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臆病


いきなり肌がぴりつくような雰囲気に一瞬見えない風におし飛ばされるかのようになるも、マリアは自身の小さき足で何とか耐える。


「さっきから、こっちが聞いていなくとも楽々と欲しい情報を落としてくれるよなぁ…こうも警戒心なくポロポロと喋ってくれると、なんていうかさ。案外、こんな簡単な仕事だったのかって錯覚しそうになるよ、ほんと。……あんとき、俺が侵入したときも、同じことを思ったけどさ…俺の目の前でわざわざ一人になるなんて…」


「………?」


「……なぁ、お前はさ、俺に今度こそ殺されるとか考えなかったわけ?」




$$$



時計の運びだけが部屋の静寂を際立させる。


ちらり、ちらりと何度、その音がくるたび確認したことだろうか。

“落ち着きがない”

今までならそのたった一言でピタリと止まっていたはずなのに、まるで今の自分は幼き子供かのように上手く自身を制御することができなかった。


書類の活字や本のページを開けど、すぐにあきらめて棚に戻した。

頭には何一つ内容が入ってこなかった。

無意識のうちに、マリアの事を考えてしまっている。


目を閉じてため息をつく。


「………あの子は…そろそろ最下層まで到着した頃合いか…」


「……旦那様。心配は痛いほど分かりますが、そのために護衛を増やしたのではありませんか」


「……ああ、そうだ。だが…彼らは途中までの護衛にしかすぎないよ……もし、牢の中で殺されていたら?それとも道中で狙われているのだとしたら?…百パーセント、安全な場所なんて存在しない」


「………」


「…それに、マリアの例の症状だって完全に完治しているわけでもないだろう…いくら、外に出られるくらい体力が増えたとはいえ、命を狙われるには十分な危険性が…」


「…それでも、旦那様はお嬢様の願いを叶えて差し上げたかったのでしょう?」



——一瞬の静寂。


聴き取れるのは己の心臓の鼓動だけだった。

実際には数秒足らずの時間が、長い時を得たかのように感じられる。



公爵の弱々しい声が、部屋の隅々にゆるやかな余韻をつくった。



「……ああ、そうだな……そうだったな……」


執事の言葉に口だけが動く機械かのように繰り返して同意する。

同時に彼は自身に対し憤りを覚えた。


——“なぜ、それでも行かせてしまった”

“ほかに方法もあったのではないか”

“そもそもアイツラが………”


先程まで沈下していたはずの熱が再び込み上げてきた。


彼は方向感覚を失った人のように、感情がぐるぐると巡回している。

ふと気がつくと前と同じ場所に戻ってきていた。


私は何度か強く瞬いて、最悪な想像を瞼から剝ぎ落とした。

負のスパイラルに思わず頭が痛くなり、片手で前髪をかきあげる。


「…君たちには随分と苦労をかけてしまったな」


「おや。何を話すのかと思えば、かわいい子供達のためこれしきの事、“苦労”と称する程のものではございませんよ、旦那様。…それでもと仰るならば、後日彼らを労ってやってくださいな」


「…ああ、本当に感謝する。彼らにも後で伝えに行くことにするよ」


「ええ、是非そうしてあげてください」


執事はその返答に満足そうに笑みを浮かべた。

そして、そのままドアノブに手を掛け、開ける直前に公爵から問いかけられる。


「……あと、じいや。ちょっと尋ねたいことが…」


「はい、何でございましょう?」


「……、私まで子ども扱いなのかい?」


「ふふ、爺や婆にとって貴方がたはいつまでも可愛い子供達ですよ」


「…………」


「そんな眼で訴えられましても…そういえば坊ちゃん、最近このじいに楽しみが増えたんですよ」


「………?…そうか、それは良いことだな」


「ええ。ちょっとしたお茶会に参加しているのですがその中でも毎度、思い出話に花を咲かせていましてね。今回も坊ちゃんの幼少期のアレコレを皆に自慢しにいかなければなりませんので。それでは失礼して」


「…は?…ちょ、おいっ!?まてっ。それを話すと暫くの間、微笑ましい目で見守られていることに気づく私の気持ちになれ!?おい、またんか……!?これは、どうなって?追いつけない!?何故、私は走っているのに…走ってすらいない爺やに負けている…だと」




どんなに完璧な人間も、あんなにも輝いて見える人生を歩んでいる人も、見えない傷をかかえて一生を生きている。


その痛みや苦しみはその時にしか味わえない唯一無二のものだ。

”時”という止められない時間によって過去の思い出となり、どんなにあがいたとしてもだんだんと自身の中でいつの間にか消化されてしまう。

あの日に込み上げてきた熱も、烈火のごとく怒っていたはずのあの時間も、悲しみに明け暮れていたあの毎日も、見えない傷は徐々に和らいでいく。


それすらも怖いと感じてしまう自分は果たして、臆病なのだろうか。




のちに、グラツィア公爵夫人が公爵と執事長にお説教をしていた、とどこかの茶会から噂されしばらくの間公爵家内で広まったのであった。



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