大丈夫だよ
アリアとシルバーは大量の悲鳴を耳にして、ブレイブたちが談話しているはずの喫茶店内に走りこんだ。
そこは地獄が広がっていた。
ダークが不気味なほど不安定な足取りでナイフを振るっていた。
血しぶきが舞い、阿鼻叫喚が絶えない。人々は恐怖から逃れられない。
次々と倒れていく人々を目の当たりにして、アリアは長剣を抜き放った。
「勝てる相手ではないが、なんとかブレイブ様を逃がさなければならない」
「デッドリー・ポイズン、ヴェリアス・ビースト」
シルバーは間髪入れずにワールド・スピリットを放った。虚空から何匹もの猛獣が召喚され、ダークに襲い掛かる。
ダークは恍惚とした笑みを浮かべて、猛獣たちを切り伏せる。
「Sinful bells、Sinful bells、Sinful all the way……鳴らされる罪はどこまでも」
鼻歌を口ずさむような口調である。楽し気である。
シルバーの顔色は青い。吐き気をこらえるのに必死だった。
「ご自身で何を言っているのか理解できるのかしら……いえ、そんな事より」
シルバーは吐き気を追いやるように首を横に振った。いつもより大声を出す。
「皆様! 私の可愛い獣たちが戦っている間に、お逃げなさい!」
走れる人々は喫茶店の入り口へなだれ込む。無事に外へ出られた人間もいた。
しかし、店内には倒れている人間が数多くいる。
アリアの瞳が鋭くなる。
「ダーク・スカイは、やはり倒すべき敵だ」
「今回、彼は悪くないよ。薬を盛られたんだ」
ブレイブは両目を釣り上げて、カインに視線を向ける。カインに刺さったナイフを抜いてヒーリングを掛けるが、怒っている。
「話し合いに応じた人に薬を盛るなんて、絶対にダメだよ。そんな酷い事をして仲良くなれるはずがない」
「彼は危険人物だからね。これくらいは許してほしい」
カインは冷や汗を流していた。
ブレイブは溜め息を吐いて両の拳を構えた。
ダークは不安定な足取りのまま、猛獣たちの牙や爪をかいくぐっていた。猛毒を含む獣たちの血も、身体を何度も翻してかわしていた。
「Silent night、Hopeless night……静かなる希望亡き夜に夢見るのはただの平穏。マザー、あなたの微笑み……」
「君はマザーが恋しいんだね」
ブレイブが話しかけると、ダークは声をあげて笑った。
「恋しいなんてものじゃない。罪深き私を導くもの」
「分かったよ、一緒に弔わないか?」
ブレイブが微笑み掛けると、ダークは憮然とした表情を浮かべた。
「弔い? なんでてめぇが?」
「口調が戻ったね。少しは酔いが醒めたかな?」
ブレイブは拳を構えたまま提案を重ねる。
「マザーという人は、君にとって大切な人だったんだ。弔いたいのは当然の事だよ」
「今更という感じだぜ。俺の中で死んだわけじゃねぇ」
ダークは猛獣たちを切り刻みながら遠い目をする。
「あの微笑みに会えないけどな」
「そうか、おせっかいだったかな」
「ああ、俺の要求は一つ。てめぇが死ぬ事だ」
ダークは口の端を上げる。その表情は、どこか寂しそうであった。
ブレイブは首を横に振る。
「僕は死ぬわけにいかないし、君の本当の望みは闇の眷属の平穏じゃないのかな?」
「知ったような事を言うんじゃねぇよ、腹が立つぜ。早くてめぇを切りたいのに、獣どもがうっとうしいな」
「シルバー、猛獣たちを引っ込めてくれるか?」
ブレイブからの思わぬ問いかけに、シルバーは唖然とした。
「正気ですの? きっと殺されますわ」
「このままじゃ決着がつかない。彼が納得いくようにしたいんだ」
ブレイブは一歩足を踏み込んだ。
「大丈夫だよ、僕は死なないから」
「……本当によろしくて?」
シルバーが疑問を抱くが、ブレイブは力強く頷いた。
アリアの顔面が真っ青になる。
「お待ちください、ブレイブ様はお逃げください!」
「安心してよ。僕にも考えがあるから」
ブレイブは自信満々に親指を立てた。
シルバーは頷いた。
「信じますわ」
猛獣たちは紫色の液体に変化して、床に溶け込んでいく。
ダークはニヤついた。
「お人よしは寿命を縮めると教えてやるぜ……?」
ナイフを構えるダークの左手に、明滅する光がくっついた。振り払っても、戻ってくる。蛍の光に似ていた。
ダークはわずかな間、足を止めた。明滅する光に魅入っていた。
その瞬間に、ダークの両膝が床についた。
ダークの全身は弛緩していた。不安定な足取りだったとはいえ、今まで動き回っていたのが異常だった。床に倒れこみ、天井に向けて溜め息を吐く。
「……どんなに労力を払っても、マザーほど強くはなれないか」
「いいえ、あなたは強いです」
喫茶店にゆっくりと入ってくる女性がいた。優しくて温もりを感じる口調だ。
「あなたは守るべきものを守る力を持っています。その使い方を間違えないでくださいね」
ダークはしばし呆然としていたが、やがて両目を閉じた。
「我が魂、リベリオンと共に」
そう呟いて、静かに寝息を立てた。
ダークに話しかけていたのは、メリッサだった。メリッサは胸をなでおろしていた。




