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貴方は誰ですの?



 結論から言いましょう。身のほど知らずは私のほうでした。

 その圧倒的な口跡の鮮やかさで、ぐうの音も出ないほど完売してしまったのです。


 ですが詳しく理由を説明し、それが一理あると評価され、妥協案で『彼と共に向かうならば』と許可をいただきました。

 結果的に、大金星なのです。

 

 一言申し上げるなら、とても怖い沈黙の時間でした、とだけお伝えしておきます。


 ざっと思い返せば対戦中、エリックの影にクラウスの面影がちらちらと見え隠れしていて、正直ずっと怖かったわ。

 おまけに彼は、舌戦まで強い。そのことから導き出される答えは、


――貴方、絶対にクラウス直属の所属部隊、ですわよね。


 そう言いかけたが、ちょうどエリックと目が合い、私はすぐに言葉を飲み込んだ。

 

 怖い。先刻のクラウスと同じくらい。

 いや、下手したらそれ以上の怖さを感じる。

 エリックの、あの無邪気な笑みはどこへ行ったというの?


 私は現実逃避するために、肌を切るような夜風に耐えるふりして、静かに目を伏せた。



 現在、私と彼の顔は至近距離にある。

 

 いつもは寝てしまうから、あまり気にしていなかったのだが、改めて思うと……すごく気まずい体勢ね。

 例えるなら、歯医者で治療を受けているときの、あの視線の『置き場所に困る』気まずさに近い。


 なぜ、こうなってしまったのかと言えば、移動のために例のアレをせざるを得なかったからである。


 私はそれ以外の移動手段を期待していたのだが、あいにく彼には、私が抱きかかえられていて熟睡している姿をすでに見られていたらしい。

 

 そのためエリックに「不躾な願いですが、副長と同じ運びかたではダメ? ですかね……」と懇願される。

 耳と尻尾の幻覚が見えていた時点で、マリアの負けは確定していた。


 もう! 仕方がありませんわね。……良いですよ、と言って私は了承した。

 どちらにせよ、連れて行ってもらう身としては、すげなく断ることなんてできないもの。


 そんな見苦しい弁明を、心のなかで繰り返していると、私はとあることに気づいてしまった。


(……待って。この運びかただと、両手が塞がって剣が握れなくなる事態になるのではないかしら??)


 少々心配にはなったが、すぐに「いらぬ心配だわ」と早々に結論を出し、その思考を頭の隅へ追いやった。

 

 だってクラウスやアルベルトが任せた相手だもの、そこに関しては心配無用だわ。

 むしろ、襲撃者のことを考えなくては。

 

 私は腕に抱えている本をギュッと握りしめ、力を込めた。

 

 エリックが危険がないか念入りに確認してくれたので、一応魔導書を持ってきたは良いものの、その使い道までは全く考えてはいなかった。

 というか読む時間、あるのかしら、これ。


 エリックが言うには、アルベルトやクラウスといった騎士たちは、現在それぞれ別方向へ散らばっているらしい。

 私達はまず団長のもとへ目指して進んでいる。


 ふと空を見上げれば、そこには真っ白な月が浮かんでおり、いつの間にか夜のしじまが訪れていた。

 路面は魔光灯が照らしてくれているが、夜間の動きにくさは昼の比ではない。


 けれど、空に火の粉が舞っているおかげか、視界は橙色に明るかった。

 それだけ、炎の勢いが収まっていないということでもある。


 それからしばらく進んだ頃、エリックは少しずつ歩みを止め、やがて足も完全に止まった。

 すると、夜風の涼しさよりも熱の比率が瞬く間に高まり、まるで蒸し焼きにされているかのごとく、熱波が襲いかかってくる。


 エリックが巻いてくれた毛布にくるまったまま、鼻先まで覆って熱気をやり過ごした。

 水分を失った喉は掠れていたが、それでも何とか声を絞り出す。


「……どうしたの、エリック?」


 彼の顔に目をやると、エリックは眉を寄せて、その額には大粒の汗を浮かべていた。


「お嬢様。ここはすでに火の手が回りきっているので、別の道を通るほうがよいかと……」


 彼の視線の先をたどると、目に映ったのは、怒り狂う炎の集団。

 そして、石畳の通路を真っ赤に染め上げながら、たちまち広がっていく不気味な黒い油だった。


 なるほど。原因は、備蓄されていた照明用の油、といったところかしらね。

 あるいは、冬場の暖房や防衛用に貯蔵されていた大量の油脂が爆破とともに流出したのかもしれないわ。

 この黒い油は、とても安価で大量に入手しやすく、それゆえに備蓄量も尋常ではないはず。


 広い通りまで出たけれど、見る限り視界を埋め尽くすほどの燃料がこぼれている。

 たとえ、エリックの進退能力が人外並みだったとしても、私を抱えたままこの「火の海」を飛び越えるのは、あまりにも無謀な賭けであった。


だから私はエリックの提案に頷きつつ、彼の次の言葉を待つ。


「その場合、北側へ迂回することになりそうですが……」


「……もしかして何らかの不都合でもあるの?」


「あ、いえ。この距離ならば団長よりも、クラウス副長のもとへ向かうほうが早いかな、と思いまして。……コホン。お嬢様、いかがなさいますか?」


 あぁ〜、なるほどね。

 彼が躊躇した理由を理解し、私自身も考え込む。


 先ほどエリックが指し示した方角と、私の知る情報を照らし合わせれば、クラウスはガルムの増援に向かった可能性が高い。


 ……結局のところ、伝える順番を前後するだけの話だわ。

 念のため、何か支障がないかだけ聞いておくけれど、ここで足を止めて悩んでいる時間のほうがもったいない。

 一刻もはやく進むべきよ。時は金なり。

 さぁ、いざ行かん!


 私の気持ちを伝えようと言葉を紡ぎかけた、その瞬間。

 

 私達の頭上に、燃え盛る赤き塊が忽然と現れ、逃げ場を奪うかのようにいくつもの紅蓮が降り注いでくる。

 その炎が、地面に撒かれた油に引火するや否や、周囲を巻き込んだ火柱がたちまち強烈な爆発とともに爆ぜていった。


 驚きで声がだせない私を横抱きしているエリックは、その重みを感じさせずに颯爽と炎を躱していく。

 

 今度は襲いかかる火の手が、炎の矢へと姿が変形した。

 だが、エリックはまるで示し合わせたかのように鮮やかな身のこなしで、炎の隙間と隙間を縫うように駆け抜けていった。


 ……凄いわ。こんなにも()く先々、炎で行く手を阻まれているというのに。エリックの判断には迷いが一切ない。


 私は観劇でも見ているような心地で、心を奪われる。

 その時間にも終わりを告げるかのように、一陣の風が吹き抜け、エリックや私の衣を翻らせていった。


 彼は私のほうをみて、にこりと笑みを見せたが、すぐに真正面に目を向けて、鋭く睨みつける。

 そして、形のいい眉を崩して、口からはあり得ないほど低い声が飛び散った。



「……何者だッ!!!」



――えっ、そこに誰かいたの?



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