第四話 薔薇はすべてが紅く染まる
「お姉様、もう倒すしかないよ! 説得するにしても、無力化してから!」
言葉と共に、ローズの右手が強く後ろに引かれた。花緑青色の瞳が目に入る。そのまま身体を入れ替えるようにして、フルールが前に出た。
「モルドレッド、覚悟!」
フルールの聖具の蒼白い刃が襲い掛かる。モルドレッドは余裕の笑みで受け止めた。
「なかなかに強い魔力だが、この魔剣ガラティーンを打ち砕くことは叶わぬ」
飛び退って間合いを取りながら、フルールが叫ぶ。
「あ、あたしのこの剣は、慈悲の剣! 円卓の騎士トリスタンから、オジェ・ル・ダノワが受け継いだ、竜殺しの魔剣! ガウェインの剣にだって、負けないんだから!」
フルールの放つ蒼白い閃光と、モルドレッドの振るう紅い剣閃が幾度も交錯する。強い魔力の火花が何度も弾け、洞窟の中を物理的に照らし出した。
「贋物にしか見えぬが、悪くない代物だ。名前を借りるだけのことはある。しかし、得物が良くても、腕がこれではな」
初めはそれなりに楽し気だったモルドレッドだったが、興が醒めたようだ。それくらい、二人の剣技には差があった。モルドレッドは始めの位置から一歩も動いていない。
フルールが一人跳び回り、隙を探して多方向から撃ちかかるも、すべてがモルドレッドの一振りで軽くあしらわれていた。
「フルール、やめて。モルドレッドも。あなたたちが戦う意味なんてない」
ローズは激しく首を振りながら、二人を制止すべくよろよろと前に進み出す。
「俺も意味など感じぬ。まとわりつく蠅を振り払うが如く、不毛な行いに過ぎぬ」
「あたしにはある! あなたを倒して、お姉様の願いを叶える!」
なおも撃ちかかり続けるフルール。モルドレッドはもう完全に飽きてしまったようで、終わりにしていいか問うような視線をローズに向けた。
「駄目よ、モルドレッド。そんなことをしては駄目。そもそも、あなたのやろうとしてたことに、一体何の意味があるの? もう一度やり直しましょう。きっとやり直させてくれるわ。神は私たちを裏切らない。裏切ったのは私たちの方」
ただ戸惑い、戦いを否定することしか出来ないローズ。激しく首を振り、涙の雫を飛び散らせ続ける。
フルールは大きく後ろに飛び退り、一度距離を取った。そしてローズを見上げて叫ぶ。
「お姉様、気持ちはわかる! 愛してる人を傷付けたりなんて出来ないよね! なら、ここはあたしに任せて!」
聖具のロザリオに、強い魔力が宿っていく。その剣身は、一際眩い輝きを放ちだした。フルールの全身にも強い魔力が駆け巡り、最大限の身体強化が行われているのを感じる。
「フルール、無茶よ!」
何をしようとしているのか悟り、ローズは叫んだ。
「あたしは死なないよ! お姉様も殺させないよ! あたしを信じて!」
制止を振り切り、フルールは突撃する。モルドレッドに向かって、蒼白い剣身を前方に差し出しつつ。
そんな攻撃など予測済みのモルドレッドの剣閃が、行く手を阻む。差し違える覚悟なのか、フルールはそのまま突っ込んだ。そのフルールの剣が、モルドレッドによって弾き飛ばされる瞬間。
――彼の剣は空を切った。
直後にフルールの聖具から、再び眩く輝く蒼白い刃が伸びる。弾き飛ばされる直前、発動を解いて空振りを誘ったのだった。
モルドレッドの剣は、大きく左に振られたまま、まだ戻っていない。フルールはその隙をついて、懐へと飛び込んだ。
「ぐっ!」
しかし、直後にフルールは地面に叩きつけられていた。モルドレッドは左手一つで聖具のロザリオ部分を撥ね上げると、フルールを素手で打ち据えた。
鍛え上げられた騎士の、魔力によって更なる強化もされた身体は、素手でも人を殺すに充分な凶器となる。フルールは聖杯に守られ、死にこそしなかったものの、そのまま動かなくなった。
「心意気や良し。知恵も回る。しかし、如何せん非力すぎる。経験も足りぬ。剣の時代に生まれていれば、良い騎士になれたかもしれぬがな。脆弱で怠惰な今の世では、この程度だろう」
モルドレッドは剣を手放すと、フルールの頭を片手で掴んで持ち上げた。背後から羽交い絞めにする形で、ローズの方に向ける。
「やめて、モルドレッド!」
ローズが叫ぶのと、骨が砕かれる鈍い音が響くのが同時だった。ほぼ重なるようにして、フルールの悲鳴。
モルドレッドは冷たい視線をローズに向ける。その氷青色の瞳で、ローズを凍てつかせた。
「聖杯の在り処を先に教えてもらおう。ここの中にはなかった。聖杯を破壊しない限り、お前は殺せないのだろう。見つけるまでの間、延々と苦しませ続けるわけにはいかない」
「お姉様、教えちゃダメ!」
フルールの叫びと同時に、再び骨が砕かれる音が響いた。その顔が激痛に歪む。今度は悲鳴を漏らさなかった。歯を食いしばり、フルールは耐えてみせた。
「中々再生が速いな。――グウェンディズ、言うんだ。さもなくば、この娘は際限なく苦痛を味わうことになるぞ」
氷の輝きを放つモルドレッドの瞳。本気でそうするとローズには思えた。
(モルドレッドは目的のためなら手段を択ばない。それはきっと私が相手でも同じ……)
「聖杯は――」
痛ましい姿に耐え切れず、ローズが口を割ろうとすると、それを搔き消すかのようにフルールが叫んで制止する。
「あたしを信じてって言ったでしょ!」
「先にその喉を潰した方が良さそうだな」
モルドレッドがフルールの喉に右手を伸ばす。それで拘束が緩んだ瞬間、フルールの右手が素早く自分の懐に飛び込んだ。そこから出てきたのは、小さな拳銃。銀色の輝きが、モルドレッドの頭に押し付けられ火を噴くのと、フルールの頸がへし折られるのが同時だった。
「フルール!」
折り重なるようにして倒れる二人。慌てて駆け寄るローズの目の前で先に起き上がったのは、モルドレッドの方だった。
「くっ!!」
ローズは右手の白薔薇で牽制しつつ、フルールを抱えて距離を取った。
腕の中のフルールはぐったりとしているが、その身体からは魔力が伝わってくる。死んではいない。だが、かなり危険な状態と思えた。
「白薔薇、私の愛する者を救え」
自身の左腕に向かって、白い薔薇を放つ。引き裂かれた腕から流れ出た鮮血を、フルールの口へと流し込んだ。生き血と共に、ローズの生命力がフルールの全身へと行き渡っていく。
ローズはフルールを地面に横たえると、ゆらりと立ち上がった。
「モルドレッド、あなたの言うとおり、戦うしかないみたいね」
上げられた顔には決意が漲っていた。氷の瞳は絶対零度。すべてを凍てつかせる視線で、モルドレッドを睨み付けた。
「もう躊躇はしないわ。言葉でわかってくれないのなら、力でわからせるしかない!」
その足元で、激しく咳き込みながらフルールが叫んだ。
「お、お姉様、あたしも戦う!」
「いいの。もうあなたに苦しい思いはさせたくない。大丈夫、ちゃんと効いてるわ、あなたの攻撃は」
ローズの見据える先で、モルドレッドは剣をうまく拾うことも出来ずにふらついていた。
フルールは特別な魔力を籠めた弾丸だと言っていた。それが頭部に撃ち込まれた結果、破壊された脳がうまく再生出来ないのだろう。ガブリエルが与えたものだったのかもしれない。この場にいなくても、確かにあの天使はフルールを守っているのだ。
「モルドレッド、そんな状態のあなたに攻撃するのは、卑怯だってわかってる。でも、私はもう躊躇しない。このまま、あなたを一方的に削り倒す。――白薔薇、赤薔薇、私の愛する者に安らぎを……」
紅白の薔薇が、洞窟の広間を舞う。花吹雪がモルドレッドを覆い尽くした。その肉体と、霊体を削り取りながら、渦巻き続ける。乱れた動きは、ローズの心そのものだった。
咲き乱れる薔薇は、すべてが紅く染まっていった。ローズの右手の薔薇十字から発生する白い薔薇は、愛する者の血を吸って赤色に。左手の薔薇十字から発生する赤い薔薇も、更に濃い真紅に変わっていった。
(モルドレッド……私は……あなたを……)
ローズの眼からは大量の涙が溢れ出ていた。血の涙を流しているのかと錯覚するほど、真っ赤に泣きはらした眼になっていた。その中で青く輝く氷の瞳は、哀しみによって溶け崩れ、涙の雫となって流れ落ちていった。
どれだけの時間が経っただろう。モルドレッドは為す術もなく、肉体と霊体を削り取られ続けた。花嵐が止むと、もう頭と上半身の一部しか残っていなかった。それでも、彼は生きている。聖杯の呪いによって、生かされ続けている。
虚ろな瞳で、ローズは歩み寄る。膝をついて、モルドレッドの身体を拾い上げ、抱きしめた。
「お兄様……」
ローズの口から、そう言葉が漏れた。胸に抱えきれない気持ちが、言霊となって溢れ出る。
霊体をも大きく損傷し、再生も叶わず、動くことすらままならないモルドレッドの顔に、頬を摺り寄せた。千四百年以上ぶりのその感覚は、ローズの心を愛撫するように優しく包んだ。
「お兄様……? 兄妹……だったの?」
様子をずっと見守っていたフルールの口から、驚きの声が上がる。
止め処なく涙を流し続けながら、ローズは語る。二人の本当の関係を。現代の魔術である科学が教えてくれた、驚きの事実を。
「私のDNAとも照合してみたの。ガブリエルから提供された、モルドレッドのDNAデータを使って。結果、全兄妹だとわかった。同じ日に産まれたのなら、二卵性の双子。どちらが先に産まれたのかはわからないけど、私にとってモルドレッドは、ずっと頼れるお兄様だった」
フルールの瞳にも涙が浮かぶ。一瞬にして溢れ出し、幾筋も頬を伝った。
「だから……だからお姉様は、千四百年以上もモルドレッドのことを探して……自分の手で決着をって……」
震える声を何とか絞り出すようにしてそう言いながら、フルールはローズの側に膝をついた。
――その目の前で、モルドレッドの長い牙が、ローズの首筋に突き立てられた。