第三話 モルドレッドという男
「お、お姉様、あんなのどうするの?」
洞窟の角を曲がった先には、サブマシンガンで武装した吸血鬼数人が待ち構えていた。再びフルールがひょいと顔を出す。すぐに引っ込めたが、銃弾が多数襲い掛かり、石片が飛び散った。
「やっぱ無理ー! 近づく前に蜂の巣にされちゃうー!」
浮足立つフルールに対して、ローズは少し戻った位置の地面を指して、平然とした顔で言う。
「あなたも使えばいいじゃない」
そこにあるのは、先程倒した吸血鬼が持っていたと思われるサブマシンガン。フルールの顔が引き攣っていく。
「あ、あたし、あんなの使ったことないんだけどー?」
「そう、じゃ私がやるわ」
「お姉様は使ったことあるの……?」
これは異なことを言うとばかりに目を瞬きながら、ローズは両手を持ち上げ、聖具の薔薇十字を示す。
「これがあれば充分」
隠れていた場所から平然とした足取りで出ようとするローズを追い越して、フルールが飛び出した。
「ふおおおおお! お姉様を守るのは、あたしの役目ー!」
もう少し柔軟な戦法を身に付けさせる必要があると考えながら、ローズは右手を伸ばす。
「白薔薇、私の大切な者を守れ」
白い小さな薔薇が雲のような密度で大量に飛んでいき、フルールを追い越す。襲い掛かりつつあった銃弾の大半は、それに飲み込まれて跳弾し、あらぬ方向へと消えていった。
「お姉様、ありがとー!」
そのまま吸血鬼目掛けて薔薇たちが飛んでいった。蜂の巣にされて倒れていく相手を、フルールの蒼白い刃が襲う。あとはローズが手を出すまでもなく、フルールが全員を斬り刻み、塵と化した。
「魔術も使えない相手なんて、こんなものね。でも、奥にまだ何人かいるわ。この距離ならわかる。……モルドレッド本人がいる」
物憂げに沈んだ色の光を放つローズの瞳を、フルールの明るい花緑青色の瞳が照らした。
「お姉様、今のもう一回やって。モルドレッド以外は、あたしが倒す」
小さく頷くと、ローズは奥へと駆け出した。フルールが先に立って進んでいく。
「そこ左に曲がったところ。白薔薇!」
再び白い薔薇が花吹雪となって、フルールを追い越し曲がっていく。銃声が幾度か響き、ローズが奥の様子を見た時にはもう、フルールは最後の一人の頸を飛ばすところだった。
まだ吸血鬼たちすべては塵と化していないのに、ローズの視線は最奥で振り向いた顔に釘付けとなっていた。ローズの記憶にあるものよりは、少し老けている。しかし、紛れもなく千四百年以上ぶりの、懐かしい顔。
「モルドレッド……それを使って、何をするつもりなの?」
背が高く精悍な肢体の向こうにあるのは、竜を象った黄金の像。かつてローズが張った結界が蒼い光を放ち、周囲を何重にも覆っていた。
「グウェンディズ……やはりお前か。この結界からは懐かしい魔力が放たれている。……出来れば、ここに来てほしくはなかった。その前にすべてを終わらせたかった」
「質問に答えて、モルドレッド」
ローズは深い哀しみを湛えた氷青色の瞳で、モルドレッドを見つめる。同じ氷青色の瞳がまっすぐに見返し、次いでフルールを一瞥した。
「お前まで眷属を作ったのか。いや、似て非なるものか? お前はまだ穢れていないままに感じる。……聖杯は俺を拒絶し、お前を選んだということなのだな……」
「違うの、モルドレッド。あなたは使い方を間違えた。いいえ、私のために間違えてしまった」
その言葉を聞くと、モルドレッドはゆっくりと首を横に振り、深く溜息を吐いて下を向いた。
「そうか。あのとき再び復讐心を抱いたから、聖杯が俺を拒否したのだな」
意外な単語が飛び出してきて、ローズは恐る恐る、その真意を問い質す。
「再びって……どういうこと?」
「俺は、俺たちを捨てさせたアーサーに復讐するために、彼の元へと行った。だが俺はすぐに彼に心服してしまっていた。そういう男だった。伝説にある偉大な彼の姿は正しい」
聞いていなかった。そんな話は聞いていなかった。戸惑いを隠せず、しばし絶句の後ローズは問う。
「なら、聖杯を探しに、ここに戻ってきたのは……?」
「もちろん、彼のためだ。大陸からの侵略者たちを駆逐するために、彼は聖杯を欲しがっていた。聖杯の力を得、それを以て、人々の結束を高めようと」
至って落ち着いた様子で語るモルドレッド。嘘を吐いているようには見えなかった。ローズは驚きに眼を見開いたまま、再び問う。
「復讐の……ためではなかったの? 聖杯の力を借りて、あなたが、アーサーに」
モルドレッドは眼を伏せ、首を振りながら残念そうに言う。
「結局はそうなった。彼は俺を信用してくれていなかったのだろう。そのために、お前が犠牲になった」
そして再び顔を上げ、憎しみの籠もった眼差しで、遠い記憶の彼方の誰かを睨み据えるようにして、モルドレッドは続ける。
「だから俺は再び復讐を誓った。お前をあのような目に遭わせたアーサーを、この手で殺そうと。彼に栄華を極めさせたのちに、すべてを奪い、すべてを滅ぼそうと」
ローズの氷青色の瞳が濡れていく。その氷が解けたかのように、今にも溢れ出しそうになっていった。
「私の……私のためだったの?」
やっとのことで、ローズはそう声を出した。目の前が揺れ、足元がおぼつかなくなっていく。
モルドレッドの謀反の動機を、完全に誤解していたことに初めて気づいた。野心でも、個人的な復讐でもなく、ローズの敵討ちのつもりだった。
聖杯がなければ死んでいたローズのために、モルドレッドはあそこまでのことをした。それはそのまま、モルドレッドのローズへの気持ちの強さを示していた。根底にあるのは、恐らく――
モルドレッドは温かい優しさと、強い想いの籠もった眼差しで見返しながら告げる。
「グウェンディズ、お前を愛していた」
歓喜と、悲哀と、戸惑いと驚きまでもが綯い交ぜになった感情が、ローズの心を揺さぶる。
「モルドレッド……私は、私は――」
しかしモルドレッドのその瞳は、すぐに深い哀しみの色に沈む。ローズの言葉を遮るように、いや続きを言わせたくないかのように、無理やりに強い口調で言葉を継いだ。
「だがすべてはもう遅い! もう取り返しはつかない! ……お前はきっと俺を殺すために、ずっと追い続けてきたのだろう。お前をその呪縛から解放するために、自ら生命を絶とうとした。だが自分では死ねなかった。……死ぬならお前の腕の中で死にたい。しかしお前に俺を殺させたくはない。俺には打つ手がなかった。だから、自らを封印した」
モルドレッドの足取りがまったく掴めなかった理由が、やっとわかった。この国の吸血鬼たちが、ある時期から突然鳴りを潜めた理由も。
「自分で、自分を封印したの? ……そう、だからなのね。長年の疑問が解けたわ。何故滅さずに封印だったのか。封印出来るほどの祓魔師なら、滅することも可能だったはずなのに」
「そういうことだ。今後も戦わずに済ませられるなら、そうしたい」
それだけ言うと、モルドレッドはくるりと振り返り、無防備にも背を晒した。ローズの張った結界の解除作業へと戻る。
あくまでもローズと戦う気はないという意思を示しているのだろう。そして同時に、モルドレッドの決意の固さも表している。思い留まるくらいなら、背後からの攻撃で殺される方を選ぶということ。
だがそこまでして一体何をしたいのか、ローズには理解出来ない。黄金の竜を何に使うのかは想像がつく。何故そうしたいのか、それでどうしたいのかが、さっぱりわからない。
「モルドレッド、お願い。それに手を出すのはやめて。私だって、あなたとは戦いたくない」
一縷の望みをかけて、ローズは告げた。やめてくれないのなら、力尽くでも止めなくてはならない。しかしモルドレッドは、にべもなく突き放した。
「話は終わりだ。お願いだから邪魔をしないでくれ。俺は俺の務めを果たさなくてはならない」
「務めって何? 黄金の竜を使って、何をしようとしてるの? もうアーサーはいないわ。確かに彼は死んだ。私は彼の遺体の埋葬に立ち会ったのよ」
「本当にわからないのか、グウェンディズ!?」
モルドレッドは激しい口調で叫ぶようにしながら振り向いた。その瞳には、戸惑いの色が浮かんでいる。互いに想いが伝わらず、すれ違い続けた二人。それが一時に感情となって迸った。
「何故理解出来ない? 何故理解してくれない? お前は何とも思わないのか? この変わり果てた世界を見て? 腐った人々を見て? かつての美しかったこの国を、人々を思い出せ。余りにも変わりすぎていて、俺はアヴァロンがここだと、すぐにはわからなかったんだぞ?」
その気持ちは理解出来る。何百年ぶりかに蘇ってこの光景を見たら、そう思うかもしれない。しかし、ローズは言わなくてはならない。伝えなくてはならない、現実を。今と、過去を。
「その美しかった国を、人々を滅ぼそうとしたのは、あなたでしょう?」
ローズの言葉を聞いて、モルドレッドは俯いた。思うところはあったのだろう。彼には似つかわしくない弱々しい声で、弁解をするように語る。
「あの時の俺は間違っていた。俺を信じず、吸血鬼化するきっかけを作り、あまつさえお前を殺そうとしたアーサー。彼を殺して復讐を遂げたが、残ったものは後悔だけだった。やはり俺は彼のことを好きだった。偉大なる王で、最も尊敬すべき騎士だった」
最後は顔を上げ、熱い口調でモルドレッドは言い切った。かつて子供たちがアーサーに憧れて向けていたのと同じ視線。目の前に本人がいるかのように、憧憬に染まった瞳をしていた。
「だから……だからあのあと、姿を消したのね。その気になればもう一度決起して、王を目指すことも出来たのに。あなたには充分な人望があったもの。アーサーを好まない人々もいたわ」
モルドレッドは軽く溜息を吐くと、首を横に振りながら、独り言のように言った。
「しかし、今のこの世界では、俺は単なる裏切り者だ。だから、この方法しか採れない」
ローズにはわからない。モルドレッドが何をやりたいのか。
悲痛に歪んだ顔で、縋るような視線で見上げて問う。否定して欲しいと思いながら。
「再び滅ぼそうというの? アーサーが守ろうとしたこの国を?」
「もうここは彼が目指した国ではない。彼や円卓の騎士たちと比べて、今の政治家や官僚、財界人はどうだ? ノブレス・オブリージュの精神の欠片もない。何故彼らは責務を果たさない? この国はまだましな方だ。世界にはもっと苦しんでいる人々が数多くいる」
ローズはその言葉を否定出来なかった。言っていること自体は間違っていないと思う。
何も言えないでいると、肯定と受け止めたのか、モルドレッドは吐き捨てるようにして、自分の行きついた結論を語る。
「ゴミは除去する必要がある。間違った世の中は、この俺が正す。古き良き騎士の王国の時代に戻すのだ。ここに眠るアーサーの力を使って。それが生き残った俺の役目。恐らく最後の騎士である俺が、この手でやらねばならないことだ。そのためにこそ、聖杯は俺に呪いをかけたのかもしれん」
「黄金の竜を使って、クーデターを起こす気なの?」
「そうだ。あの時の、アーサーへの反乱の続きを、今からやる。俺は所詮そういう男なのだ」
モルドレッドはそう言うが、ローズにはただ悪者ぶっているようにしか思えなかった。彼の中には、既にアーサーへの復讐心などない。今のこの国は、もうアーサーとは関係ないことも当然知っているはず。だから、根底にあるのは、人々への愛。力ある者としての義務感。
しかしそれは、間違った方向を差してしまっているとしか思えなかった。一つ掛け違えただけで、愛は簡単に憎しみに変わる。ローズとモルドレッドのように、すれ違ってしまう。
ローズはその眼に溢れんばかりの涙を浮かべながら、モルドレッドを見つめる。
「モルドレッド、あなたはきっと何百年も眠ってたのよね? だからその目で見ていない。だから何も知らない。でも私はずっと見てきた。どうして人が変化してきたのか、街が変化してきたのか」
ゆっくりと、一歩一歩モルドレッドに向かって歩み寄りながら続ける。
「今の方が悪いとは一概には言えない。昔は昔で戦争だらけで、たくさん人が死んでいた。今は一部の地域を除いて、ほとんど起きてない。食料難にあえいでる地域もあるけど、大抵の国はそうじゃない。医療も進歩して、黒死病で村ごと焼かれることもなくなったのよ」
瞬きと共に雫が頬を伝う。モルドレッドの持ち込んだ照明の光を反射して輝きながら。
「あの頃の方が良かった部分もあるし、確かに今は昔以上に特権階級が腐ってる。でもそれでも、真っ当な志を持つ人々は数多くいるし、良くしようと努力してるわ。私は何人もそういう人たちを見てきた。政治なんて、私たちが生まれる前から、良くなったり悪くなったりの繰り返し。この先ずっとおかしいままってことはない」
モルドレッドの目の前に立つと、その精悍な顔に向かって両手を伸ばした。深い哀しみと愛を湛えた、氷青色の瞳同士で見つめ合う。
「力で破壊して無理やり解決しないでも、そのうち人は良い方向に変わっていく。それを待ちましょう、私と一緒に。あなたにも、いくらでも時間はあるのだから」
抱きしめようとしたローズの両腕を、モルドレッドは乱暴に振り払った。そして叱り付けるような強い口調で言う。
「見えていないのはお前の方だ。確かに俺やお前には時間があるかもしれない。しかし、持たざる人々には、時間などない。世の中が変わる前に、彼らは死んでいく。いや、腐った特権階級の奴らに殺されていく。……アーサーが生きていたら、こんな世界は許さないだろう。きっと彼も立ち上がる。騎士として、人民のために」
(モルドレッド……あなたの時間は、あの時のまま止まってしまってるのね……)
ローズが俯くと、その眼に湛えられていた大量の雫が、一気に地面へと零れ落ちた。そのままぽつぽつと染みを増やし続けていく。震える声が、喉から洩れる。
「あなたはいつも急ぎ過ぎるのね。あの時も同じ……。相手のことをもっとよく知って、互いに理解し合おうとせず、勝手に決めてしまう。今もそう」
「それはお互い様だ」
モルドレッドが手を伸ばし、ローズの身体を乱暴に突き飛ばした。慌ててバランスを取り戻しながら、ローズは何歩も後退する。その目の前で、モルドレッドは自身の左胸上部に右手を突っ込んだ。服と一緒に身体をも突き破り、鮮血が溢れ出す。
「やはり戦うしかない運命のようだな、グウェンディズ。残念だが、死んでもらう。ここで勝って世界を変えようとも、お前に負けて死のうとも、俺にとってはどちらも本望だ」
引き抜いたモルドレッドの右手には、鈍く光る剣の柄が握られていた。そのまま体内から引きずり出すようにして、強い魔力の輝きを放つ剣身が現れる。
「これ以上苦しませはしない。終わりにしよう」
ローズに向かって不気味に紅く光る剣を突き付け、モルドレッドは告げた。




