昔よく行ってた。映画も見れたぞ。メン・イン・ブラックとかな」
「メン・イン・ブラックの話はいいです」
スイッチが入りそうになる薮野に、美原は制すように手を出す。まだ何も話してねえぞ、と薮野は少し不服そうに言う。
「ここからも見えますね」
美原は窓の遠くを指差す。指した方向では、明かりが星空のように続く中心街から離れ、少しまばらな一帯に、抉られたように暗い闇が立体的に存在していた。
「確か、火事で大勢が亡くなった」
「そうそう、死者は、何千人だっけか……ああ、三四〇六人だ」薮野は、ブックマークされた当時の事故の記事を開く。
「日本有数のショッピングモールだっただけに、全国ニュースで何ヶ月も報道が続いた」
「その当時のお客さんは、皆亡くなったんですか?」
「いや、生存者は何人かいたはず、いや、一人か?」
自分の不確かな記憶に頭を掻き、別の記事を開く。生存者がいるという情報はどの記事でも共通しているが、人数に関しては触れられていない。
「まあ何にせよ、そのモールの前でMURDIMが使われたかもしれないから、こっちでも調べてくれってよ」
「何か、関係があったりして」
「ハッ、きっと偶然だよ」
ないない、と薮野は手を仰ぎ、席を立った。
「え、もう帰るんですか?」
「コーヒーも、もう飲み終わったしな」
「パフェ、もう一杯いきたいです」
「食いしん坊か。行くぞ」
わかりましたよ、と不満げに美原は立ち上がり、薮野の後を追っていった。




