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聖杯を満たすは愛の色  作者: 月夜野桜
第二章 薔薇の聖杯
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第三話 その優しさは勇気となって

 ぱたぱたと布をはたくような音がずっと響いていた。それが収まると、廊下を勢いよく走る足音。それから、奇声。


「ふおおおおお!」


 フルールの声だった。


(いったい何なの、今のは……)


 ローズは気怠げに瞼を上げる。窓から差し込む陽の光の角度からして、九時くらいにはなっているだろうか。充分に眠ったであろうフルールが起きていること自体は不思議ではないが、廊下を走って何をしているのかがわからない。


(昨夜遅かったから、もう少し眠っていたいけど……)


 再び奇声と共に廊下を駆ける音がする。流石に気になって、まだ半分眠っている身体を無理やり引き起こした。髪と同じくプラチナ色をした長い睫毛の瞼をこすりつつ、ゆっくりと床に足をつく。サンダルをひっかけるのも億劫で、裸足のまま扉の方へと向かった。


「フルール、朝早くから何をしてるの?」


 そう声を掛けながら、扉を開けて顔を出す。目に入ったのはフルールの背中。黒地に白のアクセントの服を着ているが、昨日の学生服ではない。くるりと振り向いた亜麻色フラクスンの頭には、フリルのついたホワイトブリム。正面から見てみれば、着ているのはエプロンドレスだった。


「あ、おはよ、お姫様!」


 その手にはモップ。少々臭うと思っていたら、床がピカピカと光っている。ワックスがけをしていたようだった。


「おはよう。……その服、どうしたの? うちにあったかしら……?」


「流石お姫様、これに気付くとは御目が高い! これね、通販で取り寄せたの。昨日言ってたでしょ、必要なものは通販でって」


「言った……けども……」


「ついさっき受け取ってね、早速着てみたんだよ。お急ぎ便って、大分高いけどすごいね! 夜頼んだのに、朝にはもう届いちゃうとか!」


 それはいいとして、何故メイドの格好なのかわからず、ローズは眼を瞬いた。


「結界があるっていうから、届くかどうか心配してたんだけど、あれ他の人は普通に出入り出来るんだね! 助かっちゃったよ」


(完全に信じ込んでるのね……夜更かししなくて良かった……)


 初めて会った時には、思い込みが激しいのかと思った。しかしその印象は間違いで、他人の言うことを真に受けすぎて、そうと信じ込んでしまうだけなのかもしれない。


 吸血鬼ヴァンパイアがいる場所と聞いてきたから、そこにいるローズは吸血鬼ヴァンパイアに違いない。そういう先入観で固定されてしまっていたのだろう。


「で、なんでそんな服を? というか、何をしてるの?」


「見てわからない? お掃除」


「それはわかるけども……どうして?」


 ローズの問いに、フルールは両手を腰に当て胸を張って答える。


「お世話になる以上、当然のこと! 働かざるもの食うべからず、だよ!」


 当分ここで一緒に生活してみる気である、言葉の裏には、そういう意味が含まれているのは明らか。ローズは安心して、目を細めながら言った。


「そう。ならその間に、私が朝食を用意してあげるわ」


「何言ってるの、お姫様。とっくに仕込みは終わってるよ。今何時だと思ってるの?」


 仕込み。その単語を聞いてローズは首を傾げる。何故朝食に仕込みが必要なのだろうかと。シリアルにトースト、それから紅茶。仕込みの必要があるわけない。


「ほらほら、あたしが用意するから、お姫様はさっさと着替える! ……それとも、着替えもお手伝いが必要?」


「要らないわよ。というか、お姫様ってのやめて。テューダー・ローズの家紋を賜ってはいるけれど、テューダー朝の末裔とかではないから」


「でもお城に住んでるし? お姫様でしょ?」


 素直過ぎる発想に苦笑しながら、ローズは言う。夢を壊すようで少々悪いと思いながら。


「こんな古い城、お金さえ出せば誰でも買えるわ。歴史的価値もないから、結構安いわよ。古城を利用したホテルとかも、沢山あるでしょ?」


「そうなんだ……。じゃあ、なんて呼べばいい? お嬢様?」


「別に使用人として雇ったわけじゃないんだから……」


「なら、お姉様にしとく! 多分年上だよね?」


 どれくらい年上なのか教えたら呼び方が変わってしまいそうなので、ローズは曖昧な笑みを浮かべつつ、妥協して頷いた。


「私の名前は、ローズ・シンクレア。これからよろしく、フルール」


 しばらくの間、騒がしい毎日になりそうだった。


     §


 ローズが食堂に足を運ぶと、すぐにミルクと砂糖たっぷりの紅茶が出てきた。香りと風味が強く、コクのあるその味は、きちんとイングリッシュ・ブレックファスト・ティーのブレンドを選んでくれたようだった。


 それを楽しみながら待っていると、出てきたのは単にシリアルに冷たい牛乳をかけたものではなかった。オーツ麦を牛乳で煮て、リンゴとアーモンドを載せたお粥のようなもの。ポリッジと呼ばれる料理だった。ほんのりとシナモンの香りもする。


(懐かしいわね……)


 フルールはそのままキッチンへと下がっていってしまったので、自分はもう食べたのだろうと解釈した。スプーンを手に取り、口の中へと運ぶ。適度な温かさに調節してあり、蜂蜜で甘みを付けてあった。中々の美味であり、ポンコツ白百合姫との綽名から想像していた味とは異なっていた。


 食べ終わるころになって、フルールが今度はシリアルを持ってきた。彼女はそれを食べる、というわけではないようで、ローズの皿が空になるのを待って、そちらと入れ替える。


 ここまでの三品の順番でローズは不安になり、フルールに訊ねた。


「もしかしてこの後は、フルーツ、ジュース、ポーチトエッグと出てきたりするのかしら?」


「あ、ポーチトエッグで良かった? 茹で卵、どれくらいの茹で時間のがいいかわからないから、ポーチトエッグにしたんだ。この国の人うるさいからね、茹で時間」


 頬を引き攣らせながら、ローズは念のため確認する。


「まさか、フル・ブレックファストが出てきたりするのかしら?」


 フルールは陽気な笑顔で何度も首を縦に振る。


「うんうん。流石に作ったことないからね、一生懸命調べて頑張ったんだよ? プディングまで全部手作りだからね!」


「私、そんなに食べられないんだけど……。なんで朝からフルコースなの?」


 無邪気に笑っていたフルールの表情が、不安気に変わっていく。


「へ? え、えっと……お姫様の朝食ってどんなのか知らなかったから、調べたらこれ出てきたんだけど……」


「この国の人がこんなの食べてたの、百年も前のお話よ? もしかしたら、王室の人たちはまだこういうのかもしれないけど、私はいつもシリアルとトーストだけだから……」


「あ、あたし、なんか、すごい勘違いしてた?」


 申し訳なさそうに、上目遣いで機嫌を探るようにしてくるフルール。ローズは目を細めて優し気な微笑みを向けた。


「ありがとう、朝早くから頑張ってくれて」


 きっと前向きになっているからのこと。まだ吸血鬼ヴァンパイアのことを強く引きずり、死にたがっていたら、ここまではしない。


「私はこれの後はもう一度紅茶だけあればいいから、残ったものはとっておいて、お昼とかに食べましょう。――あなたはもう食べたの?」


 フルールはとんでもないとばかりに激しく首を振って否定する。


「お姫様より先に食べるメイドさんがどこにいるの!」


「他所はどうなのか知らないけど、仮にそうだとしても私はお姫様じゃないし、あなたもメイドじゃない。……一緒に食べましょ? その方が楽しいわ」


 ぱあっと花が咲いたようにフルールの顔が明るくなる。


「待ってて、急いで持ってくるー!」


 身体強化してまでキッチンへと急ぐフルールの背中を見て、ローズは心が温まっていくのを感じていた。娘や孫がいたら、こんな感じだったのだろうかと。


     §


 食後、フルールは再び邸宅内の掃除や片付けに戻ったので、ローズは邪魔にならないよう庭に出て寛いだ。朝方は雨が降っていたようだが、もう止んで涼やかな風が吹いていた。


 あまり家の中を引っ掻き回されたくはなかったが、前向きに頑張っている姿を見て、自由にやらせようと決めた。聖杯グラールの話など半信半疑で、吸血鬼ヴァンパイアになったと落ち込み続けるかと予想していた。そうならないのなら、むしろ大歓迎といえる。


 ふと空を見上げると、雲間から覗く太陽は、もう大分天頂に近い辺りまで昇っていた。頃合いと思い、席を立って邸宅の重い扉を開ける。


 キッチンへと向かう途中、空き部屋の扉が開けっ放しになっていて、中でフルールが片付けをしているのが見えた。


「フルール、少し休みなさい。紅茶を淹れるわ。イレヴンシズにしましょう。庭に来て」


 くるりと振り返ったフルールは、作業を止めてぱたぱたと走り寄ってきた。


「あたし淹れるよ! お姉様こそ庭で寛いでて」


「そう……じゃあ任せようかしら。朝、スコーンって焼いた? あるならそれを、無いなら私が昨日焼いたビスケットが残ってるから、持ってきて。それから――」


「ジャムだね! クロテッド・クリームも!」


 いつ頃ロンドンに来たのか知らないが、すっかり英国風の習慣に染まっているようだった。シオン修道会の話が本当なら、フランス北西部のブルターニュ地方、レンヌ付近の生まれだろう。昔からイングランドとの交流が多い地域ではある。


(あの辺りもブリトン人の国よね、元々。なら、意外と気質は似てるのかしら?)


 遠い昔に想いを馳せながら、庭へと戻る。後でハーブティーにするのも悪くはないと思い、どこかに生えていないかと辺りを見回した。手入れをしていない乱雑な庭には、ほぼ野生に近い状態で薔薇が咲き乱れている。それに交じって、ラズベリーやブルーベリーなども実を結んでいた。


「お待たせー」


 見つける前にフルールがやってきて、テーブルに淹れたてのミルクティーが置かれる。何も言わずとも向かいに座るのを見て、本当に素直な子だと改めて思った。ニコニコとしながらこちらを見つめている。一緒に食べたほうが楽しいという言葉を、律儀に守ってくれているのだろう。


 ローズはアールグレイの柑橘系の香りを楽しみながら、一口含んだ。爽やかな渋みと、まろやかなミルクの味、そして甘みが口の中一杯に広がる。


 落ち着いた香りに心を癒されながら、何を話題にしようかと迷う。吸血鬼ヴァンパイアの件、吹っ切れたようにも見えるが、ローズを心配させないための空元気の可能性もある。何より、相当恐ろしい目に遭ったようだから、思い出させない方がいいのかもしれない。


「フルール、あの……」


 とりあえず世間話でもしようと話しかけるも、言葉に詰まってしまった瞬間、その声が響いた。


「わん! わん!」


 振り向くと、庭の薔薇の茂みの中から、見慣れたジャーマン・シェパード犬が顔を出した。


 ローズは満面に喜色を浮かべて立ち上がり、犬の元に走り寄る。しゃがみ込むと、頭を撫でながら話しかけた。


「レックス、どうしたの? 今日は木曜日じゃないわよ?」


 顔を舐められつつ、悪戯っぽい表情で毛皮を撫でまわすローズ。普段の落ち着き払った大人びた様子と異なり、見た目の歳相応の少女のよう。


「お姉様、わんちゃん飼ってたの? かわいー!」


 フルールも興味津々といった様子で駆けつけてきた。そのフルールに向かって、レックスは威嚇するように低い声で吠える。


「うぉん!」


 びくっとフルールが反応し、脚が止まる。


「レックス、大丈夫よ、私のお友達。しばらくここに住むの」


 まだ警戒しているレックスの様子を見るに、知らない人間が庭に入り込んでいるので、安全確認に来たようだった。ローズは抱きしめるようにして落ち着かせながら、何度も頭を撫でる。


 やっとレックスが唸り声を出すのを止めたところで、少し離れた場所で不安げに眺めているフルールに話しかけた。


「この子ね、隣の家の犬なのよ。今日は来る日じゃないんだけど、あなたの匂い嗅ぎつけて来たみたいね」


「そ、そうなんだ……。警戒心強いのかな? ――あ、そうだ、おやつあげれば仲良くなれるかも!」


 そう言うとフルールはテーブルに戻り、自身が食べようとしていたスコーンの欠片を持ってやってきた。それを見たローズの眉が吊り上がる。


「フルール! そんなもの、この子にあげちゃ駄目!」


 再度びくっと身を強張らせ、フルールは先程以上に縮こまって震えだす。


「犬に人間の食べ物をあげては駄目。人間とは必要な栄養素が違うの。それに、一度あげると覚えてしまって、家に帰ってからも欲しがるわ。うちの子じゃないって言ったでしょ?」


 スコーンにジャムが塗ってあるのを認めると、そのまま激しい剣幕でローズは続ける。


「そのマーマレード。犬には柑橘類の酸は強すぎて、体調崩すこともあるのよ? 人が好んで食べるものでも、犬にとっては少量で毒となるものもあるんだからね? 最悪死んでしまうのよ?」


「えっと……あの……ごめんなさい。あたし、知らなくて……」


 今にも泣き出しそうな顔で俯きながら、フルールは小さな声で言い訳をする。


 その姿を見て、ローズはやっと我に返った。


「あ、ご、ごめんなさい、私の方こそ……なんか、興奮しちゃって……その……」


 おろおろとしながらフルールの元に歩み寄り、その頭を撫でる。


「ごめんね、フルール。私、その、あなたを叱るとか、そういうつもりはなくて……」


 とは言ったものの、実際叱り付けていた以外の何物でもない。内容も正論過ぎて、自分の発言を訂正して誤魔化すことも出来ない。


 この場を解決してくれるのは、レックスしかいない。もふもふの魔力はきっとすべてを癒してくれる。


 そう思って足元を見ると、とっくにいなくなっていた。不穏な気配を感じ取って、帰ってしまったのだろう。


(帰っちゃった……せっかく来てくれたのに……)


 ローズの方まで泣きそうな顔になって下を向く。


 しばらくそうしていた後、どちらからともなく席に戻り、気まずい沈黙の中でそれぞれ紅茶と菓子に手を付ける。


(これは明らかに私のせい。大人げなかった。何か、何か話題を……)


 再び話題探しに戻るローズ。楽しい話が良いと思うが、下手に振っても滑る可能性が高い。真面目な話の方が手堅い。一緒に住む以上、互いに色々と知る必要がある。趣味の話だと、意見が合わないとやはり盛り上がらない。


 ならば、と過去についての質問をすることにした。ガブリエルに聞いた話ではわからなかった、フルール本人の事情の方を訊いてみようと。


「ね、ねえフルール、あなたどうして祓魔師エクソシストなんて目指してるの? かなりやる気になってたみたいだけど?」


 フルールは口に入れかけていたスコーンの欠片を皿に戻すと、しばしローズの機嫌を探るようにして、上目遣いで見返していた。ローズがぎこちない微笑みを浮かべると、ゆっくりと口を開く。


「あたしね、フランスにいたころは、悪魔だとか吸血鬼ヴァンパイアだとか、そんなの本当に存在するとは知らなかったんだ。貧しい人や困ってる人たちに手を差し伸べて、みんなのために奉仕活動をすることが、聖職者の務めだと思ってた」


 普通はそうだろう。誰もそんなものが実在していると思うわけがない。ましてや、二十四時間明るく、電子化によって世界の裏側ともほぼリアルタイムに繋がるこの現代世界に。


「でもね、祓魔師教会アンダー・テンプルに来て、それだけじゃダメだって知った。優しく受け止めてあげようとしても、悪魔や吸血鬼ヴァンパイアには通じない。神の敵は戦って倒すしかないって」


 フルールは視線を落とし、本来ならロザリオを掛けているはずの胸元をまさぐった。


「あたし才能あるって言われたから、頑張ってた。けど、聖具セイクリッドを作ってもらったころから、よく魔力が乱れてミスしちゃうようになって。それで実技の単位落としまくって、いつになったら卒業出来るのか、もうわからなくなっちゃって、悩んでたの」


 明るい笑顔ばかり見せるフルールだったが、その瞳は哀しみに沈んで揺れている。余程深刻に悩んでいたのだろう。ガブリエルは残酷なことをするとローズは思った。


「そしたらね、ローズデール城の吸血鬼ヴァンパイアを倒してくれば、実力は本物と認めて卒業させてくれるって言われたんだ」


「それ、誰から言われたの?」


「えっとね、ハットン先生。祓魔師エクソシストとして現役で働いてる人なんだけど、剣が得意なんだ。あたしも剣技の授業はハットン先生に見てもらってたの」


 ローズの眉がひそめられる。独断で試験が行われたわけはない。誰かが許可を出しているはず。


「すべてがそのハットンの手配だったの?」


「校長先生にも会ったよ。試験自体は校長先生から。ハットン先生がどうしてもって言うから、特別にやらせてくれるって」


「今の校長って、ダニエルよね? 確か現役を退いて、教育の方担当するって言ってたような」


「そうそう。お髭のお爺様。――って、呼び捨て? お姉様は、校長先生より偉いの?」


 ダニエルとは旧知の仲。ローズは養成学校には関与しておらず、最近は連絡を取っていないが、ガブリエルよりも付き合いは長い。陰謀を働くような人物とは思えない。


「偉いとかじゃなくて、個人的に知り合いなだけ。――ね、日程ってどうやって決まった?」


「校長先生と話して決めたんだけどね、急に変更になったんだ。本当は明後日……じゃないか、もう明日。相手は本物の吸血鬼ヴァンパイアだから、被害出ないよう急がなきゃならないし、放っておいたらどっか行っちゃうかもしれないから、仕方ないよね」


 ガブリエルから聞いた話と一致する。そうすると、誰が日程の変更を決めたのか、誰がそのことを知っていたのかが重要。


「変更は誰に教えられたの?」


「校長先生からメールがきたの。詳しくは、ハットン先生に会って聞けって書いてあった」


(つまり、ダニエルは認知していない可能性がある。メールなんて偽装しようと思えば、いくらでも出来る。後はその証拠があるかどうか)


 ローズは思考を巡らせると、携帯端末を取り出した。『翼の生えたナルシシスト』を選びながら、フルールに声を掛ける。


「私、ちょっと電話するから、待っててくれるかしら?」


 フルールは無言でにこやかに首を縦に振った。先程食べかけていたスコーンを頬張るのを見ながら、ローズはガブリエルの呼び出しを始める。すぐには出ない。メッセージだけ送って、向こうからの連絡を待とうかと思い始めたころ、通話が繋がった。


『どうした、ローズ? まさかフルールに何か?』


「いえ、それは大丈夫。今嬉しそうにスコーンを食べてるわ」


『ならいい。昨日の血液だが、簡易鑑定の結果が出た。彼の子でほぼ間違いない』


 その言葉を聞いて、電話を掛けた理由が、ローズの頭から完全に吹き飛んでしまった。


「確か……なの……? 結果出るの、早すぎない?」


『今言った通り簡易鑑定だ。だが肯定率九十九パーセント以上の数字が出ている。精密鑑定で覆ることはまずない数値。母親のDNAも回収し、念のため鑑定に出したところだ』


「母親……? どうしてわかったの?」


 何故父親のDNAとの照合で母親を割り出せたのだろうか? ローズの頭に疑問がよぎる。


『預かったDNAだが、傷害殺人の容疑者となった過去があった。それで、DNAデータベースに残っていたんだ。当然、戸籍もすぐに確認出来た。生まれは一九九五年。私生児で父親は不明』


「そこまで情報揃ってるのなら、顔写真あるわよね?」


『こちらの資料にあった、あの場所の標的の写真とは一致した。君が採取した相手と同じかどうかは、こちらでは判断出来ない。通話が終わったら送っておく。もし同一人物なら、昔作った子の生き残りではなく、復活してから産ませた子で間違いないということになるな』


 あの吸血鬼ヴァンパイアが彼の息子であるのなら、それはもう一つのことも意味している。やはり彼は生きていた。


 足跡を見失い、生死もわからなくなってから、既に千四百年。眷属と思しき吸血鬼ヴァンパイアが存在している以上、彼も生きていると考え、ずっと追い続けてきた。ローズの持つ聖杯グラールで呪いを受けた、太古の吸血鬼ヴァンパイアを。


(モルドレッド……やはりあなたは、生きて……)


 ローズの顔が、悲痛とも歓喜ともつかぬ表情で歪む。それをフルールが心配そうに揺れる瞳で見つめていた。


『会いに行ってみるか? 先程遣いを出し、こちらの資料にあった人物の写真を見せて確認出来たところだ。間違いなく自分の息子だと、母親から証言を得ている』


「父親に覚えは……?」


『誰の子かわからないそうだ。しかし、子が出来るような付き合いであったのなら、写真くらいは残っている可能性がある。彼の顔は君しか知らないんだ。確認するには、君が自ら足を運ぶ必要がある』


 最後に会ったのは千四百年以上前。それでも、その記憶は風化していない。ローズにとって、最も重要な人物。忘れるわけがない。ほんの五分前の出来事のように、はっきりと思い出せる。


「行くわ。フルールはどうするの?」


『連れていけばいいだろう。母親自身に危険はない。君と一緒でなら、そこから出すことに反対しないよ』


「わかった。本人の意思を確認する」


 ローズが視線を上げると、事情を話す前にフルールから声が掛かる。


「あたしも一緒に行く。昨日の吸血鬼ヴァンパイアの捜査でしょ? あれはあたしの問題でもある。それにね、あたし、お姉様の手助けをしたい。あたしじゃ何も役に立たないかもしれないけど、でも側にいることくらいは出来るんだよ?」


 フルールは揺れる瞳でローズを見つめる。その表情はとても真剣で、そして慈愛に満ちていた。


(この子……とても敏感なのかしら? まだ何も話してないのに……それとも、私がそんなにわかりやすい表情を……?)


 ローズはフルールの心遣いに感じ入り、同じく優しい笑顔で返した。


「ありがとう。なら一緒に行きましょう」


「よし、じゃあ、あたしさっさと片付けちゃうね!」


 食べかけのスコーンを一口で頬張ると、フルールは紅茶も一気に流し込んだ。手際よくトレイに載せて片付けていく。


 それを横目にローズは、ガブリエルから送信されてきた顔写真を確かめた。間違いなく、ローズが昨夜処分した吸血鬼ヴァンパイアのものだった。フルールを襲った吸血鬼ヴァンパイアであり、ずっと探し続けていたモルドレッドの息子。


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