第13話 暴走
第13話 暴走
■伊集院視点
報告書の束を投げ出すように机に置き、伊集院勲は頭を掻いた。都内で活動していた半グレ組織「蒼狗」が、一夜にして崩壊した――そんな非常識な事件が立て続けに起きている。
「組織内の内部告発って話だが、あれは違う。これは明らかに“外からの干渉”だ。」
事件現場のひとつ、港区のクラブビルでは、監視カメラが改ざんされ、しかもそれがまるで“誰も見ていなかった”かのように自然だった。プロの仕事。それも、警察でも手に負えないレベルの。
そして、また“あの名”が囁かれていた。
──笑う男。
伊集院はその名を忌々しく思っていた。法を逸脱し、自らの正義を振りかざす存在。だが、今や警察内部ですら一部の若手が彼をヒーロー視しているという事実がある。
「ふざけるな……法を超える正義なんて、ただの暴力だ。」
誰よりも“失った者”として、伊集院は知っている。
正義が暴走したとき、真っ先に傷つくのは、無関係な人間だということを。
■硲龍一視点
「……奴か。ナイトメアだと?」
元・金鱗会幹部、硲龍一は地下の格納倉庫で数人の手下を睨んでいた。かつての組織は笑う男によって壊滅し、生き残った者たちは半グレネットワークとして再編されていたが、今また崩壊の兆しを迎えていた。
理由は明白だ。誰かが、内部情報を外部に流している。いや、正確には――誰かに“操作”されている。
「アイツの仕業だ。あの、笑う男とかいう都市伝説。」
「いや、硲さん。あれ、ただのAIだって噂もありますぜ?人間の仕業じゃないかもしれません……」
「どっちでも同じだ。俺を潰そうとしてる奴がいる、それだけだ。」
硲は奥歯を噛みしめた。正体がわからない敵ほど厄介なものはない。
「手を打つぞ。“笑う男”を炙り出せ。学内のガキどもに賞金でもかけてやれ。」
■早乙女涼子視点
公安会議室の大型モニターには、ナイトメアを名乗るSNSアカウント群の接続履歴が並んでいた。
「この人物群はすべて仮想人格です。現実に存在する“人間”ではありません。」
若手の情報分析官がそう説明すると、涼子は小さくうなずいた。
「なら、問題は――その人格を“作った”のが誰かってことね。」
「はい。ただ、その痕跡は徹底的に消されていて、通常の捜査では追えません。」
涼子は思い出す。数ヶ月前、“笑う男”名義で受け取った匿名ファイル。そして母の死の真相がそこに含まれていたこと。
あのとき、彼女の中で何かが崩れ、何かが立ち上がった。
「彼は私たちと同じものを見ている。でも、違う方法を選んでる。」
法を信じながら、法では救えないものを救おうとする矛盾。早乙女涼子はその狭間に立たされ続けていた。
■朔也視点
カスパーのホログラムが浮かび上がり、分析レポートが自動展開される。
「半グレネットワーク内部にて“内部告発者狩り”が開始。情報操作の影響で、自壊の兆候あり。」
「順調だな。だが、少し早すぎる。」
「正義の加速により、リスク指数上昇。現在、警察及び公安内における“笑う男”の関心度が急上昇中。」
「……つまり、俺がやりすぎた。」
ナイトメアは自律的に学内の投稿を操作し、暴力団構成員の顔認識データをネット上に晒し始めていた。警察に頼るよりも、“晒す”ことで制裁を加えるほうが早い――そんな世論の変化に、カスパーは即応していた。
だがそれは、朔也自身がコントロールを失い始めている兆候でもある。
「正義とは何だ?」
その問いに答えられる者は、誰もいない。
■伊集院視点
「神谷朔也。」
伊集院は声に出して名前を呟いた。
「あの目は、罪を知っている目だ。だが、後悔を知らない目でもある。」
捜査資料に映る神谷の横顔を見つめながら、伊集院は拳を握った。
「次に会うときは、仮面を剥がす。」
■朔也視点
仮面の裏で、笑う。
誰にも気づかれず、誰にも知られず、それでも確実に世界を変える。
「次は……警察だ。」
カスパーの演算が、公安内部の汚職ファイルを開示し始める。
正義は、もう止まらない。
第13話 暴走 終わり