切られた火蓋②
「あっち? あっちの方に何かあったか?」
ガルムの問いに答えることができなかった。
私の視線もまた、そこに釘付けになっていたからだ。
クラウスが見ていたのは人ではない。とある、ひとつの建物。
――先ほどまで私たちがいた、あの牢獄。
私を抱えているクラウスも、思った以上に深刻な事態であることに気づいたのだろう。
彼は顔色を劇的に変えた。
しかし、その驚愕を瞬時に押し殺すと、ガルムに向かって簡潔に指示を飛ばした。
「ガルム、ここで二手に分かれましょう。……不本意ですが、お嬢様を貴方に託します」
それは、一分の迷いも感じさせない浩然たる決断だった。
だが、流石のガルムもまともな説明がないせいか、素直に納得しかねる様子で顔をしかめた。
「おいクラウス、何があった。状況をもうちっと詳しく説明しろ」
「時間がありません。先ほどの爆発は、確実に牢獄を破壊し、罪人を逃がすための攻撃です。団長たちは反対側にいる以上、こちらへ合流するにはかなりの時間を要します」
クラウスは一気にまくし立て、私を抱える腕に力を込めた。
「だから、俺が先に止めに行きます。ガルム、貴方ならばお嬢様を連れて、無事に団長の元まで辿り着くことができるはずだ。……ついでに、救援を頼んでおいてくれると、嬉しいですね」
最後は、取って付けたような明るさでクラウスは笑う。
「何言ってんだ、お前! だってそうなれば――」
「いいですかガルム、これは決定事項です。もし不満があるなら、レイヴンはこちらで預かりますよ。お嬢様を無事に運べるというなら、それも『あり』でしょうが」
有無を言わせぬクラウスの言葉に、ガルムが言葉を詰まらせる。
ガルムは一度大きくため息をつくと、先ほどまでの荒っぽさが嘘のような、落ち着き払った口調で話し始めた。
その姿は、戦闘狂かと疑っていた人物像とは、似ても似つかないものだった。
「はぁ……ちげぇよ。その作戦だと、お前を失う可能性が高いんだよ。そうなれば他への支障もデカい。明らかに非効率だ」
その瞳には、何度か私が見たことのある冷徹なまでの理知が宿っていた。
「それに万が一、レイヴンをお前に預けてみろよ。お前、利用価値がねぇと判断したらそいつを見捨てるか、即座に殺すだろ。だったら、お前がマリアお嬢ちゃんを連れて団長の元へ行くのが最適解だ。お前は生き残る努力をするだろうし、お嬢ちゃんもクラウスといれば安全だ。……なっ、お互い損はないだろ?」
私は耳を疑った。
ガルムという人物は、これほどまでに『計算』高い男だったのか。
……いや、思い返せば、初めて会ったときも彼は私の話を真っ当に聞き、判断を下していた。
単なる大柄な男などではない。
クラウスがあまりにも警戒した様子を見せていたせいで、彼がこんなにも頭の回る人だとは思いもしなかったのだ。
見た目だけで人を決めつけてはいけない。
私は今、この切羽詰まった状況の中で、それを痛感していた。
思えば、前世にも似たような経験があった。
あれはまだ、平和にオンラインRPGをプレイしていた時の話だ。
ずっと女性だと思って、共に冒険していた仲間が、実は男性でだったり……。
卑猥なワードをギリギリで攻めた名前のキャラが、実は驚くほど綺麗な女性だったりもしたことがあった。
――しかも、後から判明したその正体は、私の大学の先輩……。あの時は本当に、死にたいほど気まずかった。
しまいには、理解不能な言語を使っていたから海外のプレイヤーだと思い込んでいたら、突然日本語で話しかけられ、腰を抜かした経験もある。
何故喋れるのかと聞けば、自分は日本人だからだと彼は名乗った。
驚きはしたが、それなら納得だ。
面白い奴だなと思いながら会話を続け、ふと、まだ名前を尋ねていなかったことに気づいた。
彼も忘れていたようで、「ぜひ覚えてほしい」と言い出した。
なんでも、本人がその『名前の響き』をよほど気に入っており、ぜひその名で呼んでほしいのだという。
では名前は、と改まって聞くと、返ってきたのは――。
「かわいい」
一瞬、何を言われたのかわからず聞き返したが、彼は「かわいい、かわいい」と繰り返すばかり。
どうやら、それが彼の名前(プレイヤー名)らしい。
「いや、お前絶対に外国人だろ!」と、喉元まで出かかったツッコミを必死に飲み込んだのを覚えている。
少なくとも、普通の日本人が自ら名乗るような名前ではない。
そんな前世の『見た目と中身が一致しない』不可解な経験が、今のガルムと妙に重なった。
因みに、このゲームはバグだらけで一週間足らずでサービスが終了した代物だ。
二度と遊ぶことは叶わなかった。
そんな、今となってはどうでもいい前世の記憶が脳裏をよぎる。
上から響いた温度の低い声が、私を即座に現実の世界へと引き戻してくれた。
「ガルム。あなた……公爵様に雷を落とされたいとでも? 俺なら断じてお断りですよ。受けたいのなら一人で、どうぞ」
先ほどまで吊り上がっていたはずの彼の目は、今は深い呆れを含んで垂れ下がり、わずかに顔をしかめていた。
まるで本物の異常者にでも会ったかのようなその拒絶ぶりに、ガルムは気圧されたように慌てて否定した。
「我輩だって嫌だぞ! 誰がすき好んであの公爵の説教を受ける奴なんていてたまるか!! 」
「――いや、待てよ。……いたな。そういや、一人いたな」
ガルムが言った直後、クラウスの視線が、一気に氷点下まで下がった。
「そいつは例外ですよ、ガルム。数に入れないでください。あんな異常者と同類に扱われるのは、とても、とても心外です」
きっぱりと言い切った彼に圧倒され、ガルムは「おお……なんか、すまん」と引き気味に謝った。
……気のせいかな。
今、一瞬にして辺りが寒くなったような気がする。
クラウスに抱っこされている腕の中から、まるで冷房でも浴びているような冷気が伝わってくる気がするけれど、きっと気のせいだよね。うん、さむい……けど気のせいだわ。
私は余計なことを言ってしまわないよう、意識して口を堅く閉ざした。
それにしても、クラウスやガルムが言っていた人ってどんな方なのだろう。
面白い方なのだろうか、それとも変な人なのだろうか。どちらにせよ、一回だけでも……。
「……会ってみたいわ」
二人の視線が一斉に私に突き刺さり、「あ、聞こえてたんだ」と、私は内心で頭を抱えた。
小さく呟いたつもりだったが、思った以上に周囲に響いてしまったらしい。
抱きかかえる腕にさらに力がこもる。
「ぜったいに、駄目ですからね! お嬢!!」
クラウスの必死すぎる形相に、私は思わずのけぞった。
「お嬢ちゃん。悪いことは言わねぇ、あいつにだけは近づくな……」
ガルムまでもが遠い目をしながら、困ったように頬を掻いている。
二人にそこまで言わせるなんて。
その『異常者』とやらは、一体どれだけ恐ろしい人物なのだろうか。
一つ願うことがあるとすれば、私の前世のトラウマを上書きするようなレベルの変な人ではありませんように。
(――それでも、ちょっとだけ、ちょっとだけ、やっぱり見てみたいかも)
後に、この時の自分に伝えたい。好奇心は災いである、ということを。




