情報不足
呆気にとられる私の頭を撫でながら、公爵は続ける。
「大丈夫だ。まどろっこしい建前抜きで認めるから、殿下も勘違いすることはないと思うよ。――それに、殿下の親はあのハインツだ。遠慮なんていらないよ。マリアも言いたいことがあれば、今のうちに何でも言ってごらん」
(……お父様、流石に建前くらいは書いた方がよろしいのでは?)
にこやかに告げたお父様の背後から隠しきれない怒気を感じ、私は思わず飛びかけたその言葉を飲み込んだ。
国王陛下、うちの父様がこれからご迷惑をおかけします。あとは、よろしくお願いしますわね。
私は心の中で、国宝陛下に向かって、静かに祈りを捧げた。
私では止められない。
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「……結局、ルカのこと……聞けなかった」
私は仮部屋として用意された自室に戻るなり、大きなベッドに寝転んで、豪華な天蓋から垂れ下がるレースをぼんやりと眺める。
聞ける雰囲気ではなかったのも確かだが、お父様の発言にいちいち驚いて私が冷静さを欠いてしまったせいである。
今、私の手元にあるのは諸悪の根源である、黒歴史の手記。
それの芋づる式で引きずり出されたのは、前世の記憶を持っているという事実を暴露してしまったこと。
挙句の果てに、お父様が最後の最後に殿下への『お断りの口上』っていう意味の分からない不安要素をぶっこんできたのだ。
「いったい何の話よ!」と言いたいところが、必死になっていたお父様の会話から察するに、殿下からの婚約の打診……とまではいかないけど、それに近しい『将来を見据えたお付き合い』のような話だったのかもしれない。
だとすれば、遅かれ早かれ私はお父様に問われていたことだろう。
もしあの場で迷った素振りを見せたり、うっかり頷いてしまえば、そのまま承諾することになったかもしれない。
そう考えると、恐ろしいものだ。
――これがもし、嫌々ながらも承諾してしまっていたら、どうなっていたのだろう。
私はふとそこまで考えて……慌てて首を横に振った。
「お父様なら、あの怖い笑顔を張り付けたまま、王城まで乗り込みに行きかねないわ……」
別の意味で恐ろしい事実にたどり着いてしまい、私は少しばかり顔を青くする。
私は無理やり思考を振り切るために、お父様が言っていた最大の不安要素――「殿下」について考えることにした。
父様がおっしゃっていた殿下とは、第一王子のヴィクトール殿下ではなく、恐らく第二王子のルシード殿下のことだろう。
どちらも直接お話したことはないが、どうにも一筋縄ではいかない複雑な関係らしい。
第一王子、ヴィクトール殿下――。
輝かしい才能を発揮している弟を持つ兄だが、彼本人に関する情報はほとんど存在しない。
あるとすれば、彼の周囲で飛び交う、出所不明の噂話だけである。
その話というは、王位を彼ではなく、第二王子に継がせるべきか否かで意見が割れているというもの。
通常であれば長子である第一王子に継ぐはずになのだが、なんせ現国王が「元・第二王子」なのだ。
それも自らの兄を退けて国王になった。
その前例をつくってしまったせいか、周囲の派閥争いが過激化している。
第二王子、ルシード殿下――。
勉学を驚異的な速さで習得し、最近では開発にも力を入れているとか。
彼はまさに「知勇兼備」という言葉が当てはまる。一応私とも同い年だ。
こちらも、ちらちらとお姿を遠くから拝見しているだけであり、個人的に会話したことはない。
「ああ、将来化けるだろうな」と思いながら、どこか他人事に観察していた時期はあった。
――これらはあくまで「マリア」の記憶に頼った情報だ。
悲しいことに、前世の私から提供できる有用な情報は、何一つとして持ち合わせていない。
唯一、マリアが知らないことがあるとすれば……。
私の視線が手元の方へ、例の手記のほうへと、向いた。




