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聖杯を満たすは愛の色  作者: 月夜野桜
第三章:黒薔薇は闇夜に花開く
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第二話 愛ゆえに悲劇は起こる

「ふんふんふーん♪ ふんふんふーん♪」


 フルールの鼻歌が、薔薇の茂みの向こうから流れてくる。何を歌っているつもりなのかは判別出来なかった。ポンコツは聖具セイクリッドのせいだが、音感については天然のようだった。


「随分と楽しそうだね、彼女は」


 茂みの方から視線を戻し、ガブリエルは自身も楽し気な顔で感想を漏らす。


「今日からは庭の方だって。よく頑張る子ね。丸五日もかけて、徹底的に家の片付け終えたばかりなのに」


「少々意地悪と思っても、僕があの手段を採らざるを得なかったことには、理解を示してもらえるかな?」


 聖具セイクリッドへの細工の話だと、ローズは受け止めた。確かに、フルールの頑張りはローズの想定以上だった。世話になる恩がどうとか、そういう話ではなく、元来の性格のようだ。


「で、自ら来たってことは、あの監督官、ハットンの件の報告かしら?」


「それもある。――が、そちらは大したことではなかった。我々にとってもっと重要なことの方から話をしよう」


 大したことではない。それを聞いて逆にローズは気になってしまった。フルールへの指示とハットンへの指示が食い違っていたことは、自分の目で確認している。陰謀などなく、本当にハットンまで勘違いしただけということはあり得ない。


 先に聞くとローズが言いかけた時、その気を失わせる単語がガブリエルの口から飛び出た。


「モルドレッドの件だ」


「見つかったの?」


 食いつくようにテーブルの上に身を乗り出したローズの目の前で、ガブリエルは瞼を伏せて首を横に振った。ローズは小さく息を吐きながら、姿勢を戻して視線を落とす。


「顔認識システムを使って、前科者リストと照合したが見つからなかった。まあ、DNAが登録されていない以上、それも当然の話だがね」


「でも、顔写真だけ登録されてるものもあるわよね? パスポートとか免許証とか」


「当然探したさ。政府関係の顔写真付き証明書類はすべて確認したが、見つからなかった。それで報告に来た。もっとも、あくまでもAIによる認識だ。見逃しがある可能性はあると思う。別のアルゴリズムのもので再検索させている」


「そう……」


 少なくとも一九九五年にはこの国にいた。当時は欧州連合加盟国。他の加盟国の人間であれば、入国審査なしで出入り可能だった。ドーバー海峡を越えてすぐ向こう側の、フランスの国籍などなのかもしれない。


「すべての国は調べられないよ。英国祓魔師教会アンダー・テンプルと協力関係にある組織が存在するところだけだ」


 同じことを考えていたのだろう。ガブリエルが先んじて発言した。


「お気遣いありがとう」


 ローズが礼を言うも、ガブリエルは小さく首を横に振って応じる。


「別に君のためじゃない。単にそれが僕の使命だからだ。それよりも、国内の監視カメラの方が重要だ。この国にいるのであれば、見つかる可能性が高い。もっとも、相手の方も警戒はしているだろうがね。政府関係から何も出ないくらいには、工夫しているのだから」


「そうね。そもそも、封印されてた期間が長いだろうとは言え、千四百年以上も足取りを掴ませなかった相手。――私が無能だっただけかもしれないけど」


 そう自嘲するローズを、珍しくガブリエルが慰める。


聖杯グラールに守られているとはいえ、君はただの人間だ。天使たちの無能の方を責めるがいい。僕だけではないだろう。過去にも彼を追う任務を負った者がいたはずだ」


「またこのまま待つしかないの? 彼が監視カメラに引っかかるまで?」


「そうとも限らない。まだ調べられることはいくつかある」


 ガブリエルは自信ありげに微笑みながら言った。髪を掻き上げる仕草だけは、相変わらずローズの気に障る。


「先に、わかっていることを説明しよう。モルドレッドの息子についての追加情報だ。殺人事件に巻き込まれたことにしたのは、母親への説明のためだけではない。警察を使って、ある程度は調べさせられるからだ」


「何か出てきたの?」


「勤務先の建設会社から、事件の日までの二週間ほど、無断欠勤していたという情報が得られた。ただし、それ自体は特別なことではなく、よくあることらしい」


 それでは、あまり役に立つ情報とは思えなかった。しかし、何もなければわざわざ話すわけはない。ローズは紅茶を口に運びながら、続きの言葉を待った。


「特別なのは、そんな彼が処罰されず、会社にいられる理由の方だ。あの建設会社、指定建造物の補修を手掛けていてね。その担当部署の部長のお気に入りらしい」


「指定建造物って、歴史的・文化的価値を認められて、政府が保護をしてるものよね?」


「そうだ。政府との繋がりがある重要部署だから、厚遇されているのかもしれない。それで、会社と付き合いのある文化省の官僚を通して、探りを入れさせることにした。あのトルーローのローズデール城にいた理由と、それに会社が関連しているのかどうかについて」


「その官僚、どこまで知ってるの?」


 ガブリエルは首を横に振りながら紅茶に手を伸ばす。こちらの世界のことは何も知らないということだろう。それで役に立つかどうか、微妙に思える。


「まあ、警察から聞かせるよりはいいだろう。殺人事件と関係ないことをあまり探らせると、流石に不審に思われるからね。ローズデール城の歴史的価値について調査中、という口実で調べさせることにした。欲しい情報を指定出来ないのが歯痒いね」


 結局、ガブリエルもあまり期待はしていないということ。しかし、教会が動くのは不自然すぎる。まずはそういった探りを入れることから始めるしかないのかもしれない。手掛かりに繋がりそうな何かが見つかれば、こちらが動くということだろう。


「死んだ場所、あのローズデール城にすれば良かったのに。警察とはもっとパイプが太いのでしょう? そうすれば、警官に交じって、会社からもっと色々と訊き出せたんじゃない?」


「そう言うな。遺体を母親に引き渡せない理由を作る必要があったのだから。煤程度しか残らないような規模の火事など、そうそう起きないからね」


 言われてみればそうだった。少々、自分勝手が過ぎた気がして、ローズは俯いた。母親がフルールに縋り付いて泣いていた光景が、脳裏に浮かんだ。


「本来の捜査に影響出てたりはしないの? 被害者が増えてしまったら、容疑者像も変わるわよね?」


「そこは抜かりない。もう犯人の目星がついていたから、利用させてもらった。上は事情を知っているしね。可哀想なのは犯人の方かな」


 一人多く殺したことになってしまう。裁判で裏事情を考慮させることは不可能だ。記録が公開されるのだから。


「気にするな。元々連続放火魔だったらしい。量刑は大して変わらない」


 ガブリエルにまで思考を読まれた気がして、ローズは苦笑した。


(私って、そんなに顔に出やすいのかしら?)


 そうローズは考えたが、ガブリエルは至って真面目な表情のままだった。読まれたというよりは、最初から想定していただけなのかもしれない。


「というわけで、現地調査はこちらで独自にやるしかない。君に頼みたい。この五日間、祓魔師教会アンダー・テンプルの方で調べさせはしたが、何も出なかった。しかし、君なら何か見つけられるかもしれない。能力がまったく違うし、何より彼のことを一番よく知っているのは君だ」


 ならばその調査とやらに自分も参加させればよかったのに。そうローズは言おうと思ったが、ガブリエルの視線の先を追って、別途ということになった理由がわかった。フルール。彼女の安全が確認出来るまでは、祓魔師教会アンダー・テンプルとは接触させたくなかったのだろう。


「今日これから行くの? あなたは?」


「いや、僕は別件で少々動かなくてはならない。我々の管轄とは関係ないと思うんだが、軍の方が何やら騒がしいようでね。念のため探りを入れておきたいんだ」


 ローズの眉がひそめられる。わざわざガブリエルが動くということは、何かある。


「それ、本当に関係ないの?」


「確かめるために僕が自ら行く」


「わかったわ。ローズデール城の方は任せて」


「頼む。そちらは君だけが頼りだ」


 ガブリエルはそう言って頷いてから、紅茶を一口飲んだ。


「それで、フルールの卒業試験の件だがね、ハットンの単なる個人的な恨みだった」


「個人的な恨みって……どういうこと? 彼はどうしたかったの?」


「流石に彼の自白内容を信じられなくてね。ここに報告に来るのが今日になってしまったのも、調査が長引いたからだ。魔術的な処置で操られていたりしないか、時間を掛けて確認した」


 どんな奇想天外な理由が出てくるのか、ローズは心配でならなくなった。後ろを振り返り、フルールの位置を確認し直す。こちらに背を向けて薔薇の枝の剪定をしていた。


 ローズはテーブルの上に身を乗り出し、声を潜めてガブリエルに問う。


「ね、どんな恨みだったの?」


 ガブリエルの方もローズに顔を寄せ、小声になる。


「この五日間共に暮らして、彼女がどういう人間だと思ったかね?」


「どうって……そうね、出自のせいかしら? まるで聖女のように思えるときがある。慈悲深くて、人の心の機微がよくわかる感じ。正義感は強くて、結構お堅いところがある。けど懐は広くて、とても寛容でもあるから、それで恨まれるということはないと思うわ」


「ふむ……他には?」


「少々素直過ぎるきらいはあるけれど、頭は切れる。人を疑うという発想がないか、あるいは意識して信じようとしてるのかしら? 簡単に騙されはするけれど、論理的に考えてわかることは、すぐに気付くわね。でもからかわれたこととかを根に持ったりもしないし、他人と深刻に揉めるタイプには見えない」


 ローズがそう評すると、ガブリエルは満足そうに微笑んだ。彼の娘なのかもしれないと考えたことを思い出した。自慢の娘が褒められた時のような、そんな感じを受ける。


「ねえ、あなたって子供いる?」


「何だ、藪から棒に? まだいない。僕は独身だ。この先どうなるかは、何とも言えない」


「そう……」


(私の勘違いかしら? 単にあの子のことがお気に入りなだけ?)


 ガブリエルは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていて、しばし会話が滞った。


「ごめんなさい、話の腰を折って。それで、あんな誰にでも好かれそうな子が、どうして恨まれたの?」


「誰にでも好かれるような性格だからこそ、逆に敵が出来ることもある」


「それ、単なる妬みってこと? 流石にやりすぎじゃない? 私がいなければ、フルールは吸血鬼ヴァンパイアになってたのよ?」


 ガブリエルは言葉では答えず、ローズの背後を指差した。その先を振り返ると、鼻歌を口遊みながら薔薇の手入れをするフルールがいた。


「ああいうのが裏目に出ることがあるんだ。あのお節介のせいで、知ってはならないことを知ってしまったようだね」


 なるほど、とローズは納得した。フルールはこの五日間で、ローズの寝室も含め、邸宅内のすべてを徹底的に掃除・片付けしてしまった。もしハットンの部屋に対しても同じことをしたのなら、何かやましいものを見つけてしまってもおかしくはない。彼も同じ寮住まいなのかもしれない。フルールを見ていると、棟内すべてに手を入れかねないと思える。


 もっとも、フルール自身はそのことに気付かなかったのだろう。自覚があれば、ローズに対して心当たりとして教えてくれているはず。


「何故恨まれたのかは、なんとなくわかった。でもちょっと理解しがたいくらい、過激なやり方ね」


「少々特殊な性癖の持ち主だと、彼女に知られてしまっただけさ。正確には、知られたと勘違いしただけだろうがね。彼女に理解出来るとは思えない」


 余りにも馬鹿馬鹿しい理由で死にかけたフルールが不憫でならない。だが口封じだったのであれば、ガブリエルからの指示があったにもかかわらず、その場ですぐ処分しようとしたあの行動は理解出来る。


「もしかして、あの吸血鬼ヴァンパイア見つけたのって、ハットン自身?」


「いや、見つけたのは別人だが、退治を担当することになったのがハットンだ。それが事件の三日前。彼は今回の計画を思いつき、監視だけ続けたそうだ。ちなみに、遠くからだったらしく、吸血鬼ヴァンパイアが何をしていたのかまでは、彼も把握出来なかったようだ」


「そう……それは残念」


 ハットンから何か情報が得られるかもしれないと期待したのだが、流石に甘かったようだ。


「そして、僕がヴァチカンに出発したタイミングを狙って、卒業試験を装った授業の計画を勝手に変更した。危機に直面させることで、変わる可能性を試すことになっていた、とは言ったよね? 本来校長が許可を出したのは、ハットンが吸血鬼ヴァンパイア役をやる模擬戦だった」


「フルールは、校長から予定変更のメールがきたって言ってたわ」


「パスワードが盗まれていた。割と巧妙でね、オニオンルーティングによる匿名化を行って送信していた。もちろん、自分宛にも。彼の端末の削除済みデータを復元したら、送信履歴があった。彼の自演で間違いない」


 物証があるのなら間違いないだろう。現在の復元技術はかなり高度と聞いている。とはいえ、証言なしでは知ることが出来ない情報も含まれている気がする。


「よくそこまで特定出来たわね。もしかして、魔術的に……」


「警察は優秀だよ。何を調べればいいかさえわかれば、きちんと調べ上げる」


(やったのね……魔術的制御で自白させてから、その裏を警察にとらせたということ)


 ガブリエルは嘘が吐けない。天使故の束縛。なので、本当のことをすべては言わないことで、相手に勝手に誤解させるという手段をいつも採る。もっとも、付き合いの長いローズにはそうそう通用しない。


「まあいいわ。警察が絡んだってことは、彼は既に塀の中?」


「もちろん。今ごろ警察に性癖が知られ、恥ずかしい目に遭っているのではないかな? フルールが見つけたものは、この国では所持しているだけで罪だ。実刑判決が出るだろう。当分は出てこられない。祓魔師教会アンダー・テンプルだけでなく、国教会からも破門となった」


 ガブリエルは可能性として話しているが、祓魔師教会アンダー・テンプルが手を回し、執行猶予は付けさせないのだろう。フルールに対する間接的な殺人未遂については、利用したものが利用したものゆえ、表沙汰には出来ない。裁ける方の罪を重くするということなのだと、ローズは理解した。


「そう。なら、あの子を狙う陰謀のようなものは、もうないのね。ここに置いておく必要もなくなったのかしら?」


 あると言って欲しかった。聖杯の乙女の眷属となったことで、もう祓魔師教会アンダー・テンプルには戻せないと。しかし、そうは言わないとわかっていた。シオン修道会から預かっているだけの存在なのだから。


 実際ガブリエルは、肯定も否定もしなかった。嘘が吐けないからだろうか。代わりに彼は質問をしてきた。


「置いておきたくなくなるような出来事でも起きたかね?」


 趣旨を図りかねて、ローズは鸚鵡返しに問う。


「置いておきたくなくなるような出来事って何?」


「例えば、夜にこっそり部屋に忍び込まれたとか……」


「え、夜這いってこと? あの子、そういう趣味なの?」


 意外なことを聞かされたと思った。昼間も含め、特別そういうものを感じる行動をとっていた覚えはない。


「今のところは、そんなことされてないけど……。掃除のために、私が庭にいる間に寝室には入ったみたい。でも特に何かやましいことした様子はないわよ。徹底的に片付けはされてしまったけど、捨てるものはきちんと私の了解を取ってから捨ててたし、それ以外に何かなくなったりもしてないと思うけど」


「そうか、ならいい」


 短く答えると、ガブリエルは残っていた紅茶を飲み干して席を立った。


「ちょっと待ってよ。ちゃんと説明して」


 ガブリエルは立ったままローズの催促に応える。


「日本という国を知っているよね? 彼の国では女性の同性愛のことを百合と呼ぶらしい」


「フルール・ド・リス。直訳すれば百合の花。え、そういう意味での偽名だったの? フランス王家の紋章からとったんじゃなくて?」


「さあ? 本人に聞いてみてはどうだろう。とりあえず、迷惑でないのなら、学校に戻すよりもここに置いておく方が僕は安心だ。とはいえ、彼女の意思を尊重してやってくれ」


 そう言ってガブリエルは振り返り、門へと向かって歩いていく。てっきり連れて帰るのかと思っていたローズは、ほっとしながらその背を眺めていた。


 するとガブリエルが引き返してくる。やはり気が変わったのかと思い、戸惑っているローズに耳打ちしてきた。


「君がそういうものに対してどういう考えを持っているのか知らないから、念のために言っておく。彼女の性的指向は、意図的に作られたものだ。シオン修道会の目的のために」


「どういうこと……?」


「来るべき時まで、純潔を保てるようにということだ」


「シオン修道会は、あの子に何をさせる気?」


「それは僕の口からは言えない。済まない」


 これ以上の質問は一切許さないといった毅然とした態度で、ガブリエルは去っていった。


(フルール……あの子、いったいどういう存在なの? ただのマリア・マグダレナの子孫の一人ではないの……?)


 まだ鼻歌を歌い続けながら楽しそうに薔薇の手入れをしているフルール。その後ろ姿を眺めるローズの頭には、疑問が渦巻いた。


 一つだけわかるのは、ここに残るかどうかのフルールの意思は、確認するまでもないということ。庭仕事は得意だから、敷地全体を完璧な薔薇園にしてみせると言っていた。広さを考えると、少なくとも数か月は居座る気に違いない。新たに植えることまで考えているとなると、何年かかるのか想像もつかない。


 そして恐らく、終わってもまた何か新しいことを始めて、それを理由に居座るのだ。モルドレッドを見つけるまでの間は、ずっと。


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