第九話 情報収集
「いや、すまないね。君がコーヒーを淹れている姿が目に入ったので、つい」
「細かいことは気にしなーい」
店に入ってきた二人──ロアムさんとミレアーナさんは口々に言い、昨日と全く同じカウンターの席に着いた。悪びれる素振りがないのは、既に何度も開店前の店に入ってきているからだろう。つまり、常習犯ということである。はぁ、やっぱり最初に開店前に来た時追い返すべきだった。一度許すと、前はよかったじゃないかということになるし。二年以上前のことだし、もう手遅れなんだけどさ。
二人入れたことだし、店の扉に閉店の札を開店にしてこようかな。
「あ、札は回しといたよー」
「本当に自由だな」
「ドレ君は私たちを店に入れた時点で開店にすると思っていたし、事前にやっておいたのさ。ミレアーナが」
「なるほど、酒の恨みということですか」
「そんな小さな仕返ししないから!! ほら!」
と、ミレアーナさんはやけくそ気味にカウンターの上に大量の酒瓶を置いた、その数は優に五十本を超える。
「私の秘蔵酒はこれで全部だよ。あぁ~、いつか飲もうと思って取っておいたのに……」
「ありがとうございます。これで今までのツケは完済ですね。ミレアーナさん」
「何? あ、もしかしてお礼?」
「本当にこれで全部ですよね?」
「もうないよッ!?」
疑いの視線を僕から向けられたミレアーナさんは叫び、それを見て僕とロアムさんはくすくすと笑う。まだ隠していたとしても、これだけ沢山あるんだからもういらないよ。この量なら、十分に酒盛りをすることができる。その酒盛りをいつやるかは、全くわからないけどね。
カウンターの上に置かれた酒瓶を回収して木箱の中に移動させる作業に入る。多いなぁ。
「冗談ですよ。このお酒は、皆で飲む日まで大切に取っておきますね」
「そうしておいて。で、さっきから気になっていたんだけど……」
ミレアーナさんとロアムさんはちらり、と僕の近くをウロウロしている子狼に視線を向けた。
「この子はどうしたんだい? ドレ君が生んだ……というわけではないんだろう?」
「どうして人間の僕から狼が生まれるんですか。そもそも僕は男です」
「「……」」
「なんで黙り込むんですか店から追い出しますよッ!?」
もう何度目かもわからない女の子弄りが始まろうとしていたため、先に退店勧告をして牽制。すると二人はすぐに手を振って、冗談だと僕をなだめに入る。
「そんなに怒らないでおくれ。ちょっとした冗句じゃないか」
「スキンシップだよ。スキンシップ」
「不快になるスキンシップはやらない方がいいと思いますけど」
「ごめんってば。それで? この子は何処の子? 見たことないけど」
僕はカウンターの上にいた子狼を抱き上げた。
「今朝、エッグツリーに卵を収穫しに行ったら、偶々見つけたんです。親とはぐれたのか、小さいのに一人で森の中にいたので、一時的な保護として連れてきました」
「エッグツリーとなると、恵みの森か。あそこなら飢え死にすることはないだろうけど……本当に一匹でいたのかい?」
「? はい」
どうしてそんな質問をするのかわからないが、僕は質問に頷きを返す。
別に親とはぐれるくらい、自然の中ではよくある話だと思うんだけど。だが、ミレアーナさんも珍しく真面目な表情で子狼を凝視していた。
「ねぇ、ドレ君」
「はい?」
「貴方はこの島に来てから、狼の神獣を見たことはある?」
「狼の神獣……」
問われ、僕は記憶の中で今までに出会ったことのある神獣や精霊の姿を思い浮かべる。
……言われてみれば、ないな。少なくとも、僕は狼の姿を持つ神獣に会ったことはない。
「ないですね。でも、それが何か関係があるんですか? 僕が見たことないだけで、この島にも狼はいるでしょう?」
「いないよ」
「え?」
即答したロアムさんに顔を向けると、彼女はミレアーナさんと同様に、僕の腕の中にいる子狼を見つめていた。
「このカレウス島にいる生物は魔獣以外、この島に住んでいる神獣の眷属だ。眷属というのは、主となる生物と同じ種のものしか生まれない。狼の神獣がこの島にいない以上、狼の眷属は生まれないんだ」
「正確には、狼の神獣もいたんだけど、神話の彼方に消えちゃったんだ。今では、神獣や精霊の間で語り継がれるだけの存在だよ」
「じゃあ、この子は……」
何者なんだろう。
狼のいない島にいる子狼。話題の当人は小首を傾げて僕を見上げているけど、きっと自分が何者とかどうでもいいんだろうなぁ。こっちは気になって仕方がないのに。
「ただ、微かではあるが神性も感じられる。この感じだと主ではなく眷属の類だけど」
「もしかしたら、何処かの洞穴に狼の神獣が隠れているとかじゃない? ほら、それならこの子が生まれた理由も説明がつくし」
「馬鹿。だとしても、隠れている理由がないだろ」
「……シャイとか?」
「そんな理由で隠れていたとしても、いずれは食料の問題もあるし、外に出てくる。そもそも、長い年月の中で一度も見かけていないのだから、いるはずがない」
「そうだよねぇ……」
難しい話を繰り広げているので、知識の乏しい僕には参加できそうにない。
ということで、今しがた淹れていたコーヒーをカップに注いで二人に差し出した。ちなみに、ロアムさんはコーヒーが好きだけど、ミレアーナさんは苦手です。
「はい、どうぞ」
「ありがとう。いい香りだね」
「淹れたてですからね」
早速ティーカップに口をつけたロアムさんとは違い、ミレアーナさんは恨めしそうに僕の方を見つめている。要するに、ミルクと砂糖を寄越せ、とのこと。
いい歳……何歳かわからないけど、大人なんだからいい加減苦みに慣れてほしい。
「まずはブラックで飲んでみてください」
「いやぁ、私はちょっと苦手と言いますか……」
「一口飲んだら、ミルクと砂糖を出してあげますよ」
いつものお返しとばかりに意地悪を言ってみると、彼女は「ドS……」と一言呟き、カップに口をつけた。すぐに舌いっぱいに苦みとコクが広がったようで、顔を顰めてべっ、と舌を出した。
「う~……やっぱり、私には向かないみたい」
「子供舌ですね。はい、ミルクと砂糖です」
ミルクピッチャーと砂糖を渡してあげると、ミレアーナさんは急いでそれをコーヒーカップの中に投入し、完成したカフェオレを飲んでほっと一息ついた。
やっぱり、お子様だな。
僕とロアムさんは顔を見合わせ、苦笑した。