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聖杯を満たすは愛の色  作者: 月夜野桜
最終章 聖杯を満たすは愛の色
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第二話 新たなる聖母

「あ、あたしが……聖母ー?」


 フルールは大きな眼を更に見開き、ぽかんと口を開けて驚きを示した。そこまでの計画は聞かされていなかったように見える。


「そうだ。君はそのために配合された」


「配合? 配合って……どういうこと?」


「君はイエス・キリストと、マリア・マグダレナの子供の末裔。神の子の血脈とはいえ、二千年の間に代重ねしすぎて、本来ならば神性はほぼ失われている。だが君は、何世代もかけて意図的に配合された血統。祖先を遡ると、どう辿っていってもキリストやその使徒、聖人などにいきつくという、特別な組み合わせになっている」


 ローズはその説明を聞いて、かつてガブリエルが言っていた言葉を思い出した。フルールの性的指向は、意図的に作られたものだという話。来るべき時まで、純潔を保つ必要があるという話。新たなる聖母とするためだったのなら、納得がいく。


(そうすると恐らく、ガブリエルの発案ではなく、シオン修道会の計画。フルールを手に入れ、その事実を知ったから、今回のことを画策したのね……)


 フルール本人は事態がうまく呑み込めないようで、口をパクパクとさせながら狼狽している。ややあって、やっとの様子で声を出した。


「あ、あたし……そ、そんな特別な存在なの?」


「そうだ。だから、まるで聖別されたかのように、無原罪に近い状態の存在となっている。わずかに残る穢れを祓えば、再び無原罪の御宿りによって、新しい神の子を生み出せる」


 彼の名はガブリエル。新約聖書中の一書、ルカによる福音書では、聖霊によってキリストを妊娠したことを処女マリアに告げたのは、天使ガブリエルということになっている。


 もし彼が自称通り、本当にその熾天使セラフガブリエルなのなら、色々と合点がいく。フルールの本名らしき名前は、マリー=アンジュ。マリーはフランス風のマリアの呼び方。アンジュはフランス語で天使を意味する。そして聖母マリアの象徴は、白百合。


 まだ残っていた点がすべて、綺麗に一本の線で繋がった。わからないのは、未だ開示されていないその先の点が何なのか。


 ローズはガブリエルに問う。自分の考えた線の繋げ方が正しいかどうか。


「だからあなたは、私に預けたのね。モルドレッドの息子に襲われた件、フルールを私に近づけるための、あなたの陰謀だったのかと思ったけど、違うのね。あれは本当にハットンが引き起こした、個人的動機による事件。あなたにとってのイレギュラーだったのね」


 大げさなほどに長い溜め息をついて、疲れた様子を見せるガブリエル。感慨深げな調子でゆっくりと語る。


「まったく、とんでもないイレギュラーだった。君がいて本当に助かったよ。あの時、実際にヴァチカンにいたんだ。どう急いでも、僕は間に合わなかった」


「それでもやはり、イレギュラーは収まらなかったというわけね。この子が私の眷属となってしまったことで、先に聖杯グラールを試してみることが出来なくなった。吸血鬼ヴァンパイアが聖母になれるわけないものね」


 ガブリエルは本当に残念そうに首を振りながら答えた。


「致し方ない。出来れば聖杯グラールの方にしたかった。本人を復活させる方が話は早い。マリーが神の子を産めるという保証はなく、新しい神の子がイエス・キリストほどの神性を発揮するとも限らない。元々僕の計画ではなく、シオン修道会が独自に進めていたものだということも、気に食わないしね」


 ローズの眉がひそめられる。出来れば本人の方という理論はわかる。しかし、フルールが新たな聖母になれるかどうかについて、ガブリエルにも確信がないようなのが気になる。


「ガブリエル様」


 事態がやっと呑み込めたのか、フルールが真剣な表情に戻って口を開いた。続いて飛び出した言葉は、フルールの性格から、ローズが予期していた通りのものだった。


「あたし産む。だから、聖杯グラールはお姉様に返してあげて」


 やはりフルールは人を信じすぎる。それでガブリエルが納得して聖杯を返すわけがない。


 そのローズの予想通り、ガブリエルは首を振って拒否した。


「いや、これは預かる。彼女のあの目は、どう見ても納得していない」


 ローズを顎で差すようにして、ガブリエルは言った。見てすぐわかるような目付きになっていることは自覚している。ローズはそのまま半眼でガブリエルを見上げながら問う。


「二つ、質問があるわ。どうして神の子の復活を考えたの?」


「もちろん世の乱れを正すためさ。今の世界の歪みの酷さは、君も感じているだろう?」


 ガブリエルはそう即答した。天使は嘘を吐けない。しかし、本当のことをすべて言わないとならない制約はない。だから、これは真意のすべてではないかもしれない。


「本当にそれだけ?」


「それだけだ。僕はモルドレッドとは違う。力で破壊して作り直そうなどという野蛮なことはしない。神の子さえ復活すれば、世界はきっと良い方向に導かれる。ただ待っていても、もうこの世界は一度破滅しないと変わらない。そこだけは、モルドレッドと考えが共通するかな」


「果たして神の子が復活しただけで、解決するかしら? ……まあいいわ、その気持ち自体は理解出来る。破壊するよりは、確かにずっとまし」


 そう、気持ちだけは理解出来る。あくまでも気持ちだけは。そして語った内容は、ガブリエルの本当の気持ちということだろう。それだけだと言い切ったのだから。嘘を吐けないという天使の束縛がなくとも、信じざるを得ないほど真剣な表情を、ガブリエルはしている。


「世直しをしたいのなら、相談してくれれば良かったのに。モルドレッドの呪いを解くのに失敗した場合という条件であれば、私は聖杯を譲り渡してたかもしれない。その場合、二人とも吸血鬼ヴァンパイアになって終わりだから、聖杯必要なくなるし」


 これはローズの本音。元々大して勝算があるとは思っていなかった。モルドレッドをただ殺して終わるよりは、足掻いた上で自分も共に消えたかった。その後の聖杯グラールは、ガブリエルが回収することも期待していた。フルールの件さえなければ、きっとそうしていた。


「すべてはハットンが起こしたイレギュラーのせいなのね。それがなければ、何も問題はなかった。あなたが私をこんな目に遭わせることもなかった。今も結果的にすべては零さず、思いとどまってくれた。だから、聖杯グラールを奪ったことは我慢してあげる」


 そのローズの言葉に、ガブリエルは呆れとも嘲りともとれる微妙な笑みを浮かべつつ返す。


「君もとことん自己犠牲的だね。モルドレッドのことに関してもそうだが」


「じゃあ、もう一つの質問。――あなたどうやってフルールに神の子を産ませる気?」


 これがまだ開示されていない最後の点。ローズには正しい方法が思いつかない。彼がどう答えるかで、ローズは行動を決める。


 しかしガブリエルが口を開く前に、ローズはもう答えがわかってしまった。小馬鹿にして鼻で嗤ったことによって。彼は最悪の回答をすると。


「まさか千五百年も生きてきて、人間がどう子をなすか知らぬわけはない。聖杯の乙女。……本当に未だに処女なのか?」


 ローズの目が据わる。小馬鹿にされたからではない。ガブリエルの示した点が、あまりにも馬鹿馬鹿し過ぎるから。再び氷の瞳の温度が下がっていく。


「まさか……犯すというの? 受肉したその身体を使って、フルールを?」


 ガブリエルは否定も肯定もしない。答えられないのだ、嘘が吐けないから。つまりは肯定。


「穢れを祓うって、そういうこと? シオン修道会の聖婚秘儀。あれも本当なのね? どう考えても失敗するわ。処女懐胎なくして、神の子が産まれるとでも?」


 ギシギシと金属音が響く。ローズの身体に強い魔力が漲り、その身を縛る鎖に強烈な力が加わっていく。


「浅はかすぎる。浅はかすぎるわ、あなた。やっぱり熾天使セラフガブリエルじゃないわね? どう考えても、物を知らない下級天使。キリストを復活させて、それで簡単に変わると、本当に思ってるの?」


 永い生において、その目で見てきた世界の歴史をローズは思い返す。かつて人々が何をしてきたか。どうしてそうしてきたのか。


「どんな聖人だろうとも、たった一人の力では、世界のすべてを劇的に変えることは出来ない。私はそれを幾度となく見てきた」


「神の子をその辺りの聖人と同列に扱うな」


 ガブリエルはそう反論する。しかし、だからこそローズは言わざるを得ない。同列でないからこそ、うまくいかないのだと。


「やっぱり浅はかすぎる。キリストが原因となって、大きな戦争が起こるかもしれないとは考えないの? 偽者だと言われて攻撃されるかもしれない。本物とわかれば、今度は奪い合いになる。最悪、かつてと同じことが起こるわ。権力者が自身の権威を守るために処刑する。今度使われるロンギヌスの槍は、ただの槍じゃない。世界をも滅ぼす、現代の魔術」


 その時の光景がローズの脳裏に浮かぶ。必ずそうなる。皆がキリストに従い、心優しい人間に急に変わるなどありえない。強国に守られるキリストを処するには、核を使うしかない。


「だから僕が導く。それが僕の役目だ」


 天使は嘘を吐かない。それは天使の言葉が必ずしも事実だというわけではないのだと、ローズは悟った。事実だと思い込んでいれば、嘘にはならない。嘘を吐いているという自覚がなければ、言えてしまう。だからやはり、このガブリエルには、フルールに新しい神の子を産ませる力はない。あると思い込んでいるだけ。


 ならば、ローズのやることは一つしかない。このとんでもない勘違いをした天使を止める。そしてフルールを守る。彼女の穢れなき心と身体を。


 怒りと共に、凍てついた声がローズの唇から洩れる。氷の瞳は絶対零度。ガブリエルを見据え、視線だけでその身を縛る。


「……傲慢だわ。自らが神にでもなったつもり? どうやらお仕置きが必要なようね」


 ローズを縛る聖具セイクリッドの鎖が、ミシミシと悲鳴を上げだす。それでもガブリエルの表情から余裕は消えない。


「無駄だ。それは君の魔力で動作している。あがけばあがくほど、縛めは強くなる。自力では抜けられんよ」


「本当にそうかしら? フルールの聖具セイクリッドの仕掛けの話を聞いても、これを着けたままでいたのは、どうしてだと思う? こんなもので、この私を封じられると思っているの?」


 ぴしり。何かにひびが入るような音がした。ガブリエルの表情に僅かな戸惑いが浮かぶ。


「不可能だ。君の魔力がどんなに強くても、それは身体よりも縛めの方を強くする」


「甘いわね。受け入れきれると思っているの? この私の中に眠る力を? そこにある黄金の竜ペンドラゴンの所有権、誰にあるのか知らないの?」


 ローズの右手から白い光が、左手からは赤い光が漏れ出してくる。


 ガブリエルは明らかな焦りを浮かべた表情で振り返った。視線の先には、真紅の光を放つ黄金の竜。


 驚愕に凍り付いた表情で、ガブリエルがローズの方に向き直す。既に鎖のいくつかの輪が割れていた。


「力で破壊して無理やり解決するなと言ったのはお前だろう、グウェンディズ」


 突然の声。その慣れ親しんだ低い響きを聞いて、ローズは力を抜き、魔力を緩めた。


「そうね、モルドレッド。私としたことが、エレガントじゃなかったわ」


 瞬間、紅く光る剣閃が走り、ローズの縛めを打ち砕いた。


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