三度目の過ち
石畳の通路をひたすら駆け抜けるクラウス。
時折、街路樹のような茂みが猛スピードで視界をかすめていくが、彼は脇目も振らずに突き進んでいく。
私を落とさないよう、その腕に込められた力だけが恐ろしいほどに強かった。
決して痛くはない。
けれど、そこからは何があっても離さないという執念のような意志が伝わってきた。
私の方はというと、必死に目を見開くこと一点に神経を注いでいた。
今度こそ、三度目の過ちを、彼の腕の中で寝落ちすることだけは繰り返すまいと。
だが、なす術もなく運ばれる身としては、代わる代わる移りゆく景色を眺める以外に、やることがなかった。
このままでは、またしても寝落ちという同じ轍を踏むこと間違いなし。
(……今度こそ、寝ちゃだめですわよ、マリア。まずは、ここで何が起こったのか把握しておかなくては。それに、次に目が覚めたとき、事態が手遅れだった場合、後に困るのは未来の私ですよ)
だが見渡せど、周囲の様子にこれといった変化は見当たらない。
たとえば、道端に生える草、等間隔に並ぶ魔光灯、そして通り過ぎてゆく建物の壁――――から、崩れ落ちたような、瓦礫一つ。
流れ去るそれを見て、私はハッとした。
「……瓦礫?」
今、瓦礫があったよね? おかしいわ。この辺りの建物はどれも無事だったはずなのに、どうしてあんなところに転がっているの……?
瓦礫は、手入れの行き届いた整然たる街路樹の傍らに、それはあまりに不自然に鎮座していた。
崩れ落ちたというより、そこに『あるべきもの』として据えられたような、明確な意図を感じさせる固い意志。
――あの場所では、まるで、『誰かが置いた』みたいに。
胸の奥をかき乱す、得体の知れないざわつき。
無視できない予感に突き動かされるまま、私は震える手で彼の服の裾を握りしめた。
「……ねえ、クラウス。今、あそこに……」
――けれど、紡ぎかけた私の声は、鼓膜を震わせるほどの轟音にかっさらわれた。
爆発だ。
咄嗟に音が鳴った方へ目を向け、私は息を呑む。
先ほどの『瓦礫』があった場所――そこが今、猛烈な炎と煙を噴き上げていた。
押し寄せる熱風にクラウスの体が大きく揺らぐ。
だが、彼は私を抱いたまま強引に踏み止まり、すぐさま体勢を立て直した。
(さすがは、我が家が誇る騎士だわ……)
何度目かも分からない賞賛と感謝を、ぎゅっと掴んだ彼の服の感触と共に、心の中で深く刻みつけた。
かの騎士は一度だけ爆発の方角へと視線を向けたが、何事もなかったかのようにすぐさま駆け出す。
熱風が引いていくのと入れ替わりに、頬を撫でる涼しい風が戻ってきてくれた。
けれども、それと同時に、容赦のない疾走感の復活までもが喫することになってしまう。
相も変わらずジェットコースターのような速さだ。
速度が一切落ちないその安定感に、恐怖を通り越して感心すらしてしまう。
頬を打つ風はどこまでも涼やかで、先ほどの爆発を感じさせない一定のリズムで揺れる彼の腕が、私の思考を少しずつ、優しく溶かしていく。
結局、私が感じた違和感を伝えそびれ、言う機会を完全に失ってしまった。
またしても、やらかした。三度目の過ち。
私は抗いようのない眠りに、あっさりと敗北したのである。
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目が覚めて、最初に浮かんだ感想。
――最高に、寝覚めが良かったわ。今まで、一番。
……いや、そんなことを言っている暇ではなかった。
ハッと意識を覚醒させ、周囲を見渡す。
最後に見たあの『瓦礫』は? 襲撃者は? そして、私を運んでいたクラウスは――。
(……というか、そもそもここはどこなの!?)
視界に飛び込んできたのは、赤茶けたレンガと白いコンクリートが剥き出しになった、無機質な壁だった。
……家具らしいものといえば、あとは古びた机と本棚。
それと、私が今しがたまで横たわっていたベッドが一つあるきりだ。
あまりにも生活感の欠片もない、殺風景な空間。
他にも奥へと続く扉が見えるが、到底、人が生活しているとは思えないほどに、ここは空っぽだった。
そして、いつの間にか、あれほど近かった温もりまでもが消え失せている。
ついさっきここに来た、というわけではなさそうだ。
かなりの時間が過ぎ去ってしまっていることには、もはや疑いようがない事実である。
そして、彼女――マリアは、とあることに絶望していた。
それはクラウスが傍に居ないことでも、知らない場所へ一人でいる虚しさでもない。
彼女が悲しかったのはただ一つ。
「なんということでしょう……。次こそは寝ないと、あれほど誓ったのに……私の決意は、これほどまでにあっけなく、散ってしまうものだったというのですか……」
そう、彼女は絶望していた。
三度目となる『寝落ち』に屈してしまった、己の不甲斐なさにである。
「叶うことならば、もう一度寝直して、すべてを夢だったことにしたいわ……」
悲しくなった私は毛布なるものに手に掛け、もう一度寝直そうとした。
だが、刹那――彼女の脳裏をよこぎったのは、あの子。
ルカと名付けた、あの少年の姿だった。
私はすかさず毛布から手を離し、微睡みかけていた意識を振り払うように首を横に振った。
「――いいえ。ここで寝るわけにはいかない。そんな現実逃避をしている場合ではないわ」
そうして、冷静に現状を把握しようと思考を巡らせていく。
まず、クラウスは私を置いてどこへ行ったのか。
そうそうなことがない限り、彼が私を置いていくなんてことは、まずあり得ない。
それこそ、ここが襲撃者に囲まれるといった緊急事態でも起きない限りは。
……嫌な思考だ。
けれど今は、これくらいの最悪も想定しておくべきだわ。
襲撃者の可能性を危惧し、私は息を潜めて耳を澄ませた。
だが、爆発音も、剣劇の響きも、一切耳には入ってこない。
――ここが、恐ろしいほどの防音設備を備えているというのなら、話は別物だが。
どちらにせよ、情報を集めるならこの部屋を出ることになる。
けれど、一つ懸念点があった。
仮に、クラウスがここへ戻ってくる手筈だったなら、下手に動くのは得策ではないということだ。
私には、どちらが正解なのかは分からない。
なので、まずはドアを少しだけ開けて、外の様子を伺うことにした。
音を立てないよう、そーっとベッドから降りて私はドア付近まで歩み寄る。
木製の扉に取り付けられた取っ手は、中央にぽっかりと穴が開いた、ドーナツのような丸い形をしていた。
ずしりと重そうな、かの取っ手に両手を添え、慎重に引こうとした、その直後。
――扉の向こうから、誰かの足音が聞こえてきた。




