託す
土砂が猛毒に侵され、徐々に溶けていく。黒紫色の液体に浸潤され、不気味しいヘドロになっていく。
その様子を見ながら、シルバーは逡巡した。
猛毒はダークに向けて放ったものだ。しかし、彼の技とワールド・スピリットにより全く効果をなしていない。
あろうことかブレイブが害を被る事になった。
「少しはお役に立ちたい所ですけどね……」
シルバーは歯噛みした。自らの浅慮を悔やんでいた。
人質を解放しに行ったエリックのために時間を稼ぎたかった。一方で、できればダークを倒したかった。自分のやり方の方が正しいと認めさせたかった。
倒すには本気になるしかなかった。
その熱情が仇となった。
結果的にダークを倒せなかったしエリックがこの場にいないのに気づかれてしまった。人質を解放しに行った事まで勘づかれてしまった。時間稼ぎに集中して、猛獣を永遠に召喚し続けていれば、ダークがエリックを意識するのを遅らせる事ができたかもしれないのに。
シルバーは深呼吸をした。
バルトは、刃の部分を失った斧の柄でブレイブを叩く。ブレイブはあえて受け止めて自らにヒーリングを掛け続ける。
ニーナが矢を放てばアリアが長剣で切り落とす。
メリッサの謎のワールド・スピリットがダークの注意を引き付けている。小さな光が明滅し、ダークの手元にくっつく。
落ち着いて状況を見れば、無理に猛毒のワールド・スピリットを使う必要はない。
シルバーはそう判断して、自らのワールド・スピリットを引っ込めた。
「託しましたわ」
黒紫色の液体が地面に溶けるように消えていく。
ダークは猛毒の液体が消えたのを一瞥して、メリッサを睨む。
「てめぇのワールド・スピリットは、明滅するだけか?」
「もちろんそれだけではありませんよ」
メリッサは額に汗を滲ませながら、微笑む。ダークの切れ長の瞳に睨まれると、尋常じゃないプレッシャーを感じる。しかし、そのプレッシャーに押しつぶされるわけにはいかない。
「よくご覧ください。何か感じるでしょう」
「蛍の光に似ているな」
「そのとおりです。それこそが、このワールド・スピリットの真骨頂です!」
メリッサはダークを勢いよく指さして、声高らかに宣言する。
「あなたはきっと戦慄します! 美しい光と間近で見た蛍の気持ち悪さのギャップに!」
ダークは小さな光をナイフの柄でつぶした。小さな光は粉じんとなってパラパラと地面に落ちた。
「無駄な時間を過ごしたぜ」
「な、ナイフを持ったまま挟み込むなんて器用ですね。蚊の対処もできそうですね」
手段の尽きたメリッサは冷や汗をダラダラ流していた。
ダークは呆れ顔になっていた。
ふと、シルバーの胸のブローチが小刻みに震える。大きな黄色いリボンの真ん中に付けておいた黄色い薔薇のブローチだ。
シルバーが触れると、焦りを滲ませた若い男の声が響く。
「シルバー・レイン様、襲撃です。お戻りいただけませんでしょうか!?」
シルバーは両目を見開いた。
東部地方からの悲痛な懇願だ。南部地方にいるシルバーがすぐに行ける場所ではない。
「あ、あなたたちで何とかなりませんの!?」
「敵の数が多すぎます! 全力で抵抗しておりますが、どこまで持つか……」
ブローチから、怒号や悲鳴も聞こえる。
おそらく敵陣は、ローズ・マリオネットであるシルバーがいる前提で戦力を組んでいる。シルバーがいない陣営では太刀打ちできないだろう。
シルバーは両肩を震わせた。敗れたエリックの身の上がどうしても気がかりで、ダークの命令や部下の反対を押し切って、南部地方に出向いた。
そのツケが回ってきてしまったのだろう。
ダークは苦笑していた。
「どーすんだよ。まさか俺に行けとか言わねぇよな?」
シルバーは俯く。瞳が揺れる。
ダークはこれ見よがしに溜め息を吐いた。
「分かっただろ。リベリオン帝国と反抗勢力が分かり合う事はない。てめぇの決断のせいで、流さなくていい血が流れている所だぜ」
シルバーは言い返せない。
メリッサもおろおろして何も言えない。
ダークは続ける。
「てめぇがブレイブを殺すなら、東部地方の手助けをしてもいいぜ。どこまで助けられるか分からねぇけどな」
「僕は死ぬわけにいかない。どうするべきか、一緒に考えよう!」
声を発したのは、ブレイブだった。バルトの攻撃を、腕をクロスさせて受け止めていた。
「どうして東部地方が襲撃を受けているんだ!?」
「……たぶんクレシェンド王国の連中だと思いますわ。私たちが住みやすい場所で暮らすのが憎いのですわ」
シルバーの表情が苦々しい。
ダークが舌打ちする。
「ブレイブがエリックを負かせたせいで勢いづいちまったぜ」
「エリックがブレイブ様を殺そうとしたのが間違っていた。自業自得だ」
アリアが涼しい表情で言っていた。ニーナが矢を何本も放つが、難なくアリアが長剣で切り落とす。ブレイブに当たる気配は無い。
「クレシェンド王国の人々も、闇の眷属の話を聞く気はないだろう」
一方で、ブレイブが必死な表情を浮かべる。
「東部地方の人たちは、僕が説得すれば止まる可能性があるのか! ブローチを貸してくれ!」
「えっと……?」
シルバーの頭は真っ白になった。急に提案されて、理解が追いつかなかった。
ブレイブが走ってくる。
そして、ブローチに向かって大声で叫ぶ。
「東部地方の皆さん、こんばんは!」
「え、あ、え?」
若い男性が明らかに戸惑っている。バルトを含め、その場にいる全員が呆けてる。
ブレイブは構わずに続ける。
「僕はブレイブ・サンライトだ! 僕からお願いするよ。みんな争わないでくれ!」
若い男は沈黙した。
怒号や悲鳴は止まない。
ダークがぼそりと呟く。
「サンライト王国の国民じゃないんだ。てめぇの言う事を聞くはずがねぇだろ」
ダークはニーナを睨みつける。
「ブレイブが足を止めているぜ。アリアの動きを止めてやるから、確実に仕留めろ」
「……そうしたいけど、矢が尽きた」
ニーナは視線をそらした。
ダークは口の端を上げる。
「殴りかかってもいいのにな。それともサフィニアが死んでもいいのか?」
ニーナは唇を噛んだ。
サフィニアはニーナの妹だ。遠いアステロイドの地で人質として囚われている。
ブレイブを倒せないと判断されれば、殺すと脅されている。
サフィニアは大事な妹だ。両親を失ったニーナにとって、大きな支えになっていた。サフィニアを守り、サフィニアに癒される生活は、苦労は多かったが不幸せではなかった。
ニーナは短剣を取り出した。
遠い空から細い明かりが見える。明かりを背に、ゆっくりと歩きだした。
ダークは心底愉快そうに笑った。
「いいもん持ってんじゃねぇか。さっさと仕留めろよ。コズミック・ディール、グラビティ」
凶悪な重力が、ブレイブたちやアリアに襲い掛かる。
あまりも重いエネルギーがのしかかり、地面に伏せるしかない。立っているのは、ダークとニーナだけだ。
ニーナは両肩を震わせた。
「ブレイブ王子、無念です。これほど卑劣な男を私の手で倒せないなんて」
ブレイブは地面から起き上がろうとしている。
しかし、凶悪な重力に逆らえない。
ニーナはアリアの横を通る。
「ゴッド・バインドのエネルギーになるのはサンライト王国の国民だけか?」
ゴッド・バインドは、忠誠や愛情を持って死んだ人間の魂が膨大なエネルギーになるというものだ。大切にしてくれる人が死ぬほどに強力になっていくと言われる。
アリアは動けない。しかし、首をかすかに横に振った。
ニーナは悲しそうな瞳で、微笑んだ。
「ありがとう。決心がついた」
ニーナは自分ののど元に短剣を突き付けた。
「ブレイブ王子、あなたに忠誠を誓い、この魂を捧げます。私たちの仇を討ってください」
大切な妹は殺されるだろう。
しかし、今ここで自分が生き延びてもずっと利用され生き地獄を味わうだろう。
冷酷な殺人集団ローズ・マリオネットの一員であるダーク・スカイは倒すべき相手だ。
ブレイブは叫ぶ。
「待て、早まるな!」
声は届く。しかし、伸ばした手は届かない。
ダークがあざ笑い、襟元の黒いブローチに触れる。
「おい、グレゴリー。こっちは面白い展開になったぜ。人質を全員殺していいぜ」
「あれ……? あたしはいったいどうしたのかしらん……」
グレゴリーの声音がおかしい。夢見がちのようだ。
ダークは眉根を寄せる。
「何かあったのか?」
「えっと……あたしはたしかサフィニアたちをからかって遊んでて、えっと……なんで人質たちがいなくなっているのかしら?」
ダークは両目を見開いた。
同時に、淡々とした声が聞こえた。
「インビンシブル・スチール、クルーエルティ・フォレスト」
地面が割れ、木の根状の鋼鉄がダークに襲い掛かる。鋼鉄は無数に針を伸ばし、逃げ場を与えない。
ダークが全力で対処するべきワールド・スピリットだ。
「コズミック・ディール、リバース・グラビティ」
ブレイブたちを押さえつける重力を解除し、反重力を作動させる。
木の根状の鋼鉄は、ダークに突き刺さろうとする瞬間に弾かれる。弾かれるが執拗にダークに襲い掛かる。
ダークが鋼鉄の対処に集中している間に、茶髪の少女がニーナに駆け寄る。
「お姉ちゃん、銀髪の妖精さんが助けてくれたよ!」
「サフィニア!? 本当によかった」
ニーナは短剣を捨ててサフィニアを抱きしめる。様々な年齢層の男女が、ブレイブと戦っていた人たちに駆け寄る。
ブレイブがヒーリングを掛けると、気絶していた人たちも目を覚まし、再会を喜び涙ぐんだ。
一方で、ダークは両肩をワナワナと震わせた。
「エリック・バイオレット、ぜってぇ許さねぇ」