王女と貴族騎士
7/20に内容を大幅に変更しました。以前の内容をご覧になった方は、ここから読み直してくれるようお願いいたします。
街道へはすぐに出られた。広かったが石畳で舗装されたものではなく、ところどころに水たまりがあった。
聖メイリナ学園はすぐに見えた。と言っても夜中なので、月明かりにうっすらと影が浮かんでいるだけ。
「学園は、王族と貴族、それに選ばれた庶民だけが入学できるのです」
リーゼラーネは歩きながら説明した。
「十三代前の王が作ったと伝わっています。卒業後は軍、あるいは役人として連合王国のために尽くすことを誓うのです。わたくしのように、婚姻前の修行として入るものもいます」
「なんだ、誰かの妻となるためか」
「ええ、まあ……」
彼女は言葉を濁す。
「ところが最近は、卒業すると王族も貴族も自らの領地に帰るだけで、学んだことを王国のために生かそうとしないのです。むしろ領地を富ませることのみに注力しております」
「外戚が王の脅威になるのはどこも同じだ。呂氏みたいなものだろう」
「父は非常に嘆いておりました。かつてのネーランク王の教えはどこにいったのかと」
「全て誅すればいいのだ。陳平と周勃もそうした」
「どうも呂布様と話していると血生臭くなりますわね」
学園の影は徐々に大きくなった。
やがて入り口に到着する。聖メイリナ学園の敷地は広大で、しかも全て鉄柵で囲われていた。俗世との隔絶を示しているかのようであった。
呂布が呟いた。
「洛陽の北宮の方が大きいな」
「ああ、やっぱり鍵がかかっておりますわね」
リーゼラーネが門を引っ張る。門は鎖で縛られ、反対側に鍵が掛かっいた。
「夜中に外に出ないよう、門は閉じられるのです。わたくしをさらったものたちは、どうやってか出たのですが」
「この鎖か?」
「はい」
「少し静かにしていろ」
呂布(が操っているリーゼラーネの身体)は、鎖を両手で持つと、力をこめて引っ張った。金属音と共に千切れる。
門は簡単に開いた。
「錆びた鎖をいつまでも使うとこうなる」
呂布は当然敷地内に不案内なため、リーゼラーネの意志で歩く。石造りの三角屋根の建物に近づいた。
「ずいぶん立派だ」
「古代の宗教施設を再利用したものだそうです。わたくしたち一学年のものが宿舎として使っています」
そっと入り口に近づこうとしたリーゼラーネだったが、「あっ」と声を上げた。
大柄な影がこちらに向かって歩いてくる。
「ゼイウさんです」
「匈奴の王みたいな名だ」
「学園の警備担当なのですが……とても陰湿な方なのです」
リーゼラーネの声は震えていた。
「先生方や力のある貴族にはへつらうのですが、わたくしたちには強圧的なのです。先日も半刻ものあいだ罵声を浴びせられた生徒が心を病んでしまって……」
「どうして働いているのだ」
「どなたかの縁故のものだと聞きました」
「お前はなにかされたか」
「はい……。八番目の王女には価値がない、母親は淫売だろうと散々」
男の姿がはっきりと見える。太っているが大柄で、顔はいかつい。確かにこのような男に威圧されれば、震えてしまうだろう。
「おい、そこの女」
早足で接近してくる。
「こんな夜中になにをしてる。生徒はここにいるかぎり、俺の規則に従うのを忘れたか! そこに止まれ!」
注意するというよりは、獲物を見つけた獣のようだ。逃すつもりはないと言いたげな足取り」
「動くなよ、指導してやる! 抜け出して男にでも会いに行ったんだろう!?」
「ある意味そうだ」
ゼイウが驚く。
リーゼラーネは拳を振るう。呂布によって何百倍にもなった力のままに、顔面にめり込んだ。
悲鳴とも言えない悲鳴と共に、仰向けに倒れる。そのまま気絶した。
「わたくしが止める暇もありませんでしたわね」
「顔を見られたと思うか」
「一瞬ですから、覚えていないと思いますが」
「運の良いやつだ。命拾いしたな」
リーゼラーネは堂々と正面から宿舎に入った。
◇ ◇
翌朝。
宿舎は全てが個室である。リーゼラーネの部屋は宿舎内でも一番日当たりの悪いところであった。しかも隣がトイレであり、早朝から駆け込む人の足音で目覚めるため寝坊の心配が無いことだけが、唯一の利点だった。
「学年は全部で四つ。男女別ですから、建物は合計八つです。ただし食堂だけは学年に一つ、男女一緒です」
「四年間、ここに閉じこめられるのか」
「人聞きの悪いことおっしゃらないでくださいまし」
「長平の戦いもそこまで長くない」
生徒たちは朝の支度を終えると、全員扉の前に立つ。合図の鐘が鳴り、生徒たちはしずしずと、行儀良く食堂へ歩き出した。
頭の中で呂布が囁いた。
(やけに数が多い)
(王族や貴族は、入学の際一人だけ召使いを同行させるのが許されるのです。もちろん自費ですわ)
見ると、いかにも育ちの良い顔立ちをした生徒の半歩後ろには、影のように付添うものがいた。
(お前にはいないのか)
(王宮の中で良い立場ではありませんでしたから)
食堂に入り、自由に席に着く。
リーゼラーネは食堂内を見渡した。
(男の生徒もいるのだな)
(食堂は男女同一です)
そこかしこに制服に身を包んだ男子生徒がいる。ただし召使いを連れているものはそれほど多くない。
食堂の壁際には大皿や鍋が並べられており、食事が盛られている。これを自分でよそうことになっていた。
多くは召使いがよそい、主人の席まで持っていく。自分で食事を取るのは庶民出身か、貧乏貴族くらいである。リーゼラーネはそんな生徒の中に混ざって、パンとスープをよそっていた。
(なんだこの食べ物は)
(パンですが)
(焼餅みたいなものだな? 米は食わないのか)
(あまり食べませんわね)
木製の盆に載せ、席に戻ろうとする。と、フォークトスプーンがないことに気づいた。取りに戻ろうとしたものの、ちょうどキラしたようで置き場に残っていない。
(困りましたわ。このままでは素手で食べることになります)
(箸はないのか)
(それはなんです?)
(食いものを掴む道具だ。二本の細い棒)
(そんなもので食べ物を掴めますの? 魔法の一種なのですか?)
(そうではない。いいか)
呂布が説明しようとすると、自分の盆にフォークとスプーンが置かれた。
「これをどうぞ」
置いてくれたのは男子生徒だった。
「調理の人が洗い忘れたみたいだ。もうすぐ新しいのが来るから、僕はそっちを使う」
「あの……ありがとう……ござい……ます」
リーゼラーネの言葉が濁ったのは、手助けしてくれたのが目を見張るような美形だったからだ。
茶色の髪と茶色の瞳。背は高く、やせ型だがしっかりした手足。聖メイリナ学園一学年男子の制服を着ているが、腰に専用のサーベルを下げているのは騎士階級以上の特権だ。
「もしかして……クイラリー……様?」
「様はいらないよ」
クイラリーと呼ばれた男子生徒は微笑んだ。
笑顔にレンネーアは立ちくらみを起こしそうになった。一学年女子の間でも頻繁に話題となる「黄昏の笑み」であった。
頭に野太い声がした。
(この男はなにものだ)
(クイラリー様はフランベルク辺境伯のご子息です。女子に大変人気があります)
(馬をたくさん持っているのか)
(フランベルク辺境伯は連合王国を外敵から守るため、一番多くの魔術兵を率いているんですの。領地も豊かで広いですわ)
(ほう。ならば将来は継ぐわけだな)
(そのこともあって攻略対……)
頭がちくりとする。また頭痛が襲った。
(なんだ?)
(分かりません……頭が痛くなって……。ともかく、聖メイリナ学園には貴族の男子生徒も多くいるのです。その中でも有名な方です。婚姻しようという女子も)
いきなり身体がつんのめった。
「きゃっ」
リーゼラーネはたたらを踏み、食べ物をひっくり返しそうになる。転ぶかどうかの瀬戸際で、なんとか堪えた。
「まあ、ごめんあそばせ」
床に膝をついたリーゼラーネに声が降ってきた。
女子生徒が見下ろしていた。高く結い上げられた髪と吊り上がった目。いかにも恵まれた家格らしく血色の良い肌。嘲るような口調に他者の欠点を指摘したくてたまらない雰囲気。どこをとってもリーゼラーネと正反対だが、ドレスだけは同じく聖メイリナ学園一学年のものであった。
「クイラリー様となれなれしく口なんて聞かないで下さる? あなたにそんな資格があるのかしら」
「……レンネーア」
リーゼラーネは言った。
「今、足を出してわたくしを転ばせようとしたわね」
「言いがかりです。私が妹にそんなことすると思うの?」
「あなたはお城にいるときから、意地悪だったじゃない」
「なんて酷い言いがかり。ミレイユ、私がこの女を転ばせたところを見ました?」
ミレイユと呼ばれた侍女は一瞬身体を震わせると、小さく首を振った。
「い……いいえ」
「ほらごらんなさい。あなたはいつも言い訳をして他人のせいにするのるね」
「そんな……!」
「これ以上の言い訳は禁じます」
レンネーアは絹扇を広げると口元を隠し、目だけで笑った。
「まったくみっともない。十分反省なさいな」
彼女は食事の盆を持ったミレイユをうながすと、自らが座る席へ歩く。
唖然としたリーゼラーネの頭に、呂布の声が響いた。
(おい、なんだあの女は!)
(連合王国の第六王女。レンネーアです。わたくしの姉なのです)
(お前の姉なのに同学年なのか)
(母が別なのです。レンネーアは高慢ですが母親が大商人の出なので、お金があるのです。取り巻きは皆お金が目当てで従っています)
(金のあるところに人はつくか)
(クイラリー様と婚姻してフランベルク辺境伯領を手に入れれば、お金だけではなく力も手に入れられるのです)
立とうとしたら、身体を誰かに支えられた。
「平気?」
クイラリーだった。リーゼラーネは呂布との会話を中断した。
「ちょっと、その、膝を打ったみたいですわ」
「災難だったね。聖メイリナ学園にも色々な生徒がいるから」
「そう……ですわね」
「食事をこぼさないだけ幸運だと思うといいよ。あの娘のことは、僕があとで学園長に報告するから」
(親切な男だが世間知らずだな)
(はい。こんなところでわたくしに声をかけたら、またわたくしが怨嗟の的になってしまいますわ)
(ならばどうする)
(呂布様、手伝ってもらえます?)
彼女はクイラリーに、「これ、持っていてください」と食事の盆を渡した。それから大股で歩き、自分の席に着こうとするレンネーアに接近した。
「レンネーア」
声をかけると同時に、力一杯足を払った。
「きゃあああっ!」
レンネーアは叫ぶと同時にひっくり返った。単なる少女が蹴ったのではなく、力は呂布のものだ。レンネーアの身体は文字通り空を飛んで落ちた。
周囲の生徒がぎょっとする。レンネーアはしばらく動けなかったが、痛そうにしながら振り向いた。
「なっなっなっ、なにをするの!?」
「危ないって注意しようとしたのです」
「私のことを突き飛ばしたわね!」
「失礼なことおっしゃらないでくださる? 蹴ったのです」
「つまり暴力を振るったんじゃない!」
「ええそうです。足を出してなにもしていないととぼける女と一緒にしないでくださいな」
激昂するレンネーアを、リーゼラーネは冷たい目で見下ろしていた。
「わたくしは寛大な心の持ち主ですから、立つなとは申しません。どうぞお立ちになって」
「嫌味のつもり……!」
「わたくしとしたことが忘れてました」
リーゼラーネはぽかんとしているクイラリーから盆を奪うと、立とうとするレンネーアに向けて食事をぶちまけた。
「いやあああっ!」
「食べ物を食事を粗末になさらないで。王女らしくありませんわよ」
自分の席に戻る。茫然としているクイラリーから食事の盆を受取った。
「学園長に報告することはなにもありませんわ」
そして着席する。一人騒ぎ立てるレンネーア以外、食堂の生徒は皆無言だった。
リーゼラーネは悠然と食事をはじめた。
(やるではないか)
(どういたしまして。呂布様の力があってこそ、あの娘を転ばせられたのです)
(おれなら斬ったがな。名誉を傷つけるものには死がふさわしい)
(それはやりすぎです)
(次からは遠慮するな)
クイラリーは驚きが抜けないまま彼女を見つめている。リーゼラーネは気にせず食事を続けた。