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7.姉と弟

 村外れにある大きな民家は、石造りに赤い屋根の母屋と、その隣に家畜小屋があり、柵に囲まれた庭ではガチョウが自由に歩き回っていた。煙突からはもくもくと煙が上がっており、玄関に近づくほどに温かなミルクの香りがしてきた。夕餉の支度の最中のようだった。


「帰ったぞ」


 農夫が家の中に声を掛けると、キッチンらしい場所から妻がエプロンで手を拭きながら出てくる。


「おかえりな……あら、その子達は?」


 驚く妻に、農夫は荷物を置きながら、何でも無いかのように淡々と答える。


「親を亡くしたそうだ。しばらく面倒を見てやってくれ」


「まあ……」


 妻が言葉を失っているのも構わず、農夫は二人を二階に連れて行き、部屋に案内する。

 部屋の中のベッドには赤やピンクのキルト生地で作られたパッチワークのシーツが掛けられ、机には鏡とブラシが置かれ、壁にはドライフラワーの花束が逆さに吊り下げられていた。


「ここを使え」


 フィガロ皇子は大慌てで農夫を見た。


「え!? 二人一緒にですか?」


「すまないが、すぐに使える空いてる部屋がここしかないんだ。姉弟なら問題ないだろ?」


 セラフィーナがフィガロ皇子の背中をつまみ、後ろに引き下げた。


「フィー、我儘言わないの。おじさんごめんなさい、ありがたく使わせていただきます」


「湯が湧いたらまた呼びに来る。嬢ちゃんはクローゼットにある服を適当に選んでいい。弟の方はちょうど良さそうなサイズの男ものを探してくる」


「色々とありがとうございます」


 フィガロ皇子は呼ばれたことも無い「フィー」という名にも困惑したが、女性と同室ということにとにかく戸惑わずにはいられなかった。農夫が部屋から去ったあと、フィガロ皇子はすぐにセラフィーナに詰め寄った。


「じょ、女性が男性と同じ部屋で過ごすなんてっ!!」


「違うでしょ。あなたは私の弟のフィー。私は姉のセラ。いいわね」


「いや、そうじゃなくて」


「そうなのっ!! まずは誰かの助けがないと私達は先に進めないんだから、贅沢言わないでルームシェアくらい我慢しなさいよ!!」


「いやだからそうじゃなくって……」


 湯が沸いたようで、一階から大きな声で二人を呼ぶ声がした。セラフィーナは慌ててクローゼットを開け、目立たず動きやすそうな服を探して手に取った。二人は階段を駆け降りて行くと、下では夫婦が二人が降りて来るのを待っていた。


「そういえば名前を聞いてない」


 農夫に尋ねられ、セラフィーナが笑顔で答える。


「私はセラです。弟の名はフィー」


「セラとフィーか。俺はバルド・ロッシで、こっちは妻のラーラ。気軽にバルドとラーラでいい。俺たちもそう呼び合ってる」


 バルドの妻ラーラはふくよかで快活そうな女性だった。シャキシャキと動きながら、セラの肩を掴む。


「セラが先に身体を拭きましょう。一緒にキッチンへ」


 セラフィーナはラーラに押されてキッチンへ入って行くと、バルドはソファに座り、フィガロ皇子にも椅子に座るよう手を動かして合図した。


「あの……あの部屋は本当に誰も使われていないのですか?」


「娘の部屋だった。ちょうどセラと同じ位の年齢だな」


「もう嫁がれたのですか?」


「……亡くなったよ。セラ峠で」


「それは……申し訳ありませんでした」


「いや、いいんだ。リーアって言ってな、俺に似ずに美人で気立てのいい娘だったんだ。お前たちを見た時、リーアが助けろって言ってる気がした。そしたら名前がセラって言うんだから、やっぱり何かのお告げだったな」


「差し支えなければ、なぜお亡くなりに?」


「数年前の夏からセラ峠でスノーベアが出るようになったんだ。それまでは臆病なスノーベアが人通りの多い峠に降りて来ることはなかったんだが、腹を空かせてるのか、峠を行く人間をあえて狙っているように思える。リーアは昨年の夏に峠を行く旅人に水分補給のフルーツを売っていた時、突然現れたスノーベアに襲われ、そのまま遺体は山の中に引きずられて行ったんだ」


「では、リーアさんはまだ山に?」


「ああ……臆病なのはスノーベアじゃない。俺だ。山に向かおうとしたが、もう死んでいるからと皆に止められ、妻をたった一人残すことも出来ず、いまだに娘を取り返せていない」


「苦しいお話を……ありがとうございました」


「お前の親はどんな親だったんだ?」


「え?」


「あまりにも言葉遣いが綺麗で、中身も随分と大人びている。村の子供達とは違って、教養とやらを身につけている様子だから」


「あ、いや……その……」


「まあいい。喋りたくなったら話してくれ」


 ちょうどキッチンから身体を綺麗にして、農夫の娘の服に着替えたセラフィーナが出て来た。平民の着る木綿の地味なワンピースだったが、フィガロ皇子には新鮮でとても可愛らしく感じた。


「さあ、次はフィーの番だよ。バルドがさっき馬を走らせて近所の人から男の子の服を譲って貰って来たんだ。それを着なさい」


 フィガロ皇子はバルドをみるが、彼はしかめっ面で椅子に深く座り込んでエールを飲んでいた。


「ありがとう。バルドさん」


 フィガロ皇子は屈託のない笑顔に感謝の言葉を添えた。その姿に、バルドはエールジョッキを傾けて緩む口元を必死に隠す。


 フィガロ皇子は本当に嬉しかったのだ。

 城では皇子が感謝の言葉を掛ければ、皆一様に儀礼的な動作で頭を下げて喜んでくれた。その顔も型にハマった笑顔を貼り付けたようで、薄気味悪かった。

 バルドは返事すらしなかったが、城の者たちとは違って優しい気持ちがひしひしと伝わってきた。

 だから、自然と笑みが溢れた。


 夕飯にはラーラの作った秋野菜たっぷりのヤギのミルクスープと、擦りおろしたじゃがいもに小麦粉とバターと卵を混ぜて焼いたじゃがいものパンケーキを頂き、初めて食べる庶民の食事の美味しさにフィガロ皇子は感動した。最後は皿洗いまで率先して手伝い、数々の初めての体験に心躍らせ足取り軽やかに部屋に戻れば、部屋の窓は全開で秋の夜風で冷え切っていた。


「セラフィッ……セラ、寒くないんですか?」


 フィガロ皇子は両手で肩を抱き身を縮めた。


「その言葉遣い直しなさい。私達は平民の姉と弟でしょ? フィー」


「わかったから早く閉めてよ、セラ」


「あら、出来るじゃない。でもまだ窓は閉められないの」


 セラフィーナはそう言ってベッドからキルトのシーツを掴むと、フィガロの肩に掛けた。


「これで我慢してね、フィー」


 秋風に乗り、セラフィーナの香りまでもフィガロ皇子にふんわりと掛かる。サンダルウッドのような気品に満ちた深みのある甘い香りは、彼女が年上の女性であることを認識させる。フィガロ皇子は赤くなる頬を、肩に掛かるキルトのシーツを持ち上げて隠した。


 夜空を見つめるセラフィーナを見つめていると、星影と思っていた光の揺らめきが段々と近づいてきていることに気づく。

 セラフィーナはホッとしたような笑顔を見せ、そして月明りに照らされた大きな黒い影に向かって腕を伸ばした。


 バサっと大きな羽音を立て、鷹のように大きな黒い鳥がセラフィーナの差し出した腕に止まる。


「良い子ね、シャドウ」


「封印の部屋で見た鷹だ……。セラ、鷹を直接腕に乗せて大丈夫?」


「この子は鷹じゃなくて、ガレアータ・ドゥラドゥラよ。長い付き合いだから、この子も爪の立て方を知ってるし、万が一食い込んだとしても私の身体なら大丈夫だから」


「ガレアータ・ドゥラドゥラ? ドゥラドゥラは絶滅したはず」


「絶滅してしまったのね。ではシャドウが最後のドゥラドゥラ」


 セラフィーナは眉尻を下げながら、慈しむようにシャドウを撫でた。


「まさか……その鳥も不死身なの?」


「そうよ」


「凄い! 本物のドゥラドゥラだなんて」


 フィガロ皇子はシャドウに近づき、その雄々しい姿に魅入ってしまう。


「この子がいたから長い時をあの部屋で過ごせたの。あの学校の制服もこの子が運んできたから着ていたのよ。その他にも、狩りにでも行ってきたかの様に、新聞やら本やら色々なものを部屋に運んでくれたわ」


「もしかして……手紙も運べる?」


「遠い昔には伝書鳩のように働いて貰った事もあるわ。誰かに手紙を書きたいの?」


「親友に手紙を書きたいんだ。無事だと伝えたいのと、彼女自身もきっと心細くしているはずだから」


「彼女? あら、そういうこと」


 フィガロ皇子はセラフィーナの暗示していることがわかり慌てた。


「ちっ、違う! 彼女は親友で、そういう関係じゃない。彼女は兄上の婚約者だし」


「兄上? ジョアン皇子?」


「あ……はい」


「まさかその子に手紙を? ちょっと何考えてるの?」


 セラフィーナは目を丸くしてフィガロ皇子を見ていた。フィガロ皇子もセラフィーナの反応は無理もないと思いつつも、マリエッタとの絆に絶対的な自信があった。


「大丈夫だ! マリエッタは絶対に私を裏切らない。私達は本当の兄と妹以上に、兄妹のような絆があるんだ」


「だめに決まってるでしょ。ジョアンが婚約者なんでしょ? 居場所がバレたら、あなたは命の危険があるのよ?」


「でも……」


 セラフィーナはシャドウをハンガーポールに乗せると、俯くフィガロ皇子の元に戻り頭を撫でる。


「姉の言う事は聞きなさい。私は攻撃魔法や転移魔法は使えないの。だからジョアンに見つかったらあなたを守りきれる自信がない。どうしてもマリエッタという子と連絡を取りたいなら、私について来ないで今すぐ城に戻って皇帝に助けを求めた方があなたが助かる確率は高いわ」


「セラを一人に出来ない。一緒に行く」


「聞いてた? やめなさいよ。そもそも私は一人で良かったのよ」


「そんなことない。セラは現代に慣れていないでしょ? 頼れる親族も友人もいないんじゃない?」


「だから私の事はいいの。何百年一人でやって来たと思ってるのよ。それに襲われようが、食べ物がなかろうが、どうせ死ねないんだから」


「でも心は傷つく。何百年もあの部屋で一人で戦ってきた人を、もう一人でなんて行かせられないよ」


「私が戦ってきた?」


「だってそうだろ? セラは一人で沢山耐えて頑張ったんだ。もう一人にさせない。これからは私がセラと喜びや悲しみを分かち合う」


「あなたねえ……。皇子様なら皇子様に相応しい相手と分かち合いなさいよ」


「セラのためなら身分なんていらないっ!」


 一人盛り上がっている純粋な子供に、セラフィーナは溜息をついて呆れた。


「……あなたって、顔はアンジェロのくせに、全然似てないわね」


 だがその表情は、頬が少し赤らんで、はにかんでいるようにも見えた。


「私は第四王子。つまり、いてもいなくても問題ない。だから安心して」


「貴方の持つ責任を理解するのも、その判断をするのも、まだ早すぎるわよ。それにまだ子供達の誰も帝位を継いでいないでしょうが。……これだから、おこちゃまは」


「……おこちゃま」


 フィガロ皇子はショックを受けて意気消沈した。


 セラフィーナはフィガロ皇子のしょぼくれ顔にめっぽう弱い。彼が肩を落とす姿を見ると、胸の奥がムズムズしてきてどうしても折れてしまう。


「あー、もうっ」


 セラフィーナは部屋の机の引き出しから紙とペンを探し出し、フィガロ皇子に差し出す。


「居場所がわかることは書かないこと」


「書かない! ……でも、これを書いたら一緒に連れて行ってくれないとか?」


「一緒に来たらいいわよ。手紙もその彼女とだけならいいわ」


「え? いいの?」


「大切な親友なんでしょ?」


「ありがとう!! セラ!!」


 フィガロ皇子は勢い良くセラフィーナに抱き着いた。セラフィーナは驚きつつも、クスクス笑いながら自分もフィガロ皇子の背中に手を添えた。その手の内が段々とほのかに発光したことを、フィガロ皇子は知らない。

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