怪物
「――へぇ~~、お姉さん。お姉さんには僕の名前、そう聞こえていたの?」
弾んだような声色で問いかけたノアムは、私のことを面白そうな鑑賞材とばかりに眺めている。
瞳のない顔から放たれる、何かを探るような視線が私の体中をかけ巡った。
この状態、なんかちょっと嫌だわ。まるで見世物のような不快感。
少し経てば、その視線がやっと離れて、彼の声が再び聞こえてくる。
「……じゃあさ、僕の姿いま、どんな感じ?」
(……ふぁっ!?)
私は一瞬、言葉に詰まった。
それ、貴方の方から聞いてくるのね。こちらとしては、すごく都合がいいので、ここは素直に答えるといたしましょう。
私はもう一度息を吸い、覚悟を決めて言葉を吐き出した。
「それは……子供の姿をした、ただの真っ黒な人間よ」
うん。その他、言いようがないわよ。だって見たまんまの感想だからね。
私は心の中で自己肯定しながら、表向きをはっきりと告げると、ノアムの動きがピタリと止まった。
なんかノアムが動かなくなると、銅像みたいな一種のアート作品みたいに思えてくるわ。
というか、なんで私には彼が黒く塗りつぶされたように見えるのかしら?
彼の生態を不思議に思いながら観察していると、彼の咽喉に当たる位置がぴくっと動く。
そのうち、小さな失笑が聞こえ、そこからトリガーとなったかのようにノアムの喉が震え、「アハハッ、アハハハッ!!!」と狂ったように笑い始めた。
……なにか笑う要素あったかしらね?
彼の考えていることが私には、全く理解できない。感性がちがうのかも?
首をひねって何となく考えてみたが当然思いつくはずがなかった。
それにしても、なんか視線を感じるような。
私は視線の持ち主、ノアムの方を振り返ると、彼は先程の雰囲気から打って変わって、その身に静寂を漂わせていた。
彼の中にあった三日月の空白が消えて、底なしの暗闇がこちらをじっと見つめている。
だから、怖いって。その真っ黒の状態でこっちを見ないでちょうだい!!
私の心の声に反応するかのように、ノアムの口がゆっくりと動いた。
「……ねぇねぇ、お姉さん」
それは寒気がしそうな程、湿度のない声だった。
「ノアムはさ。お姉さんともっと、もっ〜〜と、一緒に居たいの。でも、もう予定の時間がきちゃったみたい。だからね――」
「お姉さんが、ノアムと一緒に来てよ」
そう言うと同時に彼の姿が消えて、なぜかその位置にエリックが立っていた。
突然だったからかぽかりと口を開けたまま、顔が凍り付いたような状態になっている。
……うん? エリックは何故そこに……いや、私が抱っこされているのは変わらない。
でもエリックではない。じゃあ私を抱いているのは――。
「お姉さん、捕まえたぁ~~!! これでもっとお話しでk……」
「キャアアアアア!!!」
浮かれたような声が間近で聞こえ、私は思わず顔らしきところに、捨て身の頭突きをかます。
その拍子に彼の腕が緩んでいったので、私はささっとその場から抜け出した。
いまっ、おでこに何の感触もなかったわよ!! やだ、こわい。こわすぎる!!!
もう一度叫びたい気持ちをぐっとこらえて、心の中で文句を並べた。
だって、黒色のなにかが、いきなり目の前に来たら私でなくとも驚くわよ!
なので、そちらにも非があるというか――。
「――うん。やっぱり、お姉さんは面白い人だね?」
くすくすと笑う声が聞こえたかと思えば、景色がぶれた。
気づけば、定位置となる抱っこの状態へと逆戻りにさせられている。
――え、なんで??
私は黒い手の拘束から逃げだそうと必死に身をよじったが、どれほど力を込めようが相手はビクともしない。
そんな私を観察しているのか、至近距離にあるノアムからじっとりとした視線を感じる。
まるで、虫籠に入れられた獲物が弱っていく姿を観察するみたいに。
まずい、このままだと、本当に――。
焦りが加速していくその瞬間。紅の一閃が視界を横切った。
「うわっ! あっぶないなぁ~。ちょっと、何するのさ!! 怪我するってば!!!」
ふわり、と宙に浮く感覚を味わい、何事かと思いながら視線を走らせる。
歪んでいた視界が正常となり、私はたった一人、こちら側に殺気を放つ男の姿を捉えた。
「――その手を離せ」
そこに立っていたのは、紛れもなくクラウス本人だった。
(えっ、クラウス!?)
まさか、とは思いながら、私は引き寄せられるかのようにじっと彼の姿を見つめる。
先程よりも一段と煤けているけれど、致命傷になる怪我は負っていないようだわ。
無事なのは何よりも嬉しいことだが……なぜ、彼がここにいるのかしら?
いくらクラウスのところに向かっていたとしても、これほど早く合流できる地点ではなかったはずだ。
それなのに彼は、そこにいるのが然も当然かのように立っていた。
「副長!!」
「エリック、大丈夫か? 動けないのは、魔法のせいか? ――いや、口が動けるようになったなら、そのうち身体も動くようになる。だが、なるべく早くだ。いいな。決して、順番を違えるなよ」
「はいッ、副長!!」
脳髄が反射したかのような見事な即答だった。
クラウスの言葉にエリックは当然のことのように返事をしているが、これかなりの無茶ぶりでは?
……もしかして騎士団って、実はものすごく体育会系な組織なのかしら?
そんな現場にある熱とは裏腹に、ノアムは騎士たちの様子をどこか面白くなさそうに眺めていた。
ノアムの視線は変わらぬまま、マリアを掴んでいる『手』にあたるの部分の黒い影が揺らぎ、ギシッと嫌な音を立てて強く握りしめられる。
「いたっ……」
思わず声が漏れた。
見た目は子供でも、その力は大人と言われても可笑しくないくらいの握力。
なおも食い込んでくるその痛みに、私は眉をひそめた。
クラウスの目の中にあった静かな炎が、一気に膨れ上がっていく。
「――離せと言っている」
彼の声から温度が消え、空気はひりつきを取り戻していった。
だが、ノアムは怯えるどころか、新しい玩具でも見つけたかのように楽しそうに身体を揺らしている。
「えぇ~、でも僕は離す気はないよ。君は、ノアムとお姉さんを離れ離れにするの? ひどいなぁ~」
あはは、とでも言いそうな彼の言葉を皮切りに、クラウスが地を蹴った。
それでもノアムは、避ける素振りをみせず、歌うような軽い口調で言葉を続ける。
「ほんとに、ひどいなぁ~。まだ話は終わってないのに。……そんなに僕と遊びたい? でも、ざんね~ん。今回、お兄さん方に遊んでもらう相手は僕ではなくて。――コイツに任せるね?」
ノアムがそう言って無邪気に笑うと、彼の足元の影――つまり彼の真下から、インクを垂らしたような巨大な腕が這いだして、猛然とクラウスへ襲い掛かった。
クラウスは、舌打ちと共に後退してそれをぎりぎりで避ける。
その間も影から、ずるり、ずるりと、少しずつ異形が顔をだし、胴体を晒し、せり上がっていた。
なんなの、あれは……?
それは無理やり泥をあちこち形成させたような歪な形をしており、どう見ても人とは呼べなかった。
関節があるべき場所から、どろりと黒い謎の液体が零れ落ち、形を崩しては再生を繰り返している。
それは、正真正銘の怪物だった。
地獄が舞い降りたような光景を背にして、ノアムだけが満足げに頷いている。
「僕は、お姉さんとお喋りしたいから。お兄さんたちは、僕のお友達と遊んでいてね?」
けらけらと笑いながら、悪魔じみた宣告。
それを聞いた瞬間、私の脳が嫌な想像をする。
(……あれ? そうなると、私はどうなって?)
ノアムの三日月型の弧が、至近距離で深くなっていく。
――まずい!! このままだと、本当にどこかに連れていかれる!!




