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聖杯を満たすは愛の色  作者: 月夜野桜
第二章 薔薇の聖杯
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第一話 聖杯の乙女と聖告の天使

 ベッドで眠るフルールの頭を撫でる。その髪は見た目通り強情で、亜麻色フラクスンの髪としては珍しい硬さだった。表情は穏やかで、先程の件はもう安心と思える。


 ローズは安堵の息を漏らしてから、フルールの寝顔を見つめたまま声を出す。


「この子は一体何なの? 特別な存在って言ってたけど、移動中にも詳細伝えてこなかった。ってことは、あのハットンには知られたくないような内容ね?」


「相変わらず察しがいいね。あの場で問い詰められずに済んで良かったよ」


 結局、フルールがどう特別なのかは教えていない。あまり答えたくはないということ。事件後、ローズの自宅への保護を頼んできたことといい、色々と裏があるのは間違いない。


 ローズは視線を外し、声の主、ガブリエルの方を振り返った。腕と足を組んで椅子に深く腰掛け、こちらを見ている。その琥珀色アンバーの瞳は、値踏みするように慎重にローズを観察している。


「私にも教えない気? あなたらしくもなく、かなり慌てた様子だったわよね。余程の事情があると思って動いてあげたんだけど……もしかして、この子も天使?」


 半眼になって探るような視線を向けるローズ。ガブリエルはしばし見つめ返した後、ふっと気取った笑いを浮かべた。


「この僕がいるのに、もう一人用意されるわけはないだろう。その子はただの人間さ」


 先程からの勿体ぶった態度と、自己愛過剰とも取れる言動に対してローズのとった行動。それは無言で近づいて、彼のゴールデンブロンドの長い髪を数本引き抜くというものだった。


「全部無くなる前に白状しなさい」


 ガブリエルは痛がる素振りも見せずに澄ました表情を保っていたが、やれやれとばかりに大げさに肩を竦めた。


「黒薔薇姫は、相変わらず棘だらけのようで」


 ローズが半眼で睨み付けると、ガブリエルは組んでいた足を解き、テーブルに向かって座り直した。向かいに掛けるよう手振りで促され、ローズは大人しく従う。


「その子が天使ではないというのは本当だ。君にもそれくらいはわかるのだろう?」


「でも何か特別なものを感じるわ。何と言うかこう、聖別でもされたかのような感じ?」


「君のその感覚は大体合っている。――シオン修道会、知っているかい?」


 意外なことを訊ねられたと思った。知ってはいる。しかし知らない。フランスにあったとされる秘密結社の名前。だが、その実態と根拠を記したとされる秘密文書は、総長を名乗る者自らが捏造し、国立図書館に寄贈したものだった。つまり存在自体が捏造。


 だからこそ、続くガブリエルの言葉は、ローズを更に困惑させた。


「彼女はそこからの預かりものなのさ」


「ちょっと待って。シオン修道会って、実在しないのよね? 捏造だったのよね?」


 ローズの問いかけに、ガブリエルは満足そうな微笑みを浮かべた。


「君ですらそう思うのなら、彼らはとてもうまくやったということだ」


 うまくやった。そして今も実際に存在するかのようなガブリエルの言動。そこからローズが導き出せる答えは一つだった。


「存在しないことにするための偽装工作だったってこと? 捏造であったと公式に記録されれば、当然公式に存在が消える」


「そういうことだ。目的を達成するためには、それが一番いい。何しろ彼らが守っているもの自体も、無いことにした方が良いものなのだから」


 ガブリエルの言いたいことの予想がついて、ローズは苦笑しつつ手で制止する。


「待って待って、その先言わないで」


「キリストの墓を守っているんだ。レンヌ・ル・シャトーにあるという迷信、あれは実話だ」


 予想通りの言葉が出てしまい、からかわれているのかとローズは疑う。だが、ガブリエルの表情を窺ってみても、至極真剣な様子に見えた。いつもの冗談を言っている時のものではない。


 それを見て、ローズも真顔に戻って問う。


「そのシオン修道会からフルールを預かった理由は? あの子は一体何なの?」


「マリア・マグダレナ。彼女の洗礼名であり――彼女の祖先の名だ」


 ローズは頭を抱えてテーブルに突っ伏したくなった。かろうじて堪えると、たっぷりの皮肉を込めて、半眼で見上げながら言う。


「どこかで聞いたような話ね?」


「そう。それが、彼女が祓魔師教会アンダー・テンプルに預けられた理由。あれはフィクションとされているが、作者の主張通り一部は事実なんだ」


 ローズは深く溜息を吐いた。その一部とやらに、マリア・マグダレナとイエス・キリストの関係も含まれているのだとしたら、フルールから感じる特別な雰囲気は説明出来る。


「信じがたいことではあるけれど、天使であるあなたに見分けがつかないわけはない。本当に血を継いでるのね? 両方の?」


 ガブリエルは深く頷きながら答えた。


「もちろん。それで、シオン修道会周辺が騒がしくなった。あれで出てきた場所に、信じた物好きたちが集まったりしたからね」


「気持ちはわかるわ。薔薇と聖杯を結び付けてあるの見た時には、私も思うところあったもの」


「そうかもしれないね」


 どこか楽し気にガブリエルは微笑む。そして真顔に戻ると話を続けた。


祓魔師教会アンダー・テンプルがテンプル騎士団を母体としていることは、当然知っているだろう?」


「ええ。本部の上にあるテンプル教会、あれは元々テンプル騎士団の拠点の一つだったわ。養成学校もあの敷地の地下よね?」


「そうだ。地上部に法曹院が入っているのも、カモフラージュの一環だ。で、シオン修道会の母体は、伝承通りシオン騎士団でね。かつてはテンプル騎士団と協力関係にあり、その伝手で頼られたんだ。子孫は一人ではなく、各地の関係勢力に分散して預けられたらしい」


 辻褄は合う。テンプル騎士団が異端裁判にて解散させられた理由の一つは、彼らが祓魔行為を手掛けていたことに起因する。魔術を使う者がいたからだ。そういう意味では、彼らもまたシオン修道会と同じく、計画的に解散した可能性が考えられる。闇に潜って本来の役目を果たすために。


祓魔師教会アンダー・テンプルに預けられた事情はわかったわ。この子が何者なのかも。でも私に預かって欲しいという理由がわからない。そもそも、どうして祓魔師エクソシストなんかにしようとしているの? どこかの修道院にでも入れておけばいいじゃない」


「それでは貴重な血脈が途絶えてしまうだろう?」


「あとで還俗させればいいじゃない」


「信心深い子だ。そのまま修道院で一生を終えてしまいかねない」


 吸血鬼ヴァンパイア化しそうになっていた時のフルールの様子を、ローズは思い出した。死を選ぼうとしていた。闇の誘惑に靡かず、自らの死を以て終わらせようと。


「……そうかもしれない。それじゃ確かに、意味がないわね」


 ローズはフルールの方へと視線を向けた。穏やかな寝息を立てて眠り続けている。邪気のない愛らしい横顔を見ていると、無茶な手段を使ってまで守って正解だったと思える。


「教会とは関係なく保護することも出来たが、余り特別扱いすると、不審に思われて嗅ぎつけられるからね。活発な子だし、安全と、ある程度の自由を確保出来る場所に、居続けさせるのがいいと思った」


「確かに、閉じ込めるのは可哀想な性格と思えたわ」


 そう言いながらローズは立ち上がって、フルールの元へと進む。背後でガブリエルの説明が続いた。


「このことは、祓魔師教会アンダー・テンプルでも上層部のごく一部しか知らない。僕や君の正体を知っているクラスの人間だけだ」


「ならもしかして、落第の話は意図的? この聖具セイクリッドにでも何か細工した?」


 フルールがしっかりと握っているロザリオを見ながら、ローズは訊ねた。ガブリエルからの返事はない。不審に思い振り返ると、また値踏みするような眼でこちらを見ていた。


「どうしてそう考えたのかね?」


 細工の件は図星なのだとローズは判断した。そして意地悪そうな微笑みを浮かべつつ答える。


「性格の悪いあなたが考えそうな手段だもの。いつまで預かることになってるのか知らないけど、それまでの間、ずっと落第させ続けることで、あそこに縛り付ける」


 フルールが立ち去る途中転んだ場面を、ローズは思い出していた。脚はかなり速かった。魔力による身体強化は得意だという証拠。それなのに、何もないところで転んだ。ならば、仕組まれたものであると考えるのが自然。


「この子、あなたの想定以上に優秀だったんじゃないの? 予定より早く卒業してしまいそうだから、細工をした。実際、落としたのは実技だけなのよね? だから卒業試験が受けられる。この歳で? 大卒レベルが要求される学校のはずなのに?」


 ガブリエルは再びお手上げのポーズをしながら苦笑する。


「君は職業替えを考えた方がいいね。探偵にでもなったら?」


「どういう仕組み? あなたがやったんでしょ? そんな高度な細工、あなたしか出来ないわよね? 預かる以上、きちんと説明して。何かあった時の対処に困るから」


 腕を組んで見下ろしながら、ローズが要求する。ガブリエルは、自身の首から下がっている、フルールのものと同じような大きさの銀のロザリオに手をやった。それを指でいじりながら答える。


「魔力の強さが一定以上になると、聖具セイクリッドが反応して、流れを乱すようにしてある。どう乱れるかはランダム。予想がつかないから、自覚しても彼女には対処出来ない」


「やっぱり意地悪じゃない、あなた。ロザリオを常に手放さないよう、言い聞かせてあるのね? なら持ってなければ、ミスせず実力を発揮出来る。そう解釈していいかしら?」


 ガブリエルは大きく頷きながら答える。


「その子には教えないでくれよ。この先、困ることになるかもしれない。君に預ける理由の一つは、例え誰かが襲ってきたとしても、その子の出番なんてないはずだからだ」


 ローズは再びガブリエルに近づき、その髪に手を伸ばす。


「名前だけ知ってるかのように言ってたのは、いったいどういうことかしら?」


 流石に今度は立ち上がり、ガブリエルはテーブルの向こう側に逃げた。


「最高機密事項だったし、深刻な事態になっているとは予想もつかなかったんだ。何でもない話題なのなら、君にも知られたくはなかった。だからシラを切った。謝るよ」


 言葉とは裏腹に、ガブリエルは頭すら下げない。いつものことで、お互い様でもあるので、ローズは軽く流した。代わりに、まだ残っている疑問について訊ねる。


「これで最後。どうしてそんな子の卒業試験なんて行われたの? あなたも知らなかったようね?」


「まだ表面上のことしかわからない。危機に直面させることで、変わる可能性を試すと記録されていた。それは教えただろう? 調べたら、ハットンが彼女の才能を高く評価し、提案したということになっていた」


 ローズの眉が訝し気にひそめられる。ガブリエルも、再び反応を探るような視線に変わった。


「日程、急に変更されてない? 本来は――」


「その通り。本来は明後日。つまり、僕が帰ってきてからのはずだった。変更されたのは、僕が出発した直後」


「削りすぎなくてよかったわ。記憶まで飛んでしまったら、困ったもの」


 これで知りたいことはすべて知った。確かに、しばらく自分が預かるのが適当と思えた。祓魔師教会アンダー・テンプルの中に、何かよからぬ動きがあるのかもしれない。


「仕方ないわね。今回の陰謀のようなもの、それが解決するまでは預かるわ。……で、この子、学校はどうするの? まさか、私が送り迎え? もしかして、張り付いてガード?」


「学生はとっくに夏休みだよ、世間知らずのお姫様」


 言われてみれば、そうなのかもしれない。通ったことなどない上、そういう年頃の子供との交流もなかったので、仕方ないとは思う。


 ローズがそう考えていると、ガブリエルは何かを思いついたのか、心底可笑しそうに笑いだした。


「なによ?」


「いや……これは……」


 堪えきれずいつまでも、抑えた笑いを漏らしているガブリエルを、不審げに眺めるローズ。やっとのことで収まったのか、ガブリエルは真顔に戻って言う。


「とても残念だ。夏休みでなければ、君の制服姿が見られたのに……」


 ぶちっと音が響いて、ゴールデンブロンドの長い髪がまとめて宙を舞った。


「さっさと帰って! 全部なくなる前に!」


 怒りの炎を宿した瞳でローズが睨み付けると、抜かれた部分を摩りながら、残念そうな苦笑を浮かべつつガブリエルは言う。


「似合うと思うんだがね。……まあ、命じられるまでもなく、僕はもう帰って彼を調べるよ。少々、時間がかかるかもしれない。報告は、またここに直接足を運んでするよ」


「さっさとそうして。私もあれが一番怪しいと思う」


 ふんとばかりに背を向けたローズだが、すぐに大事なことを思い出し振り返った。


「そうだ、それと並行して一つ調べて欲しいことがあるの」


 ローズはポケットから小瓶を取り出した。トルーローで処分した吸血鬼ヴァンパイアの血液を採取したもの。


「これ、DNA鑑定してみて。似てた気がするのよ、彼に」


 ガブリエルが眉を寄せて小瓶を見つめる。


「ようやく事態が動くか?」


「わからない。似てる人なんて、世の中沢山いるから」


 そう言いつつガブリエルの手を取り、小瓶をしっかりと握らせた。


「でも今回は特に慎重に扱って。わかってると思うけど、結界で維持してあるだけ。本体は処分済み。開封するとすぐに塵になるわ。開ける場所には気を付けて。だからあなたに頼むの」


「わかった。いつもの場所でやるよ、僕自ら」


「お願い。大事なことなの」


 そう言ってガブリエルを見上げるローズの瞳は、いつもの冷たい青ではなかった。先程までの怒りの炎でもない。哀しみを湛えて揺れる、心の青。


「任せてくれたまえ。僕が受肉したのもそのためだ。これは僕の使命であり、願いでもある」


 ガブリエルは長い金髪を掻き上げると、ローズに向かって自信ありげに微笑んだ。世の大抵の女性が魅了される、絵に描いたような、まさに天使の微笑み。しかし興味のないローズにとっては、色魔の微笑みに見えなくもなかった。


「秘匿性の低いものについては、随時暗号化して送る。では、フルールのことをよろしく頼むよ」


 そう伝えるとガブリエルは、優雅な動きで身を翻し、立ち去ろうとする。しかし、ドアノブに手を掛けてから、何かを思い出したように突然振り返った。


「そういえば、どうして眷属にしたのかね?」


 ローズは眼を瞬かせながらガブリエルの方を見る。


「見ただけでわかるの? 私、言わなかったと思うけど?」


 ガブリエルは、大げさに溜息を吐いてから答える。


「ローズ、僕を甘く見ないでくれたまえ。受肉した身体では真の力を発揮出来ないとはいえ、これでも天使だ。魂が欠けていること、それが君に預けられていることくらいは見抜ける」


 ローズは苦笑しつつ思う。


(試してみたことも、見抜かれてるのかしら?)


 そんなローズを、ガブリエルが物珍し気に眺めながら言う。


「それにしても、聖杯の乙女の眷属というのは流石に初めて見たが、吸血鬼ヴァンパイアとまったく同じ仕組みなのだな」


「そうなのだろうと思ったから、利用したのよ」


「つまり、到着した時、彼女は既に……?」


「ええ。もう魂の一部を吸われて、堕ちる寸前だった。でも相手は真祖ではなく眷属。どちらの眷属にするか魂の所有権を奪い合えば、必ず勝てると思った。相手はもう瀕死でもあったし、私がフルールの魂を吸った後にあれを消滅させれば、間違いなく奪えると」


「なるほど」


 ガブリエルは感嘆した様子で頷く。そして意地悪そうな微笑みに変わって再度問う。


「ちなみに、訊いたのは動機の方なんだ。作らない主義じゃなかったのかね?」


 ローズはすぐには答えず、フルールの枕元へと歩み寄った。そっと手を伸ばし、撥ねた髪の毛を正すように、優しく頭を撫でる。目を細めて眺めながら、口を開く。


「あなたからの保護依頼もあったけど、個人的にもなんだか放っておけなくなって。さっき言ってた、この子の出自が関係してるのかしら? 綽名の白百合の花言葉のように、純粋さの中にも威厳のようなものを感じて」


 あの時のフルールの言葉を思い出す。人として死にたいと言っていた。


(そう、人としての威厳。そして心の純潔。それを守るために、彼女は尊厳死を選ぼうとした)


「恨まれるかしら? 不老不死なんて、そんなにいいものじゃないもの。……でも他に手はなかった。この子が望むなら改めて、って思ってたけど、あなたは許してくれなそうね」


「済まないが、それだけは勘弁してくれ。……その件に関しては、僕の出る幕はない。その子の心の問題も、君がどうにかするしかないだろう。頼む、この通りだ」


 ガブリエルはローズに向かって深く頭を下げていた。十数年の付き合いで、初めてのことだった。


「ガブリエル、あなた……」


 ローズの戸惑いをよそに、ガブリエルは頭を下げたまま再び口を開く。


「それから、ありがとう。本当に感謝している」


 呆然と眺めるローズの前で、ぱたりと音を立てて扉が閉まった。ローズはそのまま扉を見て考える。


(マリア・マグダレナとキリストの子孫、一人しかいないわけはない。この子は、その中でもそんなに特別な子だったのかしら? ……まさか、ガブリエルの娘?)


 ありえなくはない話だった。ガブリエルの見た目は二十代半ば。しかし、実年齢は確か四十一歳。元々は人間として転生し、人間として育っていた。二十五の時に使命を与えられ、天使としての力に目覚めたと聞いている。もし直前に子を作っていたら……計算は合う。


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