第六話 黒薔薇は闇夜に花開く
パーティーは夜遅くまで続いた。ローズたち三人は、ホテルの個室の一つで密談中。丸ごと貸し切りである故、希望者は無料で宿泊していけることになっていた。
「本物かどうか調べはついたの?」
ガブリエルが携帯端末をしまうのを見てから、ローズはそう切り出した。
「先程撮った写真で照会したが、やはり前会長とやらで間違いないね」
サプライズゲストとしてやってきたのは、数年前に身を引いた前会長。同乗していた護衛ではなく、本人が吸血鬼だった。偽者ではないことを、ガブリエルが確認した。
「どう扱うの? 今後の動きって、追えるのかしら? 今のあなたの設定なら、あとで面会を申し込めたりしない?」
ガブリエルは前髪を払ってから、いつもの気障な微笑みを浮かべて言った。
「今日お持ち帰りしよう。戦力は揃ってるんだ」
言うだろうと予想してはいたが、ローズは思わず溜息を吐いた。
「お持ち帰りって、どうやって? あなたがナンパでもしてくるの?」
「まさか。僕にそんな趣味はない。君が行くんだ」
至って真面目な顔で言ってのけたガブリエルに向かって、ローズは強い口調で反対する。
「ちょっと待って。私、そういうのは絶対嫌よ? あいつ、好色そうだったし」
「あたしも大反対! お姉様にそんなことさせちゃダメ! 清らかな乙女なんだよ!」
フルールも一緒になって抗議してくれて、ローズはそれがとても嬉しくてならない。
実際、手を出されそうになったら、その場で殺してしまいかねず、自信もない。
「二人して何を勘違いしているのやら。それでは君の方がお持ち帰りされてしまう」
呆れ顔のガブリエルは、大げさに肩を竦めてみせてから続けた。
「僕が頼んでいるのは、お持ち帰り可能な形状に彼を加工してくれ、ということだ。出来るだろう? その白薔薇と赤薔薇を使えば」
殺さない程度に手加減して攻撃し、文字通り手に持って帰る、ということのようだった。
相変わらず性格の悪いガブリエルを半眼で睨み上げながら、ローズは口を尖らせて言う。
「それならそうと最初から言ってよ。……それで、あの護衛はどうするの? まさか皆が寝静まるのを待って、外壁上れとは言わないわよね? バルコニーとかない部屋よ、あそこ」
前会長は最上階の個室に入った。どうも泊まっていくようだった。扉の前には護衛が二人。
元が古城故、塔がいくつかある。そのうちの一つから出て屋根の上を進めば、部屋の真上までは行ける。だが宮殿ではなく城だからか、外にバルコニーなどはなく、僅かな足場を頼りに窓を破るしかない。出来ることは出来るが、気付かれないようにやるのは難しいと思えた。
「ふむ……持ち帰ったことが発覚すれば、どちらにしろ騒ぎになるのは避けられない。が、逃げる時間を確保しづらくなるのはいただけないな。あまり派手にはやりたくない」
「じゃあどうするの?」
「そうだね……霊体を傷付けても、証拠は残らない。よって、傷害罪は適用されない」
護衛を赤薔薇で攻撃して、気絶させろということのようだった。相手はただの人間。事情を知らない一般人である可能性も高い。
ローズは横に座っているフルールの方を見た。不安そうに眉尻を下げ、揺れる瞳でこちらを見上げている。フルールの期待している返答は明らかだった。
「御自分でどうぞ。あなただって、それくらい出来るでしょ?」
冷たく言い放つと、ローズは立ち上がってフルールの手を取った。
「帰りましょ、フルール。あとはこの人でなしに任せておけばいいわ」
しかしフルールは立ち上がらない。ローズとガブリエルの顔を交互に見る。それから、決意の眼差しで見上げながら言った。
「あたしが囮になるよ」
「囮って、どういうこと?」
「気を引いて、護衛を持ち場から離れさせるだけで済むでしょ? それなら、誰も傷付かないよ」
ローズはフルールの前にしゃがみ込み、その両肩に手を置いて言い聞かせるように口を開く。
「フルール、自分のこともちゃんと勘定して。あなたが傷付いたら意味がないの。危険なことはさせられない」
「大丈夫大丈夫。危険なことはしないよ。危険に見えるけど、危険じゃないことをするだけ」
フルールはそう言って、自信ありげににっこりと笑った。
§
夜闇の中に、少女の甲高い悲鳴が響く。フルールの声。
「きゃー、誰か助けてー! 落っこちちゃうー!」
随分な大根役者だと思いながら、ローズは塔の窓からその様子を見ていた。向かいの塔の窓からは、割と簡単に屋根の上に出られるようになっている。そのまま棟の上を渡りきると、この塔へと来られる造り。
フルールは好奇心からの悪戯で屋根の上を渡ろうとしてしまい、途中で怖くなって足が竦み、動けなくなったという設定。魔力による身体強化さえしなければ、フルールの運動神経なら落ちることはない。それで、ローズはこの作戦に許可を出した。
更に金切り声を上げ続けるフルール。向かいの塔の窓から、人が顔を出してその様子を見ている。
ローズは階下に意識を集中した。ここを下りると、すぐに前会長のいる部屋の前に出られる。そこにいる護衛の二人が、救出に動くことを期待していた。
職業柄、身のこなしには自信があるはずである。そしてフルールは、特に大事な招待客の婚約者の妹。勝算はあると思っていたのだが、前会長の護衛の方が優先なのか、持ち場を離れる気配はなかった。
(仕方ないわね……私も大根役者の自覚あるけども……)
ローズは素早い深呼吸を繰り返し、意図的に息を切らせてから階段を駆け下りた。
「誰か! 誰か助けて! 妹が、妹が屋根の上に!」
敢えて護衛のいない方を向いて叫んでから、くるりと振り返る。黒服を着た護衛たちは、あまり興味なさそうにこちらを見ていた。ローズは助かったとばかりに安堵の表情を浮かべつつ、二人に駆け寄る。
「良かった、人がいて」
それから必死の形相を装い、護衛の一人に縋り付くようにして懇願する。
「妹を、妹を助けて。あの子、屋根の上に取り残されちゃったの。私はなんとか渡りきれたのだけど、あの子は途中で足が竦んで、動けなくなっちゃったみたいで」
護衛の二人は、困惑した表情で顔を見合わせた。
「万が一のことがあるとまずいな。文化省との関係がこじれるかもしれん」
ローズは自身が目立つ容貌であったことに感謝した。最悪、設定を利用して、恐喝紛いの言動で命令しようと思っていたのだが、名乗るまでもなかったようだった。
「私が行きます。そこから上がれば?」
「お願いします、こちらです」
先導してローズが動き始めても、流石にもう一人は部屋の前を離れない。振り返ると、残った一人にも縋り付いて懇願した。
「お願い、あなたも行って。あの子、怖がって暴れるかもしれない。あの人だけじゃ、かえって危険だわ」
「大丈夫です、お嬢さん。我々はプロです。彼に任せておけば、心配ありません」
護衛はそう言ってローズを落ち着かせようとする。
(あまり時間を掛けると、本当に暴れて落ちてしまうかもしれない……)
真面目なフルールならやりかねない。成功の合図がない限り、時間を稼ぎ続けようとするだろう。
「そう、仕方ないわね。でも、私もプロなの」
ローズの言葉の意味を護衛が理解する前に、赤い薔薇の花嵐がその周囲を埋め尽くす。ローズの左手の薔薇十字が赤く光っていた。
赤薔薇によって霊体の一部を削り取られた護衛が、声も出せずに崩れ落ちていく。音が立たないよう、その身体を受け止めた。二~三日は目を覚まさないかもしれないが、死ぬことはない。
雰囲気を損なわないようにか、扉の鍵はレトロなシリンダー錠であることを確認すると、護衛のポケットをまさぐった。何かあった時に外から入れるよう、合い鍵を持っているはず。
予想通りそれらしきものが出てきて、急いで差し込むとぴたりと合った。そっと扉を開ける。フルールの悲鳴がさらに激しくなった。護衛の一人が辿り着いてしまい、時間稼ぎに必死なのだろう。
「白薔薇」
中に侵入すると同時に、ローズは右手の聖具を発動した。窓から外を見ていた前会長が振り返ると同時に、白い薔薇が喉を掻き斬る。声が出せなくなった相手に向かって、白い薔薇が多数、襲い掛かり続けた。
攻撃しつつ床に護衛を横たえると、左手も伸ばして赤薔薇も多数飛ばす。
紅白の薔薇が、花吹雪のように華麗に部屋中を飛び交う。それが収まった時には、両手両足を失い、再生も出来ないほどに弱った、前会長の身体だけが残っていた。
(すぐに発覚しそうね……)
床に大量の血痕が出来てしまっている。顔も見られていることで、本来招待されていた官僚に迷惑が掛からないか心配になった。しかし、ガブリエルも承諾している作戦であり、辻褄合わせは彼の仕事だと割り切った。
前会長が開けて外を見ていた窓に駆け寄る。顔を出して下を見ると、ガブリエルが見上げていた。
首を引っ込めると、汚らわしさに顔を歪めながら、頭と胴体だけになった前会長を担ぎ上げて窓から放り投げた。もう一度顔を出して、ガブリエルが受け止めたことを確認する。
それから、窓の外に向かって、紅白の薔薇をいくつか飛ばした。フルールへの作戦成功の合図。急いで振り返ると、廊下に飛び出て鍵を閉める。そのまま力任せに回し続けて、へし折ってしまう。これなら、別の合い鍵を持ってきても、すぐには開けられないだろう。
塔の階段を急いで、しかし足音は立てないように駆け上がる。そこにも人が来ていた。その後ろから背伸びをするようにして窓の外を見ると、落ち着きを取り戻したフルールが、護衛に手を引かれて歩き出したところだった。
「フルール、落ち着いて。あともう少し。頑張って」
ローズは地面にへたり込んでから、そう声を出した。護衛がこちらを見たかもしれない。初めからここにいたが、野次馬たちの陰に隠れて見えなかったかのように装った。
視線が合うと、フルールの表情が歓喜に染まる。
「お姉様ー!」
そこからは走り出して、ローズの元へと飛び込んできた。野次馬の一人と一緒に手を伸ばし、フルールの腰くらいの高さがある窓枠を乗り越えさせる。
「うわーん、怖かったよー! お姉様ー!」
フルールは大声を上げてわんわんと泣いた。本当に涙が出ている。実際、怖かったのかもしれない。落ちる危険というよりも、作戦が成功するかどうかの方で。
「どうも、お騒がせしました。みなさん、ありがとうございました」
ローズは周囲の野次馬や、窓の外でやれやれといった表情で立ち尽くす護衛に向かって、何度も頭を下げた。
(さっき外に人がいた。ガブリエル、うまくあれ持ち帰れるかしら……?)
屋根の上のフルールに注意が向いていて、気付かれなかったとは思う。しかし、もう一人の護衛も持ち場を離れていることは、すぐに問題になるはず。前会長と連絡が取れないことも。
「彼を、彼を早く安心させてあげなきゃ。フルール、行きましょう」
ローズはフルールの手を取って、さっさと塔の階段を駆け下りた。護衛が戻るより先に階下まで下り、そのまま森を抜けて逃亡してしまうつもりだった。ガブリエルの手配した迎えの車と合流すれば、あとはもう安心。




