第三話 何れ菖蒲か杜若
その後、フルールを連れて、トルーローのローズデール城へと向かった。ガブリエルがまた航空機を手配してくれ、午前中に到着することが出来た。
フルールは制服に着替えてからやってきた。戦闘服でもあるらしい。祓魔師教会によって魔術的な防御策も講じてあるそうで、よくよく調べてみれば、確かに魔力を帯びた銀糸が中に通してある。
戦いはないとローズは踏んでいるが、特別目立つ服装というわけでもない。それでフルールが安心するのであれば、むしろ自分の方から勧めたいくらいだった。
「お姉様、あれ何かな?」
タクシーを降りて城門へ続く小径へと曲がると、フルールが前方を指差して言った。同じ感想をローズも抱いた。城門の向こうに作業着姿の人間が何人も入り込み、中でフェンスのようなものを組み立てている。
「工事でも始まるのかしら? 調査のために封鎖してくれてるわけではなさそうね」
どう見ても建設会社の作業員としか思えない格好。現場保存を不自然に思わせないための偽装だとしても、ガブリエルから何も情報がないわけはなく、タイミングも遅すぎる。
小径の途中に止めてあるトラックから、機材を下ろしている作業員がいる。
「ねえ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
ローズが話しかけると、作業員は手を止めて振り返った。
「なんだい、学生さん。見学にでも来たのかい?」
フルールが制服姿だからか、そう問い返された。勘違いされたままの方が都合が良いと思い、ローズは相手の話に合わせた。
「ええ、ちょっと学校の課題のために来たんだけど、これ、何やってるのかしら?」
作業員は、城門の脇に設置された看板を指しながら答える。
「詳しくはあれ見てくれ。補修作業が始まるんだ」
「補修作業? ここって、買い手つかなかった場所よね? 誰がそんなことするの?」
「経緯はよく知らないが、あれだ。グローバルトラスト。知ってるかい?」
「ええ、自然保護団体よね?」
ローズも名前だけはよく知っているところだった。各地の歴史遺産の保護も行っている有名な公益法人。ローズの育ったアヴァロンがあった場所も、今はグローバルトラストが管理している。もっとも、伝説の舞台として保護されているわけではない。そういう説は有名だが、確定はされていない。単純に歴史的価値が認められているだけの話。
「地域住民からの要望があったんじゃないかな。近くの家の人たちが、さっきから同じように話を聞きにきているよ。みんな喜んでいた。まあ、こういうものを、なるべく残したいという気持ちはわかる」
「そう……」
保護の要望が多かったのであれば、グローバルトラストが国から管理を任されてもおかしくはない。相続税が払いきれずに競売に出された以上、国に召し上げられたのだろうから。
ガブリエルは、ローズデール城の歴史的価値について調査中という名目で、文化省の官僚に調べさせると言っていた。元々そういう話があって、利用したのかもしれない。
「お姉様、お姉様!」
作業員が指した看板をさっさと見に行っていたフルールが、こちらを向いて手招きしている。
「どうしたの?」
「これこれ、この会社」
ローズも近づいて見てみると、看板には工事の計画が記載されていた。施工業者は、先日処分したモルドレッドの息子が勤めていた建設会社。
「もしかしてさ、ただこの工事の下見してただけ? 悪巧みしてたわけじゃなくて?」
「それはちょっと短絡的すぎないかしら? 他に人はいなかったわ。二週間も無断欠勤してたらしいし、少なくとも会社の仕事としてではないんじゃないかしら?」
「あ、そっか……」
城門から中を覗いてみると、まだフェンスを張っているだけで、足場も組んでいない。調査するなら今の内と思える。工事が終わるのを待つ余裕はなく、痕跡が消える可能性も高い。
「ねえねえ、中、見せてもらえないかしら?」
機材を持って中に入っていく先程の作業員の背中に声を掛けた。くるりと振り向いた彼は、弱った表情で首を振る。
「駄目駄目。風化が進んでいて危険だから補修をするんだ。終わって安全になってから見に来てくれ」
ローズは作業員に身を寄せ、上目遣いで見上げながら甘い声を出した。
「お願い、特別に入れてくれないかしら? それじゃ学校の課題の締め切りに間に合わないし」
作業員がどぎまぎした様子で鼻の下を伸ばし始めたのを確認すると、その胸に手を当て、そっと撫でながら、しなだれかかるような媚びた声で駄目押しをする。
「私、歴史マニアなの。だから、修復前の姿をどうしても記録しておきたいわ。一緒に勉強しない、色々と? あなたも、私について記録したいこと、たくさんあるんじゃないかしら?」
周りに視線を巡らせた後、作業員は真顔に戻って言う。
「駄目だ。馘首になっちまう。ほら、帰った帰った」
そう言って、犬でも追い払うかのように手を振られた。
(せっかくサービスしてあげたのに……)
不満顔で振り返ったローズの前には、燃える瞳のフルールがいた。
「お姉様……年頃の乙女が、そんなことしちゃダメー!」
実年齢を知っているフルールに年頃の乙女と言われ、ローズは悪い方向に解釈した。下を向きながらいじけて言う。
「年頃って言っても……見た目だけだし。多分世界一の老婆だし……」
「そんなことないよ! お姉様はとっても可愛いし、綺麗だし、何年前に生まれたかなんて関係ない。あたしは大好き。ちゃんと恋愛対象になるよ!」
フルールは真剣な瞳で見つめながら、強い口調で言った。その言葉を聞いて、ローズは今朝のガブリエルの話を思い出した。
(この間も愛してるって言ってたけど、あれ、アガペーの話じゃなかったのかしら……?)
出逢ってまだ一週間も経たない。愛してると言われたのなんて、翌日の話。フルールの性的指向がそっちだとしても、流石にそんなわけはない。普通に異性から見ての話なのだとローズは思い直した。
「えっと、その……ごめんなさい」
ローズはなんとなくフルールに頭を下げて謝ってしまった。
「もー。ああいうの、ふしだらだよ! 見損なっちゃうよ!」
(やっぱり……そこなんだ……)
お堅いフルールには、単に色目を使う行為自体が許せないだけのようだった。
「と、とりあえず、夜まで時間を潰しましょう。二十四時間工事を続けるわけはないから」
ローズがそう提案すると、フルールは側に寄ってきて耳打ちする。
「こっそり忍び込むの?」
「それしかないでしょ。大丈夫、私は得意だから。あなたもやれるわよね?」
フルールは自信ありげに頷いた。
§
トルーローの中心街の方へと歩いていくと、十分もしないうちに軽食も食べられる喫茶店があった。昼食も兼ねて中に入る。
美味しそうなパスタ料理があったので、二人してそれを頼むと、先に出てきた紅茶を飲みながら出来上がるのを待った。
フルールはティーカップの中を見つめながら、物憂げな表情をしている。先程ローズが色目を使ったことで落ち込むわけはなく、庭の手入れも出来ずにただ時間を潰すのがそんなに憂鬱なわけもない。
(何か学校のことで悩みでもあるのかしら?)
そう考えてローズが問いかける前に、フルールがぼそりと呟くように質問をしてきた。
「お姉様ってさ、キリスト教徒だよね?」
「一応そう。祓魔師ではあるし」
「教派は?」
視線だけ上げてフルールが問う。質問の趣旨はなんとなくわかったが、嘘を言っても仕方ないので、ローズは本当のことを告げた。
「祓魔師教会は英国国教会傘下だけど、私自身は、元々はカトリックだった」
ローズの予想通り、フルールは哀しげな表情になって俯いた。
「あたしもカトリックなんだ……。修道会で結構厳しく育てられたの」
やはり、予測は当たっているようだった。かなり敬虔で、生真面目な性格だから、悩むのも仕方ないと思える。
カトリックでは、同性愛は罪ということになっている。子孫を残す目的以外での性行為が、七つの大罪の一つである色欲に相当するという解釈で。
長であるローマ教皇が同性婚を容認するような発言をしたこともあるが、のちに教皇庁は『同性婚は祝福出来ない』との公式見解を発表している。故に、自身の性的指向を罪と思ってしまっているのだろう。
どう言おうかしばし悩んだのち、直接的に語ってしまうことにした。
「ねえフルール、あなたは女の子の方が好き?」
フルールは何度か口をパクパクと開け閉めしたりして、明らかな狼狽を示したあと、しどろもどろになって答える。
「えっと……あの……その……あたしは、す、好き……だけど、でも、みんなのこと好きだし、それに、ほら……あれ、あれなんだっけ、あたしは、その……」
嘘を吐くことも罪。そう考えているのだろう、フルールは。だから、はっきりと否定も出来ないようだった。
「フルール、教義なんて所詮人が作ったものにすぎないわ。その時の都合によって権力者が変えて、分化したもの。だから色々と教派がある。国教会がどうやって出来たかくらい、知ってるでしょ? カトリックの教えだって、神が定めた絶対のルールではないわ」
単純にそれだけが理由でもないが、英国国教会成立のきっかけは、時のイングランド王、ヘンリー八世の個人的事情。アン・ブーリンと結婚するために、王妃キャサリンとの間の婚姻の無効を求め、教皇と対立したことによる。実質的な離婚であるため、カトリック側はそれを許さなかった。
「教派によって同性愛が罪かどうかは違う。宗教が違えば、キリスト教での禁忌が当たり前に許されてるどころか、推奨されてるところすらある。例えば一夫多妻制がいい例でしょ?」
「イスラムの神様とかは、それでも赦してくれるだけじゃないの?」
納得していない様子でフルールが口答えをする。ローズにとっては予想の範囲内で、それを元に説得の理論を固めていく。
「それはそうなんでしょう。でもね、英国国教会では、同性婚こそ容認してないものの、同性カップルに『最大限の自由』を与えるとしてるわ。この国では法律で同性婚が正式に認められてもいる。さて、英国国教会の首長は誰?」
「女王陛下」
「そう。法律も教義も、同じ人が最終的に許可したってこと。国民には認めるのに、信徒には認めない、なんて不平等なことあるわけないわよね?」
フルールは小さく縦に首を振る。それを見て微笑みながら、ローズは続ける。
「もし本当に罪なら、それ決めた人たちは天罰を受けてるわよね? でもそんな話は聞かない。少なくとも神は、罪と思ってないってことじゃないの? 人が勝手に決めた教義だから、自由に変えていいと思ってるんじゃないかしら? 英国国教会とカトリックの神様は別の神様?」
ふるふると首を振ってフルールは否定した。同じキリスト教。同じ神を信じる者たちの間で、神自身が扱いを変えるわけはない。それこそ教義を否定することになる。
「じゃあ、あたし、自分の気持ちに素直になってもいいの? この気持ちは、罪じゃないの?」
上目遣いで、探るような視線を向けて訊ねるフルール。ローズは優し気な微笑みを浮かべながら、大きく頷いた。
「もし罪だったら、聖杯はあなたを守ってくれなかったんじゃないかしら? 神様が救ってくれたのよ、あなたを。……今度、デートにでも誘ってみなさい」
フルールの顔が、夜明けの地平線のように眩く輝いていく。
「わかった、ありがとう! ならさ、さっそく今から行こう! どうせ時間あるし!」
今から行こう。その言葉を聞いて、ローズは辺りを見回した。何人も客が入っているが、全く関係ない人たちにしか見えない。その中の誰かを誘うということではないだろう。
(やっぱり……相手は私だったの? 学校の同級生とかじゃなくて? もしかして、墓穴掘った?)
戸惑うローズの前で、フルールは片手を上げて大きな声を出した。
「パスタまだですかー!? 早く食べてデート行きたい、デート!」
その後、ローズはフルールに散々引き回された。大して広くはないトルーローの繁華街を、隅から隅まで周ることになった。
「ねえねえ、お姉様。おっそろーい! このティーカップ買おうよ!」
「こ、これ……?」
雑貨店に入ったフルールが選んだのは、ヒヨコの可愛らしい絵がプリントされた、安物のティーカップ。
「ヒヨコさん、嫌い?」
揺れる瞳で見上げてくるフルール。それを見ると、ローズには反対出来なかった。
「いいえ。これ買いましょう」
普段使っているカップは、確かにお揃いではなかった。ローズのお気に入りのものは、一つしかない。しかし、複数セットのものがいくつも家にあることは、隅々まで片付けたフルールなら把握しているはず。買うこと自体に意味があるのだとローズは解釈した。
会計を済ませ、受け取った包みを天に向かって持ち上げて、くるくると回ってフルールは大喜び。それを眺めるローズの目は、自然と細められた。
「そうだ、今日は時間も半端だし、場所もあれだからさ、今度ちゃんと時間を取ってデートし直そうよ! その時着るお洋服、買いに行こ?」
フルールはそう言うと、ローズの手を引いて駆けていく。
連れられていった衣料品店は、フルールくらいの年頃の女の子たちがいかにも喜びそうな、可愛らしい服だらけ。フルールならどれを着ても似合いそうだと眺めていると、その中の一着をフルールが掴んだ。
「これ! これ絶対似合う!」
ひらひらのフリルがたくさんついた、薄緑と白のサマードレスをフルールが示す。スカートが少々短いが、フルールならとても可愛らしく着こなすだろう。
「ええ、似合うと思うわ」
「やっぱりそう思う? よし、じゃこれ二つ! 試着してみよ、試着」
「は?」
ローズは思わず口を開けたまま首を傾げた。フルールは宣言通り二着手にすると、ローズの背中をどんどんと押していく。
「ちょっと待って、まさか、一つは私の?」
「もちろん! おそろいのコーデで!」
「嫌よ、年甲斐もなくそんなの着られないわ」
「何お婆ちゃんみたいなこと言ってるの! 見た目は若いんだから、ちゃんと可愛い格好しなきゃ!」
そう言って試着室に押し込まれてしまった。ローズは無理やり手渡された服を手に考える。
(『見た目は』って言った、あの子……見た目だけ……所詮見た目だけ……)
ローズはとても微妙な気持ちになりながら、服を持ったまま立ち尽くした。
「お姉様、着替えたー?」
「まだなんだけど……」
「早く着てみてよ。あたしお姉様の可愛い姿見たい! ぜったい似合うって!」
その後も催促が続き、仕方なくローズは着替えた。鏡の方は見ないようにする。
おずおずとカーテンを開いて、顔だけ出した。
「ね、ねえ、本当にこれ買わなきゃ駄目?」
「買うかどうかは見てから決める。どーん!」
フルールが無理やりカーテンを引き開けて、ローズの全身が露になる。フルールの視線が嘗め回すように動き、ローズは恥ずかしさに身を捩った。
「可愛い! お姉様、やっぱりめっちゃ可愛いよ! いつも着てるドレスも上品でいいけどさ、こういうのもとっても似合うよ? ドレスもさ、もうちょっと可愛らしさ前面に押し出そう。あたしお裁縫も得意だから、仕立て直してあげる!」
一気にまくしたてるフルールに気圧され、ローズは何も言えない。それからフルールは、どこから取り出したのかリボンを手に試着室へと乱入。嫌がるローズの髪を勝手にいじり回す。
(誰なの……これ……)
終わった後に振り向かされ、鏡の中にいたのは知らない人物。ローズと同じ顔をしているが、見たことのない他人。ティーンズ向けのファッション誌から取り出した、モデルか何かのように思えた。
「やっぱりツインテも似合う! 素材がいいと何でもいけるね! 髪長いから色々とアレンジ可能だし。次はポニテにしてみる? サイドテールのがいい? ツーサイドアップも捨てがたいか……」
その後着せかえ人形のようにされて、いくつもの可愛らしすぎる服と、可愛らしすぎる髪型を試された。
結局、最初のサマードレスの他に、ネイビーブルーのゴシック風ワンピースを買うことになった。ゴシック風と言っても、ローズが普段着ているような、大人しいものではない。日本のアニメや漫画にでも出てきそうな、可愛らしいデザイン。もちろん、お揃いで二着ずつ。
それらを抱きしめるようにして歩きながら、フルールはご満悦の様子だった。
「わ、私……それ、やっぱり似合わないと思うんだけど……? あなたは確かに、とても可愛いかったけど……」
「いずれアヤメかカキツバタだよ!」
フルールはローズの方を向いて、口を尖らせるようにして言う。
「日本って国のことわざでね、優劣つけがたいくらい、どっちも可愛いって意味だよ」
そうフルールは解説したが、微妙にニュアンスが違う気がする。優劣つけがたいという慣用句ではあるが、アヤメとカキツバタが似ていて、区別がつかないというのが語源のはず。
(そういえば、アヤメってアイリスのことよね? フルール・ド・リスは、直訳通りの百合ではなく、アイリスの紋章。なら私は、カキツバタ?)
ローズは携帯端末を取り出して、カキツバタとはどういう花なのか調べてみた。漢字で書くと、杜若。若いという字が入る。杜という漢字には、塞ぎ止める、という意味があった。
(ずっと若いままでいろってこと?)
舞い上がってくるくると回りながら歩いているフルール。その無邪気な陽気さを見ると、流石にそこまで考えているわけはないと、ローズは思い直した。基本、単純なのだ、フルールは。