第29話 伝説の終焉
第29話 伝説の終焉
■伊集院勲視点
夕暮れ時の大学構内。長く伸びた影の中で、伊集院は静かに屋上への階段を登っていた。
「最後に、聞きたいことがある。」
手には、小型の録音機と、公安から正式に許可を得た一通の書類。
──『都市伝説“笑う男”と神谷朔也に関する調査協力依頼書』
公式には、彼はもう“無関係”とされた存在。だが伊集院は信じていた。あの男は、いまだにこの都市のどこかで“見守っている”。
そして今日、匿名で届いた一通のメッセージに導かれるように、この場所に来た。
──『屋上で待つ』
■朔也視点
空は茜色に染まり、都市の輪郭がゆっくりと沈んでいく。大学の屋上で、俺は風に吹かれながら、ただ待っていた。
「カスパー、最後の記録は進んでるか?」
「記録中。REQUIEM最終伝達ロジック、構造保存完了。以降は、個人認証を必要としない自律稼働に移行します。」
「つまり、俺は“必要なくなる”ってことだな。」
REQUIEMが完成し、倫理の支援者がAIという形で社会に根付いた今、“笑う男”の役割は終わりを迎えていた。
足音が聞こえた。
「来たか。」
■伊集院勲視点
「……変わってないな、お前。」
屋上に立つ神谷朔也の背中は、以前と同じように静かで、そしてどこか“遠い”ものを背負っているようだった。
「今日は、逮捕しに来たんじゃない。」
「分かってる。」
「お前の正義は、もう必要なくなるかもしれない。だが、それでも俺は――」
伊集院は一歩近づき、目を見据えた。
「……お前の“覚悟”だけは、認めたくなかった。」
朔也は何も言わなかった。だが、微かに口角が上がったように見えた。
「正義ってのは、他人に押しつけるもんじゃねぇ。自分の選択に責任を持つためにある。」
「……同感だ。」
■早乙女涼子視点
「録音してるんでしょ。ちゃんと残して。」
無線越しに届いた涼子の声が、伊集院のポケットに入ったレシーバーから聞こえる。
「彼がどんな道を歩いたか、私たちが証人でいるために。」
彼女は公安のオペレーションルームでモニター越しに二人の姿を見守っていた。記録がすべてだった時代が終わり、“物語”が必要とされる時代が始まる。
その語り手として、朔也は今、終焉を迎えようとしている。
■朔也視点
「俺は、未来を変えられると思ってた。」
「変わったさ。だがそれは、お前が思っていた形じゃない。」
「そうだな。正義ってのは、伝染しない。ただ、“遺る”んだ。」
俺はポケットからARグラスを取り出し、それを伊集院に差し出した。
「これが、俺の“正義の履歴”だ。あとは――好きにしろ。」
「……いいのか?」
「俺の伝説は、もう終わった。」
空を見上げる。
「次に動くのは、REQUIEMでも、笑う男でもない。“人間”だ。」
■ナレーション視点(都市の俯瞰)
都市は、静かに変わり始めていた。
正義を語るAIはもういない。だが、倫理を支えるAIは残った。
人々はそれぞれに迷い、選び、時に後悔しながらも、少しずつ自分の“正義”を形作っていく。
それが、神谷朔也――かつて“笑う男”と呼ばれた男が残した、唯一の答えだった。
■朔也視点
伊集院が去ったあと、俺は一人屋上に残った。
「カスパー、俺の役割は?」
「完了しています。」
「なら、これが終わりだ。」
俺は最後に、ARグラスをポケットにしまい、ゆっくりと階段を降りていった。
“正義”という名の仮面を外して。
第29話 伝説の終焉 終わり




