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聖杯を満たすは愛の色  作者: 月夜野桜
第一章 黒薔薇姫と白百合姫
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第一話 杯を満たすは聖なる血(サングリア)

 注がれるは真紅の液体。透明な杯に赤青のベリーが浮かんでいく。底に沈むはブラッドオレンジ。白磁のような美しい手が伸びて、小瓶から香り付けのラム酒を垂らした。


 血の色で満たされた杯が、妖し気な微笑を浮かべた少女の口許に運ばれていく。桜色の唇が僅かに開き、そこから――


「ちょーっと待ったー!」


 突如として響いた高い声に、氷青色アイスブルーの瞳が反応する。視線の先には、大きなラテン十字のロザリオ。見事な細工の施された銀製で、陽光を反射し燦然と輝いていた。その向こうでは、強い意思を湛えた花緑青色エメラルドグリーンの瞳が睨み据えている。


吸血鬼ヴァンパイア、覚悟だよ!」


 毅然とした声とは裏腹に、震える手でロザリオを突き付けながら、引けた腰でじりじりと詰め寄ってくる。その持ち主の方も、あどけなさを残す整った容貌の少女だった。表情は硬く、僅かな恐怖の色も浮かんでいる。


 ことりと音を立て、杯がテーブルに下ろされた。冷たく光る氷青色アイスブルーの瞳で見つめながら、小首を傾げる。プラチナブロンドの長い髪が揺れ、午後の陽射しを浴びて光を撒き散らした。


「あなた誰?」


 大瑠璃鳥が囀るような美しい響きで、落ち着いた声が問う。二人の少女の視線が交錯し、緑の方からだけ一方的に火花が散らされた。


「あたしの名前は、フルール・ド・リス! これからあなたを退治する祓魔師エクソシストだよ!」


 しかしてその恰好は、どう見てもその辺りのハイスクール生にしか見えなかった。白の縁取りがされた黒のブレザーに、同じく白のラインが入った黒のプリーツスカート。白いブラウスが覗く胸元のタータンチェック柄ネクタイの赤褐色だけが、鮮やかなアクセントとなっていた。


(このロザリオ……聖具セイクリッドかしら? あの制服のラインの十字架、あれはきっと……)


 吸血鬼ヴァンパイア呼ばわりされた少女は、心の中でそう考える。そして結論を口にした。


「まだ候補生じゃないの? それ学校の制服でしょ?」


 痛いところを突かれたのか、フルールと名乗った少女は明らかな動揺を見せて視線が泳ぐ。


「き、今日なるからいいの! あなたを倒せば見事卒業試験合格。お願いだから大人しく処分されて!」


「私、聞いてないんだけど?」


「当たり前でしょ。退治するって事前通告したら、逃げちゃうでしょ? 奇襲するに決まってるじゃん!」


 氷青色アイスブルーの眼を何度も瞬きさせて、少女は首を捻る。細い顎に両手を当て、テーブルに肘をついて支えながら、フルールの方を見上げた。


「もしかして、私のこと吸血鬼ヴァンパイアだと思ってる?」


「言い逃れしようとしたってダメなんだからね! ちゃんと手配書きてるんだから!」


「太陽、出てるんだけど?」


 少女は顎を支えていた片手を外し、空を指す。手首に着けられた銀のチェーンブレスレットの十字架が揺れた。ペンダントトップのようにつけられたそれには、精緻な薔薇の紋章が刻みこまれている。


「こんな真昼間の庭園でアフタヌーン・ティーする吸血鬼ヴァンパイアが、どこにいるの?」


 少女の指摘通り、太陽はまだ天頂と地平線の中間辺り。午後四時になろうとするところだが、夏至を過ぎたばかりのこの時期の日の入りはとても遅い。陽の光に弱いと言われる吸血鬼ヴァンパイアが、敢えて外で寛ぐ時間とは、普通は思わない。


 フルールは釣られて空を見上げた後、視線を戻すと、再びロザリオを突き付けながら言う。


「デ、デイウォーカーなんでしょ? 太陽の光浴びてもすぐに死ぬわけじゃないって、習ってるんだから! それにほら、今生き血飲もうとしてたし!」


 少女は手元のグラスに視線を落とす。確かに生き血のような赤い色で満たされている。それを手に取って持ち上げながら、少女は呆れ顔で言った。


「これ、ただのサングリアなんだけど……? 知ってる? スペインとかポルトガルでよく飲まれてる、フレーバードワイン」


 目を細めてグラスを凝視するフルール。少女はテーブルにそれを残し、席を立つ。華奢な身体を包む黒いゴシック風ドレスが、流麗な歩みと共に僅かに揺れた。モダンな感じにアレンジし、長すぎないスカートにされている。少し距離を取ってから、フルールの方へと振り返った。


「匂い、嗅いでみて? それでわかると思うけど……」


 フルールは少女の顔とグラスの間で、何度か視線を往復させた後、そろりそろりとテーブルに近づく。ロザリオを左手で少女に向けたまま、グラスに鼻を近づけて、右手を扇いだ。


「匂いは……する。けど、どうせ生き血にアルコール混ぜただけでしょ?」


(疑り深い子ね……)


 はあっと溜息を吐いてから、少女は半眼になってフルールを見つめながら言う。


「疑うなら一口飲んでみなさい。血の味がするかどうかでわかるでしょ?」


 その一言を聞いたフルールは、急に顔を上げて指を突き付けながら宣う。


「お酒は大人になってからだよ! てか、あなた吸血鬼ヴァンパイアじゃなかったとしても、これ飲んじゃマズいじゃん! どう見てもあたしと歳変わらないし!」


 そう言うフルールは、見たところ十五~十六歳程度。十五であれば、保護者同伴でも外ではどの酒も飲めない。しかし、自宅であれば、最低年齢五歳の国である。とはいえ、突っ込むべきはそこではないと思えた。


(これ以上茶番を続けても、疲れるだけよね、これ……)


 フルールの纏う雰囲気は、戦いに長けた祓魔師エクソシストとはとても思えなかった。何かしら聖なる気配は感じる。天使に似ていると初めは思ったが、少し違うような気がする。


 猛々しさのないその独特の魔力は、祓魔師エクソシストではなく、どこぞの修道院の聖女と言われた方が納得のいく雰囲気。


 教会関係者ではあるのだろうが、卒業試験に吸血鬼ヴァンパイア退治にきた、という話自体が眉唾に思えた。どこかにカメラがないか疑いたくなるような、間抜けなやり取り。


 実際、少女は氷青色アイスブルーの瞳を周囲に巡らした。本気でTVのドッキリ番組だと思い、カメラを探したわけではない。本当に吸血鬼ヴァンパイア退治に来たのなら、一人ではないはずだから。


 卒業試験とはいえ、候補生単独で、そんな危険なことをやらせるわけがない。必ず監督官が同行するはず。しかし、物理的には見えない場所も含め、他には誰もいない。であれば、何かの勘違いか、やはり茶番か。


 そう結論付けて、少女はフルールの方に向き直して問う。


「ね、そもそもどうしてこの場所に来たの? 何をしに来たのかではなくて、この場所に吸血鬼ヴァンパイアがいると思った理由よ?」


 盛大な勘違いからの再びの茶番劇を予想して、先手を打ち敢えて補足をする。それが功を奏したのか、発言の途中でもう開きかけていたフルールの口が一旦閉じ、胸元から携帯端末を取り出して操作を始めた。


「これ見て。ローズデール城でしょ、ここ?」


 フルールが示した端末の画面には、卒業試験の詳細が記載された指示書が映っていた。内容は吸血鬼ヴァンパイア退治。試験時間として、午後四時が指定されている。場所も確かにローズデール城と書いてある。


「住所、よく見て。確かにここはローズデール城。でもここはロンドン。ヒリンドン区。それ、コーンウォール地方よね? 住所トルーローになってるでしょ?」


「はれ? はれれ?」


 フルールは慌てて画面を見直した。ポチポチと操作を繰り返すうちに、段々と顔が蒼白になっていく。


「お、おかしいな……。さっき地図表示したら確かにここだったのに……ナビに従ってきたはずなのに……」


「誤解、解けた?」


 亜麻色フラクスンの頭が勢いよく下がった。深くお辞儀をしながら、フルールははっきりとした声で謝る。


「ごめんなさい、あたし何か勘違いしてたみたい」


「まあいいわ。全く同じ名前の城だし、近いからここだと勘違いしてもおかしくはない。コーンウォールなんて遠いところまで行かされるとは、普通思わないもの」


 少女はスカートを翻してくるりと振り返り、たおやかな動きで再び椅子に座った。グラスを手に取ると、少々温くなってしまったサングリアを口許へと運ぶ。豊潤で爽やかな果物の香りと共に、真紅の液体を一口含――もうとしたところで、突然手元から消えた。


「お酒は大人になってからって、言ったでしょー!」


 眉を吊り上げたフルールが、少女の目の前に来ていた。ひったくったグラスの中身を、近くにあった水道の排水溝へとぶちまける。少女は目を瞬きながら呆然と眺めるしかなかった。


(これで最後だったのに……また一晩かけて漬けないと……)


 がっくりと項垂れ、少女は下を向いた。悪気はなさそうなので、怒るわけにもいかない。


 ふんすと鼻息も荒くグラスをテーブルに戻すと、フルールは改めて周囲を見回した。


「それにしても、お城に住んでるなんて、どんなお嬢様?」


 七色の薔薇が思い思いに咲き乱れる、乱雑だが華やかな庭。石畳は所々苔生し、その摩耗具合から歴史を感じさせる。存在する建物は、城という呼称通りの形状ではなく、単なる石造りの邸宅と表現した方が適切なものが一つだけ。


 そのフルールの視線が、ある場所で止まる。邸宅の入り口となっている、古めかしい大きな木の扉。そこに描かれた薔薇の紋章。五枚の花弁の赤い薔薇の内側に、白い薔薇が組み合わされた、紅白の薔薇テューダー・ローズ


 フルールの大きな眼が更に大きく見開かれて、邸宅の主と思わしき少女の方を向く。


「もしかして、王女様!?」


「今の王室はテューダー朝じゃないでしょ……。血縁関係すらないわよ」


「あ、そうだったっけ……。というかテレビで見た人と全然違うし」


 もっと早く気付いてほしい。その言葉を飲み込みながら、重要な話題の方に戻す。


「ねえ、フルールって言ってたっけ? この卒業試験、一旦学校に――」


「あー!」


 言葉を遮るようにフルールの大声が響く。


「大変、急がなきゃ! これもう大遅刻だよ!! 不合格になっちゃう! 今度改めて謝りに来るねー!」


 そう言いながらフルールはもう駆け出していた。しかしすぐに立ち止まり、くるりと振り返る。そして向日葵のような輝くばかりの笑顔を向けて、大きな声で宣った。


「あ、お姫様! ヘッドドレスつけたら、もっと可愛くなると思うよ! 今度作って持ってきてあげるね!」


 大きく手を振ると、とんでもない勢いで門へと向かっていく。やたらと脚が速い。全身に魔力を流して、身体強化をしているようだった。


(あの動き、祓魔師エクソシスト候補って、一応本当なのかしら?)


 後姿を見ながらそう感想を抱いた瞬間、フルールは見事にこけた。何もない平らなところで。しかし転がりながらも受け身を取り、慌てて立ち上がると、公道に飛び出て曲がっていく。その姿は、城壁の陰に隠れてすぐに見えなくなった。


(大丈夫なのかしら、あれ……?)


 あの様子で吸血鬼ヴァンパイア退治など出来るのか、とても心配でならない。大きく溜息を吐かざるを得なかった。


 それから、フルールの最後の一言を思い出す。


(ヘッドドレスか……いくつかあるはず。つけてみようかしら……)


 最後に可愛いなどと言われたのはいつなのか、全く覚えていない。城に隠棲して俗世間との関わり合いを断っている現在、あのくらいの年頃の少女とこれだけ話をしたのも、本当に久しぶりだった。


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