破壊された精神で
ダークが辺り一面に酸素を集めるワールド・スピリットを放った。酸素を圧縮し、爆発させるワールド・スピリットを使うつもりなのだろう。
一方で、白い靄は広がり続ける。視界はどんどん悪くなる。ダークは靄ごと辺りを消し飛ばすつもりなのだろう。
不思議な事に、立っている人間たちの足元から影が伸び、特有の形になっていた。倒れているブレイブと、上空にいるグレイとナイトの影は無い。
エリックの影は終始辺りをキョロキョロと窺い、シルバーの影はエリックの方向をジッと見つめている。実際の二人はそんな動作をしていない。ダークと、上空にいるグレイとナイトを交互に見据えている。人影は、本体と全く違う形を作っているのだ。
ダークの影は相変わらず泣いているままだ。ダーク自身は殺意で瞳をぎらつかせているのに。
そんな中で、エリックは両手にナイフを構えて走り出した。同時に、木の根状の鋼鉄の刃でアリアに絡む糸を切り刻んだ。
アリアは放心した。
「まさか私を助けたのか?」
「ダークのワールド・スピリットは危険だ。止めるのを手伝ってほしい!」
エリックはアリアの方へ振り向きもせずに、一方的に言い放った。走った勢いそのままにダークに切りかかる。何の備えもなく近づけば崩壊星に吸い込まれただろうが、木の根状の鋼鉄がエリックの足元に巻き付いていた。
エリックのナイフと、ダークのナイフが鋭い金属音を打ち鳴らす。
互いに一撃で終わるはずはない。エリックのナイフは目にも留まらない速さで、ダークの首元、脇腹、足など至る所を狙いすまして切りつける。対するダークのナイフは切りつけてきたナイフをいなしたり、乱暴に弾き返したりした。
常人には鋭い金属音の応酬しか分からないだろう。
しかし、アリアには彼らの応酬が見えていた。
「とてつもない速さと技だな」
勝てる気がしない。
脳裏にそんな言葉が流れ、背筋に悪寒が走る。
ダークは明らかに倒さなければならない相手、エリックはいつ敵になってもおかしくない相手だ。とてつもない脅威からブレイブを守らなければならない。
アリアの足元から人影が伸びている。人影は怯えるように自らの身体を抱え込んで、震えている。アリアの深層心理を表しているかのようだ。
アリアはいつも怖がっていた。闇の眷属からブレイブを守り抜けるのか、サンライト王国の復興はできるのか。途方もない使命に、震えが止まらない日もあった。虚勢を張ってやり過ごすしかない時もあった。
本心を語るなど夢のまた夢であった。
しかし、ブレイブやメリッサと旅をするのは、大変であるがやめたくない。
「こんな所で終わるわけにはいかない」
アリアは長剣を握りしめた。
エリックの腹がダークに蹴り飛ばされる。そして、エリックの身体が白い糸に絡まれる。
エリックの身体が動けなくなる。ダークの表情に微かな安堵が浮かぶ。
今だ。
アリアの意識が弾けた。ダークの横から切りかかる。目にも留まらない速さだ。
しかし、ダークは予測していたのか、後方に跳んで距離を取る。アリアの長剣は黒い神官服の袖をかすめる程度だった。
間髪入れずに、ダークのワールド・スピリットが放たれる。
「コズミック・ディール、オキシジェン・エクスプロージョン」
刹那、アリアの耳から世界から音が消えた。目の前が急激に歪む。
そして、轟音と爆風が辺りを包み込む。
高圧の掛けられた大気が一気に爆発したのだ。
辺りの草原は跡形もなく消え去り、焦げた大地がむき出しになる。
白い靄も崩壊星も消えていた。
ほんの一瞬の出来事であった。
ダークは溜め息を吐く。
「……終わったか」
立っている人間は見当たらない。
「エリックやシルバーも消し飛んだだろうなぁ……あいつらと過ごした日々も面白かったが、仕方ねぇか」
「そんなに残念がる事ですか? 裏切者を始末しただけですよ」
上空からグレイが声を掛ける。
ダークは舌打ちをする。
「残念なんて感じてねぇよ」
「寂しいのですね。あなたの影は泣いているままですよ」
白い靄が消えて、闇色の空の下では見えづらくなっていた。
しかし、泣いている人影は確かに存在している。
「ブレイブのゴッド・バインドが生きているのか!?」
ダークは驚愕の表情を浮かべてナイフを構える。
何者かが、信じられないほどの速さで殴りかかってきた。
「ボクは……いやす。ボクは……」
そう呟いていた。右腕をナイフで刺されて、血が流れるのをそのままにして、ダークの胸元に殴りかかっていた。
拳が届く寸前で、ダークは殴りかかってきた人物を蹴り飛ばした。
ブレイブだった。
白い糸が絡まる。ブレイブは身動きが取れなくなる。
戦況は圧倒的にローズ・マリオネットたちに有利なはずだ。しかし、余裕の態度を浮かべている人間はいない。
ナイトが震えて、グレイの左腕を掴む手を強める。
「怖い……精神が破壊されたままワールド・スピリットを放っている」
「ゴッド・バインドが発動しているのでしょうね。ナイトを怖がらせるなんて大罪です。すぐに退治しましょう……!?」
グレイの目の前で、ナイフが振るわれる。
グレイは大慌てで後ろに跳ぶ。ナイトもついていくように跳んでいた。
木の根状の鋼鉄がすぐ足元に広がっていた。白い糸とは違う足場が作られていたのだ。上空の安全圏は消えたのだ。
ブレイブに絡む糸は、切り刻まれていた。
グレイは苦々しく呟く。
「エリックさん、どうして生きているのですか?」
「たぶんブレイブのヒーリングのおかげだろう」
エリックは淡々と告げて、鋼鉄を蹴る。勢いよくグレイと距離を詰めて、切りかかる。
グレイは白いステッキでナイフを受け止めた。
カツンと乾いた音を立てて、ナイフは弾かれる。
エリックに幾つもの白い糸が向かい来る。エリックは身を翻してナイフを振るい続ける。
グレイとナイトが更に後ろに跳んで、距離を置く。
ナイトが苦渋の表情を浮かべる。
「一本でも届けば、精神破壊ができるのに」
「焦ってはいけませんよ。勝機はあるのですから……!?」
グレイが両目を見開いた。
四方に猛獣が出現したのだ。シルバーのワールド・スピリットだろう。
「デッドリー・ポイズン、ヘイトレッド・ファウンテン」
猛獣たちが猛毒の液体となり、グレイたちに噴出する。
グレイは糸で自分たちを引き上げて、上空に逃げた。
その上空に、鋼鉄を足場にしたエリックが待ち受けているとも思わずに。
グレイの顔面が青ざめる。
エリックに気づいた時には、既にナイフが胸深くに刺さっていた。
グレイは血を吐いた。糸を支えられなくなる。地面へ落下していく。
エリックは冷徹に見つめていた。
「ブレイブに治してもらえ」
エリックの声が聞こえたのか、グレイは含み笑いをする。
「ナイトさん、僕を壊しなさい」
思わぬ言葉を掛けられて、ナイトは困惑する。
「なんで? おまえを壊すなんて絶対に嫌」
「このままでは勝てません。僕を壊してうまく使いなさい。意地を守らせなさい。これは命令です」
ナイトのオッドアイが揺れる。
ナイトのワールド・スピリットは、ナイトが触れているものの精神を破壊できる。グレイの糸を間に挟んでも可能である。
精神を破壊された人間が元に戻った事はない。ブレイブを除いて、相手のワールド・スピリットを操る事も思いのままだった。
二人が最強のローズ・マリオネットとして闇の眷属に認められた所以だ。
それ以上に、グレイと過ごした日々は満たされていた。
幼い頃に残酷な虐待を受けていたが、グレイと一緒に逃げだした。力をつけて、虐待してきた人間たちを殺したのは爽快だった。
その後も、互いを認め合って成長する日々は楽しかった。
もう終わりになる。
そう命令されたのだ。
「ソウル・ブレイク、デスペア」
ナイトの瞳に涙がこぼれる。
「みんな壊れてしまえ……!」
白い糸が、繭のようにナイトを包み込む。地面に落ちる衝撃から守るようだった。
ナイトはグレイを守るように、グレイの身体を抱きしめていた。
二人が地面に落ちると同時に、膨大な数の白い糸が辺りに広がった。




