第四話 花が震えれば大地も揺れる
フルールを助けに来た時同様、住宅街を避けて、裏にある公園から小川を越えて近寄った。城壁に張り付いて意識を集中し、中に人の気配がないことを確認する。
「誰もいないと思うわ。電子的なセキュリティシステムとかはあるかもしれないから、いざという時は、走って逃げるからね」
不法侵入であることに、フルールは少々及び腰のようだった。不安そうな顔で近づいてくる。
ローズは魔力を流して身体強化をしつつ、城壁の上へと跳び乗った。慎重に内部を見渡してみたが、特に目立つようなセキュリティシステムは見られない。手招きしてフルールを呼んだ。
「ほっ、と!」
やはりガブリエルの仕掛けのある聖具を身に付けていなければ、かなり良い動きが出来るようで、フルールも一足飛びで三メートル近くある城壁に上ってみせた。
下りる方も大丈夫と判断すると、ローズは先に敷地内へと跳び下りる。続けてフルールが音もなく着地した。
「最初はあなたが――」
襲われた場所、と言おうとして、ローズは口篭もった。あれだけ恐ろしい目に遭ったのだ。あの場所くらいは避けさせて、別行動を提案しようかと迷う。
「お姉様、心配してくれてありがとう。でも大丈夫、お姉様が一緒だから!」
そう元気に言って、フルールは明るい笑顔を向ける。
安心して進み始めたが、フルールはローズの左腕に縋り付いてきた。
「これ、ドキドキ系デートだね! 肝試しだね!」
などと言って誤魔化しているようだが、身体は小刻みに震えている。
(やっぱり、ただ強がってるだけ……)
フルールの左手は、何度も胸元をまさぐっていた。本来なら聖具のロザリオがある場所。
「聖具ないのが不安?」
フルールは口を開きかけたり、止めて下を向いたり、少々迷う素振りを見せてから頷く。
「慈悲の剣はね、単なる武器じゃなくて、あたしにとっては心の拠り所のお守りでもあったから……」
「コルタン……? それ、王室の戴冠宝器の一つ、カーテナのことよね? どうしてあなたが……?」
コルタンはシャルルマーニュ伝説に出てくるオジェ・ル・ダノワの剣で、かつては円卓の騎士の一人、トリスタンが使っていた剣を譲り受けたものだとされている。そしてカーテナと同一のものだとも。
ロンドン塔の宝物館に展示されていて、実際に見に行ったことはあるが、特別な力は感じなかった。なので、展示物はレプリカなのだとローズは解釈していた。
「お姉様、まさか本物だと思っちゃってる? あたしが勝手に名付けただけだからね?」
「え……あ、ああ、そうなの?」
不審気な顔になったフルールは、背伸びしてローズに耳打ちするように問う。
「もしかして、慈悲の剣の伝説も本当にあったこと? オジェ・ル・ダノワ、本当にいた?」
「会ったことはないけど、話に出てくる人たちや、その状況は、私の知ってる過去とかなり似てるから……」
フルールの瞳が好奇心に輝く。
「あたし、そのうち本物探しちゃおうっと! ――あ、もしかしたら、ここにあるかも!?」
そう言ってフルールは先に立って歩き始めたが、やはりおぼつかない足取りに見えた。
ローズは懐にしまってあったフルールのロザリオを取り出しながら声を掛ける。
「フルール、これ、返すわ」
振り返ったフルールの表情は、喜びではなく戸惑いと驚きに包まれていた。
「いいの? あたしがそれで自殺しちゃうんじゃないかって、心配してたんじゃないの?」
「もう、大丈夫だと思うから。流石に自分が吸血鬼じゃないって実感出来てるだろうし、聖杯の話も信じてくれてるみたいだから」
フルールは一度下を向いて少し間を置いた後、顔を上げて言った。
「あたしね、もう吸血鬼かどうかなんて、どうでもいいんだ。聖杯の乙女とかも。お姉様が助けてくれたってことが大切だと思うの。だから、貰った命を粗末にはしないよ」
「フルール……」
「もしも、やっぱり吸血鬼だったとしても、血は吸わない。吸いたくなっちゃったら、吸わずに死ぬ。お姉様のためでも、他人の生命は犠牲に出来ないから」
フルールはそう言うと、制服の内ポケットをまさぐった。出てきたのは、銀色の小さなデリンジャー銃。護身用の超小型拳銃として有名なもの。
「死ぬ気なら、これでも死ねたんだ。慈悲の剣が奪われちゃったときとかのために、隠し持ってたの。気付かなかったでしょ? これね、特別な魔力を籠めた弾丸入ってて、かなり強力なんだよ」
自慢げに言うと、フルールはにっこりと微笑む。
(一杯食わされたわね……)
ローズは苦笑せざるを得なかった。単純に見えて、中々に駆け引き上手なのかもしれない。ガブリエルと一緒で、嘘は言わないが、本当のことを全部明かすわけでもないのだろう。
「はい。返しはするけれど、あくまでもお守りとしてよ。戦うのは私に任せて」
ロザリオを受け取りながら、フルールはぶるぶると首を振って否定する。
「何言ってるの、戦うのはあたしの役目。これ、名前の通り剣なんだよ? こっからぶいーんて、魔力の刃が伸びてくるんだよ? お姉様は多分魔法使いタイプでしょ?」
「まあ、そうなんだけど……苦手な距離はないわよ?」
「それでも時間稼ぎくらいは出来るんだよ!」
そう宣言すると、フルールは聖具のロザリオを握りしめつつ、前に立って歩き始めた。
(まあ、何かいる気配はないし、いたらいたで、瞬殺すればいいか……)
フルールの実力よりも、聖具の仕掛けの方が心配だった。しかし、そのことは言わないようガブリエルから口止めされている。隠したまま反対しすぎると、フルールの自信を過剰に奪いかねない。ポンコツと呼ばれて悩んでいたのだから。
ローズ個人の感情としては、ガブリエルに掛け合い、仕掛けを解除させてしまいたかった。しかしそうすると、フルールを学校に戻せなくなる。卒業させて危険な任務に出すわけにはいかないが、またポンコツに戻すというのも無理がある。
かといって手元に置いておいても、やはり危険に晒される。強力な吸血鬼との戦いを考えると、下手に自信をつけて、積極的に前に出たがられても困る。
フルールに何かあった場合、祓魔師教会とシオン修道会の間での問題に発展しかねない。最悪、それぞれの上部組織である、国教会とカトリックの教派間争いになる可能性すらある。
それを考えると、フルールには可哀想だが、現状はガブリエルの依頼通りにするしかないというのが、ローズの最終的な判断だった。
「他にも出入りしてたようね……わずかだけど、穢れた魔力の残滓を感じるわ」
フルールが襲われていた場所には、吸血鬼固有の魔力の痕跡が残っていた。モルドレッドの息子のものではない。滅したことで、彼のものは魔力の残滓すらも消滅してしまっている。
「あたしは何も感じないけど……?」
首を捻りながら、かつてホールだったと思われる石積みの部屋の中をフルールは歩き回る。
「私にもはっきりしないのよね。痕跡を消すような魔術が行使されたように思える。だからあの時は気付かなかったのね……。これなら、祓魔師教会の調査で何も出なくても不思議はない」
ローズの言葉に、フルールがくるりと振り返って問う。
「それって、あたしも落ち込まなくていいってこと?」
「もちろん。こんなの気付く人、ほとんどいないわ」
フルールがほっとした笑顔に変わったのを確認してから、消された痕跡を追って、丹念に敷地内を歩き回った。流石に外までは完全には消しきれておらず、確信が持てたところでフルールに告げる。
「複数の吸血鬼が出入りしてたように思えるわ。残ってる痕跡の移動方向と、念入りに消してある場所の法則からすると、やっぱりさっきのホールに集まってたように思える」
「ねえねえ、あそこに隠し扉とかあったりしない?」
フルールらしい発想。しかし、実際あってもおかしくはないとローズも思う。元々戦いを想定して作られているのだ。いざという時に城主が逃げるための隠し通路があるというのは、ごく当たり前のこと。
「探してみましょうか。そういうのだったら、たぶん祓魔師教会が見つけてたと思うけども、念のためってことで」
「うんうん。なんか楽しそう!」
それからフルールと二人、ホールの中をあちこちと探り周った。石積みの壁に不自然な場所がないかよく観察し、違和感を覚えたら押してみたり引いてみたり。
すると、突然地鳴りがして、建物が揺れはじめた。
「何これ? 何これ? あたし、なんか罠にでも引っかかっちゃった?」
フルールが慌てて走ってきて、ローズにしがみ付いてガタガタと震える。本気で怖がっているように思えた。
「いえ、地震じゃないかしら? ……収まったわ」
「じ、地震? あたし、そんなの生まれて初めて」
フルールの言うとおり、英国でもフランスでも確かに珍しい。しかし、無感地震も含めれば、年に平均十回は起きている。特に多いのがウェールズ。割と最近、二〇一八年にも、英国としては大きな地震があったばかり。
このコーンウォール地方は、ブリストル海峡を挟んでウェールズの対岸。二〇一八年のときには、このトルーローのあたりまで揺れの範囲が広がっていた記憶がある。
「ちょっと待ってね。地震だったのなら、ネットにニュースが流れるはず」
ローズは携帯端末を取り出し、地震についての情報を探した。すぐには出てこなかったが、五分ほどそうしていると、先程のタイミング辺りで確かに地震があったとの発表が見つかった。
「これ見て。やっぱり地震。カーディフのあたりね」
震源は、やはりウェールズ南端。ブリストル海峡沿いだった。奥まった付近で、対岸のコーンウォール地方までほんの三十キロもないような場所。
このトルーローからは百八十キロくらいあるが、風化が進んだ建物故に、揺れ以上に音が響いただけのようだった。実際、足下の揺れはそれほど感じなかった。
「大丈夫なの、お姉様? これ、崩れてきたりしないの? もう地震は終わり?」
「そうね……もっと大きいのがきたら私も怖いけれど、この国でそういうことはまずないと思うわ。建物に大きな被害が出るのなんて、本当に百年に一度もないくらいだから」
そう言ったものの、フルールはすっかり怖じ気づいてしまっているように見えた。ローズはフルールの頭を撫でながら、優し気な微笑みを向けて言う。
「終わりにしましょう。多分、何も出ないわ。遺留品とかは、祓魔師教会が回収したはずだろうし。ガブリエルに訊いてみる。隠し通路とか調べたかどうかも含めて」
「そっか……じゃあ、結局ここで何してたのかな?」
それはローズにも何とも言えない。ただ、少なくともこの部屋には、隠し通路はないと思える。あるのなら、城外へと続いているはず。そこから出入りせずに、普通に外を歩いた痕跡があるということは、存在しないと考えるのが妥当。
「人気のないこの場所で、会合をしてただけなのかもしれないわね。モルドレッドの息子が補修の件でここを知って、秘密の会合に丁度いいと判断して、利用してただけなのかも」
出入りの痕跡は、裏の城壁を越えてのもの。北側の森の向こうは田園地帯。深夜であれば、人目に付かずに集合可能だろう。
単に目立たないようにするだけなら、人口密集地で人に紛れれば良い。しかし、市街地では監視カメラに記録が残る。魔術を嗜む吸血鬼にとっては、こちらの方が最適な場所と思える。
「なるほど……でもさ、これお姉様でもはっきりわからないほど痕跡消してるってことはさ」
フルールはそこで言葉を切った。ローズに言わせたいのだろう。因縁の相手の名前を。
「そう思う。モルドレッド本人が来てた可能性が高い。毛髪やらなにやら、物理的な証拠を調べる方が確実そうね。ガブリエルに連絡とってみるわ」
ローズは端末を操作して、『翼の生えたナルシシスト』を呼び出そうとした。しかし、電源が入っていないか、電波が届かない場所にいるとのアナウンスが流れている。軍の方の調査に動くと言っていた。恐らく今ちょうど調査中で、出られない状況なのだろう。
祓魔師教会が回収した遺留品の件と、隠し通路などの調査の件について問い合わせるテキストメッセージだけ送ってから、フルールと共に遅い帰宅となった。




