舞台は整った
シルバーは途方に暮れていた。
メリッサのアイテム・ボックスから出された先は、どことも分からない草原だったのだ。一緒にいるのは肩で息をして地に伏せるアリアと、ナイト・ブルーのワールド・スピリットのせいで精神破壊しているブレイブだ。
ブレイブは虚ろな瞳で、仰向けで倒れている。時折ボクは……ボクは……と力なく呟いている。戦力にならないだろう。
アリアは先ほどまでグレイ・ウィンドのワールド・スピリットで操られていた。ブレイブに切りかかるのを止めるのは大変だった。地に伏せる彼女が戦力になるとは考えにくい。
シルバーは溜め息を吐いた。
「いったいどうすれば良いのかしら……」
絶望的な状況を察してメリッサが逃がしてくれたが、グレイとナイトが追ってくるのは間違いないだろう。このままではシルバーだけで戦わなければならないが、勝ち目は薄い。
シルバーは胸にくっつけた、黄色い薔薇のブローチを握る。
「エリック……助けてくださいません……?」
「そちらに行くつもりだ。場所を教えて欲しい」
淡々とした声が返ってきた。エリックの声で間違いない。
ブローチは淡く輝いていた。連絡が通じたのだ。
シルバーは声を震わせる。
「生きてらしたのね。もっと早く返事が欲しかったですわ」
「野暮用があった。あんたとはこれから合流したい。できるだけ正確な場所を教えて欲しい」
「そんなの分かりませんわ!」
シルバーは声を荒立てた。
一方で、エリックは冷静なままだ。
「周囲は荒野か? 草原か? どこか分からないという事は、街ではないだろうな」
「……草原ですわ」
「北極星はどっちにある? それだけで大雑把な方角が分かるはずだ」
「えっと……」
シルバーは空を見上げた。
分厚い雲に覆われている。辺りは闇に沈んでいた。
「雲のせいで星が見えませんわ」
「星を隠すほどの雲か……だいたい分かった。たぶんすぐに行ける」
エリックの声は確信に満ちていた。
「下手に動かずに待っていてほしい」
「……分かりましたわ」
シルバーは安堵の溜め息を吐いた。エリックの声を聴けて良かったと感じていた。
「グレイやナイトが来ても、粘ってみせますわ」
シルバーは決意を固めていた。
その直後だった。
冷たい風が、シルバーたちの髪と服をなぶる。
同時に、空間の歪みが生じた。誰かが空間転移してくる前触れだ。
シルバーの心臓の鼓動は高まる。誰が来るかは分かっている。容赦してくれるはずがない。
案の定、黒い神官服の男が立っていた。ダーク・スカイである。
「コズミック・ディール、ヘル・コラプサー」
ダークの頭上に、黒い球体が召喚される。光さえ逃がさない崩壊星だ。強大な引力に向かって、膨大な土埃が巻き上がる。土埃も草々も、崩壊星に吸収されていく。大地が悲鳴をあげているようだ。
その範囲は徐々に広まっている。吸い込まれれば助からないだろう。
彼の次の一手は分かっている。テレポートでブレイブを崩壊星まで強制的に運ぶのだろう。
シルバーは咄嗟にブレイブに覆いかぶさった。無駄なあがきかもしれない。しかし、ブレイブを放っておくことはできない。
全身の震えが止まらない。大した運動をしていないのに、呼吸が荒くなる。
どうしようもない恐怖に支配されそうになる。
そんなシルバーの耳元に、冷徹な声が響く。
「どけよ」
ダークが歩いてくる。左手にナイフをちらつかせている。
シルバーは震えたまま首を横に振る。
「どきませんわ。未来の救世主が殺されかけていますのに」
「ブレイブが救世主だと? 笑えない冗談はよせ。てめぇも裏切者として死ぬ気か?」
切れ長の瞳に殺意が宿る。
シルバーは涙目になった。嫌な汗が止まらない。しかし、自分の意見を変える気はない。
「私が殺される理由なんてありませんわ。だって裏切っていませんもの。ブレイブから闇の眷属を救うパワーを感じますの。きっと世界を変えてくれますわ」
「てめぇもエリックも、現実を知らねぇのか? まあ、理解するのは早いかもしれないけどな」
ダークは一呼吸置く。
「これ以上闇の眷属を危険にさらすつもりは無いぜ」
「それは私のセリフですわ。ブレイブは闇の眷属の未来を導いてくれますわ。今は小さな力でも、いつか大きな流れを生んでくれますわ……!」
シルバーの態度は頑に崩れない。
しかし、彼女の身体は急激に空中に持ち上がった。あまりに急に身体が勝手に動くのに驚き、悲鳴をあげる。
冷静になってみれば、身体に白い糸が絡んでいるのに気づいた。
さらに上空には足場があった。足場には右手に白いステッキを持つグレイと、グレイの左腕を抱きしめるナイトが立っていた。
グレイが微笑む。
「ダークさん、ローズ・マリオネットはブレイブさんを退治するのが最優先でしょう。シルバーさんを説得する必要はないと思いますよ」
「蹴り飛ばす所だったのに、余計な事をしやがって」
ダークが舌打ちをする。
グレイが声をあげて笑う。
「それは失礼しました! ブレイブさんも蹴り飛ばす予定でしたか?」
「このガキはさっさと崩壊星にぶち込むぜ」
ダークはブレイブを睨む。ブレイブは、ボクは……ボクは……と力なく呟いている。
ダークは溜め息を吐いた。
「本当に憐れなガキだぜ。本気で世界を救えると信じていただけだったな」
ダークはナイフを振るう。
瞬時に走りこんできたアリアの長剣を受け止める。
アリアは奇声をあげていた。
「殺すなら私を先にしろ!」
「てめぇは後だ。ブレイブのゴッド・バインドが強力になるだろ」
ダークは呆れ顔でアリアを蹴り飛ばした。
アリアは追撃を掛けようとしたが、急に身体が動かなくなった。全身が、大量の白い糸に絡まれていた。
グレイがほくそ笑む。
「舞台は整いましたね」
「そうだな」
ダークは口の端を上げる。
「このまま心臓を一突きしてもいいが、念入りに消しておくか」
「ボクは……いやしたい。キミたちも、セカイも」
ブレイブの呟きに変化が生まれた。明確な意思を持ち出している。
変化はブレイブの呟きだけではない。
辺りが白い靄に包まれる。崩壊星に吸い込まれる事もなく、静かに辺りを満たす。
白い靄に、一つの影が浮かび上がる。
長い人影だ。両手で顔を押さえて、しゃがんでいる。肩を震わせて、泣いているように見える。
ダークの足元とつながっている。
ダークは両目を白黒させた。
「こりゃ……なんだ?」
「私のワールド・スピリットを破りかけている。ダーク、早くブレイブを殺して」
ナイトが焦りを滲ませる。
ダークは舌打ちをした。
「ゴッド・バインドが妙なエネルギーになっているのか。コズミック・ディール、テレポート」
「インビンシブル・スチール、フォレスト」
ブレイブの身体が消えると同時に、地面が割れて幾つもの木の根状の鋼鉄が生える。崩壊星に吸い込まれる一瞬前に、ブレイブの身体に巻き付いていた。幾つもの鋼鉄が崩壊星の凶悪な引力を受けて壊れ、吸い込まれている間に、ブレイブの身体は強引に地面に戻されていた。
シルバーが歓喜の声をあげる。
「エリック、いらしたのね!」
「ようやく来れた。途中でメリッサを拾ってきた。インビンシブル・スチール、クルーエルティ・フォレスト」
空から淡々とした声が聞こえたかと思うと、シルバーの身体が解放された。木の根状の鋼鉄が刃となって、シルバーを縛る糸を切り刻んだのだ。アリアを縛る糸も切り刻まれていた。
宙に放り出されたシルバーの身体を、エリックが抱きしめる。二人で地面に降りる。
シルバーは辺りを見渡す。
「メリッサはどこにいますの?」
「たぶん白い靄のどこかだ。隠れているのだろう。戦闘慣れした女ではないから」
エリックの口調は落ち着いていた。
グレイが含み笑いをする。
「エリックさん、ありえませんよ。ブレイブ退治の邪魔なんて」
底知れない怒気が含まれていた。
ナイトが頷く。
「信じられない」
「……ここまで露骨に裏切ったのなら、ローズベル様も文句は言わねぇだろ」
ダークの瞳に殺意が満ちる。
「全員殺す。グレナイは適当に生き延びろよ。コズミック・ディール、フル・オキシジェン」




