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1.過去

 少女は、その日母親とショッピングモールを訪れていたはずだった。熱された空気が鼻に入り、呼吸が上手く出来ない。あちこちで立ち昇る炎。その間で血を流して倒れる大勢の客。いつの間に、こんな地獄絵図に変わっていたのだろうか。

「逃げなさい……!」

 足元で倒れる母親は死にかけていた。駆けつけた消防員は、少女を連れて走り出す。途中、ホースや担架を持った別の消防員達とすれ違う。少女は、自分も連れていって欲しいと心から願いながら、手を伸ばす。

 モールの外に避難しても、背中からはまだ微かに、先程の熱気が感じられる。

 少女はひたすら涙を流していた。自分の元に駆け寄った、幼馴染の少年の胸の中で、声を上げて泣き続けた。少年は少女を抱きながら、燃え盛るショッピングモールを見つめ続けた。


 ふと、顔を上げる。ワイシャツの背中が一番に視界に入った。そうだ、ここは教室、今は授業中だ。クーラーが効いていて、少し肌寒ささえ感じられる。ここが現実なら、さっきの光景は夢だったのかと、青年はほっと胸を撫で下ろす。

 谷底平野、水無川、自然堤防、海岸段丘、ケスタ、メサ、ビュート……と訳のわからない単語が脳内に入り込み、思わず微睡んでしまっていたのを思い出し、青年は目を擦る。

 一つ欠伸をし、教室の時計を見上げる。授業終了時刻まであと一分だった。寝過ぎたなと反省し、机の上の授業プリントを見る。案の定、重要用語を当てはめるべき空欄は、どれも手付かずのままだった。とりあえず黒板に書かれた文字だけでも写そうとシャーペンをノックすると、チャイムが鳴った。腹の出た男の教員が、係の生徒に号令をさせ、ササッと出ていく。


練之介れんのすけ、もしかして寝てた?」

 斜め前の席に座るポニーテールは、ニヤケ顔で椅子の背もたれに顎を乗せている。悪戯に笑う顔は女子のようだ。佐々木玲丸ささきれいまるの笑顔にイラつき、「ビュートまでは覚えてる」と、柏尾練之介かしおれんのすけは意地を張って答えた。

「ビュート?それ、授業始まって15分くらいの時だね」

「え、マジで?」

 唖然とした練之介は頭を掻き、「うーわ、そんな寝てたのかよ」と愚痴をこぼし、また欠伸をする。そんな練之介を見て、また玲丸はふふっと笑う。

「どうせお前も寝てたんだろ?」

「僕はちゃんと起きてたよ?地理、好きだし」

「チッ、優等生ちゃんかお前」

「練之介は起きてられる教科とか無いの?」

「あ?体育」

「逆にどうやって寝るのそれ」

「うるせえ。座学で興味関心が眠気に勝てるわけねえっつうの。時代は実技だろ」

「ええー、楽しいじゃん座学。ペン握って机に向かう感じ?僕好きだよ」

「変わり者だな。まあいいや。ンな事より、飯にしようぜ。腹が減ってるから眠いんだ」

 練之介は机の上に弁当を置く。

「お腹一杯になったら、もっと眠くなんない?」玲丸も自分の椅子を練之介の机に寄せ、自分の弁当箱を置いた。


「ねえ、知ってる?」

 玲丸はスマホにあるネット記事を表示し、練之介に見せる。

「何だこれ?」おにぎりにかぶり付き、練之介は画面に顔を寄せる。

 記事のタイトルは以下の内容だった。

[市内の暴力団事務所襲撃、凶器は不明 MURDIMと関連有りか?]

「えむゆーあーるでぃーあいえむ?」見慣れない単語に、練之介は疑問符を浮かべる。

MURDIM(マーディム)だよ、MURDIM」

「ンだそれ」

「知らないの?無知だねえ」

「無知で悪かったな」

「ま、僕もそんなに知らないけど」

「お前俺の謝罪返せよ」

「へへっ。けど、練之介よりは流石に知ってるかな。なんせ学校の情報屋、新聞部様だから」

「そんな触れ込み聞いた事ねえよ」

「知りたい?天下の新聞部様のタレコミを」

「まあ、多少はな」

 練之介がそう言うと玲丸は一つ咳払いをし、背筋を伸ばして、眼鏡を人差し指でクイッと上げた。

「MURDIMっていうのは、戦う為に研ぎ澄まされた、超能力の事。主に、武器みたいな形をしてるんだ。それこそ、ナイフとか、銃とか、ロケットランチャーとか」

「ロケットランチャー」練之介は玲丸の言葉を反復する。

「それで?」

 玲丸はまた、眼鏡を人差し指でクイッと上げた。

「以上」

「お前も何も知らねえじゃねえか。天下のタレコミはそんなもんかよ」

「うるさいなぁ。ネットでもそんなに情報出てないんだよ。今のでMAX」

 練之介は窓の外、遠くの商店街を見つめる。日傘を差したご婦人が、高そうな毛並みの犬を連れて散歩中だった。

「超能力ね。あったら使ってみてえもんだ」

 風を浴びていた練之介に、急に黄昏れるじゃんと玲丸はツッコミを入れる。


 放課後になり、部活動のある生徒は着替えて教室から去っていく。情報屋の玲丸も今日は部活だ。

 同じクラスの友人と適当に駄弁っていると、LINEの通知音が鳴った。通知欄を見ると、「シオン」という相手から「先行ってる」と一言送られていた。

「じゃ、俺帰るわ」練之介はリュックを背負う。

「えー、今日久々にラーメン行こうと思ってたのに」

「駅前のビルに新しいラーメン屋できたんだぜ」

「そうなのか。でも悪い、今日はパスで」

「ちぇっ、わかりやしたよ」

 不満を漏らす友人達を背に、教室を出ていく。

 学校を出た後、目的の場所まで寄り道せず、一直線に自転車を走らせる。照りつける太陽の元で、蝉の鳴き声が、行く先々で左右から聞こえ、耳がやられてしまいそうだった。額の汗を拭いながらも漕ぎ続け、しばらくして、ペダルを漕ぐのをやめ、道の端に停めた。

 街の中心市街地から外れた場所に、大きなショッピングモールの跡地がある。ガラスの嵌め込まれていた場所は風が通り、建物の内と外、どちらも焼け焦げた跡ばかりで、白いままの壁を見つける方が難しい。

 放課後の学生達の笑い声、手を繋ぎ練り歩く家族の笑顔、大型の館内ビジョンで流れる最新映画の予告。夜には建物がライトアップされ、市内の景観を華やかな物に仕立てていた。それらが、今では全て過去の物となった。

 有名ブランドやレストランが入り、連日連夜の人の賑いは見る影もない、そんな跡地が、練之介が汗を垂らして向かっていた場所だった。

「意外と早かったね」

 声の方に振り返ると、そこにはショートヘアの女子がポツンと立っていた。半袖の白いワイシャツに、自分と同じ高校の規定の、チェックブラウンのリボンとスカート。すらっとしたモデルのような体型で、真夏にも関わらず、冬の冷気を感じさせるような、独特の雰囲気を醸し出していた。感情の起伏の読み取れない表情で、白い花束を持ちながら練之介を見つめている。

「花、買ってきたのか。何の花だ?」

「カスミソウ」

「花言葉は?」

「感謝とか、幸福とか」

「やっぱ詳しいな」

「別に。こんなの常識」

 素っ気なく言いながらも、跡見汐恩あとみしおんはよく見ればわかる程度に、口元を緩ませ、歩き出した。練之介もその後ろを歩く。

 モールの敷地内に入り、建物から離れた辺りに、横長の四角い簡易的なテントが設けられている。左右を横幕で囲っていて、中に入ると花束や缶ジュース、菓子などがびっしりとテーブルの上に供えられている。ほとんどが、賞味期限切れの物ばかりだ。

「あ、これ」

 汐恩は立ち止まり、その中の一つを指差す。

「今月発売のグミ」

「俺たちみたいに、まだ供えに来てる人がいるんだな」

 そう言って少し空きのあるスペースの前で止まる。

「花供えるの、今年でやめようと思ってる」

 汐恩は俯き、地面に話すように言った。

「そうか」

 花束を持って立ち尽くす背中が、何だか小さく感じられる。やがてゆっくりと、花束を空いた場所に置いた。練之介は横に並び、二人で手を合わせた。

「じゃあ、バイバイ」

「おお」

 汐恩は手を小さく振ると、来た道を戻ろうとする。

「……なんで、私だったんだろって、時々思うの」

 汐恩は立ち止まり、固まった。背中を丸め、次第にプルプルと震え始めた事に、練之介は気付く。

「大勢の人が亡くなって、生き残ったのが私だけ。本当に、なんで自分が生きてるのか、わからなくなる」

 震えが少しずつ収まっていく。

「でも」と汐恩は振り返る。頬が少し濡れていて、すぐにそれを指で拭った。

「そんな時に、練之介が居てくれると、心が楽になれた」口角が少し上がる。練之介は内心、それが少し嬉しかった。

「そんなど直球に言うなよ、流石の俺も恥ずいぞ」

「そうだね。でも、本当は、もう少し早く言いたかった。辛い時、いつも付き合ってくれて、本当ありがと」

 口角がまた、少しだけ上がった。練之介はへへっと照れ笑いをする。

「なんか、面食らったな。ラーメンでも食いたい気分だ」

「もしかして、麺だけに?」

 汐恩は明るい口調で言った。またそれが、練之介は嬉しかった。

「そうそう、それ」

「帰ろうかと思ったけど、私も食べたいかな」

「なら、適当に近くのラーメン屋探すか」

「だね」

 練之介はスマホの地図アプリを開き、敷地の外に歩き始める。汐恩も横に並んで歩き、画面を覗く。

 ここが良いんじゃないか、いやいやこっちの方が美味しそう、と話していた時。


「ん?」 

 通りを走ってきた黒塗りのセダンが、突然猛スピードでこちらに向かってきていた。

「危ねえ!」

 練之介は咄嗟に汐恩の腕を引き、自分も一緒に地面に倒れ込んだ。セダンがその場を通過した後、急ブレーキの音が鳴り、全てのドアが開いた。四人のガラの悪い黒服達が中から現れ、一直線に練之介達に早歩きで向かってくる。

「何なんだよ…!」

 訳が分からず、起き上がった練之介を、黒服の一人がいきなり殴りつけた。咄嗟の事で応対できず、練之介はまた地面に倒れた。頬がズキズキと痛む。男達は汐恩を乱暴に起き上がらせ、腕を引き、またセダンに戻ろうとしている。

「やだ、離して……!」

 汐恩は必死に手を振り解こうとするが、一人が牽制するように平手打ちをする。


 ついさっきまで、一連の出来事に困惑していたはずの練之介は、その光景を見て、自分の頭に血が昇っていくのを感じた。

 気が付いた時には立ち上がって走り出し、汐恩の腕を掴む黒服の一人の背中に、思い切り飛び蹴りを喰らわせていた。勢いよく黒服は吹き飛び、顔面をセダンの車体に強打した。

「このガキ!」

 別の黒服が殴りかかってくる。今度はしっかりと体の前で構え、腕の振りを容易く避け、鳩尾に思い切りアッパーを入れる。よろめいた所で男の髪を掴んで頭を下げさせ、右膝にぶつける。水鉄砲のように鼻血が飛び出し、男は白目を剥いて倒れた。

 他の黒服も同じように対応し、次々と地面に寝かせていく。黒服達への憎しみ以外の感情を持たず、流れてくるレーンの仕分け作業をするように、淡々と目の前の相手をぶちのめしていく。

 練之介は肩で息をしながら、棒立ちする汐恩に駆け寄る。

「大丈夫か?」

 片方の頬が赤く腫れ、ポロポロと涙を流しながら、怯えた表情で練之介を見据えていた。

「あ、悪い…」

 汐恩の存在を気にせず、思うがままに暴力を振るった事を、練之介は謝る。

「コンビニで、絆創膏でも——」

 練之介の言葉を遮るように、突然セダンの車体から破壊音が鳴った。見ると、車体が前後真っ二つに分かれ、後部の車体の中から、迷彩柄のダウンジャケットを着た男が現れた。

「チッ、やっぱ役立たずじゃねえか……ヤクザの癖に、ガキ相手に伸びやがって」

 男は現れて早々、近くに倒れていた黒服を蹴り飛ばした。黒服の体はボールのように軽々と飛ばされていく。気のせいか、蹴る際の男の脚が黒いモヤで覆われていたような気がした。見間違いだろうかと練之介は思う。

 何が起きているのか、理解が追いつかない。

 そもそも黒服達は誰なんだ?目の前の男は仲間か?それに、さっき車体が真っ二つになったのは何だったんだ?

「よお、跡見汐恩」

 男はこっちに向き直り、汐恩の方を睨み付けた。

「知り合いか?」

「た、た、多分、違う……」絞り出すような声で否定する。

「俺が誰かなんて、お前は知らなくて当然だ」

 男は淡々と続ける。

「アンタ、誰だ?なんで汐恩の名前知ってんだ?」

「ああ?ガキ、テメェに用は無えんだよ」

 男の体が、黒いモヤのような物で覆われていく。やはり、さっきのは見間違いではなかったと確信し、汐恩を庇うように立つ。


 一瞬だった。怯えている汐恩を心配し、一秒も満たない程度に視線を向けていた時。

 腹部に鈍痛が走り、気付くと足が地面から離れていた。下から上に視界が動き、数秒経って、路肩に停められていた車に体が激突して初めて、自分が横向きに吹き飛んでいた事を理解した。

 理解すると同時に、全身を今まで感じた事のない激痛が襲い、車体にめり込んだまま、動く事ができない。

 数メートル離れた先のセダン。あそこに、さっきまで自分は立っていたはずだ。その証拠に、汐恩と男が向かい合っている。

「に…げお……」

 逃げろ、汐恩。そいつは危ない奴だ。

 駆け寄って守る事もできない、だからせめてそう叫びたいのに、喉が機能しない。どうやっても、空気が抜け出ていくだけだった。

 男を覆う黒いモヤが、大鎌のような形に変わっていく。男は両手でそれを握ると、立ち尽くす汐恩に振り下ろした。汐恩は避ける事もできず、その刃を受け、地面に倒れる。

 そんな一連の惨状に、何も干渉できず、自分の意識が薄れていくのを、悔しくも練之介は感じ取っていた。

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