表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/52

マリアの反撃



 瞬く間に空気へと浸透していったが、あの大男からの応答は聞こえてこない。

 クラウスの静かな憤りを前にして、それ以上マリアが声を出すことは憚られた。

 ガルムへ願いが届くことを信じ、そっと瞼を閉じる。


 視界を遮ってもなお、クラウスの射貫くような視線が肌を刺した。

 答えを待つ沈黙は、鼓動が耳に響くほど重く、痛い。


 彼の騎士にどのような理由を説明しようと、『言い訳』という言葉が頭の中をちらついて、私自身の言葉に歯止めをかけていたのだ。

 だから、理由は言わない。

 言うつもりもない。話したら楽になるかもだけど。


 私の複雑な感情を察したのか、クラウスは一度、黙って頷き、穏やかに先を促した。


「怒らないですから、ね?」

 

 

 柔らかい口調と――氷のように冷たい微笑みを湛えて。



(――絶対、怒るやつだこれ!!!)


 この口調、眼差し、どこかで見たことがあると思ったら、このやり口は絶対にお父様と同じである。

 似たのか、それとも似てしまうくらい怒られたことがあるのか。

 よりによって、そんなところ似なくてもいいのに!

 

 半泣き状態のマリアを助けるかのように、レイヴンを肩に担いだ状態のガルムが姿を現した。


「はははっ!! マリアお嬢ちゃんの声が聞こえてきたが……お説教中かい? クラウスも、そう怒らなくたっていいだろうさ」

 

「別に……。怒ってなどいませんよ」

 

 ふいと顔をそむけて、クラウスは素っ気なくそう告げた。

 

 そんな彼の、珍しく形勢の悪い様子を見て、私は緊張の糸がほどけた。

 心の中で『助かった――! 』と深く安堵しながら、ガルムの方へと視線を向ける。

 

 あの体躯……!

 凄いわ。あんなに軽々と人を持ち上げられるなんて。

 ヒヒヒ爺さんは気絶しているのか、抵抗すらしない。


 まるで、ただの米袋でも担いでいるかのような無造作さ。

 その肩の上で、レイヴンの手足が力なくぶらりと揺れている。


(……というか、ヒヒヒ爺さん、あんなに雑に扱われて大丈夫なのかな?)


 そんな場違いな心配を胸に、私は改めて二人の会話に耳を傾けた。


「悪いな、クラウス。我輩がお嬢ちゃんに、待っている間は暇だろうから、武器でも見てみないかと勧めたんだよ」


 さらなる手助けをくれたガルムに、私は心の中で手を合わせた。

 後でおいしいお菓子でも差し入れようと、固く誓いながら。


 けれど、それでも、不安は拭えない。

 立ちはだかる相手(てき)は、あのクラウスなのだから。


(……本当に? 本当にその理屈で通るの、ガルム!?)

 

 私は、祈るような心地でクラウスの横顔を盗み見た。

 

 クラウスは、ぴくりとも動かない。

 ただ静かに、その身に帯びた剣のごとく鋭利な眼光を真っ直ぐに向けたまま、奇妙に長い沈黙を維持している。


 ――終わった。それだけを、残酷なほどに確信を得てしまった。

 

 私の瞳には、笑っているようで笑っていない彼の姿が、ありありと映し出されている。

  

 クラウスはゆっくりと、まるで獲物の命運を品定めするかのように細く目を細めていた。

 逃げ場のない視線に射すくめられ、私の背筋に冷たい汗が伝ったその時――。

 

 喉元に形のない刃を突きつけるような、静かな声で彼は口を開いた。



「……ひとまず……ひとまず、この場では不問といたしましょうか」


 クラウスの言葉にびくりびくりと震えながらも、私は心の中でぼやいた。


(だって、武器を触っていいなんて許可をもらったら、即刻オーケーしちゃうよね。今まで危ないから駄目なんて、近づくことさえ許されなかったのだから。うん、これはやはり仕方のないことだなのよ。それに触ったのは柄の部分だもの。しかもほんの、ほんの少しだけよ)


 脳内で早口に言い募った不満は山ほどあったが、それを口に出す勇気など到底なかった。



「ひと段落ついたか? 済んだなら、そろそろここを移動した方がいい。明るくて見晴らしのいい場所に行かねばな」


「…………そうですね。このままここに留まるのは、危険を招きかねない。ガルムの言う通り、ここを離れましょう」


 クラウスは頭を切り替えたのか、マリアに向かって「お嬢」と手を広げ、彼女が来るのを待っている。


(……さっきまであんなに怖かったのに、もう騎士モードなの!?)

 

 驚きながらも、私は慣れた仕草でされるがままに身を任せようとした。が、そこでガルムがストップをかけた。


「おい、クラウス! お前は怪我人だろうが。マリアお嬢ちゃんはこっちに来な」


 ガルムの言葉に「そういえば」と思い至り、ぴたっと私の動きが止まった。

 目の前には、重傷ではないものの、確かに怪我を負っているクラウスの姿がある。

 あらためて直視すれば、彼の頬には乾いた返り血がこびりつき、衣服の至る所が砂埃と泥で汚れていた。

 

 当の本人は、ガルムの指摘に己の怪我を一瞥し、平然と言ってのける。


「怪我? ああ、これくらいなら怪我のうちには入りませんよ」


「だがな、クラウス。お前、その傷で――」


「いえ、大丈夫です。お嬢をお運びするくらい、造作もないことですから」

 

 有無を言わせぬその口調に、ガルムは「…………はぁ」と深く、深くため息をついた。

 

 その様子を見て、私はふと気がついてしまった。

 もしかして、このままだとクラウスは、自分の治療を完全に放置するつもりなのではないだろうか、と。

 もし、この考えが取り越し苦労だったとしても。今の彼を見る限り、本当にやりかねないだけの頑固さが透けて見えた。


(どうせ私も医師に診てもらう羽目になるのなら、クラウスも巻き込んでやろうかしら)

 

 私は、先ほど彼にしてやられた恨みを、決して忘れてはいなかった。

 なんなら、今さらながらに怒りがふつふつと込み上げてきたくらいだ。

 

 私は不敵に口角を吊り上げ、逃がさないよう彼の腕をぎゅっと掴んで、クラウスへ優しく問いかけた。


「ねぇ、クラウス。これが一通り片付いたら、医師に診てもらう予定はあるのかしら?」


「いえ、特段ありませんけど……。大した怪我ではありませんので」


 予想通りの答えを聞き、私は待ってましたとばかりにこう返す。


「『大した怪我ではない』……そうおっしゃいましたね? つまり、あなた自身が怪我をしている事実に変わりはありませんわ。大なり小なり、怪我は医師に診てもらわなくてはならないものなのですから」


 ゆっくり、それでいてはっきりと、彼の逃げ場を塞ぐように私は告げた。



「私は今、とても悲しいです。あまりにも悲しいので、お父様のところに泣きつきに行ってまいりますわ。そしてこう言うのです。『クラウスが私のせいで怪我をしたのに、頑として医師に診てもらおうとしないのです。わたくし、責任を感じて夜も眠れません』……と。ね、どうなるか賢いクラウスなら勿論分かりますわね?」


(さあ、どう答えるのかしら? 騎士様)


 私が言葉を紡いでいくごとに、みるみるとクラウスの顔が青ざめていく。

 


 ――チェックメイト。彼は今、私が敷いた盤面の上で完全に詰んでいた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ