守りたいもの、癒したいもの
ブレイブの瞳は輝いた。
「みんなの大切な人が無事で良かったよ。エリック、本当にありがとう」
ブレイブたちは、人質を取られてやむを得ず戦う人たちと絶望的な戦いを強いられていた。エリック・バイオレットのおかげで、ブレイブたちと戦った人たちも、人質の犠牲も防がれたのだ。
エリックはブレイブの隣に立ち、溜め息を吐いた。鋼色の薄い羽は消えていた。
「正直なところ、人質解放は遅すぎたと思っていた。ダーク・スカイを相手によくここまで持ったな」
「そうだね、彼は強いよ」
ブレイブはダークのいる方向に向き直る。
ダークはエリックが召喚した鋼鉄の刃を防ぐために、反重力を使っている所だ。執拗に向かい来る刃を、反重力で周囲の空間を無理やり外方向に押し出し、弾き続ける。
攻防が拮抗しているように思われる。決定打にはなりえない。
エリックの紫色の瞳に、冷徹な光が宿る。
「東部地方の様子は気になるが、まずはダーク・スカイを話し合いしかできない身体にするべきだな。力づくで」
「東部地方の様子を知っているのか!?」
ブレイブは両目を丸くした。
エリックは銀髪をポリポリとかく。
「直接見たわけではないが、想像がつく。リベリオン帝国東部地方担当のシルバー・レインが不在なら尚更だ」
「分かっているのなら話が早い。東部地方の混乱を収めに行ってくれないか?」
ブレイブの提案に、エリックは首を傾げた。
「あんたから言われるなんて意外だな。あんたに何のメリットがある?」
「今の東部地方を放っておくと、世界が互いを傷つける方向に加速すると思うんだ。それを防ぎたい」
「よく分からないが、あんたも東部地方の混乱を憂いているという事か。だが、いいのか? ダーク・スカイはせこいが強い。簡単に倒せる相手ではない」
エリックの瞳はダークを向いたままだが、彼なりにブレイブの身を案じているのだろう。
ブレイブは決意を込めた表情で頷く。
「分かっているよ。でも、あの人は僕と戦わせてほしい。きっと何か分かり合える気がする」
「お待ちください! せっかく戦力になるのなら利用するべきです!」
声を張り上げたのはアリアだった。
「東部地方に向かわせるのは、ダーク・スカイを倒させた後で良いでしょう!」
「東部地方はきっと一刻を争うんだ。ダーク・スカイが僕を殺したがっているのなら、行けるのはエリックしかいない」
ブレイブは毅然とした態度で言い放ち、両の拳を構える。
「僕ならきっと大丈夫だ」
「あまり無茶をせず、殺される前に逃げて欲しい。シルバーもそれでいいな?」
エリックの言葉に、シルバーはコクコクと頷いた。
「落ち着いたらすぐに東部地方に向かいますわ。それまでお願いします」
「エリック、君も無理をしないでくれ。できれば誰も殺さないでほしい」
ブレイブが言葉を添える。
エリックは曖昧に頷いた。
「できればな。インビンシブル・スチール、スライス・ウィング」
「コズミック・ディール、ゼロ・オキシジェン」
エリックの背中に鋼色の薄い羽根が生えた途端に、低い声が響いた。ダークのものだ。
異変はすぐに起きた。
ブレイブはうめき、倒れる。どれほど身体に力を込めようとしても、息ができず、立ち上がれない。周囲の酸素が失われたようだ。羽を生やしたままのエリックを含め、ダークを除いた全員が地面に倒れていた。
術者の制御を失ったためか、地面から生えていた鋼鉄の刃が、地面に溶けるように消えていく。
ダークは怒りと殺意に満ちた瞳をブレイブに向ける。
「勝手に話を進めんな。エリックもシルバーも、覚悟しておけよ」
右の手のひらを上に向けた。球体状の歪みが生じた。
ダークは挑発的な笑みを浮かべた。
「周囲の酸素は俺の手のひらだ。死にたくなければ取りに来いよ。それができればな」
「なんでだ……東部地方が気にならないのか?」
ブレイブはかすれた声を発した。
ダークは声を大にして笑った。
「信用できるか! 裏切り者どもが何をするのか分かったもんじゃねぇよ!」
「一時的に、君の意思に反しただけだろ。エリックも、シルバーも、闇の眷属を守るために必死だ」
ブレイブは自らにヒーリングを掛けつつ、立ち上がる。呼吸ができず、顔色は真っ青だ。
しかし、その目は死んでいない。
「彼らを、信用してほしい。血よりも確かな絆が、あったはずだ」
「その絆はぶっ壊れた」
ダークは乾いた笑いを浮かべた。
「ローズベル様の意向次第では、俺の手で殺すぜ」
「……あんたには、人質なんていらない」
エリックが声を発した。苦しそうであるが、しっかりとした口調だ。
「ブレイブの思想が気に入らないのは仕方ない。だが、戦うなら人質なんて使うな。闇の眷属を憎む敵が余計に増える」
「そんな綺麗事にこだわるから負けたんだろ。てめぇ一人が負けたせいで、どんだけの人間に影響があると思ってんだ」
ダークは露骨に溜め息を吐いた。
「闇の眷属は追い込まれているぜ。絶望的なほどだ。抗うためにリベリオン帝国を建国したんだろーが」
「……エリック、この人とは僕が力づくで話し合うよ。君は東部地方を助けに行ってくれ」
ブレイブはエリックにヒーリングを掛けて、走り出した。
エリックは一瞬迷ったが、地面を蹴り、飛び立った。ブレイブを信用したのだ。
ダークは口の端を上げて、球体状の歪みをブレイブに向けて投げる。
「てめぇなら立ち向かってくると思ったぜ。コズミック・ディール、オキシジェン・エクスプロージョン」
球体が急速に燃え始める。次の瞬間に、轟音を響かせて爆発した。ブレイブにとって至近距離だ。燃え盛る紅蓮の炎は、ブレイブを巻き込む。
アリアとメリッサが悲鳴をあげる。猛烈な熱が襲い掛かる。
シルバーが震えながら声を張り上げる。
「に、逃げましょう!」
倒れていた人間たちが、急いで立ち上がり、炎から離れるように走り出す。
その様子を見ながら、ダークは嘲笑した。
「逃がすと思うか? コズミック・ディール、グラビティ」
敗走を決めた人間たちを、凶悪な重力が無慈悲に押さえつける。
ダークは炎の合間を悠々と歩き出す。
「一人ずつ殺してやるぜ。ゆっくりとな」
重力で押さえつけられた人間たちは、絶望的な表情を浮かべていた。その表情が冷酷なローズ・マリオネットを喜ばせるとしても、どうしようもない。
そんな時に、ダークの背中に向かって勢いよく走る人影があった。
「君の相手は僕だ!」
全身は焼けていた。皮膚はただれていた。しかし、声はしっかりしていた。
ブレイブはダークを羽交い絞めにした。
ダークは左手でナイフを取り出し、ブレイブの腕に突き刺した。
「死にぞこないが! なんで走れた!?」
「母さんが泣いていたんだ。国のみんなを守らなければいけなかったって」
「……ゴッド・バインドか」
ダークは舌打ちをした。
ブレイブの母親はサンライト王国の女王だ。ダークが殺した女で、ブレイブを深く愛していた人間の一人だ。
ゴッド・バインドは、忠誠や愛情を持って死んだ人間の魂を膨大なエネルギーにできるというものだ。ブレイブの母親の魂が、ブレイブの身体を守っているのだろう。
ゴッド・バインドは、リベリオン帝国の皇帝であるルドルフも持っている。発動すると、死者が絶命する瞬間の記憶が強制的に流れ込むという。
膨大なエネルギーを使う事ができるが、決して幸せになれる能力ではないという。
ダークは絶叫した。
「知るかああぁぁあああ!」
ダークはブレイブの腕を掴み、無理やり身体をひねる。
ブレイブは勢いよく投げ飛ばされたが、地面に両足から着地する。皮膚のただれは治っていた。
ブレイブは憐みを込めた視線をダークに向けた。
「闇の眷属は絶望的に追い込まれていると言っていたね。君の心は傷ついているだろう。癒したい」
「ローズ・マリオネットに心なんかいらねぇよ。恐れさせ、嫌でも従わせてやる……!」
吠えるダークの目の前に、ふんわりとした白い靄が現れた。
ただの靄なら、振り払うだけだった。
しかし、その靄の中で笑顔の子供たちが手を振っている。かつてダーク・スカイと生活を共にし、一緒に過ごした子供たちだった。
ブレイブは穏やかに声を掛ける。
「君にも守りたいものがあったんだろう? 心を通わせた友達が、かけがえのない仲間がいたんだろう?」
ダークは呆然とした。凶悪な重力はいつの間にか消えていた。
重力に押しつぶされそうだった人間たちが、信じられないという表情を浮かべていた。
ブレイブは続ける。
「心をさらすと弱さをさらすようで、守りたいものを守れなくなりそうで、求めているものが遠のきそうで、怖かったんだろう。これから仲間を守ろうする仲間たちが壊されるのを、守るものを見失うのが恐ろしかったんだろう。君は誰よりも仲間を想い、大切にしたかったんだ」
ブレイブは憐みを込めた視線のまま、微笑む。
「自分自身の心に、手を伸ばしてほしい。大丈夫だよ、君はきっと見失わない。君は強いから」
ダークは唇を噛んだ。
ブレイブの言葉に呼応するように、右手を伸ばす。懐かしい友の声、一緒に愛でた蛍の光。白い靄が、様々な思い出を映し出す。
純粋に仲間を想った日々。
もう戻れない。
そう思った時に、ダークは左手のナイフで、自らの右手の甲を刺した。
「うるせぇよ、今さら何のつもりだ」
ナイフを抜き、血だらけの右手で靄を振り払う。
「十五年間虐げておいて、俺たちが力を付けたら話しあおうってか? 気持ちわりぃ! 吐き気が止まらねぇ!」
靄は霧散し、跡形もなくなる。
血の滴るダークの手を見ながら、ブレイブは真剣な眼差しになる。
「君が傷ついた理由が僕たちにあるなら、謝っても許されないだろうけど、できる事をやらせてほしい」
「……サンライト王国を滅ぼされたてめぇは、傷ついてないのか? 俺たちは敵同士だよな?」
「傷ついた。おかしいと思った。だから、世界を癒すんだ。君も、闇の眷属が虐げられて滅ぼされるのがおかしいと思ったから、抵抗したんだろ?」
ブレイブは、ダークの右手にヒーリングを掛ける。
右手の傷は癒えたが、ダークの視線は怒りに満ちていた。
「同じにすんな。てめぇが何をしようと手遅れだぜ。リベリオン帝国と反抗勢力はぜってぇ相容れない」
「そうかもしれない。でも、争い以外の道があるはずだよ」
「ガキが偉そうに講釈垂れんな」
「大人になっても同じ事を言うつもりだよ」
ブレイブが退く気配は無い。
ダークは低い声で笑った。
「聞き分けのないボンクラは大嫌いだ。てめぇの母親と同じ運命を辿らせてやる。コズミック・ディール、ヘル・コラプサー」
ダークの頭上に、黒い穴が空く。
ブレイブにとって見覚えがあるものだった。
サンライト王国の王城、そしてサンライト王国の存在を奪った崩壊星だ。すべてを吸収する、光さえ脱出できない漆黒の地獄だ。
ブレイブは震えながら、両の拳を構えた。
「絶対に治療するんだ。君の心も、世界の傷も」