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【書籍化】呪われた魔術師は弟子の献身愛から逃げられない【コミカライズ企画進行中】

作者: 長月 おと

※連載版『呪われオフェリアの弟子事情』もあります。

 


 「オフェリア・リング! あの方を奪うなんて許さないわ。その体、わたくしに寄こしなさい」 


 

 婚約者の心を盗られたことで嫉妬に狂った貴族の令嬢は悪魔を召喚し、魂を入れ替えようと恋敵に差し向けた。その令嬢いわく、恋敵の美しい容姿さえ手に入れることができれば、再び婚約者を取り戻せるらしい。


 オフェリアと呼ばれた女性の髪は銀糸のように輝き、瞳はサファイアのように青く透き通り、ビスクドールのような滑らかな輪郭を持っていた。男女関係なく、視線を奪う容姿だろう。

 令嬢の婚約者もオフェリアに一目ぼれし、夢中になってしまったひとり。

 しかし、当のオフェリアとしてはとても迷惑な話だった。



「好きでもない男に付きまとわれ、その婚約者に狙われるって……いい迷惑だわ!」



 文句を言いながらも己の身を守るべく魔力を練り上げ、召喚された悪魔と対峙した。

 そして三日三晩戦いを繰り広げた結果、悪魔を退けられたものの、オフェリアは『不老』という呪いを受けてしまった。



 ◇



「もう嫌になってきたわね」


 オフェリアは異国の街を歩きながら、ひとり愚痴を零す。

 悪魔との戦いから今日でちょうど百年、彼女の姿は呪いを受けた二十歳のときのまま。


 魂の交換という悪魔の魔法に抵抗する際、『不老』の悪魔の魂が混ざってしまい、その影響が呪いとして残ってしまっていた。呪われた日の状態に体と魂が巻き戻るというもので、髪と爪を切っても当時の状態が強制的に維持される。怪我も時間が経てば元通りに癒えるという面では便利ではあるが、長い髪がいい加減鬱陶しい。


 現在のオフェリアは解呪魔法を探して旅を続けている身なので、長い髪の手入れも百年目となると面倒で仕方ないのだ。



「髪もだけど、魔力量も戦いで減らした当時の三割程度のまま。百年経てば呪いが消えるかと期待したけれど駄目ね。やっぱり解呪に協力してくれる魔術師を見つけないと……」



 先を思うと、ため息しか出てこない。

 この百年、呪いを解くために自分なりに勉強したが、やはり魔法実験というものが必要になる。しかしどの理論を試そうにも弱体化したオフェリアの魔力量は足りず、実験を進められずにいた。


 そのため魔力量の多い他の魔術師を探しているのだが、条件が揃う相手がなかなか見つからない。

 人となりの良い魔術師に限って魔力量がなく、魔力量のある魔術師に限って問題を抱えていた。その問題とは様々で、オフェリアが不老だと明かしたあかつきには『実験体』あるいは『夜の人形』として扱いそうな、偏った趣向の持ち主が多すぎた。


 実験体なんて真っ平だし、キスだって恋人限定というポリシーを持っているため、到底受け入れられない。簡単に正体を明かすことができずにいる。


 だが、このままでは呪いは解けなさそうだし、自ら命を絶って呪いを終わらせる方法を選ぶ気はない。きちんと老いて、普通の人間として死にたいのだ。

 オフェリアは頭を悩ませ、今日の宿を探す。



「あら、変なところに入ってしまったわ」



 魔術師探しで悩みすぎ、知らない間に裏道に入り込んでしまっていた。踵を返して、大きな通りに戻ろうとしたとき、オフェリアは特別な気配を感じた。



「すごい魔力……」



 魔力量を多く持つ魔術師を探している彼女は、その魔力の持ち主を探す。そうして見つけたのは、薄汚い男たちに攫われそうになっている黒髪の少年だった。どちらがならず者かは一目瞭然。

 その少年の金色の瞳と視線がぶつかった。


「助けて!」



 そう言われたときにはすでにオフェリアは魔力を練り上げ、男たちに魔法を放っていた。男たちは雷の魔法に痺れ、白目をむいて倒れた。彼らはしばらく起きないだろう。

 オフェリアは黒髪の少年に近づき、見下ろした。


 年齢は十歳くらいだろうか。身なりはボロボロで、孤児だと容易に推察できる。

 その彼から膨大な魔力を感じた。これまでで一番の量かもしれない。



「あなた、家族や住む場所はある? 名前は?」

「な、ない。名前はユーグ」

「ねぇ、ユーグ? 綺麗な服を用意し、ご飯も作ってあげるし、屋根のあるおうちに住まわしてあげる。衣食住の提供を保障するわ。私の弟子にならない?」

「弟子?」



 少年ユーグは金色の瞳を揺らし、困惑の眼差しを返した。



「私は魔術師なの。弟子になって魔法を習得すれば、仕事に困らなくなるわ。上手くいけばお金も名誉も手に入るから、裕福に暮らせるはずよ。魅力的でしょう?」



 運良く目の前の少年は魔力が豊富なだけでなく無垢な子どもで、まだサイコパスや変態ではない。

 条件が揃う魔術師がいなければ、育てれば良い。そう考えたオフェリアは少年を利用しようと、笑みを浮かべて手を差し伸べた。



 ◇



 子どもを連れて旅を続けるのは難しい。オフェリアは田舎街のアパートを借りて、弟子と二人暮らしを始めることにした。

 そうして唐突に始まった師弟生活は、想像していたよりも楽しいものだった。


 ユーグはとても素直な上に利口な子で、子育て未経験のオフェリアでも手を焼くことはほとんどなかった。むしろ浮かべる笑顔は眩しく、師匠思いで優しく、叱ったことも数えられるほどしかない。

 オフェリアはすっかりユーグが可愛くなって、甘やかしたくなってしまう。彼が望む魔法は全て教え、徹夜をしていれば付き合い、成功すれば全力で褒めた。

 孤児であることを馬鹿にする街の子がいれば、ユーグをしっかりと守った。



 ◇



 さらに月日が経ち――弟子を育て始め四年。



「お師匠様、どうでしょうか?」

「ユーグ、こんなこともできるようになったの?」



 柔らかい笑みを浮かべた少年の手には、氷でできた美しい薔薇が乗っていた。水の魔法と、温度変化の魔法のふたつをうまく制御している上に、出来上がった薔薇は本物のように繊細な花びらを重ねている。


 ユーグはオフェリアの想像を超える才能をみせていた。ハッキリ言って、魔力量も制御能力も今の彼女を越えている。

 オフェリアがその事実に驚愕し氷の薔薇を見つめていると、すっかり身長が伸びたユーグは腰を軽く折って師匠の顔を覗き込んだ。



「はい。お師匠様に喜んで欲しくて、秘密で練習していたんです。受け取ってくれますか?」

「もちろん、ありがとう――!?」



 氷の薔薇を受け取ってさらにオフェリアは驚いた。氷でできているのに冷たさを感じさせず、その上溶けている様子もないのだ。



「少ししか継続できませんが、時間停止と巻き戻しの魔法を重ねてみたんです。お師匠様の呪いの資料を読んで、応用してみました」



 呪いを解くために弟子であるユーグには不老の呪いについても教えていたが、時間魔法については、友人の魔術師でも頭を抱えた内容だ。それを十四歳の少年は理解しただけでなく使ってみせた。



「ユーグは天才だわ! 自慢の弟子よ!」



 オフェリアは感動のまま、いつものようにユーグを抱き締めた。全身全霊をかけて褒め、やる気と才能を伸ばすのが彼女のやり方だ。

 すると弟子はそっと優しい力で師匠を抱きしめ返す。



「お師匠様が喜んでくれて、嬉しいです。頑張って良かった」

「ご褒美に今夜はユーグの好きなものを食べようね。何が良い? 何でも作るわよ」

「お師匠様が作ってくれたものなら、何でも好きです」

「遠慮はなしよ。私たちの仲じゃないの」



 体を離したオフェリアは、ユーグの目をじっと見つめて答えを引き出そうと圧をかける。

 すると弟子はほんのり赤くなった顔を逸らし、眉を下げると「ハンバーグ」と答えた。子どもっぽいメニューが恥ずかしくなったのか、彼はそっとオフェリアの腕から逃れた。

 愛弟子の照れている様子が可愛くて仕方ないオフェリアは、思わず肩を揺らしてしまう。



「ふふふ、大好きな弟子のために頑張ろうかしら♪ 特別にチーズ入りにしてあげる」

「た、楽しみにしてます。では俺は部屋に戻ります」



 からかいすぎたのか、ユーグは顔を真っ赤にしてリビングから出ていってしまった。

 その背を見ながらオフェリアは、ため息を吐いた。


 ユーグとの生活はとても楽しい。弟子というよりは、年の離れた弟のような存在で、魔法だけではなく伸びていく身長や低くなっていく声など、彼の著しい成長を見られるのは嬉しい。


 しかしこのままでは駄目だとオフェリアは感じていた。すでにユーグは師匠の自分を越えており、彼女は彼に魔法を教えることに限界を感じていた。

 それでいて弟子の実力はまだまだ伸びると確信できるほどの才能を、今日目の当たりにしてしまった。



「そろそろ巣立ちね」



 後日オフェリアはユーグを呼び出し、これからについて告げた。

「ユーグ、魔法学校ルシアス学園に入学しなさい。あなたの知識と実力なら合格できる」

「ルシアス学園といえば、大陸最高峰の魔法学校ですよね。でも、そこは全寮制ではありませんか」

「そうよ。集中して学べるわ。学費や生活費は心配しないで」



 魔法学校ルシアス学園はオフェリアも通っていた学園だ。大陸から将来有望な魔術師の卵が集まり、魔法の鍛錬や研究をする機関。そこの教師はオフェリア以上の実力を持っていることを、彼女自身が良く知っている。

 それはユーグも分かっているはずなのに、彼は真っ白な顔をして呆然としていた。



「ユーグ?」

「俺は、ずっとここでお師匠様から魔法を学びたいです。離れたくありません」

「離れたくないって……」

「だって俺が入学したらお師匠様はこの家を売って、また旅に出るつもりなんでしょう?」



 弟子の指摘は図星だった。ユーグがいるからこの地に留まっているだけで、彼がいなければこのアパートに住む意味はない。



「そうね。新たな解呪のヒントがないか探すつもりよ」

「どうして……僕を弟子にしたのは解呪のためですよね? もしかして俺じゃ役に立たなそうだから、置いていくのですか?」



 ユーグは金色の目にたっぷり涙を浮かべて、膝の上に置いた拳を震わせた。

 オフェリアは慌てて、彼の手を握った。



「違うわ! 逆よ、逆。ユーグの才能が凄いから、私の教えではあなたの可能性を閉ざしてしまうわ。だから相応しい師事を受けられる場所で、たくさん学んで欲しいだけ。確かにまた旅に出るけれど、置いていくつもりで学園を勧めたわけじゃないことは信じて」

「では入学してもお師匠様と会えますか?」

「えぇ、あなたの成長を見に行くわ」



 そう言うとユーグはホッと肩の力を抜き、オフェリアの手を握り返した。



「では週に一度、会いに来てくれるんですか?」

「無理かな。それだとどこにも行けないわ」

「なら月に一度?」

「まだ足りないよ。遠いところにも行きたいし、ヒントがあれば長期滞在も視野に入れてるから」

「半年に一度……いえ、その顔は数年来ないつもりですね?」

「うっ」

「年に一度です! それを約束してくれないと俺は入学試験も受けないし、入学後も約束を守ってくれないと中退します。これ以上は譲歩できません!」



 滅多に反抗しない可愛い愛弟子の願いだ。オフェリアは年に一度の面会で手を打った。

 

 

 ◇



 翌年、十五歳を迎えたユーグは無事にルシアス学園に入学した。

 オフェリアは必ず一年後に来ることを約束して、旅に出た。





 一年後、オフェリアはユーグから魔道具をプレゼントされた。

 互いにどの方角にいるか分かる羅針盤で、弟子が初めて作った魔道具らしい。勉強の成果を師匠に見せたかったのだろう。





 二年後、改良した羅針盤を渡された。初期の改良版で、魔力を通せば方角だけでなく距離も分かるらしい。専用の地図と併用すれば、大陸のどこに滞在しているかまで分かるらしい。

「これで緊急時は安心ですね」とユーグに言われ、「確かに、緊急時は助かる」とオフェリアは素直に受け取った。





 三年後、待ち合わせ場所には見知らぬ美青年が待っていた。少し長めの艶のある黒髪は肩口で結ばれ、分けられた前髪から綺麗な金色の瞳が見える。よくよく確かめれば青年の正体はユーグで、オフェリアは動揺が隠せなかった。



「酷い! 私の可愛いユーグが消えた!」

「そんな! お師匠様、俺の成長は嬉しいって言ってくれたじゃないですか! 大人を目指してイメチェンしたのに……こんな俺は嫌いですか?」

「嫌いじゃない! 格好良すぎて目に悪い! 癒されない!」



 ユーグの柔らかい笑みにいつも心を温めていたオフェリアにとって、天使の笑みの消失は由々しき問題だ。髪型でここまで印象が変わるなんて想定外だ。なおかつ以前より身長がさらに伸びた上に、肩幅も広く逞しくなったように思う。

 こんな美青年に切なげに縋られたら、百歳も年下の相手でも間違いをおこしてしまいそうだ。彼女は両手で目を覆った。


 けれどその手は弟子に掴まれ、離されてしまう。オフェリアの青い瞳に映り込むように、ユーグが彼女の顔を覗き込んだ。



「あなたはそう言いますが……お師匠様の容姿も美しく、実は俺も以前からなかなか癒されないので、お互い様ってことで受け入れてください」

「弟子が厳しいっ」



 そもそも呪われたのはオフェリアの美貌に男が一目ぼれし、男が婚約者を蔑ろにした背景がある。

 自分ではそこまで美人だと思っていないが、忌々しい前科のせいで下手に謙遜もできない。美人じゃないと思って普通にしていて巻き込まれたトラブルは数多い。

 格好良い弟子の顔が「美しい」と言った言葉に反論できず、ただ羞恥を味わわされた。






 四年後、卒業後は魔塔で働くと、ユーグは報告してきた。各国、魔法の研究機関として運営されている魔塔の中でも一番人気の場所だ。就職の倍率がとても高いが、彼は魔塔主に直々に誘われたようだ。


「ユーグったら、本当にすごいわね」

「お師匠様がしっかりと基礎を教えてくれたからです。お師匠様なしでは、俺はいません。あなたは俺にとって、この世で誰よりも大切な人です」


 ユーグがオフェリアの両手を強く握り、強い眼差しを向けた。

 オフェリアは、早鐘を打つ心臓を必死で宥めた。




 


 五年後、二十歳になったユーグは首席で学園を卒業し、無事に魔塔入りを果たした。

 驚くべきことに、通常初年度は先輩魔術師の補助に入る新人にもかかわらず、彼は最初から個人の研究室が与えられらた。



「私が二十歳のときとは比べ物にならないくらい立派ね」



 立派な魔術師になった弟子に感心すると同時に、ついに見た目もユーグは越えてしまった。これまで自分より先に老いていく知人を見てきたけれど、いつもより寂しいようにも思う。



「お師匠様?」

「その呼び方、やめない? 学費の援助も終わったし、私が教えることももうない。ユーグはもう一人前の魔術師だもの、対等でいきましょう」

「オ……オフェリア、様」



 たどたどしい口調でユーグが名前を口にした。少しくすぐったい。



「様はいらないわ。呼び捨てで良いわよ」

「オフェリア……」

「ふふ、新鮮ね。改めて卒業おめでとう。首席なんてすごいわ」



 昔と同じように、ユーグを抱きしめて成果をたっぷり褒める。こうするのは学園に合格したとき以来、五年振りだ。これからは対等な魔術師同士。師匠として弟子を褒めることはこれが最後だろう。

 ユーグも、オフェリアを抱き締めた。以前よりも腕に込められた力が強い。



「オフェリア、俺が一人前ということは、適性があれば解呪の協力をする魔術師として名乗り出ても良いのでしょうか?」

「そうね……と言いたいけれど、立派な魔術師に払える対価を私が用意できないわ」



 お金は学園の学費で随分と減らし、残りの財産やこれから稼ぐにしても、高給取りの魔塔に就職したユーグから見たら対価に値しなさそうだ。貴重な魔法書も、素材も、魔塔の方が揃っているだろう。

 何も用意できないことに、オフェリアは頭を悩ませた。



「俺を育ててくれた元・師匠ですから、特別割引します」

「あら、育ててくれたから無償とは言ってくれないのね」

「そう言える無垢な子ども時代は終わりましたから。時間をください。オフェリアの時間を、俺に」

「時間?」



 ユーグはオフェリアを腕から解放し、頷いた。



「個人の研究室が与えられた条件が、時間魔法について調べることなんです。オフェリアの呪いにも関係しているので、これまであなたが集めた情報をもっと分けて欲しいですし、解呪の実験も進めていくのでそばにいて欲しいんです」

「なるほど」

「あとは研究に専念したいので、身の回りの世話をお願いしたいのです。その……またオフェリアのハンバーグが食べたいです。チーズ入りの……」



 立派な青年になったはずのユーグが頬を赤らめ、甘えるようにオフェリアの手料理を求めた。

 母性スイッチが入った元・師匠は「サポートは任せなさい!」と胸を叩いた。

 そうして数年振りの同居生活がスタートしたのだが……



「なんか違う」



 オフェリアはシチューの鍋を見つめながら呟いた。彼女としては昔と同じような生活をイメージしていたのだが、家の中に漂う雰囲気が母子のものではなく、まるで恋人の同棲生活のような甘いときが多いのだ。



「違う? 料理でも失敗しました?」



 ユーグがオフェリアの隣りに立つと、顔を寄せて鍋を覗き込んだ。

 その顔の近さに、オフェリアの心臓の脈は加速する。数年前はなんとも思わなかった距離だというのに、妙に意識してしまう。



「失敗はしてないわ。いつもと味が違うような気がしただけ」

「そうですか。オフェリアの料理はどれもおいしいですから、いつもと違っても全部食べるので安心してください。作ってくれてありがとうございます」



 そう言いながらユーグはオフェリアの頭を撫でた。

 彼女は顔を真っ赤にして堪らず問いかけた。



「最近、な、なんで撫でるの?」

「だって良いことをしたら、思い切り褒めるというのがお師匠様でしょう? その弟子が真似るのは当然ではありませんか。それともオフェリアのように抱きしめる方法の方が良いでしょうか?」

「抱き締め……」



 オフェリアはユーグに抱き締められることを想像して、さらに顔を真っ赤にした。ハグに関しても、数か月前までなんとも思わなかったのに、これ如何に。師匠から弟子にしていたスキンシップを返されているだけなのに平静でいられない。

 芽生えさせてはいけない気持ちが顔を出そうとする。



「抱き締めちゃ駄目。もう大人なんだから簡単にしないで」

「それは、もう俺を子どもとして見ていないってことですか?」

「当たり前じゃない。こんなに身長が高い子どもがいてたまるものですか」

「なるほど……身長が伸びて良かった。嬉しいです」



 動揺を抑えるのに必死なオフェリアに対し、ユーグはとても上機嫌に微笑んだ。





 六年後、偉大なる魔塔の研究者のひとりとしての自信が出てきたのか、ユーグがますます大人びてきてしまった。

 ただでさえ男性として魅力的な容姿と高い身長だったというのに、最近は色気も兼ね備えてきた。


「オフェリアの手料理が好きですよ」、「オフェリアが待ってくれるこの家にも慣れ、好きになってきました」、「ご機嫌なときのオフェリアの鼻歌、好きだなぁ」と金色の目を細め、口元に綺麗な弧を描いて、わざとかと思うほど良質な低音の声で告げてくるのだ。


 オフェリアの心臓は勝手にギュッと締め付けられ、鼓膜は甘く痺れ、腰が抜けそうになる。最近では勝手に「オフェリアが好き」と脳が内容を変えて認識させようとしてくる。

 これでは同居生活に支障を来たしかねないと判断した彼女は、理性を取り戻そうと置き手紙を残して旅に出ることにした。


 しかし翌日、オフェリアは隣り街でユーグによって捕まり、家に連れ戻された。四年前に彼からもらった位置を知らせる羅針盤を鞄に入れたままだったのだが、性能が完璧であることが証明された。






 七年後、魔塔主がオフェリアの下に訪ねてきた。友人だった今は亡き魔術師の弟子だ。

 その弟子がたっぷり蓄えた真っ白な髭を申し訳なさそうに撫でた。


「オフェリア殿が家を飛び出す度に、ユーグの研究が止まります。どうか逃げ出さないでください。いや、彼は非常にまじめな性格だと思っていたのですが……もし暴力的な二面性があるなど逃げ出したい事情がおありなら、ご相談ください」

「いえ、ユーグは優しく、素晴らしい青年です。私が至らないだけです……その、申し訳ありません」



 危うく優等生ユーグにヴァイオレンスな疑惑をかけられるところだった。しっかり否定し、魔塔主を見送った。


 ユーグに魅力的な異性だと思わされ、恥ずかしい気持ちが爆発し、ある感情を自覚しそうになるたびにオフェリアは脱走を企てていた。

 そしてユーグが一日も経たずして見つけ出し、連れ戻す。不思議なことに、彼女が羅針盤を持っていなくても……。



「駄目、呪いを持っている間は……誰かを愛しては駄目……」



 自分に言い聞かせるように、言葉に出して意志を明確にする。


 約百二十年の人生で恋人ができたことはない。それは呪われているオフェリアを周囲が勝手に避けていたのと、彼女が「自分が不老でいる限り、皆自分より先に死ぬ」ということを知っていたからだ。

 大切な相手ほど、見送るのは悲しく辛い思いをする。


 特にユーグは何年も育ててきた子どもで、唯一の弟子。オフェリアの長い人生の中で、すでに一番大切な存在といっても過言ではない。今でさえ他者よりも重い愛情を彼に抱いているというのに、「恋」なんてものを上乗せしたら抱えきれない。



「困ったわね。呪い、早く解けたら良いのに」



 オフェリアは自分の部屋に戻り、これまでの解呪に関する資料を読み直すことにした。目新しいヒントが見つかれば、少しは前向きになれるだろうか……そう思いながら。







 八年後、一年ぶりに脱走を企てたオフェリアの両手首には、美しいブレスレット型の手枷が付けられた。この街の外には出られない、ユーグのオリジナルの魔道具らしい。



「ユ、ユーグ……?」



 オフェリアは恐る恐る、魔王と化している元弟子を見上げた。

 金色の瞳は冷え冷えとしていて鋭く、表情は感情を耐えるような無表情。初めて見る本気の怒りの表情だ。



「オフェリアは……俺が呪いを解くって、信じられないのでしょうか?」

「そんなことは」

「だったら、どうして逃げるのですか!? いつ決定的な解呪の方法が判明するか分からないし、そのとき限りのタイミングがあるかもしれません。それを逃さないためにいつでもオフェリアを呼べるように、魔塔の近くの家を選んだのですよ! だから俺の近くから離れないでください……お願いします」



 怒っていたはずのユーグの口調は次第に弱々しくなり、最後は膝をついて頭を下げた。

 オフェリアは、どこか解呪を諦めてたまま生きていたことに気が付いた。解呪できずに百年経てば当然の心理だが、目の前の元弟子は必死に研究を重ねてるというのに、あまりにも非情ではないか。



「ごめん、ユーグ。私は百年以上も生きているのに、至らないことが多くて迷惑をかけちゃったわね……ごめんね……怖かったの……本当にごめんなさい」



 解呪できると期待し、何度も失敗してきた。また期待して、心が折れるのが怖い。

 何より今は恋を自覚して、色々なことを捻じ曲げてしまうことが怖い。呪いが解けずに愛してしまった人の死を見送ることや、このままユーグの人生を自分の解呪のために縛り付けることなど……あらゆることが怖い。


 けれどこの時点で気付いてしまった……「オフェリアはユーグに恋をしている」という事実に。自覚を恐れているということは、もうその気持ちを抱いているということ。


 一気に溢れる恐怖感に耐え切れなかった目からは、涙が零れ落ちた。「オフェリア!」と慌てたように大きな声を上げたユーグが両手で彼女の頬を包み、親指で涙を拭っていく。



「申し訳ありません。あなたのこれまでの人生を考えたら、呪いが解けないかもという不安や、期待することへの恐怖は当然なのに……俺の実力不足が悪いのに、焦りをぶつけてしまいました……泣かないでください」



 ユーグはまだ、オフェリアの悩みの片方しか気づいていない。彼は何度も許しを乞うように謝罪の言葉を繰り返し、懸命に涙を拭う。



「ユーグ……もう良いわ。悪いのは私なの」

「いいえ、すでに呪いに囚われているのに、さらにオフェリアに鎖を繋ぐような真似をした俺が愚かでした。今、そのブレスレットを外しますね」



 ユーグが魔法を解除しようとブレスレットに触れようとするが、オフェリアは手を引っ込めて後ろに隠した。



「オフェリア?」

「着けたままで良いわ。きっと私はまた逃げてしまう。ユーグが一生懸命頑張っているのに、そんなことしたくないの。これは自分の戒めのため着けていたいわ。素敵なデザインだし」

「……分かりました。そのブレスレットが早く外せるよう、解呪の研究を急ぎますね」

「ありがとう。お願いするわ」



 ユーグを信じたい。自分の弱さから逃げたくない。そんな思いで、オフェリアはブレスレットをつけ続けることにした。







 九年後、二十四歳になったユーグはますます眩しくなった。伸ばし続けた髪は腰まで及び、最近は魔法を付与したモノクルをつけることもあり、より大人の男に磨きがかかっている。


 髪を結んでいるときと解いているとき、モノクルを着けているときと外しているとき……オンオフの視覚的ギャップ攻撃に、オフェリアは日々理性をすり減らしていた。

 それでいて昨年、焦りをぶちまけてしまった後悔からか、ユーグの態度がとても余裕のある紳士そのもので、精神的攻撃も強まっている。


 オフェリアの方が百年は長く生きているのに、自分の方がユーグよりも年下のように感じるときも増えてきた。

 そんなことを考えていたら眠気が覚めてしまい、彼女は水を飲みにリビングに下りた。まだそこには灯りが残っていて、ソファではユーグが資料を持ったまま寝てしまっていた。数枚ほど手から落ちて床に広がっている。



「まだ頑張っていたの……」



 どれだけ研究が忙しくても、ユーグは必ず家に帰ってくる。そしてオフェリアの顔を見て、いつも肩の力を抜く。



「私が逃亡を繰り返していたせいで、心配にさせてしまっているのかしら」



 罪悪感を抱きながら落ちた紙を拾う。

 時間に干渉する魔法陣の計算方法や、儀式を補助する素材についてみっちり書かれていた。中にはオフェリアが提供したヒントも含まれていて、研究に役立てていることに安堵する。


 正直、想像以上に解呪の理論と実験の魔力操作が難しく、すでにオフェリアの頭脳と技術では手に負えないものになっていた。天才と称されるまでに成長したユーグでなければ、ここまで研究は進んでいなかっただろう。今は完全に彼に任せっぱなしだ。


 ユーグなら必ず解呪できる。そう信じている。


 元・弟子の頼もしさに、自然と期待することへの恐怖が薄れ、オフェリアは顔を緩ませた。 

 しかし集めた紙をテーブルに載せようとしたとき、資料の一文に彼女は表情を強張らせた。


 魔力交換の効率化を図るには、対象者との口移しが最も有効――と、解呪方法の候補の欄にそう書かれていたのだ。



「つまり、ユーグとキスするということ? この美丈夫に育った元・弟子と私が?」

「ん……オフェリア?」



 寝ていたユーグが目を覚まし、とろんとした眼差しをオフェリアに向けた。その色香を避けるように目線をずらすが、無意識に向けられた先は彼の口元。

 非常に形が良く、寝ぼけて微妙に開かれた唇が艶やかすぎる。



「こんなところで寝て風邪を引いたらどうするの。ベッドに行くことをおすすめするわ」

「心配してくれてありがとうございます」



 クスリと、それはとても嬉しそうな表情をユーグは浮かべた。



「当たり前じゃない! 分かったのなら、早く寝なさい。おやすみ!」



 ドギマギした態度を隠すこともできず、オフェリアは慌てて自分の部屋に戻った。







 十年後、オフェリアがユーグを拾って十五年の歳月が経った。今日ついに解呪の儀式をすることになった。

 場所は魔塔ではなく、家のリビングだ。特殊な魔法を使うので、魔塔にある他の魔法陣や魔道具に影響を与えないための配慮らしい。

 リビングの中央には特別な染料で染めた布に、魔力を込めたインクで描いた魔法陣が広げられている。



「やっぱり、この方法を用いるのね……」



 魔法陣の上で最終的に選ばれた解呪方法の説明を受け、オフェリアは胸の痛みに眉をひそめた。

 他の方法が見つかることを期待していたが、やはり魔力交換のために口付けをする必要があるというのだ。説明のために渡された資料にも目を通すが、実際に一番効率的で、それ以外の方法では解呪は難しそうだ。


 キスは恋人とするもの――というポリシーを長年持っていた彼女にとって、呪いが解ける喜びよりも、ユーグに不本意なことをさせてしまうことに申し訳なさが生まれる。


 彼がたくさんの女の子から秋波を送られていることを、オフェリアは知っている。

 けれど元・弟子は自分が拾われた目的を達成しようとした結果、女性の好意をすべて無視し、青春時代をすべて師匠に捧げてしまった。ユーグから女性の気配を一度も感じたことがないのは、オフェリアが障害になっているからだろう。



「他の方法って、やっぱりないわよね?」

「オフェリアは、俺とするのは嫌ですか?」



 ユーグは眉を下げ、彼女の顔を覗き込んだ。



「嫌なはずないでしょう? ただ……ごめんね、あなたの青春を奪っておきながら、私は愛する恋人でもないのに、ユーグにキスなんてさせて。しかも解呪ってロマンチックでもないシチュエーションで、なんだか強制的で……無理させるわね」



 この解呪の儀式はユーグが研究を積み重ねて得た、努力の結晶だ。拒否することはないが、本来は恋人に捧げるはずの唇を自分が奪うことだけは予め謝罪しておく。



「なら、俺の恋人になってくれますか?」

「え?」



 オフェリアの両手を握ると、ユーグは片膝をついて彼女を見上げた。



「愛しています。俺はオフェリアを誰よりも愛しています」

「え? な、なにを……私の気持ちを軽くするための演技なら必要ないわ。これ以上、自分を犠牲にしないで」



 この元・弟子の献身はいつも重い。オフェリアのためなら、本心を偽ることくらいしそうなのは想像に容易い。



「犠牲にしているつもりは一切ないです。青春だって奪われていません。俺の青春は大好きなオフェリアで満たされています。強いて言うなら、学生時代の年に一度しか会えなかった空白を根に持っているくらいです」

「もしかして五年、全部?」

「はい。毎日そばにいた大好きなお師匠様が……俺の初恋のオフェリアが近くにいない日があるなんて予想していませんでした。どれだけ寂しい思いをしたか……お陰で魔法の鍛錬と研究が進みましたが、そのときのオフェリアに焦がれ募る気持ちは未だに忘れられません」



 当時を思い出しているのか、ユーグは悲痛な表情を浮かべ、オフェリアの手を握る力を強めた。これは嘘ではない。本当に愛する人と離れて辛かった人が浮かべる顔だ。



「ユーグ……私は百年以上生きたおばあちゃんよ。こんな年上で良いの?」

「俺からみたら、オフェリアの心は可愛い女性のままです。実年齢は気にしていません。見た目ならもう俺の方が年上です」

「呪い持ちよ?」

「今すぐ解呪してみせます。問題ありません。あるとすれば、オフェリアの気持ちだけです……もう一度言います。愛しています。俺の恋人になってください」



 ユーグは額をオフェリアの手に重ね、懇願した。

 彼女の胸は高鳴り、気持ちを堰き止めていた壁を押し崩していく。呪い持ちだから無理だと、誰かを愛することを諦めていた。逆も然り、呪いを持ったままでは誰も愛してくれないと思っていた。呪いが解けたとしても、百歳を超えた人間など化け物だ。


 けれどユーグは全てを受け止めて、以前から愛してくれていた。素直になれないこの性格も可愛いと言ってくれた。


 オフェリアの気持ちはもう止められない。彼女はユーグの視線の高さに合わせるように膝をついた。



「愛しているわ。私もユーグを愛している。大好きよ」

「――っ、オフェリア愛しています。俺と一緒に老いて、死んでください」



 老いて死ぬことはオフェリアの悲願だ。それを口にしてくれるなんて、最高のプロポーズに違いない。


 ふたりは視線を交らわせると互いの頬に手を添えた。そして微笑み合い、引き寄せられるように唇を重ねた。

 息継ぎも大変なくらい、ユーグが魔力とともにオフェリアの奥へと入り込んでくる。魔法陣は青白く美しい輝きを放ち、祝福の光で包み込んだ。





 無事に解呪に成功し、オフェリアの体の時間は再び動き始め、弱体化していた魔力も取り戻すことができた。質はともかく、魔力量だけはユーグを凌ぐ多さだ。

 その結果オフェリアとユーグは歴代最強の魔術師夫婦として、後に歴史に名が刻まれることになった。



Fin.

お読みいただき、誠にありがとうございます!

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▼ ▼ ▼

【連載版始めました】

改題し『呪われオフェリアの弟子事情』として連載中!

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新しいシーンあり。ユーグの視点を追加。新キャラも登場。

糖分レベルアップでご用意しております。

ぜひお楽しみいただけると嬉しいです!

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