第二話 その名は白百合姫(フルール・ド・リス)
楽しみにしていたサングリアがなくなってしまい、少女は余ったラズベリーを寂しげに口に含んだ。舌の上で転がすラズベリーの酸味が、訳のわからないおかしな出来事に翻弄された少女の頭を冴えさせる。
先程のフルールは、明らかに一人だった。周囲に誰か隠れていた気配もなかった。本物の吸血鬼退治を学生が単独でやるわけはない。現地集合なわけもなく、道中の行動監視も含め、監督官が同行するか近くで見張っているはず。
実戦に見せかけた模擬戦。それが少女の導き出した結論だった。恐らくは、教官が吸血鬼に扮して、現地に隠れているのだろう。
トルーローのローズデール城は無人のはずで、恐らく政府の管理下にある。少し前に競売に出ていた記憶があるのだ。同じ名前故、自分の家が勝手に競売に出されたのかと勘違いしたので、内容もよく覚えている。
相続税が払えず、已むを得ず競売に出されたが、買い手がつかなかった場所。元々風化が進んでいた上に、長年相続問題で揉めてまったく保守がされていなかった。それで損傷の具合が酷く、補修費が高過ぎ誰も手を出さずに終わった。
となれば、政府に召し上げられたと考えるのが妥当。いかにもそれらしく見せかけた模擬戦の会場として、祓魔師教会が借りた可能性がある。
(でも、本当にいた場合……)
先程のフルールが転ぶ姿を思い出して、少女は段々と心配になってきた。仮にいたとしても、とても弱い眷属の眷属のはずである。そうでなければ、自分に依頼が来ている。
正直、あのフルールに余り懐かれて纏わりつかれたくはない。しかし、今度ヘッドドレスを作って持ってくると言っていた。もし来なかった場合、それが意味することは――
そこまで考えると、少女はラズベリーを噛み砕いて飲み込んだ。やはり放ってはおけない。可能性が低くとも、確認ぐらいはしないとならない。まして相手は吸血鬼。万が一のことがあった場合、自分の責任としか思えない。
ポケットから携帯端末を取り出すと、いくつも登録されていない連絡先の中から、『翼の生えたナルシシスト』と表記された項目を選んだ。
(ガブリエル、出てくれるかしら……?)
そう思いながら音声通話のボタンを押す。今日はそもそも電源を切っている可能性すらある。
仮にすぐ連絡がつかなくとも、フルールの行き先はわかっている。もう一つのローズデール城があるトルーローまでは、直線距離にして約三百五十キロ。すぐ近くでタクシーを拾えたとしても、四時間はかかるだろう。それならば、自力で追いつく手段はいくらでもある。
『何かあったのかね、ローズ? 今日連絡してくるからには、余程の用だろうね?』
意外にもすぐに応答があり、いかにも優男という感じの細く上品な男性の声が流れてきた。ローズと呼ばれた少女は、先程のフルールの姿を思い出しながら、声の主、ガブリエルに問う。
「余程の用……かどうかはまだわからないんだけど、最悪人命に関わることかもしれない。あなたのとこの祓魔師教会、祓魔師の養成学校も入ってたわよね? そこの生徒を調べて欲しいのよ。あなたなら権限あるでしょ? フルール・ド・リスって名前、あるいはコードネームの子いないかしら?」
『ああ、彼女か。確かに在籍している』
思いもよらぬ即答に、ローズは眼を瞬かせた。
「知り合い?」
『印象的な名前だからね。入学時のリストで見て興味を持った。本名なのかどうか調べたくなってね』
「そう。あれコードネームじゃないのね」
『で、そのフルールがどうかしたのかね?』
「ついさっき、ここに現れたのよ。卒業試験として、吸血鬼退治に来たって」
ローズの言葉の後、やや間があってから、驚いた様子のガブリエルの返事が届く。
『卒業……試験? 吸血鬼退治だって?』
「確かにそう言ってたの。指示書も見せてもらったわ。本来ここじゃなくて、トルーローにある方のローズデール城。あれと間違えて来ただけみたいなんだけど」
『どんな外見だった? 写真とか撮らなかったかね?』
撮るわけがない。そう指摘したかったが、どうも真剣な様子なので揶揄するのは止め、フルールの外見を思い出しながら説明する。
「瞳はエメラルドグリーン。フラクスンの髪で、長さはミディアムボブくらい。外に撥ねた感じの髪型だったわ。白の縁取りが付いた黒地のブレザー着てた。十字のアクセントあったから、養成学校の制服よね? 聖具らしき大きな銀のロザリオも持ってたわ」
『なら間違いない。僕の知っているフルールだ。おかしいな……。実技の単位を落としまくっていて、卒業試験など受けられるわけがないんだ。ポンコツの白百合姫として有名だ』
ポンコツと白百合姫。イメージの違うその二つの単語が、どちらも彼女のイメージにピッタリに思えて、ローズは思わず笑いを堪えた。心を落ち着けるために、再びラズベリーを一つ口に入れ、噛み砕く。酸味が弾けて、頭が正常に冴えていった。
『待ってくれ、今データベースに……どういうことだ? 確かに今日、卒業試験ということになっている。ローズデール城の吸血鬼退治』
「どっちになってる? ロンドン? トルーロー?」
『トルーローだ』
ローズが見た指示書通りの内容。しかし、あくまでも受験者向けの情報しか載っていなかったはず。
「それ、試験官としてベテラン祓魔師が隠れていて、吸血鬼役やるだけよね? まさか、本物いたりしないわよね?」
『だと良かったんだが、まずいことに、本物と書いてある。吸血鬼の処分予定リストにも、その場所が含まれているのを確認した』
ローズの眉がひそめられる。氷青色の瞳が、宙を睨んだ。何か強烈な違和感が全身を包む。
「ちょっと待って、あの子単独行動だったわよ? だから模擬戦だと思ったんだけど……。それ、どれくらいの強さの吸血鬼? 私に依頼がきていない以上、あの子が一人で倒せるような相手なの?」
『ああ、大丈夫だ。安心してくれ。提案書の方を見たが、これは実際には試験ではなく、彼女に対する荒療治らしい』
ガブリエルはいつもの落ち着きを取り戻したようで、その理由を説明し始める。
『今はああだが、彼女は元々素質を買われていたんだ。実技は緊張感のなさ故の気の緩みであったのかもしれない。本物の危機を用意することで、精神面で変わる可能性を試すとある。隠密行動が得意な腕利き監督官が近くに潜んでいて、いつでも助けに入れるようになっている』
本物がいるのなら、試験に同行するのではなく、事前に潜んで監視しているという論法はわかる。しかし――
(隠密行動が得意な監督官……ね)
ローズは空中に視線を固定したまま、背後に意識を集中した。先程からの違和感の正体。それが間違いないと確信してから、端末の向こうのガブリエルに語り掛ける。
「なってない可能性が高いわ。だって私の後ろに、その監督官っぽいのがいるもの」




