おじいちゃんが読む物語
おばあちゃんの介護は大変だ。痴呆を発症してしまっていて、目を離すことができない。お父さんもお母さんも医者で、朝から夕方まではいつも病院のほうに下りているので、半分ニートの私がなりゆきで任されてしまった。こんなことならニートなんか続けてるんじゃなかった。
……なんてことは言ってはいけない。このひとは私が子供の頃はあんなに大好きだったおばあちゃんなのだ。そう自分に言い聞かせ、私の顔を見るたびに「どこの誰だか知りませんが、ありがとうございます」とお礼を言うおばあちゃんのおむつを取り換え、「食事をくれないなんてひどいじゃないか」と怒りだすおばあちゃんをなだめ、目を離せばいつのまにか玄関にいて、外へ出ようとするおばあちゃんを連れ戻している。
おじいちゃんがいてくれなければ無理だったかもしれない。
おじいちゃんはおばあちゃんより2つ年上だけどシャンとしている。動くのはしんどそうだから、私も気遣って「おじいちゃんは座っててね」と優しく言うけれど、私の目の代わりになってくれる。
「時枝さん、勢津子が玄関に行ったぞ!」
「時枝さん、勢津子が部屋の隅で排泄をしようとしてる!」
そんな危機を叫んで教えてくれるので、とにかく助かっている。
お昼ごはんを食べた30分後に「ここは食事もさせてくれないのかい」と怒りだすおばあちゃんを一緒になだめてくれもするので大助かりだ。
おじいちゃんはいつもおばあちゃんの側にいる。
寝ているおばあちゃんに、時間をおいてよく物語を語って聞かせていた。
はっきりとした抑揚のあるおおきな声で話すので、キッチンで仕事をしている私の耳にもそれは聞こえてきた。
それは若い二人の恋の物語だった。
おばあちゃんは気持ちよさそうな表情でそれを聞いていた。たまに質問もする。
おじいちゃんが語る。
「二人は遊園地に行き、くるくる空を飛ぶエンピツに乗った。ハヤトはサユリを守るように後ろから抱きしめ、飛びながら口づけを交わした」
おばあちゃんが聞く。
「ロマンチックなのね。ところでハヤトはどんな顔をしているの? 見たいわ」
「石原裕次郎みたいな美男さ」
「あら、素敵。サユリは?」
「もちろん吉永小百合のような美人さんだよ」
二人に聞こえないように、くすくすと笑ってしまった。
おばあちゃんの容態が急変した。痴呆症とは別に患っていた内臓疾患のほうが悪化したのだ。
幸い、苦しむことはなかった。容態を診たお父さんは、でも首を横に振った。家族に取り囲まれて、おばあちゃんは息も絶え絶えになりながら微笑んでいた。
「あなた……」
最後におばあちゃんが、おじいちゃんに言った。
「わたし……思い出したわ」
数年前の、意識のはっきりしていた頃みたいに戻ったおばあちゃんのことばを、その手を握りしめながら、おじいちゃんはただうなずきながら聞いていた。
「あの物語……、あなたがいつもわたしが眠るまで聞かせてくれた物語……。あれは、あなたとわたしが若い頃のお話だったわね」
「思い出したか」
おじいちゃんが嬉しそうに、笑った。
「そう。あれは僕と君の、ほんとうにあった思い出だよ」
「忘れていてごめんなさい」
「いいんだ。思い出してくれて嬉しいよ」
これから天国に行くおばあちゃんを、みんな笑顔で見送った。
手を握り合う二人が、まるで恋する二人の若者みたいに見えていて、微笑んでしまうしかなかった。
映画『きみに読む物語』を少しパクりました(•ᵕᴗᵕ•)⁾⁾