アステロイドの風
アステロイドの風はいつも湿っぽい。大きな水路が幾つもあるためだ。どことなく磯の香りもする。
そんな風を、ブレイブは胸いっぱいに吸い込んで吐いた。
「いい風だね。爽やかな気分になれるよ。ここらの風はいつも海の香りがするのか?」
「水路は海につながっているからね。そのまま飲む事はできないけど、貴重な生活用水さ」
カインが穏やかな口調で答えた。くたびれた金髪を風になびかせて、懐かしむように水路を見つめる。
「リベリオン帝国の領土になってからは、水路がどうなるか心配したものだ。幸い壊されずにすんだようだね」
「闇の眷属にも貴重なものだったんだね。大切にしよう」
ブレイブが屈託なく微笑むと、カインは愉快そうに両目を細めた。
「そうだね、大切にしよう。さて、そろそろ戻ってきそうだね」
カインの視線の先には、空間の歪みがある。誰かが空間転移してくる前触れだ。
黒い神官服を着た高身長の男が現れた。ダークだ。切れ長の瞳が、殺意を露にして鋭く光る。
「初めに言っておくが、てめぇらと慣れ合うつもりはないぜ。話し合いの途中でも攻撃する場合がある。頭に叩き込んでおけ」
「攻撃してくるのは困るよ」
ブレイブは両手で制止のポーズを取った。
「何をしたら攻撃するのか、予め教えてくれないか?」
「リベリオン帝国の不利益につながる事だ。具体例を出さければ分からないボンクラ共を相手に話し合うつもりはないぜ」
ダークの一方的な発言に、ブレイブは両腕を組んでうめいた。
カインは苦笑する。
「話し合いを強制的に終了させる権利を確保するつもりだね」
「当たり前だ。こっちから話し合いを頼んだ覚えはないぜ」
ダークが口の端を上げる。
「これでも譲歩してやってんだ。嫌なら話し合いは無かった事にしようぜ」
「譲歩してくれるならありがたいよ。君も立場があって大変だね」
ブレイブが労うと、ダークは眉をひそめた。
「その立場を揺るがしているのは、てめぇだぜ」
「そうなのか!? どうして!?」
ブレイブは両目を丸くした。
ダークの口の端は引くつく。左手で拳を作っていた。ダークの立場が揺らぎ、リベリオン帝国に激震が走ったのは、ブレイブがダークを負かせたせいだ。ブレイブにその自覚はないが、影響はかなり大きかった。
「一発本気でぶん殴りたいぜ」
「君の立場が揺らいでいるのなら早く直さないと! どうすればいいんだ?」
「素直に死ね。話はそれからだ」
ダークの冷ややかな視線を浴びて、ブレイブは真顔になる。
「死んだら話はできないよ」
「そんなの分かっているぜ、畜生」
ダークは舌打ちをした。
「自覚のないボンクラは本当に厄介だぜ」
「僕のどういった所がボンクラなんだ?」
「考えて分からないか?」
「そうだね。まずは君の考えを知りたい」
ブレイブの眼差しは真剣だ。
ダークは左手の拳をほどいて、ほくそ笑む。
「いいのか? 俺なんかの意見が参考になるか分からないぜ?」
「話し合いは、何がきっかけで進むのか分からないものだと思う。僕がボンクラかどうか話し合おう」
ブレイブは両手を広げた。
「まずは互いの考えを知って、世界の癒しを導ければいいと思うんだ」
「……そのために、てめぇがボンクラかどうか話し合うと?」
ダークは恐るおそる確認した。
ローズベルからブレイブを引き止めておくように言われている。しかし、無駄な時間を過ごしたくない。リベリオン帝国の不利益にはならないだろうが、有利になるとは思えない。
ブレイブは力強く頷いた。
「僕がボンクラなら直すし、そうでないなら自信になる。世界を癒す事に突き進むきっかけになるんだ」
ブレイブの両目は輝いている。
ダークは片手を額に置いた。頭痛を感じていた。
「てめぇはボンクラが直ったら、本気で世界を癒せると思っているのか?」
「そのために僕は旅に出たんだよ。君なら分かるよね?」
「分からねぇに決まっているだろ」
ダークは呆れ顔で溜め息を吐いた。
「てめぇの言葉は説得力が無さすぎるぜ。そのくせ言う事だけは大きすぎる。ゴッド・バインドが無かったら、大多数の人間に見向きもされなかっただろ」
ブレイブは真顔で無言になった。
ダークは続ける。
「論理を積み重ねても意味がない時もあるけどよ、支離滅裂だけで人を動かせると思わない方がいいぜ。今のてめぇは世界どころか、一国を収めるのも難しいと思うぜ」
ダークはせせら笑う。ブレイブは無言のままだ。
それまで沈黙を守っていたアリアが怒りを露にする。
「それ以上ブレイブ様を侮辱する事は許さない」
「てめぇが何というと、意見を変える気はないぜ。気に入らねぇなら、力づくで抑え込むか?」
ダークの挑発に、アリアの両目は吊り上がる。長剣の柄に手を掛ける。
そのアリアを制するように、ブレイブは片手を広げてアリアに向けた。
絞り出すように言葉を紡ぐ。
「なるほど……説得力か。ゴッド・バインドに頼っていたのも否定できないし、君の言葉に異論はないよ」
ブレイブは深々と頷いた。
「君からは学ぶ事が多そうだ。さすがは世界を癒すホープだ」
「俺から学ぶ事なんて無いし、勝手に変な称号を付けるな」
「君の役割はツッコミ系癒し担当者でどうだろう?」
「人の話を聞け」
ダークが睨むと、ブレイブは頷いた。
「分かった。君の話を聞こう。趣味でもなんでもいいから」
ブレイブの眼差しは真剣だ。
カインは両手を叩いて笑った。
「好きな人の話でもいいだろう! 楽しい男子会をしよう!」
ダークは溜め息を吐いた。
どうしてこうなった?
そんな言葉が脳裏をよぎっていた。
どこからか、海のさざめきが聞こえていた。




