恐ろしいもの
シルバー・レインは怪訝な顔つきになった。
「おかしいですわね」
「何かおかしな点がありますでしょうか?」
シルバーの後ろに立つ侍女が首を傾げる。
現在彼女たちは一見すると何の変哲もない部屋にいる。ベージュ色の壁に囲まれた部屋に、棚とベッドが置かれている。ベッドの隅に白い外套と寝間着が畳んでおかれている。誰かが着替えた後だろう。
侍女が言葉を紡ぐ。
「きっとエリック様がここでお着換えをなさったのでしょう。このお屋敷はもともとはエリック様のものでしたし」
シルバーは答えない。
侍女の言っている事に嘘は無い。シルバーが若すぎて充分な力がない間は、お屋敷を含めて東部地方はエリックが担当していた。現在のシルバーはワールド・スピリットを使いこなし、地方担当を任されるようになった。日頃は黒を基調とした黄色いリボンのついたドレスを身に着けているが、今はベージュ色のワンピース状の寝着に身を包んでいる。相変わらず銀髪は綺麗な縦ロールを巻いている。黄色い薔薇のブローチを左胸の辺りにくっつけている。
普通に考えれば、この部屋の状況よりも、寝着なのに寝室から出てきているシルバーの方が妙だと感じるだろう。
侍女はそっと言葉を添える。
「お部屋にお戻りになり、ゆっくり休まれても良いかと存じます」
シルバーは何も言わずに歩きだす。彼女の寝室とは反対の方だった。
侍女は慌ててついていく。
「シルバー様、どうして……!」
「お黙りなさい。どこに行こうと私の勝手ですわ」
シルバーが冷徹に言い放った。
侍女は何か言いたげであったが、黙りこくった。
着替え終わったエリックが、ブレイブから借りた寝間着を置いていく事に不思議は無い。シルバーの知らないうちにお礼を言っているのかもしれない。
しかし、出発時にシルバーに何も言わないのは不自然である。ブローチを使えばシルバーに連絡できるのに、それもない。誰かに伝言を頼んだか、誰かが伝言を買って出たのだろう。
「そういえばクリスの姿を見ませんわね」
シルバーが何気ない雰囲気で口にすると、侍女の雰囲気が張り詰めた。
クリスはシルバーに仕える有能な執事だ。日頃は世話になっているが、時々何を考えているのか分からない男だ。
シルバーはしっかりとした足取りで、客人用の部屋に行く。
「クリスには勝手な行いを慎んでいただきませんと……!?」
その部屋の状況は異常だった。
クリスが床に転がっている。日頃の執事服ではなく、単調な黒い長そで長ズボンを着ている。後ろ手に縛られ、猿ぐつわをかまされている。うーうーうめいているが、身動きが取れないようだ。
同じ部屋のベッドには、メリッサが気持ちよさそうに寝ている。
「これはいったいどういう事ですの……?」
「たぶんアリアが返り討ちにしたんだと思うよ」
唐突に話しかけてきたのはブレイブだった。
「僕たちは睡眠薬が入ったおやつを食べさせられたんだ。僕が休んだ部屋にも黒ずくめが入ってきたよ」
「そうですの……」
シルバーの両目がスッと細くなり、吊り上がる。凍てつく雰囲気を放ち、ズカズカとクリスに近寄った。
クリスの耳をつまみ上げ、耳元で怒鳴る。
「いったい何のつもりですの!? 私の命の恩人に対して!」
「シルバー、猿ぐつわを取らないと何も答えられないと思うよ」
「よろしくてよ。一方的に説教を行いますので」
ブレイブが窘めるのを、シルバーは一蹴した。再び怒鳴る。
「勝手な行いは慎みなさい! 私の命令は絶対ですのよ!」
「うう、何の騒ぎですか?」
メリッサが耳に手を当てながら起き上がった。シルバーの怒鳴り声で目が覚めたようだ。
ブレイブは安堵の溜め息を吐く。
「休めたか?」
「はい、ゆっくりと……あの、この状況はいったい……?」
メリッサはベッドの上から周囲を見渡す。縛られて涙目になっているクリスに、彼の耳をつまみ上げるシルバー。
ブレイブは苦笑した。
「たぶん僕たちの命を狙っていたクリスを、シルバーが怒ってくれているんだ」
「たぶんでなく、暗殺するつもりだったのでしょう!」
シルバーはキンキン声を発しながらクリスを睨む。
「ブレイブたちには大きな恩がありますの! 私の許可なく危害を加えてはいけませんわ!」
「シルバー、ありがとう。そのへんでいいよ」
「本当によろしくて?」
「僕はスッキリしたよ」
ブレイブが穏やかに微笑でしゃがみ、クリスの猿ぐつわと縄を外す。シルバーはクリスの耳から手を放す。
クリスは全身を震わせて、両手と頭を床に付けた。
「大それた事を行った自覚はあります。殺すのなら一思いにお願い致します」
「頭をあげてくれ。僕は怒っていないよ。君を殺すつもりもない」
ブレイブが優しく言うと、クリスは恐る恐る頭を上げた。
「あなたは本当にあのサンライト王国の王子ですか? サンライト軍にはエリック様を始め、多くの闇の眷属が苦しめられたのですが」
「僕はサンライト王国の王家だよ。君たちにはどんな言葉を掛ければいいのか分からない」
ブレイブが憐みの視線を浮かべる。
「気の毒な事をしたと思うよ」
「そんな言葉を掛けてくださるサンライト王国の人間は初めてです」
クリスは堰を切ったように語りだす。
「サンライト王国だけではありません。僕たち闇の眷属は長年虐げられてきました。ルドルフ皇帝やローズベル様率いるローズ・マリオネットがいなかったら、もっと長く酷い扱いが続いたでしょう。あなたがエリック様を倒した事で、昔のように虐げられないか怖くて仕方ありませんでした」
「君たちが僕の命を狙う理由は分かったよ。でも、敢えて言わせてもらうよ。世界は本当はもっと優しいものだ」
ブレイブはクリスの両手をとって、確信に満ちた瞳を向ける。
「今はまだ争いが絶えないけど、いつかきっと世界は優しくなれる。僕が癒すんだ」
「……あなたの決意を疑うわけではありませんが、あなたたちを信用するのは恐ろしいのです。信用して仲間の命が奪われるのが怖いのです」
クリスは視線をそらした。
ブレイブは深々と頷いた。
「それは耐えがたい苦痛だね」
メリッサは複雑な表情になった。
「ダーク・スカイも似たような心情なのでしょうね」
「そうかもしれない」
ブレイブはクリスから手を放し、遠い目をした。
「彼の心、そして世界を癒すには闇の眷属の平穏が必要だ」
「途方もない道のりになりますね」
メリッサが頷くと、ブレイブは微笑んだ。
「とても長い道のりだけど、少しずつ進んでいると思う。クリスが自分たちの立場を言葉にしてくれたのは大きいよ」
「……闇の眷属はあなたを誤解していると思います。信じるのは怖いのですが……」
クリスは嗚咽を漏らす。
ブレイブはクリスの肩をぽんぽんと軽く叩いた。
「闇の眷属を含めて、世界中の人々が穏やかに暮らせるようにしたいんだ。そのために、僕たちはリベリオン帝国の北部を通って、中央部に行くよ。できればみんなも協力してほしいな」
ブレイブが一人ずつに微笑みかける。メリッサは微笑みを、アリアは複雑な表情を返した。
侍女がシルバーに耳打ちする。
「この少年は信用して大丈夫なのでしょうか?」
「ご覧のとおりですわ。無謀な事をおっしゃりますの」
シルバーが小声で返す。
「ですが、とんでもないパワーがありますの。期待をして良いと思いますのよ。私は協力しますわ」
シルバーがウィンクをすると、侍女はそれ以上は何も言えずに曖昧に頷いた。




