第五話 湖畔に咲く社交界の花々
「可愛い! 可愛い! かーわーいーいー!」
リムジンの中でハイテンションに叫び続けるフルール。別にもふもふの子犬が同乗しているというわけではない。
「お姉様、この間買ったのもいいけど、やっぱりそういう清楚系は最高に似合うねー。ほんとのお姫様みたい!」
そんな調子で褒めちぎられ続けた。既に可愛いという単語を百回は聴いた気がする。ずっとその表現しかしておらず、興奮で語彙力が完全に崩壊しているように思えた。
(他の褒め方ないのかしら……それに、可愛らしさでいえば、フルールの方が……)
ローズはどうしてもそう思いながらフルールを見てしまう。濃い目のピンクを基調とし、一部に花柄のデザインも入ったカクテルドレスは、小柄なフルールにはとても似合っていた。
向かいのガブリエルに視線を遣ると、いつもと同じく白だが、今日はスーツではなくタキシード。胸に花飾りをつけている。中性的な感じもする顔立ちの彼には、それがまた似合い過ぎていて、逆にローズの気に障ってならない。
そのガブリエルが、いつものとおりの気障な笑みを浮かべながら、フルールに同意する。
「確かに僕もそう思うよ。黒薔薇姫から赤薔薇姫に改名した方がいいよね?」
「うんうん。白薔薇姫でもいいよ。次の時はさ、白いドレスにしよ! 花飾りいっぱいつけて!」
ローズは自分の格好を見下ろした。珍しく赤いドレスを身に纏っている。ガブリエルが用意したものだった。頭には本物の薔薇を使ったヘッドドレス。そちらはローズの家にあったものを改造して、庭の薔薇を利用してフルールが手作りしたもの。
「いいねえ。ウェディングドレスみたいだね、まるで。お相手は誰だろう? 羨ましいな」
「ほんとだよ! きっと白馬の王子様だね!」
二人して楽し気に会話して盛り上がっていて、ローズは思わず言わざるを得ない。半眼になって睨みつつ、たっぷりの嫌味を籠めて口を開く。
「あなたたち、今から何しに行くのか、ちゃんと理解してるの?」
これは異なことを言うとばかりに、ガブリエルが目を瞬かせながら答える。
「もちろん。僕の婚約者お披露目パーティーだろう?」
ローズは苦虫を噛み潰したような顔になった。確かに二人の関係は、そういう設定になっている。ガブリエルは文化省の若きエリート官僚。ローズはその婚約者。フルールはローズの妹。その設定で、パーティーへと出席する。
「パーティーの趣旨が違う。……待って、あなた嘘吐けないはず。え、本当は違うの? モルドレッドの息子が勤めてた建設会社。あそこが主催するパーティーに行くんじゃないの?」
事前に聞いていたのは、建設会社がよく請け負っている、指定建造物の保守や補修の仕事関連の人々を集めたパーティーへの潜入。この間の官僚からの情報で開催を知り、本来招待されていたその官僚に無理を言って、代理として出席することになっていた。
「主催はそうだよ。あそこの部長だ。例のモルドレッドの息子が補佐役をしていた人物で間違いない。グローバルトラストから招待客が来るというのも本当。他にも関連企業や組織から、多数招待されているのも本当。何一つ嘘は言っていないつもりだが……?」
ローズは左手をガブリエルに向けて伸ばしながら言った。手首の薔薇十字は、淡い赤色の魔力で光り始めている。
「私、赤薔薇姫になったみたいだから、赤い薔薇たくさん飛ばしてもいいかしら? あなたのこと、綺麗に着飾らせてあげるわ。それとも、白い薔薇の方がいい? 美しい赤い装飾が、勝手に生えてくると思うんだけど? あなたの中から」
「おお怖い怖い。赤い薔薇の方が、棘が多いようだ」
ガブリエルはそう言って、おどけた様子で肩を竦める。ローズは深く溜息をついた。
「お姉様、心配しないで。あたしはちゃんと理解してるよ。吸血鬼探せばいいんでしょ?」
「フルール、あなたの方がずっと頼りになるわね……」
ローズは潤んだ瞳でフルールを見つめる。しかし、フルールはケラケラと笑った。
「ま、あたしに区別付くかどうか、怪しいもんだけどね!」
初めて会った時のことを思い出し、ローズは頭を抱えたくなった。確かに、フルールには見分けがつかないのかもしれない。
「そもそも、いるかどうかわからないんだ」
やる気を殺ぐようなことをガブリエルが言い出す。しかし、否定は出来ない。
「まあ、ぞろぞろ出てくるとは思ってないわ。いてもせいぜい一人か二人。モルドレッド本人が来てくれればいいけど、流石に望みすぎよね。彼に会ったことがあるか、直接眷属にされた吸血鬼がいれば、御の字ね」
「妥当な線だ。それくらいは期待していいと考えたから、僕もわざわざ出張ってきた。モルドレッドが自分の息子だけ吸血鬼化していたとは思えない。息子の方が内部で仲間を増やした可能性もある。どちらにしろ、彼の出世スピードは異常過ぎる。御膳立てした者が、上層部にいるはずさ」
ローズもそう思う。モルドレッドの息子は、部長補佐の役職を与えられていた。年齢と学歴からは考えられない地位。それがどうも、部長自身の意向ではないようなのだ。むしろ部長の方が、モルドレッドの息子の言いなりに見えるとの、周りの社員の証言があったと聞く。
「部長本人は、確かに吸血鬼ではなかったのね?」
「僕自ら尾行して確認したんだ。間違いのわけがない。どちらにせよ、今日自分で確かめられるだろう」
そうすると、誰かもっと上の人物、あるいは頭が上がらない取引先の意向と考えられる。であれば当然、その人物はモルドレッドとの繋がりがあるはず。
突然ガブリエルが身動ぎした。ポケットに手を入れながら口を開く。
「多分、頼んでいた招待客リストの調査結果の報告だ」
端末を操作してページをめくるガブリエルの指を見つめながら、ローズは問う。
「どう? 誰か引っかかった?」
ガブリエルは残念そうに首を振りながら答える。
「いや、移動途中に近づけた相手には、一人もいなかったそうだ」
「そう。確認出来たのは誰?」
「君が一番疑っていたグローバルトラストからの招待客は、全員シロだそうだ」
ローズは落胆の溜息を吐いた。トルーローのローズデール城補修は、作業員の証言通り、グローバルトラストからの発注だった。しかも窓口となったのが、モルドレッドの息子。あの場所で吸血鬼たちが会合を持っていたことと併せると、相手はグローバルトラストの誰かではないかと予想していた。
多数の歴史的建造物の保全活動を行っている団体故、補修工事の発注も初めてではない。上客である以上、モルドレッドの息子に関しての口利きも行えたはず。
「モルドレッドの目的、聖杯探しだと僕は踏んだのだが、外れだったかな?」
「探してるのは聖杯ではない可能性があるけど、発想としては合ってると思うわ。もしモルドレッドが部署まで指定したのだとしたら、あちこちの遺跡を調べるのに都合が良いからというあなたの考えは、理にかなってる」
「そうすると、関係者が多く集まるこのパーティーへの潜入、やはり千載一遇のチャンスで間違いないね」
「ええ、この機会を設けてくれたことには感謝してる。私とあなたの関係の設定を除いてはね」
ローズは半眼で睨み付けながらそう言う。
(見た目の年齢差は充分にあるのだから、妹にでもしてくれれば良かったのに)
しかしそのローズの想いを知ってか知らずか、ガブリエルは相変わらず楽し気。
「フルール、御馳走がたくさん出る。マナーは大丈夫かね?」
「もちろん、司祭様。あ、間違えた、ガブリエルお義兄様!」
すっかり義理の兄妹ごっこ。ローズの悩みは尽きない。
§
会場はスコットランドの湖畔、古城ホテル貸し切りの豪華なものだった。
リムジンを降りると、吸血鬼の気配を探りつつ受付を済ませたが、付近には見当たらなかった。
主催の建設会社の社員だろうか。理知的な感じのパンツスーツ姿の女性が現れて、ガブリエルといくつか社交辞令を交わしたのち、会場へと案内される。
今夜は天気が良く、湖に面した庭にいくつものテーブルを並べ、メイン会場としてあるようだった。周囲は特に柵などで仕切られてはおらず、そのまま森へと続いている。
少々派手な格好をさせられたとローズは思っていたのだが、むしろ地味な方だった。色とりどりのカクテルドレスに身を包んだ、まさに社交界の花々たちが庭に咲き乱れている。寄り添う男性陣の中では、流石にガブリエルが一番目立って見えた。
「昔を思い出すかい?」
開始を前にウェイターから受け取ったドリンクを手に、ガブリエルがそうローズに問う。
「昔って?」
「こういうのによく参加していたこともあったんじゃないかね?」
ローズはやや遠い目になって、記憶を探りながら答える。
「こんなに小綺麗なものじゃなかったわ」
「昔の方が華やかだったんじゃないかと思うがね……」
「たぶん、あなたが考えてるのとは、時代が違うんじゃないかしら? 参加出来るような身分だったのも、そんなことをする余裕がある情勢だったのも、ほんの一時だけだったわ」
「そうかい、意外だな。君の物腰を見ていると、本当に姫と呼ばれていた時代があるのかと思ったんだが……」
「ないわよ、そんなの」
吸血鬼を探してあちこちを放浪しているか、俗世から離れ隠棲しているか、あるいは戦場で剣を振るっているか。ほぼそのどれかだけの人生だった。
歳を取らないということは、存外不便だった。ローズは十六歳の時の見た目のまま。あまりにも若すぎて、ほんの数年で、変化のなさを不審に思われてしまう。それ故、ひとところにいられるのはせいぜい二~三年。あちこちを転々とするか、深い森や山の中で、完全自給自足生活をするしかなかった。
(そういえば、モルドレッドは、吸血鬼になった時よりも少し老けていたわね……。不老性が違うのかしら? それとも血を吸わないでいると、歳を取る?)
そこのところはローズにもわからなかった。吸血鬼と友達になったことは流石にない。
やけに静かだと思ってフルールの方に目を遣ると、背伸びをしながら必死に何かを見ている。湖の方向。ローズもそちらに注意を払ったが、特段フルールの気を引きそうなものは見当たらなかった。
「フルール、何か特別なものでも見えるの?」
くるりと振り返ったフルールの瞳は、猛烈な好奇心に輝いていた。
「あのね、ネッシー見つからないかと思って! ここネス湖だよね?」
相変わらずの発想に、ローズは声を出して笑ってしまった。
「いると思ってるの?」
「前は信じてなかったけど、今は信じてる! だって、目の前に伝説の存在が二人。普通の人にネッシーとどっちを信じるかってアンケートとったら、多分みんなネッシーって言うよ?」
「君の負けだね。彼女の理論の方が正しい」
ガブリエルにもそう言われ、ローズは妙に納得してしまった。どちらのが非科学的かで言えば、当然自分やガブリエルの方。ローズは苦笑して、フルールの頭を撫でながら言う。
「ネッシー探したいのなら、そのうち連れてきてあげるから、今日は別のものを探して」
「うん、そうする。あたしはあてにならないだろうけどね!」
にっこりと笑うと、すぐに気持ちを切り替えたのか、至って真面目な表情になってフルールは会場を見回し始める。本当に素直な子だとローズは感心した。
「始まるようだよ。彼が部長だ」
司会の案内で、主催者である部長が壇上に立ち、挨拶を始めた。確かにガブリエルの見立て通り、部長自身は違うと、ローズも思った。ごく普通の人間。魔術などを身に付けている気配もない。知らずに利用されているだけの一般人と考えるのが自然。
「僕の目で見える範囲には、やはりいないね」
ガブリエルの言う目とは、恐らくは天使としての目のこと。魂を見ているのだとローズは思う。フルールを見ただけで、彼女の魂が欠けていて、一部はローズの中にあることまで見抜いていた。吸血鬼もそうやって見分けるのだろう。
「私が感じる範囲にもいないわね」
ローズの場合は魔力の気配。吸血鬼特有の、穢れた感じの魔力はどこからも漂ってこない。一人一人を見ていっても、纏っている魔力の色は、綺麗な人間のもの。その光の強さからすると、魔術を使うような者も、招待客の中には紛れていないと思える。
「まさか、無駄足だったのかしら?」
「君らしくもない早計さだね。まだ来ていない人間がいるかもしれないだろう?」
「それもそうね。今日は来ないだけかもしれないし、こういう場には現れないだけかもしれない。繋がりがある人間がいる可能性はあるから、話を聞いて周りましょう」
「あ、あたしは、食べてるだけの方がいいよね? 下手に話したら、ボロ出しそう」
引き攣った笑いを浮かべながらフルールが言う。ローズはもちろんガブリエルも、同意も否定もしなかった。
「ま、楽しみながらやっていきましょう」
そうして、ガブリエルとは別行動をとったりしながらも、フルールとは片時も離れず時を過ごした。会話でボロを出すことよりも、吸血鬼を見抜けない可能性と、聖具の仕掛けを恐れた。
とはいえ、ガブリエルの天使としての能力は確かなので、ローズは比較的リラックスして、美味しい料理に舌鼓を打ったりしながら、会話を楽しむことが出来た。
「素敵な色の髪ね。生まれつき?」
突然後ろから声を掛けられて振り向くと、上品な感じの薄紫色のレースのドレスを着た婦人がいた。既に中年の域だが、中々の美人で、物腰的に上流階級の人間と思えた。
「お褒め頂きありがとうございます。これは天からの授かりものですわ」
ローズは軽く頭を下げて会釈しながらそう答えた。
「本当にお美しくて羨ましいこと。あの方は地位だけでなく、素敵な宝も手に入れるのね」
婦人の視線を追うと、ガブリエルの方を向いていた。
「傾国の美女、という言葉もございますわ。たまたま授かった外面を磨くだけでなく、彼を陰日向から支えていくよう努力いたします」
「お若いのに本当にしっかりしているわね。彼はきっと出世しそうね。今のうちに取り入っておこうかしら?」
「御冗談を」
ローズは微笑で返したが、婦人は真顔になって、横に立ち小さな声で言う。
「本気よ、私は。うちの社にも、もう少し仕事を回して欲しいというのが実情ですの」
会話の内容的に、主催の会社とは別の建設会社の人間と思われた。モルドレッドとの関係は薄そうな気がするが、ライバル企業のようなので、ローズは少々興味を惹かれた。
「わたくしの言うことを彼が聞いてくださるかどうかはわかりません。ですが、お友達はたくさん欲しいと考えていると思いますわ」
そう答えると、婦人は満足そうに微笑み、話を続けた。
「この間、地震がありましたでしょう? あれで損傷した場所が二カ所ありまして。グラストンベリー・トーにある旧聖ミカエル教会の方は、もうここの会社に決まって――」
「グラストンベリー・トーが!?」
損傷したと聞いて、ローズは思わず発言を遮り、大きな声を出してしまった。
「お、お姉様、大丈夫?」
フルールに袖を引かれて、ローズは自分がしたことに初めて気付いた。
「あ、ご、ごめんなさい。ちょっと、その、思い入れのある場所でございまして」
狼狽しつつ、婦人に向かって深く頭を下げた。
(中は、大丈夫なのかしら?)
不安で仕方がなく、動揺が収まらないのが自覚出来る。
「あなたもあの場所がアヴァロンだったという説を信じているのかしら?」
婦人は気を悪くした素振りもなく、興味深げな瞳で訊ねてきた。ローズはそれに乗っかって、話を合わせる。
「そうですの。わたくしも、この子も、アーサー王が大好きで」
「あたしは、ランスロットが一推し!」
「あら、私もランスロットが一番好きですわ」
「ほんとほんと?」
「ええ。一番強いのはランスロットよ」
フルールに向かって柔らかい笑みを浮かべつつ、婦人はそう答える。それからローズの方に向き直して、話を元に戻した。
「ダフリン・ガーデンズ、ありますでしょう? 震源から近かったので、いくつか損傷があったそうなのよ。そちらはまだ決定ではないそうだから、割り込めないかと思いまして。元々の業者がいますから、あまり無茶は出来ませんが、お話だけでも」
「わたしくの方からそういった口出しは出来ませんが、今度彼も交えて、個人的にお食事でも致しましょう。この子とも意見が合うようでございますし」
ローズはフルールの頭を撫でながら、直接的にはなりすぎない言い方を選んで返した。婦人は満足気に頷くと、名前と連絡先の入ったカードを差し出してくる。
「素敵なフィアンセに、こちらを」
ローズは会釈してそれを受け取った。
「それでは、よしなに」
そう言うと婦人は優雅に立ち去った。行き先を追うと、また別の標的と思われる人物に話しかけている。もしかしたら正式な招待客ではないか、身分を偽って工作に来たのかもしれない。
(本来の趣旨とは違うかもしれないけど、あの人のおかげで重要な情報が手に入ったわ。もっと自分でアンテナ張っておかないと駄目ね……)
そのローズの思考を遮るように、フルールが袖を引く。
「お姉様、美味しいお料理を食べて、忘れよ」
また表情に出ていたのだろうか。フルールが心配してくれたようで、聖女のような微笑みを浮かべながらそう言ってくれた。
「ええ、そうしましょう」
ローズが笑みを返して皿を手にしようとすると、突如として司会の声が響いた。
「さあ、宴もたけなわと言ったところ。皆様お待ちかねの、本日のサプライズゲストが到着いたします。湖の方をご覧ください」
薄暗くなってきた湖の上に、ライトが見えた。それから、モーターボートの音。そして――
「フルール、ガブリエルと合流するわよ」
向こうも気付いたようで、足早に近づいてきた。フルールだけが事情がわからないようで、不安気に二人の顔を交互に見ている。
「ガブリエル、サプライズゲストって誰?」
「僕も聞いていない。しかし、確かにサプライズゲストだ。僕たちにとっても」
「同乗者の方かもしれないわ。私たちにとってのゲストは」
ローズには二人の人間とゲストが乗っているように感じられる。ゲストとはもちろん――