アステロイドの動乱
アステロイドは特殊な街だ。円状の広大な防壁に囲まれ、中心街を四分円の弧の部分を組み合わせたような形状の水路で囲まれている。水路には跳ね橋が架けられている。
水路は人工的な運河であり、物資輸送や敵襲に備える機能がある。戦時には跳ね橋を引き上げる事でそれぞれの地区が攻められにくくなる機能もある。
街全体が星の瞬きのような形を描いている。リベリオン帝国の北西部担当者たちの管轄だ。
そんな街で、大規模な動乱があった。大規模な闇の眷属狩りが開始されたのだ。戦闘員もそうでない人々も、捕らえられる対象にされたのだ。抵抗して大けがをした人間もいる。
そんな動乱に巻き込まれて、途方に暮れる男がいる。顎の先が二つに割れた、大柄な男だ。全身にこれ見よがしに宝石を装飾した、濃紺の礼服を身に着けている。名前をグレゴリーという。
「アステロイドは一番安全な街だと思っていたのにぃ」
妙に女性じみた声を発して頭を抱える。
現在、アステロイドの跳ね橋は上げている。グレゴリーのいる区域を分断するためだ。大多数の闇の眷属の避難が完了していなかったが、知った事では無かった。
しかし、襲撃者をまく事はできなかった。グレゴリーのいる区域に入られたわけではないが、遠距離を攻撃できるワールド・スピリットを仕掛けられているのだ。
現在、上空は不自然なほど分厚い雲に覆われている。雲から大粒の雨が降り、時折雷が落ちてくる。
この雷が厄介であった。食らえば確実に失神する。人間に避ける事は不可能だろう。
この区域に避難した闇の眷属はもちろん、グレゴリーも絶望していた。
「あたしにどうしろと言うの!?」
涙目で怒鳴る。闇の眷属は互いに顔を見合わせては、首を横に振った。
そんな時に、空間の歪みが見えた。闇の眷属もグレゴリーも、誰が来るか分かった。
グレゴリーの瞳に希望の光が宿る。
「あらん、やっと来たのねん」
先ほどの涙目が嘘のように狡猾な笑みを浮かべる。
空間の歪みから三人の男女が姿を現す。
黒い神官服に身を包んだ男と、白い貴公子の装いの少年と、少年の左腕を抱きしめる青いドレスを着た少女だ。少女の目は青と黒のオッドアイだ。
ダーク・スカイ、グレイ・ウィンド、ナイト・ブルーである。リベリオン帝国の誇る精鋭部隊ローズ・マリオネットたちだ。
「コズミック・ディール、ヘル・コラプサー」
ダークの頭上に崩壊星が浮かぶ。崩壊星はゆっくりと高度を増して、分厚い雲に近づく。
変化は一瞬にして起きる。アステロイド中を覆い、雨と雷を降らし、闇の眷属を恐怖に陥れていた雲が、ビュービューと強い風の音をまき散らしながら吸収されていくのだ。崩壊星はやがて爆発し、周囲に轟音を響かせて消える。
朝ぼらけが辺りを照らし出す。
闇の眷属から歓声があがる。
「助かった!」
「神はいたのね!」
なぜかグレゴリーはふんぞった。
「まあこんなものねん」
「おい、避難状況はどうなってる?」
ダークに確認されて、グレゴリーはフフンと鼻を鳴らした。
「抜かりないわ。このあたしが避難しているから」
「避難に成功したのはてめぇを含め、少数か。グレナイ、雷の奴を倒しておけ。俺は他の区域を見てくる。コズミック・ディール、テレポート」
「待って、よりにもよってグレナイだけ置いていかないで!」
グレゴリーの懇願を耳に入れる前に、ダークはさっさと姿を消していた。
グレイは朗らかに笑う。
「ご安心ください。死ぬときは苦しまないようにしますから」
「やめてお願い、死にたくないのん!」
「あはは、冗談ですよ。グレゴリーさんには死ぬ気で手伝っていただくだけですから」
「ひいぃいいい」
グレゴリーの表情から生気が抜けていくのに構わずに、グレイとナイトは雷を召喚した人間たちを見据える。金髪の双子の少女たちであった。彼女たちは、今度は局所的に分厚い雲を召喚していた。攻撃範囲を狭める事で、集中的に獲物を仕留めるつもりなのだろう。
グレイはほくそ笑む。
「もう僕たちは負けません。無敵の絆がありますからね、ナイトさん」
「当たり前」
ナイトは抑揚のない声で答えていた。
闇の眷属の状況は悲惨なものだった。
多勢に無勢をくらい、戦闘員たちは大けがで立てなくなっていた。戦えないものたちは、恐怖と絶望に打ちひしがれるしかなかった。襲撃者たちは、立てなくなった戦闘員たちにとどめを刺そうと、各々の武器を振り上げる。
そんな時に、闇の眷属たちにとって福音が響く。
「コズミック・ディール、グラビティ」
凶悪な重力が、大勢の襲撃者たちを襲う。悲鳴をあげる間もなかった。
襲撃者たちは地面にひれ伏せて、そのまま気を失った。
闇の眷属の表情は希望に満ちた。
ダークは怒号を飛ばす。
「動ける見張りは避難誘導しろ! けが人がどうとか考えず、自分の身を守れ!」
「そんな……俺たちのために戦った人たちを見捨てろというのですか?」
瞳を潤ませる男がいた。彼の瞳には、大けがで立てなくなった戦闘員たちが映っていた。
ダークは舌打ちをする。
「運びたければ好きにしろよ。もともとここは俺の管轄じゃねぇしな」
ダークに大けがをした人々を救う力はない。けが人を運ぶのは、逃げ遅れるリスクを招くだけだ。けが人を見捨てられない人間を無理に引っ張っていくのも同様だ。
その後も次々に襲撃されたが、尽く地面に沈めていく。
圧倒的な力だ。
立っていられる襲撃者もごくわずかになっていった。
そんな時に、不敵な拍手が響く。拍手のする方向を見れば、一組の男女が立っていた。
ひょろ長い男がニヤ付いていた。くたびれた金髪を腰まで伸ばし、灰色のズボンと茶色いオーバーコートを身に着けている。
「さすがはローズ・マリオネットだ。中央部担当者の戦いは圧巻だね」
男は心底愉快そうに両目を細めていた。
「いったいどれほど君を待ち焦がれたか。ダーク・スカイ、いやブルースカイと呼んだ方がいいのかな?」
ブルースカイ。
この言葉を聞いた時に、ダークは不愉快そうに表情を歪めた。
「カマかけじゃねぇな。なんで俺の本名を知っている?」
「君の事はよく調べさせてもらったよ。二十年も経てば、さすがに人相は変わるね。おっと、名乗り遅れた。僕はカイン。昔、君たちの集落にお邪魔させてもらったよ。あの時は爽快だったね、ルルワ」
ルルワと呼ばれた細身の女は、露骨に溜め息を吐いた。カインと同じ服装だった。金色のポニーテールを風になぶらせていた。
「迂闊に名前を呼ばないでくれる? 倒せるか分からないでしょう」
「そうだね、こうなったら後に引けないね」
カインは額に手を当てて大笑いをしていた。
ダークは舌打ちをする。これ以上彼らの会話を聞く気はしない。
「コズミック・ディール、グラビティ」
凶悪な重力が、男女を襲う。
カインもルルワもうめき声をあげて地面にひれ伏す。
ルルワが悪態を吐く。
「言ってる傍から……!」
「本当に強い……そんな君だから倒したい。サプレッション、ブルースカイ」
カインの言葉を聞いて、ダークは怪訝な顔つきになる。好きでない人間に本名を言われて不愉快だったし、何より重力が急速に弱くなるのを感じていた。
凶悪だった重力は、ダークが継続させたかったにも関わらずに、消えてしまった。
カインが含み笑いをしながら立ち上がる。
「成功だ。ワールド・スピリットはすごいな」
カインが唱えたのは、ダークの力を封じるためだけのワールド・スピリットだったのだ。
ダークの口の端が引くつく。
「俺を封じるためだけにワールド・スピリットを使ったのか。とんだ変態だな」
「褒め言葉と受け取っておくよ。君はそれだけの価値がある男だと思っている。君はいずれ僕に屈するだろう」
カインが両手を広げる。
ダークは両手でナイフを取り出した。
「生きて帰れると思うなよ。ワールド・スピリットが無くてもやりようはあるからな」




