11.お茶会
麗らかな春の陽気。花は咲き、蝶は舞い、まだ色の薄い緑の葉がそよぐ学生専用カフェのテラス席で、自重した笑い声が響き渡る。
「ベルティナ嬢のおかげで我が校は秩序と品位が保たれています」
ジェズアルドは晴れて生徒会のお茶会メンバーに加えて貰えたようで、媚びた表情でベルティナを称えた。
「聞いてくださいな。私の誕生日には、ベルティナ嬢が王都で流行のアクセサリーをプレゼントしてくださったの。本当にお優しく、人格の優れたお方ですわ」
次々と生徒会メンバーがベルティナを称えていると、テラス席の近くの道を横切る、背の低いぽっちゃりとした令嬢がいた。
「ご機嫌よう、フェリーチャ嬢」
ベルティナがぽっちゃりとした令嬢に声を掛けた。だが令嬢は急に緊張した空気を纏い、無表情で会釈だけしてそそくさと去って行った。
ぽっちゃりした令嬢が去って行くと、生徒会メンバーはひそひそと話し出す。
「何あの態度」
「あれって……ベルティナ嬢と同じクラスの……」
「フェリーチャ・スカリオーネ。ただの町医者の娘よ」
「スカリオーネって、皇妃様のご出身の生家名では?」
「皇妃様はアスタリオ公爵家のスカリオーネで、あの子はその親戚で変人一家のただのスカリオーネ」
ベルティナは嫌悪感を露わにして生徒会メンバーに注意を促す。
「皆さん、あのフェリーチャ嬢にはお気をつけくださいな。変人一家というのもあながち間違っていませんわよ。かなり言動がおかしいの。先ほども挨拶をする私に酷い態度でしたでしょ? 挨拶は基本じゃなくて? 彼女はそんなことも出来ないの。
私達の学年はそれはもう仲が良くて、毎日が穏やかに過ぎていたのに、フェリーチャ嬢はある日突然教室で喚き散らして出て行ったこともあるのよ」
「皇妃様も絶対おかしいですもんね。その息子のフィガロ皇子も入学以来休学されてしまって、今はお城に戻られているとか」
「きっとフィガロ皇子も精神的におかしくなったんだよ」
「おかしくなったのじゃなくて、もともとそういう家系なんじゃない?」
嘲笑が響き盛り上がる中、ベルティナの席から一番遠い位置に座るマリエッタは、話を聞きながら視線を下げた。テーブルの陰に隠れた手のひらを開くと、懐中時計が現れる。秒針がコチコチと進んで行くのを眺めながら、溜息をついた。
「マリエッタ嬢」
ベルティナに名前を呼ばれるのが久しぶりすぎて、気がつくのに少し遅れてしまった。
「あ、は、はい、申し訳ありません。いかがなさいましたか?」
ベルティナはじっとりとマリエッタを見る。マリエッタは彼女を怒らせてしまったと酷く緊張して汗ばんできた。
ベルティナは手元にあった扇子をバサッと広げ、口元を隠して目だけで微笑む。
「退屈させてごめんなさい」
隠れた口元が、余計にマリエッタを追い詰める。マリエッタは目も合わせられず俯きながら必死に謝った。
「そんなことございません。誤解を招く振る舞いをしてしまい、申し訳ございませんでした」
「いいのよ、謝らないで。ジョアン皇子は私の親戚でもあります。マリエッタ嬢はジョアン皇子の婚約者。言うなれば、いつか私達はファミリーになる間柄ではないですか」
「そうおっしゃっていただき光栄です」
「ジョアン皇子とは頻繁にお会いになるの?」
「いえ」
「まあ、では文のやり取りはあるのですか?」
「あ……いえ……」
「まあ! 私はジョアン皇子とよく文の交換をしますのよ。殿下は必ず可愛らしい花を添えて送ってくださるの」
「え……?」
マリエッタは俯いていた顔を上げてベルティナを見た。目が合うと、彼女は扇子を閉じてにっこりと微笑んだ。
「ねえ、マリエッタ嬢、ちょっと頼まれて欲しいことがあるのだけれど……」
「もちろん、お受けいたします」
「では、フェリーチャ・スカリオーネ嬢とお茶でもしてきてくださらない? 彼女に私の話を聞いて、どんなことでもいいから報告して欲しいの。あの子、私を陥れようと陰口を言っているみたいだから。噂好きなのよ」
生徒会メンバーは口々にフェリーチャ嬢への嫌悪の声を漏らした。
マリエッタはフェリーチャ嬢との接点などなく、そんな怖い先輩に関われと言われて不安でたまらなかった。
「フェリーチャ嬢は先輩ですし、お声がけするきっかけが……」
「そんなもの、ぶつかったりでもしたら絶対に話す事になるでしょ」
「ぶつかる……ですか?」
「私に聞かないで」
ベルティナの冷たい声に、マリエッタは身を縮ませた。
「すいません……」
息の詰まるお茶会はその後一時間ほど続き、解放された時にはマリエッタの気持ちは擦り切れていた。カフェから自分の寮までは近かったが、大回りをして反対方向の上級生の男子寮の方を通って帰った。
いくつもある建物の中で、そばを通るだけで元気が貰える建物がある。レリオの寮だ。
寮の横を通り過ぎるだけでも笑顔になれる場所だが、運が良ければ煙突から甘い香りがしてくる。そんな日は、寮に帰ったあとも笑顔でいられた。
レリオの寮に差し掛かり、マリエッタは足を止めて煙突を見上げた。
目を凝らして見てみたが、今日も煙は上がっていなかった。
今日こそあの甘い香りがしたら良かったのに……そう思いながら俯き、また歩き出す。
どうやら後半に運が全て凝縮されていた日だったようで、脳内で何度も再生させていたあの声が、突然鮮明に聞こえた。
「あれ? マリエッタ嬢じゃないか」
目の前に飛び込んできた姿と、今日がとても辛すぎて、マリエッタは感極まり泣いてしまう。
「え? ええ!? どどどどうしたんだい!?」
「申し訳……あり……ひっく……」
遠くにはまだ畑で作業をしている人も見える。レリオは人目を気にして、マリエッタの泣き顔を隠すように片腕で肩を抱き寄せた。
「へ……」
ぽっと頬を染めて見上げたマリエッタに、レリオは焦った表情で覗き込むように小声で話す。
「ここだとほら、泣くのはね、うーんと、人目がアレだから、とりあえず寮の中へ。キッチンでお茶でも出すから」
目の前にあるレリオの顔に、マリエッタは話のほとんどが頭に入らなかった。ただ、この魔法の様に幸せな状況を解いて欲しくない一心で返事をする。
「はい、喜んで……」
レリオに肩を抱かれたまま、マリエッタは男子寮のキッチンへと入って行った。
あの懐かしい席に座らされ、レリオはお茶の準備を始めた。ティーセットではなく、マグカップが二つ調理台に置かれると、手際良く暖炉の灰を掻き分けて、まだ熱を持つ熾火を取り出し、それでコンロに火をつけた。
キッチンに繋がる保管庫からミルクを取り出してくると、鍋にそのミルクとチョコレートを入れて温める。甘い香りが漂い始めると、鍋を火からおろして、マグカップに注いだ。
「マリエッタ嬢は甘いお菓子に飢えていたよね」
クスクス笑いながら、レリオは棚からマシュマロを取り出すと、コンロで少し炙ってからマグカップに入れてくれた。
「さあ、どうぞ」
レリオに差し出されたマグカップは、焦げ目のついたマシュマロが浮いたホットチョコだった。
熱々のホットチョコをどうやって飲もうかマリエッタは悩んでいたら、レリオがマグカップを持ってふーふーと息を吹きかけてから、一口飲んだ。
カップがレリオの口元から離れると、ちょうど鼻の下に溶けたマシュマロがついている。
マリエッタは思わず声を出して笑ってしまった。
「え? どうしたの?」
「ついてますよ、こーこ」
マリエッタは自分の鼻の下あたりを指でトントンと触って教えた。
「わわ、これは失礼」
レリオは慌てて口元を拭い、恥ずかしそうにマリエッタにもホットチョコを勧める。
「ほら、冷める前に飲んで。ここでは誰も上品に飲んでいるかなんて見ないから」
「ふふ、じゃあ、遠慮なくいただきます」
マリエッタはレリオを真似してふーふーと息を吹きかけて、コクッと飲む。
喉元から身体の中へと流れ、沁み渡り、心までもポカポカと温まる。
「甘くてホッとします」
「でしょ。落ち着いたかな」
「はい」
幸せそうな笑顔を見せたマリエッタに、レリオは顔を赤くして戸惑ってしまった。
「どうかなさいましたか?」
「え? ああ、可愛い笑顔だなって」
「え」
「そんなに可愛く笑えるなら、もっと見せたら良いのに」
「誰にです?」
「え? そりゃ、うーん、クラスメイトとか……婚約者のジョアン皇子とか?
マリエッタ嬢の笑顔を見たら、みんなもっと仲良くなりたいと思うはずだし、ジョアン皇子は君に夢中になるんじゃないかな」
マリエッタは必死に色々と答えて励まそうとしてくれるレリオの優しい顔を見つめた。頭で考える前に自然とまた笑みが溢れてしまう。
「レリオ先輩が知っていてくだされば、私は十分です」
マリエッタはまた一口ホットチョコを飲んだ。
レリオも黙り、マリエッタをジッと見ながらホットチョコを飲んだ。
「じゃあ……なぜ泣いたの?」
「ああ、いえ、それは……」
「僕はてっきり学校か政略結婚に息苦しさを感じたんだとばかり……」
「それは……まあ、その通りかもしれませんが、だからといって、誰かに私をよく知って欲しいとか、友情を求めているとかそういう類の悩みではなくて……」
「言いづらければ、無理に言わなくて大丈夫だよ。じゃあ、また泣きそうになったらいつでもお茶を飲みにおいでよ。卒業後はこの寮は出てしまうけど、校内に僕の仕事部屋が出来るし」
「まあ、校内に? ぜひ会いに行きます」
「そうだね。男子寮に来るより遥かに来やすいね。貴族らしく、お茶会でもしよう」
「ふふ、楽しそう」
レリオは手に持っていたマグカップをことりとテーブルに置いた。
「せっかくお茶会友達になれたんだし、呼び捨てで呼び合おうか」
「え」
レリオの突然の提案に、マリエッタは聞き間違いかと動きを止めた。
「ね、マリエッタ」
ふんわりと柔らかに微笑して自分の名を呼ぶレリオに、マリエッタは顔から火が吹くほど真っ赤になる。
「あ、ごめん、からかったつもりはないんだ。嫌だったら謝るよ」
マリエッタの様子を見て勘違いしたレリオは慌てて両手を振る。
「うっ、嬉しいです」
「本当? じゃあ、マリエッタも良かったらレリオって呼んで。その方が相談もしやすいだろ?」
「相談?」
「そう。先輩だときっと言いづらいこともあるから」
「……あの、では一つ相談に乗っていただいてもよろしいでしょうか?」
「もちろん」
「上級生のフェリーチャ・スカリオーネ嬢をお茶にお誘いしたく……どうしたら良いでしょうか?」
「フェリーチャ嬢? ああ、あの優しい令嬢だね」
「あら? レリオ先輩にもそう見えますか?」
「あれれ? 先輩?」
「あ……。レ……レリオ……」
「うん、いいね」
マリエッタは顔を赤くしながらも、レリオと目を合わせて笑うことが出来た。
「フェリーチャ嬢はそう見えるというか、彼女は見たまま優しい人だと思うよ。話したらとても明るいし。放課後実験室によくいるから、行ってみるといい。何してるんですか? って聞けば、快く教えてくれるはず。その流れでお茶に誘ったらいいさ」
「ありがとうございます。なんだかお話できる気がしてきました。……レリオのおかげで」
「それは光栄です。マリエッタ」
レリオはまた微笑んでくれた。