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聖杯を満たすは愛の色  作者: 月夜野桜
第二章 薔薇の聖杯
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第五話 アーサー王を殺した男

「アーサー王を殺した男って知ってるかしら?」


 車が走り出すと、ローズはそう言って切り出した。


「知ってる知ってる! モルドレッドでしょ?」


 フルールは眼を輝かせて話題に食いついてきた。アーサーは当然知っていても、モルドレッドは知らないだろうと思っていたローズには、少々意外だった。


「よく知ってるわね」


「あたし、アーサー王伝説大好きなんだ! 推しはランスロットだけどね! モルドレッドは、あんまり好きじゃないかな……。アーサー王裏切ったのもあるけど、ランスロットのこと罠に嵌めてるし」


「そ、そう……。まあ、普通そうよね……」


 ローズが俯くと、フルールははっと眼を見開いてから頭を下げる。


「ご、ごめん。お姉様、モルドレッドのファンだったんだ……。そうだよね、お話によっては別に裏切ってないし」


 またフルールに心を読まれてしまったことを、ローズは恥じた。そんなにわかりやすいほど顔に出てしまうのだろうかと心配する。


「えっと、さっきの写真、そのモルドレッドなのよ」


「ふぁっ!?」


 奇声を上げて硬直するフルール。引き攣った笑いを浮かべながら、首を傾けていく。


「え、えっと、伝説に出てくる、モルドレッド本人? え、生きてるの?」


 ほぼ予想通りのフルールの反応。ローズは真顔のまま肯定する。


「そう。理由はわかるでしょ?」


 フルールの眼が大きく見開かれた。その口から、こちらも予想通りの言葉が漏れる。


吸血鬼ヴァンパイア……聖杯グラール……呪い!」


 ローズは満足気に頷いた。やはりフルールは、頭は悪くない。ここまでの断片的情報をうまく繋げて、答えを導き出した。


「じゃあ、聖杯グラールを見つけた円卓の騎士って、ガラハッドじゃなくて、本当はモルドレッド?」


「どうなのかしら? 少なくとも、私の持ってる聖杯グラールを探しには来なかったと思うけれども……他の円卓の騎士は顔も知らないから、もしかしたら会ったことあるのかしら……」


 ローズが顎に手を当て、昔を思い出していると、それを見上げるフルールの顔がどんどんと引き攣っていく。


「あ、会ったことあるかもって、ガラハッドに? じゃあ、モルドレッドのことも、最近じゃなくて、その時代から知ってるってこと?」


「ええ。彼とは一緒に育ったの。当時はアヴァロン島と呼ばれていた場所で」


 フルールはしばらくパクパクと口を開け閉めしたあと、やっとの様子で言葉を紡ぎ出す。


「お、お姉様、本名は何? 伝説の中の誰? 湖の乙女の一人?」


「私? グウェンディズ。伝説には出てこないわよ。当時はなんでもない一般人だもの。ただモルドレッドと共に捨てられ、アヴァロンで一緒に育ったというだけ」


「なるほど……お姉様の誕生日、当ててみせるね。五月一日!」


 フルールはびしっと指を突き付けて、見事に言い当てた。アーサー王伝説が大好きというのは本当のようだった。ローズは説明の手間が大分省けそうと思い、笑顔で頷く。


「正解。『五月一日に産まれた子供が、アーサーとその王国を滅ぼすだろう』ってマーリンが予言したという逸話、あれ本当みたいなのよ。それに従い、その日に産まれた子供たちを、船に乗せて海に流すようアーサーが命じたという話も」


「じゃあお姉様は、モルドレッドと一緒に奇跡的に助かって、拾われた。モルドレッドは確か十四歳でアーサーのとこ行ってたよね? でもそれまでどう育ったのかって、詳しくは書いてなかった気がする。お姉様と一緒に暮らしてたんだね……」


 遠い昔の、モルドレッドとの生活に想いを馳せた。兄妹のように、時には恋人のようにして過ごした当時を。そして育ててくれた親の顔を思い出す。


「伝承としては残ってないけど、私たちを拾ったのは、アリマタヤのヨセフの子孫なのよ」


「あれ……なんか、聞いたことある名前」


「福音書では、キリストの遺体を引き取って埋葬した人として書かれてる。聖杯伝説では、聖杯グラールを持って、アヴァロンの島へと渡った人物」


「じゃあ、アヴァロンにずっと聖杯グラールがあったの? テンプル騎士団がカナダに持っていっちゃったんじゃなくて?」


 どう答えようかローズは迷った。その話については、ローズの関与するところではない。時代は少なくとも六百年は異なり、彼らはエルサレム神殿の跡地から聖杯グラールを見つけたことになっている。


「あ、待って待って、当ててみせる。そっか、祓魔師教会アンダー・テンプルは、テンプル騎士団の末裔。なら、お姉様は当時テンプル騎士団にいて、お姉様がカナダに持っていって隠した。そうでしょ?」


 得意顔でそう結論付けるフルール。言われると思っていた。確かにそうとも受け止められる。


「ごめんなさい、それは違うのよ。テンプル騎士団とは特に接触なかったし、聖杯グラールは今でも私の手元にあるわ」


「で、でも、お姉様の姓って、シンクレアだよね? 聖杯グラールを持って大西洋を渡ったヘンリー・シンクレアの正体は、本当はローズ・シンクレア。お姉様ってことじゃないの?」


「それね、本当にあった出来事だとしても、私のことじゃない。その頃の私は、まだローズ・シンクレアとは名乗っていなかったし。ただのグウェンディズだった」


「そうなんだ……今でも聖杯グラールは手元に……」


 少々喋りすぎたかもしれないとローズは後悔した。見せて見せて、と言われても困ってしまう。フルールの反応をさり気なく窺った。その視線に気づいたのか、フルールが顔を上げて問う。


「お姉様、モルドレッドって、聖杯グラールの使い方を間違えて、吸血鬼ヴァンパイアになったってことだよね? 吸血鬼ヴァンパイアはそうやって生まれるって言ってたよね?」


 話が元の方向に戻ったことに安心して、ローズは頷きながら答える。


「そうよ。彼は間違えてしまった。正確には、正しい使い方を知らなかった」


「そうなんだ……。じゃあ、正しく使ったお姉様は、間違えちゃったモルドレッドを探して、ずっと一人ぼっちで生きてきたんだね……」


 まるで自分のことのように肩を落とし、哀しげに呟くフルール。この優しい少女に、もっと早く出逢いたかったとローズは思う。たった一人で彷徨い歩いた遠い過去を思い出した。


「もう千四百年以上前のお話。その後この国に出没した吸血鬼ヴァンパイアは、恐らくモルドレッドが作った眷属。あるいは、眷属の眷属。それらを退治しながら、大陸の方も含めて、あちこち放浪したわ。彼の足跡を探して」


吸血鬼ヴァンパイアって、全部モルドレッドが生み出したものなの?」


「ここ最近この国に現れたものはそうだと思う。でももっと前となると多分違う。十二世紀くらいから、ほとんど吸血鬼ヴァンパイアを見かけなくなったの。それが今世紀に入って突然増えたらしくて」


 再び顔を上げ、首を傾げながらフルールが問う。


「それってどういうこと?」


「モルドレッドはね、封印されてたみたいなのよ。祓魔師教会アンダー・テンプルが管理してた場所のようなんだけど、古すぎてまともに監視されてなかったそうなの。そこがオカルトマニアに荒らされてしまったようだと聞いたわ」


「荒らされて……復活?」


「そうガブリエルは言っていたわ。いつのことか正確にはわからない。ブラム・ストーカーの怪奇小説『吸血鬼ドラキュラ』知ってるでしょ? あれに触発されて、吸血鬼ヴァンパイアを模倣した事件がいくつも起きたりしていたから、その頃じゃないかって」


 フルールは少し考える素振りを見せてから、再び問う。


「それってさ、大分前のことじゃないの? いつ頃の作品か、あたしはちゃんと知らないけど」


「小説自体は十九世紀末。でも二十世紀に入ってから、何度も映画が作られたのよ。一九五八年から一九七〇年にかけては、この国で六作品も作られて、すごく流行ったのよ」


「へー、それでも、あたしが生まれるずっと前だね」


「ハイゲイト墓地の吸血鬼ヴァンパイア事件って、学校で習わなかった?」


 再び首を傾げつつ、フルールが考え込む。実際に吸血鬼ヴァンパイアがいたわけではないので、教わってはいないのだろう。思い当たらないようで、鸚鵡返しに問いかけてくる。


「ハイゲイト墓地って、ロンドンの? ハムステッド・ヒースの近くの?」


「そう。丁度一九七〇年だったかしら。あそこに吸血鬼ヴァンパイアがいるって噂が、まことしやかに流れたの。ワラキアの吸血鬼王ヴァンパイア・キング、すなわちヴラド・ツェペシュの棺が、十八世紀始めにイングランドに運ばれたという話から始まった、デマ騒動だったんだけどね」


「それがドラキュラ伯爵? え、ほんとにいるの!?」


 食いつくようにして顔を近づけてくるフルール。ローズは苦笑しながら、再度念押しした。


「だから、デマだってば。メディアの悪乗り騒ぎだったんだけど、大規模吸血鬼ヴァンパイア狩りをする宣言とか発表されたりして、人がたくさん集まって大騒ぎ。その余波じゃないかって」


「そうじゃなくて、デマってことになってるけど、実は本当の話ってことでしょ? モルドレッドは、ハイゲイト墓地に?」


 好奇心に輝く瞳で見上げつつ、フルールが問う。聖杯グラールやアーサー王が実在したことで、これもまた、デマ扱いにして世間を誤魔化しただけの事実だと、思い込んでしまったようだった。期待に沿えず少々残念と思いながら、ローズはゆっくりと首を横に振った。


「モルドレッドは別の場所。それに触発されて、ハイゲイト墓地以外でも、オカルトマニアが荒らしたりする事件があったそうなのよ。その中の一つが彼のだったということ。時期も違うんじゃないかって、今は思う。その頃には、まだ強力な眷属は出没してなかったみたいだし」


「そうなんだ……。でも、少なくとも一九九五年よりは前だって、さっきわかったね!」


 残念そうに俯いた後、今度は明るい笑顔を向けるフルール。確かに、フルールの言うとおりだった。


「あともう一つ聞いていい? お姉様の話ぶりだと、モルドレッド以外にも真祖がいるみたいな感じだよね? 『ここ最近この国に現れたものは』って言ったし」


「今現在いるかどうかはわからない。でも、過去にはいたわ。同じ聖杯グラールから生まれたものかどうかはわからないけど、他の真祖を倒したこともある」


「ちょ、ちょっと待って」


 手を広げて突き付けて、フルールはローズを制止した。首を捻って考える素振りを始める。


「それ、聖杯グラールがいくつもあるように聞こえるんだけど?」


 やはり鋭いと思いながら、ローズは答える。


「確認は出来てないけど、あると私は思ってるわ。磔刑に処され、ロンギヌスに槍で突かれたキリストの血を受けたのが聖杯グラール。アリマタヤのヨセフ以外にも、見守ってた群衆の中にいたと思うのよ。キリストの聖なる血を地面に零さないよう、杯や桶なんかを持って駆け寄った人が。一人だけだったわけがない」


 フルールの顔がわかりやすく歪む。反応した単語は、予想通りだった。


「桶? え、聖杯グラールって、桶なの?」


 ローズはその反応を見て、楽し気に微笑みながら答える。


「杯として描かれることが多いけれど、私の持ってる聖杯グラールは、杯ではないわ」


「桶……聖杯グラールは、桶……」


 夢が壊れたのか、肩を落とし、がっくりと項垂れるフルール。その後頭部をポンポンと叩きながら、ローズは言った。


「少なくとも私のは桶じゃないわよ。杯でもないけど。たぶん、スパイスでも入れるためのものだったんじゃないかしら。蓋つきの、木製の小さな器。高さ七センチくらいの」


 がばりと上げたフルールの顔には、希望が戻っていた。


「桶じゃないの?」


「ええ。他にもあるとしたら、杯の形のもあるんじゃないかしら? 素材も金属製で。そちらを元に伝説が作られたと考えれば自然」


「それが、テンプル騎士団の隠した聖杯グラール?」


「かもしれない。もっとも、最後の晩餐に使ったカリスと混同されただけかもしれないけど」


「ほうほう、興味深いね……。聖杯グラールはたくさんあるかもしれない、と」


「ないかもしれない」


 ローズの言葉に、フルールは再びがっくりと項垂れる。しかしすぐに起き上がると、またいつもの好奇心に輝く瞳で見上げてくる。


「お姉様の、木製って言ったよね? 何の木で出来てるの?」


「ローズウッド。インドとの貿易はもうあったようだから、おかしくはないわ」


 フルールの顔がぱあっと輝く。そして言うだろうと思っていた言葉を元気に口にした。


「じゃあ、薔薇の聖杯グラールだね!」


「ローズウッドはバラ類には含まれるけど、マメ科だからあんまり関係ないわよ」


「でもバラ類でしょ? なら薔薇の聖杯グラールだよ!」


 ローズは自分もそう考え、調べた結果について話す。夢を壊してしまいそうと思いながら。


「被子植物の四分の一がバラ類なんだって。バラ類は薔薇って定義したら、その辺にある植物の多くが薔薇になってしまうわ」


「そ、そうなんだ……お姉様のイメージにとってもぴったりと思ったのに……」


 三度項垂れたフルールの頭を撫でながら、ローズは補足する。


「でも一応、薔薇のような香りをもつものもあるわ。だからローズウッドって呼ばれてるの」


「じゃあやっぱり、薔薇の聖杯グラール!」


 フルールが再び元気よく顔を上げて言う。満面の笑みを浮かべながら。


「薔薇が咲き誇るローズデール城に、テューダー・ローズの家紋。そして薔薇十字の聖具セイクリッド。お姉様ってほんと薔薇尽くしだね! だからローズって名前に変えたの?」


「それ全部、名前を変えた後に手に入れたものよ。ヘンリー七世に名前を問われた時に、彼の紋章が赤い薔薇だったから、咄嗟に付けた偽名」


「ヘンリー七世……薔薇戦争か。やっぱり薔薇が関係してる。だからテューダー・ローズの家紋。……お城はもしかして、ヘンリー七世からもらったの?」


「ええ、そうよ。一度手放したんだけど、今回の件でロンドンに落ち着くことになって、返してもらったの。ガブリエルは他にも色々と手配してくれたわ。この聖具セイクリッドとかも」


 ローズは左右の手を持ち上げ、赤薔薇(ロサ=ガリカ)白薔薇(ロサ=アルバ)をフルールに見せた。


 納得したのか、フルールは何度も首を縦に振ったあと、しばらくにこにことしていた。


 ローズは訊かれるだろうと思っていたことを訊かれなかったので、自分の方から話を振った。


「ねえフルール、DNA鑑定でモルドレッドの息子だってわかったのはどうしてか、訊かないの?」


「お墓の話してたよね? 封印されてたって。そこに残ってたんでしょ?」


 何を当たり前のことを訊くのだとばかりに、フルールは呆れた表情で言う。やはり素直過ぎるところはあるとローズは思った。


「残ってはいたんだけど、それがモルドレッド本人のか、断定出来ないわよね?」


 ぽかんと口を開けるフルール。首が傾いでいって、引き攣った笑みで問う。


「じゃあもしかして、あの写真の人、本物じゃないかもしれないの? 似てるだけかもなの?」


 ローズはゆっくりと首を振りながら答える。


「いいえ、間違いなく本物。私が彼の形見を持っていたの。千四百年以上、ずっと。アーサーの元に行くとき、彼は髪と爪を私に遺していった。もう戻れないと思ってたのね。復讐に行くつもりだったようなの。自分を捨てさせたアーサーに」


「それとDNA鑑定をしたんだ……。じゃあ、お姉様は、その結果が出るまでは、モルドレッドが本当に生きてるかどうかも知らずに、ずっと探して……?」


 寂しげな表情を浮かべつつ、ローズはゆっくりと首を縦に振った。そして窓から外を覗きつつ言う。そこに広がる近代的なビル群を眺めながら。


「便利な世の中になったものよね。私が生まれたころとは全くの別世界。今の科学は、魔術以上にファンタジーだわ」


 そのローズの袖を、フルールがくいくいと引く。振り向くと、やや俯いて上目遣いで見上げながら、小さな声で訊ねてきた。


「もう一つだけ、質問いいかな?」


「ええ。何かしら?」


「もしかして、モルドレッドのこと、愛してた?」


 ローズは曖昧な笑みを浮かべて返した。


「もう感情なんてとっくに枯れたわ。私は千五百歳のお婆ちゃんなのよ?」


 再び、フルールの顔が聖女のような温かい微笑みに変わった。優しい声で、ゆっくりと、言い聞かせるように語る。


「そんなことないよ。喜びも、悲しみも、愛も、ずっとなくならない。一緒に育ったのなら、きっと愛してたはず。あたしも、もうお姉さまのこと愛してるよ。だから手伝う。モルドレッドを見つけてどうしたいのかは知らないけれど、お姉様の想いを叶えるために」


 ローズは思う。フルールはやはり天使なのではないかと。


(幸せと希望を運ぶ天使に違いないわ。だって今、私は――)


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