渦巻く感情
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右へ左へと流れていく集団のなかに、マリアの部屋へと一直線に向かってくる人影が。
その人影は、視線をアチコチに見やり息を乱しながらも、彼女に伝達するため聞こえるように声をあげる。
「大変です、お嬢様!侵入者がこちらの方角に来て…」
やっと、伝えることができた。
そう思ったが、扉を開けた先には自身が想像していなかった光景がそこに広がっていた。
壊れた家具達が散乱し、いつも整頓されていたとは思えないほど、いつもの面影なぞ消えてなくなっていた。
一瞬、部屋を間違えたかと思い、一度閉めてもう一度開けるが何も変わらなくて…。
自身の心が冷えていくのを感じた。
ようやく理解すると同時に、マリアの姿を焦って探し始める。
割れていたガラスがあちこちに飛び散っていた。
視線の先を辿っていくと、自身の主人は見知らぬ人と部屋の中心部でぐったりと倒れている。
まるで悪い夢の続きを見ているかのようだ。
メイドの顔の色は、次第に蝋の如く青ざめていく。
「窓が、われて!?……えっ!?嘘!?マリアお嬢様!!」
「……マリア!!!……」
「だ、旦那様!…お嬢様が…」
どうやら、メイドだけではなく公爵達も騒ぎを聞きつけて駆けつけてきたようだ。
グラツィア公爵の体に張り付いた白いワイシャツには汗がにじんでいる。
いつも上品に着こなして身なりにも気をつかっている公爵が自身の乱れた服装を整えていなかった。
なりふり構わずお嬢様の元に直行で来たことは彼の姿を見れば明白だった。
無言でマリアの傍に駆け寄り、隣で気絶している侵入者を睨みつける。
普段、冷静沈着な公爵が大声で医者を呼ぶ。
「………っ……医者を!!すぐに!!」
「ここにいます、旦那様」
「…よし、マリアをどうか頼むっ…………衛兵、侵入者を捕らえよ。抵抗や自害しないよう見張れ!近くに仲間が潜んでいる可能性もある、すぐ捜索するよう……………いや、やはり捜索はしなくていい…この侵入者がマリアを殺せなかったことは、すでにあっちにも広まっていることだろう。…………ふぅ、侵入してきた経路を即座に洗い出し、警備をさらに手厚くしろ!!!今度こそ、ネズミ一匹たりとも侵入させるな!!」
“はっ!!!!かしこまりました“
彼の指示に従って、やるべきことをそれぞれが成し遂げるために四方八方に散らばっていった。
どちらにも焦りの感情がチラホラ見え隠れしているのは決して気のせいではない…。
暗殺されそうになった公爵家の愛娘というその事実が公爵家全体をより一層、焦りが増していく。
グラツィア公爵はマリアを優しく一撫でして、再度医師に彼女の事を頼んだ。
医師も公爵の気持ちを慮って慎重に頷く。
公爵の顔は傍から見れば笑顔だが、仮面の内側ではぐつぐつと煮えたくっているこの怒りを何処かにぶちまけたかった。
自身の行き場のない感情があちらこちらへと移動しているのを心で感じとる。
自然と足がその場をうろついていた。
周りにいた人達にも公爵の熱が振動して伝わっていく。
世界がこの部屋一つになったような緊張が、部屋いっぱいにはりつめる。
そんなとき、一人の女性が彼に近づき声をかける。
普段であれば、そんな状態のオーラを出す公爵に近寄る人達を慌てて止めていたことだろう。
だが、彼女は別だった。
むしろ、周りからしたら"助かった"と安堵しているものもいる。
この部屋に彼女が来ただけで糸のように張り詰めていた空気は幾分ほどけかけていく。
「ブライアン…マリアは、マリアは無事なの!?」
「お、奥様!?」
「…アイリ―!?何故ここに…護衛は…」
綺麗にかぶっていたはずの公爵の仮面は、突如現れた妻の手によってあっけなく壊されていく。
公爵に声をかけた彼女、アイリーン・グラツィアはマリアの母親であり公爵の溺愛している唯一の妻でもあった。
そんな溺愛している妻に護衛をつけていたはずなのだが、周りを見渡しても頼んでいた護衛らしき姿は見当たらない。
「ふふ、そうね?…隙を見て逃げてきたけど、それが何か問題ありまして?」
「……アイリ―」
首を傾げて微笑んでいる彼女に、言葉も出ない公爵。
「別にいいでしょう?他にも護衛ならブライアンが密かに忍ばせているでしょうし…そんなことよりマリアは?」
「密かに、の意味がないような………マリアは……部屋で倒れていたよ…どうやら、窓から侵入されたようだね。思いっきり割れていて破片がそこら中に飛び散っていたよ……だから眼に見える範囲で確認したが、ガラスの破片などは突き刺さってはいなかったよ。特段、大きな外傷も見当たらなかった。医者に見せた後は、一先ず俺の自室に送り届けるよう、すでに言付けは頼んである…」
「…怪我は、ないのよね?…精神面の方は………いえ、とりあえず…」
「…ああ、そうだな…。ほんとうに、本当に生きていてくれて良かった…」
「ええ、本当に……」
彼女の唇は静かに合わさり、頬から力が消え、声が途切れる。
小さな瞳は潤んだ光沢をもちながら、彼女は息をついた。
「マリアも心配していたけれど…貴方も少しは落ち着いてきたかしら?」
「………!!」
「感情が荒ぶるのも分かるけれども、あまりに度がいき過ぎると我を見失うわよ。そうなれば、ブライアンを止めるのは一体誰だと思いまして?」
「…ハハハ、どうやら心配をかけてしまったようだね……もう、大丈夫だよ。思考も大分戻ってきたことだし……ありがとう、アイリ―」
「ふふ、どういたしまして」
「…旦那様、そろそろ…」
「ああ、分かった……アイリ―。名残惜しいが、時間ぎれのようだ。そろそろ行ってくる」
「ええ、分かったわ。いってらっしゃい…どうか気を付けてね…」
「ああ。なるべく早めに帰ってくるよ。…アイリ―もお転婆は程々に…」
「それは……聞けない相談ね?」
「…………アイリ―…」
この程度では、彼女の行動を止めることはできないらしい。
この間も護衛が撒かれて、いつの間にか女神伝説がまた一つ増えたと報告がきていたが…なるべく危ないことに首を突っ込まないで、と願うばかりだ。
わが娘もアイリーの性格を確実に受け継いでいるからな…。
成長してもっと行動範囲が広くなり、私の目を離した隙に個性的な奴を引っ掛けてくることだろう……。
……私自身がそうだったから。
彼女に恋するライバル潰しは大変だったが…アイリーのことを思えば、あっという間に終わらせることができた。
それでも彼女の綺麗さに年々、磨き上がっているから新たなライバルがアリのように増殖していく。
潰しても潰しても消えない。
しかも、大体が変わった連中に好かれるから諦めさせるのに一苦労する。
私の妻が『あなたに見せるためにいつも綺麗にしているのよ』って言っていたんだ。
決して、お前らのためではない。
私の妄想だって?違うよ、妄想ではなく現実だ。
アイツラのことを一人一人思い出すと、また怒りが沸き起こる。
どれだけ居るのか、という質問は……察してくれ。
…コホン………一度心のなかで咳払いし、改めて現実の方へと思考を思い巡らす。
公爵は、これから吹雪の中に出ていく人のように帽子をしっかりとかぶり直し、肩をいからせて、足取り荒く大股で部屋を横切っていく。
愛しの娘を殺そうとした連中を突き止めるために。
「さて、どうしてやろうかな。…取り合えず、我が公爵家に手を出したこと後悔させなければね…二度と、手出しできないように必ず」
――後でアイツラにも何か仕掛けておこう。
アイリーを誑かす連中は私が許さない。