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聖杯を満たすは愛の色  作者: 月夜野桜
第一章 黒薔薇姫と白百合姫
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第三話 薔薇十字の祓魔師(エクソシスト)

「そこに隠れてる祓魔師エクソシスト、出てきなさい」


 ローズは強い調子で言ってから、ゆっくりと立ち上がって振り返る。先程から妙な違和感、正確には人間の魔力のようなものを感じていた場所に視線を向けた。かつての城の遺構の一つである崩れた大きな石柱の裏に、何らかの術式が展開されているように思える。


 他人の家の敷地に勝手に入り込み、このような隠密魔術を使う。ローズの生命を狙っての狼藉なら、とうに攻撃してきていただろうことを考えると、やはり推測は間違いないと思えた。


「どうしてあなたまでここに来ているの? フルールの試験はトルーローの城でしょ? ここはロンドン。彼女はとっくにトルーローに向かったわよ?」


 隠れているはずの人物は出てこない。何も返答はなく、隠密魔術を解く気配もない。


(出てこない理由がわからない。本気で私が標的の吸血鬼ヴァンパイアだと思い込んでるの?)


 仕方がないので、ローズは柱を注視したまま、携帯端末を操作しハンズフリーモードに切り替えた。


「ガブリエル、その監督官とやらと連絡取れない? 隠れたまま出てこないわ」


『今秘密回線を経由して、警告メッセージを送った。ジェフリー・ハットンという男だ。僕からのものであれば、戦闘中でもない限り応答するはずなんだが……』


「位置情報は確認出来ないの?」


『駄目だ、拾えない。どちらの城かわからないが、隠密状態なのは間違いない。クソっ、こちらからは打つ手がない。済まないが、すぐに確認してもらえないだろうか? そこにいるのが当人だとしたら、急ぐ必要がある』


 ガブリエルらしくない汚い言葉を吐いた。そのことが、ローズの危機感を煽った。


 右手を前に差し出し、冷たく鋭い視線を向けつつローズは宣言する。


「出てこないのなら、力尽くで解決するわよ。……白薔薇(ロサ=アルバ)


 右手首のブレスレット全体が白く輝いた。トップの薔薇十字から、白い魔力の弾丸がいくつも飛び出す。薔薇の花の形状をしたそれは、舞うように美しい軌跡を描きながら宙を飛んでいった。柱を迂回して、裏に隠れているらしき人物の足元を穿つ。


「次は当てる。出てきなさい」


 ローズの目の前で、柱の向こうの空間の魔力が僅かに歪んだ。そして人の形をとる。それが両手を挙げてから、ゆっくりと移動して姿を現した。


 本来白であるべき祭服アルバの色は漆黒。そして胸に描かれた、ラテン十字をひっくり返した形状の聖ペトロ十字。祓魔師教会アンダー・テンプル所属の祓魔師エクソシストで間違いなかった。


 鷲の目のような鋭い光を放つ薄茶色ライトブラウンの瞳が、ローズの右手のブレスレットに向く。トップに固定されると、大きく見開かれた。


「薔薇十字の聖具セイクリッド……あの黒薔薇姫なのか? まさか、実在していたとは……」


 相手が本物の祓魔師エクソシストであると確信し、ローズは腕を下ろした。


「私の名前はただのローズ。黒はつかないし、姫でもない」


 やや不機嫌な感じで、ローズはそう訂正する。その後、端末の通話が切れていないことを確認してから、話を続けた。


「あなたはジェフリー・ハットン?」


「そうだ」


「フルールの卒業試験の監督官なのよね? どうしてここにいるの?」


「どうしてと言われても、監督のために来たに決まっている。まさか、特別顧問殿が吸血鬼ヴァンパイア役を? 本物がいると聞いていたのだが……」


(どういうこと? この男まで、ここが試験会場だと思い込んでるってこと?)


 ローズの頭の中に、疑問と共に大きな危機感が渦巻く。


「試験内容の計画書、確認して。トルーローのはずよ。あなたにはどういう指示が来ていたの?」


「待ってくれ……今、確認する」


 ハットンは祭服アルバの内側に手を入れ、携帯端末を取り出した。それを操作しながら、しきりに首を傾げ始める。


「いや、確かにロンドンと表示されているが……何かの間違いではないのか?」


 ローズは走り寄ると、ハットンの手から端末を奪った。画面に表示されている指示書は、確かにフルールが見せたものとほぼ同じ内容。受験者もフルール・ド・リスになっている。


 しかして表示されている住所は異なり、確かにこのロンドンのローズデール城となっていた。時間も午後七時と食い違っている。ハットンは大分余裕をもって、会場に来たことになる。


(そんな馬鹿な……フルールのでは、確かにトルーローになっていた)


 自身の見間違いではなかったか、ローズは必死に記憶を手繰り寄せた。フルールが蒼白になって慌てていた様子を思い出す。二人して見間違えたわけはない。ましてやフルールは、勘違いを指摘されたことで、何度も確認したはずだ。少なくともあの場面では、彼女もトルーローだと認識したことに疑いはない。


 ハットンの指示書の内容すべてに、急いで目を通した。他の相違点は、監督官向けの情報が追記されていることだけだった。採点基準などのほかに、少しでも危険を感じたら即座に試験中止にして、吸血鬼ヴァンパイアを処分すること、と大きく赤字で示してある。


 ローズは念のため画面を操作し、地図アプリに切り替えた。最後に表示した地点の履歴を見る。この場所になっていた。


「指示が食い違ってる。私が見たのは確かにトルーローで、実施時間は午後四時だった。いったいどういうこと……?」


「返してくれ。すぐに上に確認する。今、何か特別警告メッセージも来ていた」


 奪い取るようにして、ハットンが端末を手にする。ほぼ同時に、ローズの端末からガブリエルの声が響いた。


『その必要はない。聞こえていた。済まないが二人とも、すぐに彼女を追ってくれ。事実確認は後でこちらでする。今詳しい事情は話せないが、彼女は少々特別な存在なんだ。どうしても守らなくてはならない』


「わかったわ、ガブリエル。すぐに移動する。あなたは来られないの?」


『僕もすぐにこちらを発つ。しかし、彼女の動き次第では間に合わない。知っていると思うが、以前からの予定通りヴァチカンに来ているんだ』


 ガブリエルが見せていた焦りのようなものの正体が、ローズにも見えてきた。彼が保護しているあのフルールが、何者かに狙われている。彼が不在となるタイミングを使って。


(そうすると、いるのは吸血鬼ヴァンパイアではなく……)


 現地に潜んでいるのは、フルールを狙う暗殺者かもしれない。あるいは、情報操作によって事故に見せかけ、吸血鬼ヴァンパイアに襲わせるという、何者かの陰謀。いずれにせよ、フルールの生命は危険に晒されている可能性が高い。


「ガブリエル、フルールの方の位置情報は追えないの?」


『残念ながら、彼女の端末は学生寮にある。帰ったというわけではないだろう。昼前から移動していない』


 ガブリエルからの返答に、ハットンの方が応じる。


「試験に当たって、彼女に祓魔師エクソシスト専用端末を貸し出している。そちらの位置情報を確認しようとしているが、エラーとなって表示されない……」


 最終的な行き先はわかっている。道中で狙われる可能性がないとは言えないが、フルールの位置を特定出来ないのは、彼女を狙う者も同じ。ならば、現地へ急ぐのがこの場での最善。


 ローズはそう判断すると、まだ端末を操作して何かやっているハットンに向かって言った。


「とにかく現地へ急ぐわよ。あなたはどうやってここまで来たの?」


「少し離れたところに車が置いてある」


 それを聞くと、ローズは振り返って速足で歩き出した。


「ならそこに案内して。すぐにフルールを追うわよ」


 走り出したハットンの後を追いながら、ローズは考える。


(ガブリエルは、吸血鬼ヴァンパイアの処分予定リストに載ってると言ってた。でもこの手際、そのリストも偽装の可能性があるわ)


 本当に試験に使うような吸血鬼ヴァンパイアなら、恐らく眷属の中でも特に弱い者だろう。眷属の眷属。しかし、そう見せかけた手練れの誰かがいるのだとしたら、話は変わってくる。


 そして、情報通りの吸血鬼ヴァンパイアがいるだけだとしても、とても危険と思える。


 ローズは先程のフルールの様子を思い出した。何もないところで転んでいた。実技の単位も落としまくっている、ポンコツ白百合姫。ならば、命取りとなるミスをしかねない。


 別れ際にフルールが見せた、向日葵のような輝くばかりの笑顔が脳裏に浮かぶ。そしてそれが闇に染まり、穢れた牙を剥き出しにして、悍ましく変化していく様子が。


 頭を振って、最悪の想像を吹き飛ばす。吸血鬼ヴァンパイアである可能性が消しきれない以上、ガブリエルからの依頼がなくとも、ローズは行かなくてはならない。


(これ以上、彼に罪を重ねさせるわけにはいかない。そしてそれは、私の罪でもある)


 決意と共に、ローズは走った。ハットンの動きが鈍く思えてもどかしい。その焦りを察知したわけではないだろうが、ガブリエルの声が再び端末から響いた。


『ローズ、近くのヒースロー空港に向かってくれ。そこに小型飛行機を手配させる。それなら確実に先回り出来るはずだ。僕もすぐに向かう。連絡が取りづらくなるが、君を信頼する』


「わかったわ。任せておいて。先回り出来るのなら、これが誰かの陰謀だとしても、犯人を捕まえておくわ」


 ローズはそう答えると、ハットンの車の後部座席に乗り込んだ。


     §


 ヒースロー空港までは、ほんの十五分弱。到着する頃には手配は終わっていて、祓魔師教会アンダー・テンプルからハットン宛に指示が届いていた。政府関係者専用の特別通路より、すべての手続きを省略して滑走路へと進む。


 用意されていたのは、双発の個人用プロペラ機。それに搭乗して、トルーローから最も近い、コーンウォールの地方空港ニューキーへと向かった。フライト時間は八十分ほど。そこからトルーローのローズデール城までは、車で三十分ほどという予定。


 乗り換え時間などを含めても、総計二時間半。一時間か二時間は余裕があるはずだった。


 しかし、ニューキーの滑走路で飛行機を降りると、空港職員から衝撃の事実が告げられる。


「調査のご依頼があったお客様ですが、二十分以上前にこちらでお降りになられています」


 ローズはその言葉を聞いて目を瞠った。ご依頼のあったお客様。フルールのことだろう。恐らくガブリエルが搭乗記録を調べさせたのだ。


「定期便……この時間だったの?」


「曜日によって変わりますので……」


(あの子の行動力、甘く見てたわ……)


 ローズは深く後悔した。その可能性をきちんと考慮していれば、恐らく対処可能だった。多少の無理をすれば、自分は既に現地に到着していることも出来たのだ。


「車は? 車はどこ? 用意してくれてるって聞いたけど?」


 職員が示す先に、黒いセダンが停まっている。それを認めると、ローズは一気に駆け出した。自らが運転席へと乗り込む。エンジンをかけていると、慌てて追いかけてきたハットンが窓を叩いた。


「おい、君、免許持っているのか? 取れるかどうか微妙な年齢に見えるが……」


 ローズは窓を開けるのももどかしく、ドアを少し開けて叫んだ。


「持ってるわけないでしょ! どっちにしろ法律違反するんだから、関係ない! 乗るなら早く乗って!」


 狼狽したのか動きが鈍るハットンを待ち切れず、アクセルを強く踏む。タイヤが軋み、煙を上げながら走り始めた。ハットンは何とか後部座席へと飛び込むも、振り落とされそうになっている。


「おい、私を殺す気か!」


「振り落とされたくらいで死ぬわけないでしょ!」


 エンジンを轟かせながら、滑走路脇の道路を疾走する。田舎の空港故、敷地は特に壁などで囲まれているということはなく、そのまま外へと続く道路があった。荒ぶる車体を御しながら、ドリフトするようにして外へと出ていく。


「無茶苦茶だ! 後で問題になるぞ!」


「私の心配より、自分の心配をしなさい! フルールが死んだら、あなた馘が飛ぶくらいじゃ済まないわよ?」


 幹線道路に入るかどうかローズは迷った。周囲は田園地帯。どうせ制限速度を守らないのなら、交通量が少なく追い抜きやすい道の方が速い。


 そう判断すると、幹線道路へ向かうルートを逸れた。田畑の間の細い道も使い、最短距離を爆走していく。


(こんなことになるのなら、ローズデール城の上空から飛び降りればよかったわ)


 前方にトルーローの市街地が見えてくると、焦りが募った。機上で見ておいた地図によると、住宅街の奥にあって、かなり遠回りしないと乗り付けられない。歩行者なども多いはずで、あまり無茶な運転は出来ない。


 カーナビを素早く操作して、周囲の航空写真に切り替えた。それを見て決意する。


(これならいける。ショートカット!)


 ローズは住宅地手前の未舗装道へと向かってハンドルを切った。そのまま土煙を上げて、私道と思われる農道へと進入する。突っ切った先は別の未舗装道。


「本当に無茶しやがる……」


 跳ねる車体の中で必死に掴まりながら、ハットンが独り言を零す。


「無茶をするのはこれから。無駄口叩いてると、舌噛むわよ!」


 そう宣言しつつ、ローズは道を逸れて脇の樹々の中に突っ込んだ。その先は航空写真で見た通り草地。奥の森を突っ切った先が、ローズデール城。既にその一部が樹々の上に見えている。


 遠回りして道路を走り、直接乗り付けていては間に合わない。裏手の公園に突っ込んで、行けるところまで行ったのち、残りを自分の足で走った方が早い。


 そう判断しての行動だった。奥の森へと突っ込み、小川沿いの遊歩道を無理やり自動車で走った。


(やっぱりそう甘くはないのね……)


 その先流石に歩行者がいて、小川に落ちる形で停車するしかなかった。ドアを開けて脱出しながら、後部座席に向かって叫ぶ。


「走るわよ! ついてこれなければ、置いていく!」


 小川の向こうはもう城の敷地のようだった。最大限に魔力を流して、身体強化をする。スカートをひらめかせながら小川を飛び越えると、樹々を足場に城壁へ駆け上がった。


(既に戦ってるわ……)


 風化して崩れかけた城跡で、魔力が弾けるのを感じる。ローズはその建物へと直進した。入り口を探して回り込んでいく。


 朽ちて倒れた扉の向こうに見えた光景に、ローズは思わず唇を噛みしめた。


(遅かった……)


 黒ブレザーの少女が、吸血鬼ヴァンパイアに首筋を噛まれていた。亜麻色フラクスンの撥ねた髪に小柄な身体は、フルールのもので間違いなかった。右手から銀のロザリオが零れ落ち、高い金属音を立てた。


 同時に、血走った眼がこちらを向く。妖しく赤い光を放つ瞳。その口許には、伝承通りの長い穢れた牙が覗いていた。


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