儚い戯れ
空は暗い雲が覆い、風は容赦なく吹きすさぶ。
辺りは暗くなっていった。
ブレイブたちは猛獣の背に乗って順調に移動していたのだが、メリッサが目を回してしまい、猛獣から降りるしかなかった。休憩がてら街に寄った所で、ローズ・マリオネットたちの襲撃に遭ってしまった。
街道から外れていれば、襲撃を免れたかもしれないのに。
今のブレイブは虚ろな瞳で横たわっている。世界を癒すと豪語していた頃が嘘のようだ。
しかも、ブレイブの強力な従者であるアリアがブレイブに切りかかろうとしている。シルバーが猛獣を盾にしてアリアの長剣を防ぐが、このままでは誰かが命を落とす事になるだろう。
ブレイブもアリアも、北西部担当のローズ・マリオネットたちに操られている。
「そんな状況になってしまったのは、私のせいですね」
メリッサはそう呟いて、アイテム・ボックスの口を開いたのだった。
辺り一帯の大気が歪み、虚空に暗い空洞が生まれる。唐突に生まれた空洞をかわせず、アリアが吸い込まれる。
「シルバーさんも、ブレイブ様と一緒にアイテム・ボックスへ!」
メリッサが声を張り上げた。
シルバーの召喚した獅子が、ブレイブの胴体をくわえる。
その様子を上空から見るグレイが、ほくそ笑む。
「逃がしませんよ。フリーダム・トワイン、リストレイント」
地面から幾つもの白い糸が生えて、ブレイブと獅子に向かって勢いよく伸びる。ブレイブたちを縛ろうとしているのだろう。
メリッサは急いで新たなワールド・スピリットを放つ。
「アブソリュート・アシスタンス、ブリーズ」
そよ風が吹いた。
何の変哲もないワールド・スピリットだ。白い糸をわずかに歪める効果しかない。
しかし、今は絶大な効果であった。
白い糸がほんの少しブレイブに届かず、拘束できなかったのだ。ブレイブは獅子と共に空洞に入る。シルバーの姿も消えていた。
メリッサのアイテム・ボックスに入ったのだ。
大気に歪みが消える。
メリッサは、ブレイブたちを逃がすのに成功したのだ。
グレイが溜め息を吐く。
「ブレイブさんたちを探さないといけませんね」
「ちょっと、先にあたしを降ろして!」
宙づりのグレゴリーがわめく。
グレイは片眉をピクリと上げた。
「うるさいですね。あなたを地面に落とす事は簡単です。試しますか?」
「おい、いったいどんな状況だ!? グレゴリー、説明しろ!」
突然に地上から、ガラの悪い男の声がした。両手を合わせるメリッサの前に、ダークが立っていた。
グレゴリーは半泣きになっていた。
「助けに来てくれたのね! あのね、グレナイったら酷いのよん! このあたしを地面に叩きつけようとするんだから」
グレナイとは、グレイとナイトの事だろう。
ダークは呆れ顔になっていた。
「サイコパス共に何を期待していたんだか。コズミック・ディール、テレポート」
グレゴリーに絡む糸ごと、グレゴリーの身体は地面に瞬間移動していた。
助かったのを確信してグレゴリーは大泣きした。
「本気で怖かったわ! あんたが来なかったら、あたし死んでたわ!」
「サイコパス共が周囲の人間を助けるわけがねぇだろ。死ぬのが嫌なら組むのをやめておけよ」
「組みたくて組んだわけじゃないわよ! ブレイブたちと遊んでいたら来ちゃったのよん!」
グレゴリーがわめく。
グレイとナイトは不服そうに表情を歪めた。
「サイコパス共とは、僕たちの事ですか? 僕たちほど誠実で優しい人間はそんなにいませんのに」
「戦闘中は当然の作戦を実行しているだけ」
二人の不満を耳にしながら、ダークは舌打ちをした。
「てめぇらが誠実で優しいかは興味ねぇが、ブレイブと遊んでいただと? 今はどこにいるんだ?」
「ブレイブの従者が使うワールド・スピリットのせいで逃がしました。アイテム・ボックスと唱えていたと思います」
グレイが冷徹な視線をメリッサに向ける。
ダークの瞳はぎらついた。
「サンライト王国の跡地で、蛍を召喚した女か。名前は?」
「メリッサと申します。あの時はその、お互いに大変でしたね」
「労いの言葉なんかいらねぇよ。ブレイブをどこにやった?」
ダークはメリッサの茶髪を片手でつかむ。
「アイテム・ボックスの中に入れたのか?」
「……そうですね」
メリッサは視線をそらした。どこにいるのか悟られてはいけない。そんな心理が働いていた。
グレゴリーが値踏みするように、メリッサを視線で嘗め回す。
「よく見れば美人さんね。ちょっと弄んでもバチは当たらないんじゃない?」
「ブレイブを差し出すつもりがないなら、殺すしかねぇな」
グレゴリーの言葉を無視して、ダークは左手の裾からナイフを取り出した。
「通常ならワールド・スピリットは、使い手が死んだら消滅する。メリッサが死んだ後でアイテム・ボックスがいつまでも保存される事はないだろ。運が良ければ、ブレイブはアイテム・ボックスごと消滅する。あの野郎のゴッド・バインドなんか関係なくなる」
「……」
メリッサは無言になった。
ダークの言う通り、メリッサの死後はアイテム・ボックスは消滅する。消滅する前にブレイブたちを出すつもりだが、話してはならないと感じていた。
ブレイブがアイテム・ボックスごと消滅したと勘違いさせるのが最善だと思っていた。追手がなくなるだろう。
自分は黙って死ぬしかない。
そう思った時に、ダークが口を開いた。
「一つ聞かせろ。てめぇは蛍の事をどこで知った?」
「え?」
想定外の問いかけを受けて、メリッサは間抜けな声を発した。
ダークが続ける。
「蛍の生息域は限られている。サンライト王国にはいないはずだ。なんでてめぇが知っていた?」
「えっと……」
「旅をして知ったのか、誰かから聞いたのか。嬲り殺されたくないなら、答えろよ」
メリッサが戸惑うのに対し、ダークは切羽詰まった表情を浮かべていた。
確かにメリッサは、蛍について聞いた事がある。サンライト王国の跡地でダークと対峙した時に、蛍を召喚できたのはそのためだ。
蛍について教えてくれた人と交友があった事は、ブレイブにもアリアにも話していない。
しかし、意を決して話す事にした。
嬲り殺しを避けるためには仕方ないだろう。
「バイオレットです」
「エリック・バイオレットか?」
「エリックさんの事なら呼び捨てにしません。バイオレットはサンライト王国の軍人宿舎で働く女の子でした。死んでしまいましたが」
メリッサの胸が痛む。
「世界中の困っている子供たちを救いたいという、彼女の意思を継ぎたかったですね」
バイオレットは紫色の髪を生やす、両目をキラキラさせた少女だった。死んだと聞いた時には、しばらく動けなくなったものだ。
ダークはメリッサの茶髪から手を放した。脱力して倒れそうになるメリッサの両肩を掴んだ。ナイフは袖にしまったようだ。
ひどく悲しそうな表情を浮かべていた。
「てめぇのファイアフライは、バイオレットの話から生まれたものか」
「そうですね。彼女がいなかったら、思い付きもしなかったと思います。あなたは扱えないのですか?」
メリッサの素朴な疑問に、ダークは首を横に振った。
「紛い物しか呼び出せねぇよ」
「見せてもらえませんか?」
メリッサがお願いをすると、グレゴリーがメリッサを指さしてあざ笑う。
「そんな事やる必要がないでしょ! あんたもう死ぬのよん」
「死ぬからこそ見たい景色があるんだろ。コズミック・ディール、トゥインクル・スター」
ダークは静かな口調でワールド・スピリットを放った。
暗闇に閉ざされた周囲に、幾つもの銀色の光の粒が現れる。光の粒は不規則に明滅し、辺りを静かに照らす。星空のようだった。
ダークはメリッサの両肩から手を放した。
「てめぇのファイアフライを飛ばしてみろよ」
「私のですか?」
「いいから」
ダークに促されるままに、メリッサはワールド・スピリットを放つ。
「アブソリュート・アシスタンス、ファイアフライ」
メリッサの両手から、明滅する光が生まれる。光はフワフワと飛ぶ。飛んだ軌跡が尾を引き、淡い光の線となる。
「綺麗……」
光の線は浮かんでは消えて、消えては浮かぶ。星空の間を飛び交う蛍は、幻想的で美しかった。
ダークは再び左手のナイフを取り出す。
「てめぇの意思を受け継ぐ事はできないけどよ、この景色は語り継いでやる」
「そうですか……」
星空と蛍の儚い戯れを目にしながら、メリッサの瞳に涙がこみ上げた。
「私はもう、この景色を見る事ができないのですね」
「当たり前だ。一度でも見れただけ良かったと思え。抵抗するなよ」
ダークは口の端を上げた。ナイフと切れ長の瞳がかすかにきらめく。
「苦しまねぇようにしたいからな」
「……あなたとは敵同士でなく、もっと違う形で出会いたかったです」
メリッサは涙を拭って両目を閉じた。
覚悟は決めた。やるべき使命も果たした。
あとはブレイブに希望を託すだけだ。
そう思った時に、グレイの怒号が響く。
「お待ちください! 僕の糸に誰かが触れました!」
「……突然か?」
「はい! 南南東およそ千メートル先です」
グレイとダークの会話を聞きながら、メリッサは青ざめた。
たった今、ブレイブたちをアイテム・ボックスから出し所だ。その事が瞬時にバレたのだ。
星空が消され、ダークが含み笑いを浮かべる。
「危うくブレイブのゴッド・バインドを強力にする所だったぜ」
「ブレイブさんは、現在ナイトのおかげで腑抜けになっております。仕留めるなら今でしょう。シルバーさんがいるので少し警戒した方が良いでしょうけど」
「分かった。てめぇらは、この女を街のどっかに閉じ込めておけ。コズミック・ディール、テレポート」
ダークは姿を消した。
グレイは微笑んだ。
「メリッサさんを街の見張りに預けて、僕たちもブレイブ退治に行きましょう。ダークさんだけでは心配です」
ナイトは無言で頷いた。
蛍がメリッサの手元に戻る。
メリッサは震えながら祈るしかなかった。
遠い空から、鋼鉄の翼を広げる少年が近づいているのに気づいていなかった。




