散歩②
「ふぅ~……。屋敷から出ただけで、すごい解放感」
私はようやく一人になれた自由を噛みしめながら、広い敷地内を歩いた。
私が外出することを渋っていたエルザは、道中で誰かに呼びとめられ、私から離れたのだ。
けれど普通に考えて、あれだけ過保護だったエルザ達が、私を完全に一人にするはずがない。
十中八九、私の見えない場所に、護衛が潜んでいる可能性がある。
だが周りを見渡せど、私の視界には誰も映っていなかった。
「……つまるところ、私は一人でいると言っても過言ではないのでは?」
そう、見えなければ、いないも同然。
たとえ、木と木の隙間や屋根の上に誰かが潜んでいたとしても、私の目に入らなければいないも同然!!
私は自分にそう言い聞かせると、目的地への一人旅を再開させた。
空を見上げれば、雲一つない快晴。
普段の足取りよりずっと軽く、鼻歌交じりでバラ園を駆けていく。
風に乗って漂ってきた花の匂いが、私の鼻先をくすぐった。
色とりどりに咲き誇るバラの園は、庭師の確かな技量が伺える。
(……なんて、美しい庭園なんだろう。これも計算して花を植えているのよね?)
一歩一歩ゆっくりと歩いていたはずが、バラの美しさに見惚れて、私はその場で立ち尽くしてしまった。
どこの角度から見ても、絵画を切り取ってきたかのような完成度。
あまりに見応えのある空間に、独り占めしているのが勿体ないと感じるほどだった。
そんな目を奪われるような光景に――
「うおおぉォォーーッ!!」
と、空気を震わせる野太い声が鳴り響いた。
一際似合わないその咆哮が、優雅な雰囲気をぶち壊すには充分であった。
「…………っ!?」
反射的に肩が跳ねる。
(今の声……もしかして訓練場の方向かしら?)
この広大な公爵家の敷地内、厩舎の近くには、騎士専用の宿舎と訓練場が併設されている。
今の咆哮は方角から見て、間違いなくそこから響いてきたものだろう。
私はハッとして、当初の目的を思い出す。
「そうじゃん。……訓練場へ行くんだったわ!」
優雅な一人旅を満喫しすぎて、騎士たちのことをすっかり頭から忘れかけていたわ。
ごめんなさい、騎士の皆様方。今から急いで向かいますわ!!
私の足では寄り道ばかりして、日が暮れるのは一目瞭然。
私は服の裾が翻るのも、この魅惑に溢れた道のりも気にせず、走り抜ける。
……そして、ようやく視界が開けた。
「はぁ、はぁ……」と肩で息をしながら、私はついに目的地――騎士団の訓練場へと辿り着くことができたのだ。
未だに息が整わないが、それ以上に強い達成感と幸福感で私を満たしていた。
少々咳がついているのは気になるが、そこから風邪にさえ発展しなければ大丈夫であろう。
乱れた髪を指先で何となく整えながら、私は目の前の景色に目を向けた。
バラに香りとは違い、むさ苦しい男たちの熱気と圧が、この周辺を縛り付けていた。
激しい動きで舞い上がった砂埃が、騎士たちの汗ばんだ肌にこびりつき、その顔はどこもかしこも泥だらけだ。
(……うわぁ~、これが本場の訓練場……)
ギイン、ガキンッ、と重なり合う刃を目にすると、ぞくっとしたスリルが私の体をすり抜けた。
理性が早く声をかけねばと頭では分かってはいるものの、私の両目は引き付けられるようにその光景から離さない。
どうやらこれは『集団対一人』を想定しての実践訓練のようだ。
一度立ち合いが終われば、騎士たちが輪になって互いに指摘し合い、また訓練へと戻っていく。
私が見る限り、一人側の負担が相当重いみたいだわ。
騎士団長であるアルベルトが、三回連続で相手をした後に交代する、というブラック企業もビックリな訓練を繰り返している。
集団は大体五人程度。
けれど、あのペースでの連戦を繰り広げてなお白星を挙げ続けているのは、彼が団長だから?なのかしら。
それを抜きにしても、アルベルトが強いということが明らかである。
やっぱり、威圧の放ち方を教えを乞う人選としては間違いなさそうだ。むしろ完璧ね。
独りでにうんうんと頷きながら、マリアは威圧を自在に操り、敵を一掃させた自分を想像する。
今までに顔色一つ変えなかった令嬢が圧倒的なオーラで敵を床へと叩きつけた瞬間――。
何が起こったか理解できず、這いつくばっている敵を見下ろし、ふっと不適に笑う自分の姿を。
(――すっごく最高ッ!!これは是非とも、次の暗殺者が来るまでに習得しておかないとだわ……!!!)
……実験用のモルモットがわざわざ向こうからやってくるのだから、ちゃんと有効活用してあげないとね?
きゃはは、と声を上げて楽しそうに笑ってはいるが、想像している内容は極めて物騒なマリア。
「そんな何度も暗殺者がきてたまるかぁ!」とか、「そんな簡単に習得できるもんではないわぁ」とかは言わないお約束よ?
できるもんはできるし、来なかったらこっちから呼び寄せるだけ。ほら、何にも問題ない。そうでしょう?
訓練を見て興奮状態へと突入したのか、少々物騒方面へと思考がいきそうになるも……よくよく見渡すと、アルベルト以外の知り合いの騎士達がいないことに気づく。
(……そういえばエリックやガルム、クラウスの姿は見えないけど、一体どこにいるのかしら?)
もう一度見渡したが、やはりいない。
というか、私はいつまでこんなところで隠れて覗いているのだろうか……。
今、私がいる場所は、マリモみたいにふわもこしている木の裏側である。
低い生垣ではあるが、体の小さい私が隠れるには充分な大きさであった。
私が唯一知っているアルベルトはほとんど休みなく動いており、やっと休憩かと思えば一瞬で彼の周りが人で埋もれる。
これでは、声をかけるタイミングなんて……。
その思考まで思い至った私は、潔く諦めることにした。
(うん、今日は辞めて、また日を改めて出直しましょう)
誰にも気づかれないうちに、マリモ似た木の陰から私はそっと後退した。
来た道順をなぞる為、確認のために後ろを振り向くと――――そこには、見覚えのない二人の男が立っていた。
思わず息を吸って、ひゅっと声が漏れる。
それよりも早く、包帯で巻かれた大きな手が私の口を覆った。
(――刺客!?)
その思考がよぎったが、至近距離で凝視した私はふと違和感を覚える。
(……この男たち、先ほどの騎士様方の恰好と似ているような?)
鎧を脱ぎ捨てて、動きやすい薄いインナー一枚になった剝き出しの肩。
白く汚れた包帯。
状況をよく分かっていない私は、口を塞がれたままもう一人の方を見てみると……。
彼は必死な形相で私の方に向かって「しーっ」と唇に一本指を立てている。
その額には大粒の汗がいくつもあり、顔は熱気にやられたのか真っ赤に火照っている。
(……一体、何なのでしょうか、この状況は……)
対照的に、私の口を覆い隠しているもう一人の男は、その手に巻かれた包帯よりも顔色が真っ白く変化していた。
明らかに異常事態である。
――とりあえず、もう叫ばないので。その手、外してもらえませんか?




