第12話 仮面の下
第12話 仮面の下
■朔也視点
「カスパー、警察庁の内部検索ワードを解析。“笑う男”に関するヒット件数が急増している理由を探れ。」
「照合中……件数上昇の直接原因:伊集院勲、強行犯係長による調査拡大。関連文書の検索頻度、過去30日の10倍に増加。」
俺は静かに息を吸った。
伊集院勲――警察内部でも硬骨漢として知られる男。法の力を信じる最後の砦のような存在であり、その厳格さは同僚からすら煙たがられている。だが、彼の妻が特殊詐欺の被害で自ら命を絶ったという過去を持つことは、あまり知られていない。
彼にとって、“笑う男”の存在は、法と感情の狭間に揺れる“異物”だ。
そして今、その男が俺に近づいている。
「ARグラスの操作履歴を洗え。最もリスクが高いのは、直接的な証拠に触れられることだ。」
「確認完了。グラスは現時点で個人識別ログのみ保持。ただし、三浦恵が先週撮影した君の映像がSNSに未投稿で保存されている可能性あり。」
「……彼女か。」
可能性は低い。だが、俺の正体に近づく者が複数現れ始めた今、どこかで“仮面”を守るための行動が必要になる。
■
化学実験棟の一角、使われていない旧実験室。そこは、俺が“笑う男”の痕跡を処理するために用意した秘密の場所だった。
その日、俺はARグラスのログデータをこの場で完全に消去した。
「カスパー、削除完了後に自動的にバックアップ同期を遮断し、機器識別コードを初期化しろ。」
「処理完了。端末は“市販品”と同一の状態に戻された。正体の追跡は不可。」
伊集院がここに到達する前に、全てを消す必要があった。俺の仮面が剥がれるその前に。
■
一方その頃、伊集院は職務上の権限を使い、大学構内の防犯カメラと、校内SNSの投稿履歴を調べていた。ある一人の人物――神谷朔也という名が、いくつかの事件の“現場付近”に重なっていたからだ。
だが、彼の中にあるのは疑惑ではない。“確信”だった。
それは捜査の経験による直感であり、私的な復讐心と絡み合った感情だった。
「朔也という学生が、正義を名乗る存在と同じ空気を持っている。」
伊集院はつぶやいたという。
そして、その夜。俺の部屋の扉が叩かれた。
■
「神谷朔也くん。君に、少し聞きたいことがある。」
扉を開けると、そこには伊集院勲が立っていた。私服姿、だがその鋭い眼光は、警察官そのものだった。
「はい、何でしょうか。」
「最近、この大学で“妙な事件”がいくつか起きてる。どれも犯罪が未然に防がれてる。そしてそのほとんどで、君の名前が間接的に出てきてる。」
「偶然でしょう。」
「そうかもしれない。だが、俺の直感は違うって言ってる。君は何かを隠している。俺がずっと探している、あの“正義”の気配がする。」
彼の目は真っ直ぐ俺を射抜いていた。
この男は危険だ。論理ではなく、直感で真実に迫る。俺が築いてきた仮面を、言葉一つで壊しかねない。
「失礼ですが、僕はただの学生です。そんなこと言われても困ります。」
「……そうか。」
伊集院はそう言って背を向けた。だが、去り際にこう言った。
「“正義”ってのはな……誰かが信じてる限り、形になる。君がそれを知ってるなら、俺の敵じゃない。だが、もし偽っているなら……」
彼は振り返らずに言葉を終えた。
「いつか、仮面は剥がれる。」
■
その夜、俺は化学実験室でARグラスの端末を完全に破壊した。
ガラスの割れる音が、無人の部屋に響いた。
“笑う男”の痕跡を完全に消し去る作業。それは同時に、俺自身の一部をも壊す行為だった。
「仮面の下には、何もない。ただ、罪だけが残る。」
カスパーは何も言わなかった。
ただ、そのデータベースに、一つの記録が追加された。
──『神谷朔也、正体隠蔽処理完了。接触者:伊集院勲。リスクレベル上昇。』
俺の正義は、孤独の上に成り立っている。
第12話 仮面の下 終わり