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切られた火蓋

 

 

 その声には、先ほどまでの豪快な笑いとは違う、どこか冷ややかな響きが混じっていた。

 クラウスの一挙一動を見逃さないよう、ガルムの瞳がじっとその横顔を見つめる。


 数拍の後、クラウスは表情一つ変えずに答えた。


「何のことだか分かりませんね。俺はお嬢の安全を最優先にしたまでです」


 何の淀みもなく、それでいてはっきりと言い切る姿。

 初対面の者が見れば、忠義に厚い騎士の鑑だと容易に騙されるに違いない。

 

 ただ一人、その横顔をじっと見つめるガルムの瞳以外は。


「……ふん。今は、それで誤魔化されておいてやるよ」

 

 ガルムは鼻で笑うと、担いでいたレイヴンの体を無造作に揺すった。

 それ以上は何も言わず、さらに加速しながら闇の中を駆け抜けていく。

 大の大人を担いでいるとは到底思えないその足取りは、先ほどまでよりも一段と速まっていた。

 

 遠ざかる背中を、クラウスは無表情と言ってもいいほど淡々と、それでいて迷いのない足取りで追った。

 

 ――腕の中に抱く、何よりも大切なものを守り抜くために。




$$$



 マリアが目を覚ましたのは、突如として響き渡った爆発音だった。

 

 それは一度きりではなく、あちこちで断続的に鳴り響いている。

 私の目が完全に醒めるには、それで十分すぎるほどだった。


(……っ!? な、何が、一体起きているというのですの……!?)


 自分を抱いている腕に強い力が込められたのを感じて、私は反射的に、私を抱きかかえている張本人の顔を見上げた。


「あっ……もしかして起こしちゃいましたかね」


 私を抱えたまま、クラウスが申し訳なさそうに眉を下げる。

 この物々しい敷地内で、彼は何よりもまず、私の安眠が損なわれたことを悔やんでいるようだった。


「流石に、この爆発音で起きなければ、危機感がなさすぎて逆に困るだろうが」


 隣を走るガルムが、呆れたように、けれど鋭い視線は周囲に配ったまま吐き捨てた。


「……それも、そうですね」


 ガルムの言葉に頷きながらも、クラウスはどこか不服そうに辺りを見渡していた。

 『眠りを妨げるもの』すべてを排除しようとするかのようなその視線が、殺風景な監獄の敷地をなぞっていく。

 彼の目つきは深く、鋭い。まるで獲物を狙う鷲の眼のように、不必要な動きが一つもない。


 その彼の瞳には、怯えの色など一切なかった。

 そこにあるのはただ、平穏を乱した不届き者に対する、冷徹で明確な『殺意』のみ。


 ガルムはそんな彼の様子に、眉をひそめて一言申した。


「クラウス……お前、本当に大丈夫か? さっきからずっと、何かがおかしいぞ。……いつもはもっと――」


「――しつこいぞ、ガルム」

 

 言葉を最後まで言わせず、クラウスが低く、耳を破るような声で遮った。


「いいから、さっさと片を付けに行くぞ。お嬢の安全を確保するのが先決だ」


 吐き捨てるように言い放つと、クラウスは一度も振り返ることなく地を蹴った。

 

 

 私は彼の胸元で、ただ早まる心臓の鼓動を聴いていた。

 それが爆発への恐怖によるものか、それとも抱えられている私自身の高鳴りなのか、判別がつかないまま。

 

(……何、この心音。さっきまでは、あんなにも穏やかだったのに)


 今の彼――クラウスの言動に対しては、私自身、言葉で言い表せないほどの『異質さ』を感じていた。 

 

 出会ってからそれほど時間が経っているわけではない。

 それでも私を抱く腕の力強さも、肌に伝わる熱量も。

 私の知っている彼とは、決定的に何かが違う気がした。


 ガルムも私と同じ気持ちだったからこその、先程の言葉だ。

『いつもはもっと――』

 

 その先は、何を言わんとしていたのであろうか。

 加速する風の音に紛れ、その答えはどこにも見当たらないまま、私たちは殺風景な監獄の先へと突き進んでいく。

 

 爆発音とともに立ち上るあの赤黒い煙は、まるで今のクラウスの心情をそのまま映し出したかのようで。

 私は、背筋を這い上がる寒気を抑えることができなかった。


 そんな拭い去れない嫌な予感に突き動かされ、彼に問わずにはいられなかった。

 加速する風の音に掻き消されないよう、私は精一杯の勇気を振り絞って、彼の名を呼ぶ。


「ねぇ。クラウス」

  

 ――一体、私たちはどこに向かっているの。

 

 喉元まで出かかったその問いは、口にする前に自分の中で掻き消される。

 今の彼が何をきっかけに火をつけてしてしまうか分からず、私は問うことを躊躇ってしまったのだ。


 だが予想とは裏腹に、彼は酷く優しい声で返ってきた。


「大丈夫ですよ、お嬢様。アル……団長のところに向かっているだけですから」

 

 そう答えた彼の瞳は、意識的に、柔和な形へと細められている。

 けれど、その奥に潜む『殺意』の熱量だけは、少しも衰えてなどいなかった。


 向けられた矛先が自分でないと分かっていても、その底知れぬ温度に、どうしても足が竦む。

 

 そんな私の強張りに気づいたのか、ガルムがひょいと首を傾げて声をかけてきた。


「安心しな、お嬢ちゃん。クラウスの言うことは本当だからよ」


 ガルムの飾らないその言葉に、私は文字通り、張り詰めていた心がふっと軽くなるのを感じた。

 

 ……けれどその代わり、クラウスが露骨なほど不服そうな顔になる。


「…………なんで、ガルムに保証されねばならんのですか」

 

 クラウスが地を這うような恨みがましい声で不満を漏らす。

 その視線は、もはや前方よりも隣を走るガルムへ向けられていた。


「あぁ!? そりゃそうだろ。そんな殺気まみれなお前よりも、今の俺の方が圧倒的に信頼度があるだろうよ」


「……そんなことないです」

 

 クラウスはそう言いながらも、眉間の皺をいっそう深くしており、その分かりやすすぎる反応に、ガルムはケタケタと笑い飛ばした。


「いや、思いっきり自覚あるじゃねーか!」


 一瞬で、場の空気がガラリと変わった。

 張り詰めた緊張よりも、緩んだ空気が徐々に広まっていく。

 呼吸の自由を取り戻した私は、無意識に口を開いた。

 

 後方で爆発音が響いている以上、警戒は解けない。

 けれど、せめて仲間同士でまで切っ先を向け合うような真似は避けたいところだ。

 もっとも、数々の修羅場を潜り抜けてきた騎士様たちに、素人の私が今さら口を挟むようなことではないのだろうけれど。

 

 勿論、彼らが強いのは分かっている。……けれど、それでも心配は尽きないのだ。

 なるべく、できる限りの不安要素は潰しておきたい。


 また一つ、爆発が聞こえた。一際大きく、地面を揺らすほどの衝撃。

 

 クラウスが足を止めた。倣うように、ガルムも足を止める。

 

「どうしたクラウス、突然後ろなんか向いて」

 

 ガルムは心底不思議そうに首を傾げながら問いかけた。

 その呑気な声とは真逆に、クラウスの表情は急速に凍りついていく。


「……あっち、あちらの方は――」


 その言葉に、私の心臓が嫌な音を立てた。

 クラウスの視線は、後方の爆発地点に釘付けになっている。



 私は恐る恐る、彼と同じ方向へ振り返った。




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